第三話 名門に生まれた駄目力士、海星光太郎の巻
次回は二月四日くらいに投稿します。
二年前。
海星光太郎は等々力不動の滝の前にいた。
人生に絶望して身を投げるつもりだったが、実物を見てすぐに止めた。
海星光太郎はこの時、29歳。23歳の時に力士としてデビューしたのだが、この六年間勝ったことは一度もない。
日本のスモーの名門”綿津海部屋”の次男として生まれたがスモーの才能は皆無であり、いつもそのことで父海星英樹に叱られていた。
英樹は現役時代、横綱になることは出来なかったがそれでも大関まで昇格したエリート力士だ。
光太郎も生まれて間もなくスモーの英才教育を受けたものとして個人的に尊敬しているがこればかりはどうしようもない。
学生時代は関取になってアイドル、ニュースキャスターと結婚するとかそれなりに目標があったが中学を卒業して受けた最初の新弟子試験に落ちて以来現実というものを知り断念することになった。
しかし、それでも光太郎がスモーを続けることが出来たのは優秀な兄翔平のお陰である。
翔平は父秀樹の現役時代の四股名”大洋吠”を継承し、大学生スモーからプロスモーに活躍の場を変え世間を賑わせた時の人だった。
だが順風満帆の翔平の人生に転機が訪れた。地方巡業の最中に怪我をして引退することになったのである。
左大腿骨骨折。
仮にリハビリに十年以上、手術に成功しても元には戻らない。
たった一度の怪我で翔平はプロスモー界から去ることになった。
「何で!!何で兄ちゃんがこんなことになったんじゃあああ!!!」
当時、翔平は何も言わなかったが光太郎は大いに涙を流した。
天才と呼ばれる兄がその陰でどれほど厳しい自己鍛錬を続けていたかを光太郎は知っていたからである。
病院から自宅に戻った後に翔平は後援会の役員と父親から質問責めに合った。
翔平の性格をよく知る役員たちは思ったほど強く当らなかったが、英樹は違った。
烈火のように怒り、翔平を何度も打ち据えると怪我の原因について徹底的に問い質した。
しかし、翔平は…。
「スモーの未来の為」と言ったきり、口を閉ざしてしまったのだ。
(※この怪我はデビルスモーナイト、翔小杉との戦いで負ったものだが翔平と翔小杉はそのことを生涯、口にすることは無かった)
次の瞬間、英樹は翔平の頬に平手打ちを食らわせてた。
その後、翔平に背を向けて勘当を言いつける。
張り飛ばされた翔平はその場で土下座して「今までどうもありがとうございました」と短く告げるとその日のうちに家を出て行ってしまった。
夜。光太郎は大きなスポーツを片手に実家から出ていく翔平の後を追った。
光太郎は何度も兄を思いとどまらせようと口下手なりに説得するが兄は何も答えない。
やがてバス停にバスが近付いてきた。
その時すくっと翔平は立ち上がり、光太郎に別れの言葉を告げる。
「光太郎、お前の器は俺より上だ。常に上に行くことを、修行を重ねることを忘れるな。俺にはやるべきことが出来てしまった。父さんと母さんのことを任せたぞ」(※CV千葉繫の予定)
翔平はバスに乗り込む。
光太郎は何一つ言葉を発することもできないまま、翔平を乗せたバスが見えなくなるまでその場に立ち尽くした。
次の日、英樹はいつもの様子に戻っていた。
光太郎は兄の言葉を頼みに努力を続け、その事件の一年後にプロのスモー力士としてデビューする。
人生初の試合は押し出しで文句のつけようがない黒星だった。
その後も連敗を重ねて、ついに全敗零勝のまま今に至る。
だが不思議と人望だけはあり、彼をスモー部屋から追い出そうとする者はいなかった。
光太郎は今日もジャージ姿で洗濯やら食事の用意をする。
一年前にアメリカから留学してきた美伊東君と意気投合して仲良くなり、友人兼付き人として行動を共にすることになる。
美伊東君曰く「こんなに弱いスモーレスラーがいるとは思わなかった」ということらしい。
しかし美伊東君は光太郎を「若」と呼んで慕い、公私ともに助力を惜しまなかった。
最近ではコーチ役として自主トレにもつき合ってくれるようになっていた。
そんな中、季節は廻り秋の特別巡業である秋葉原場所が始まろうとしていた。
秋葉原場所が始まってから二週間が経過した。
自分の戦績表を見ながら光太郎は盛大なため息を吐いた。
「14戦0勝14敗」明日の千秋楽で負ければ晴れて全戦全敗ということになる。
海星光太郎、29歳。既に後が無い。
光太郎はここ一年ほど何度も力士を辞めてしまおうかと思っていたが、その度に兄翔平の顔がチラついて思い止まっていた。
しかし、今回だけは違った。
父英樹から今場所、全敗で終わるようなことになれば引退するように言われていたのだ。
兄が出奔した今となっては光太郎が現役引退すれば、事実上綿津海部屋は無くなってしまうだろう。
そうなった場合は後援会の役員になって、広報営業をしながらサラリーマンをやれとも言われていた。
光太郎は父の言いつけを承諾するつもりはなかった。なぜならば…。
「ワイがスモーを、力士を辞めてしまえば翔平兄ちゃんとの繋がりが切れてしまう。それだけは嫌なんじゃ」
光太郎は肩を落としながら、トイレの中で情けない声を上げていた。
そんな時、会場の方から歓声が聞こえてきた。
アメリカから本場所におけるゲスト力士が到着したのだ。
スモーの国際交流試合は国家間の戦争に発展する場合があるので、国際法によって禁止されている。
故に今日に限ってはアメリカン力士たちはあくまで試合観戦の為に現れたのである。
アメリカを代表するスモープレジデント(日本における横綱的な立場)、輪真東は美しいバニー姿の秘書たちを伴って堂々とした姿で現れる。
次いでスモージェネラルの門郎、倫漢などが続々と現れた。
彼らはアメリカン・カウボーイ(※アメリカの紳士のこと)らしく微笑を絶やさずに手を振りながら歩き、やがては貴賓席に座った。
隣の人の迷惑にしかならないような足の組み方をしているのはアメリカ紳士のマナーである。
日本人が真似をしてはいけない。その中で特に注目を集めたのが次期スモープレジデント候補の一人と言われるテキサス山だった。
一級品のユーモアと没収試合も厭わない果敢なラフ・ファイトが売りのテキサス山だったが今日ばかりは様子が違っていた。
「テキサス山。気持ちはわからんでもないが、せめて帽子は取れ」
テキサス山の先輩力士である小母馬が観客に笑顔を返さない始終しかめっ面のテキサス山を注意する。
この時、テキサス山はとあるトラブルが原因で謹慎中だったのだ。
小母馬はアメリカにおいて初の黒人スモースター(※花形力士のこと)となった苦労人である。
テキサス山は自慢のテンガロンハットを脱いで、観客席に向かって手を振りながらぎこちない笑顔を返した。
小母馬は席に座り、再び隣の人に喧嘩を売るような足の区見方をする。
文化が違うから理解できないだろうが、アメリカでは椅子に座った時にこうしなければマナー違反を指摘されてしまうくらいだった。と作者は少なくともそう思っている。
テキサス山は腕を組んで土俵を見据えていた。
(気に食わない。全てが気に入らない。俺がこうしてポップコーンを片手にジャパンのスモー観戦をしている間にも倫敦橋は外交特権で世界中の強豪たちと戦っているというのに…。UNBELIEVABBLE な上に BULL SITだぜ!!)
ガツンッ!
テキサス山は分厚い靴底で地面を叩いた。
一年前、アメリカとイギリスの国際スモー交流試合が行われた。
アメリカスモー界でトップクラスの実力を持つテキサス山は陶然、倫敦橋との対戦を望んだがそれが叶うことはなかった。
タイトルを持たない、言うなればスモープレジデントの地位ではないテキサス山との対戦を英国スモー協会が拒否したのだ。
テキサス山は一計を案じ、倫敦橋と野試合を挑むことになる。
結果、試合は引き分けとなったがテキサス山は国際スモー法に違反したことで一年間の謹慎処分を受けることになった。
だが、テキサス山の処分が重くなってしまった最大の原因は事件の跡の倫敦橋にあてのインタビューにあった。
「彼は私が戦うほどの相手ではない。私と戦う資格が欲しければ、テキサス山はもっと稽古を積むべきだ」
当時倫敦橋はマスクをかぶていたが、涼しい顔でテキサス山の再戦も「その必要はない」と一蹴してしまった。
(あの野郎、完全に俺を隠した扱いしやがって。何がスモー貴族だ)
今、テキサス山の視線の先には一人の力士が立っていた。
日本のスモー界を支える古参の力士大神山だった。
今年で年齢は四十歳になる。
大神山は年齢的にもいつ引退してもおかしくはない力士だったが、現役の力士に引けを取らない立派な肉体と実績を持っている。
かつて日本とイギリスとの国際交流試合では当時のイギリスのナンバー2、別迦無を倒したこともある。
また倫敦橋からは「日本のスモー界で唯一戦う価値のある力士」とも評価されていた。
大神山は土俵の上で塩を撒いている。
その堂々とした姿を、テキサス山は餓狼のような陰惨な表情で見つめていた。