いつか見た希望の星。
それから月日は流れ、世界スモーオリンピックニューヨーク本場所が終わった頃の話である。
イギリス女王スーパーエリザベス一世から騎士叙勲を受ける倫敦橋の姿が全世界に向けて放映されていた。
上は儀式用の白いタキシード(作者は外国の習慣には疎いのでこの辺で勘弁して欲しい)、腰から下には青いスパッツとスモーオリンピックの覇者の証であるゴールドまわしといった衣装だった。
俺はテキサスのカウボーイが着るような左右合わせて八つの巨大なトゲがついた袖なしジャケットに黒いタイツと緑色のまわしという儀式にふさわしくないラフな恰好で倫敦橋の不知火型を見守っていた。
こんな式典でスモーレスラーのコスチュームを着て来るような馬鹿は俺しかいない。
お前の求める最強の敵はここにいるぞ、と俺は倫敦橋に喧嘩を売っているのだ。
その頃、女王から英国角界の最高位「スモーナイト」の称号を受けた倫敦橋はマスコミにインタビューを受けていた。
鉄の仮面を被ったままなのが気になったが英仏百年戦争の頃から騎士であった倫敦橋の一族は生まれてから一生、仮面を被り続けることを義務付けられている、という話を聞いたことがある。
格闘技の選手としてそれはどうなんだと感じることはあるが、倫敦橋の強さとは根源的なものである。
マスコミの容赦ない質問にも臆することなく、かつ紳士的に答える。
流石は英国角界最強の男にふさわしい立ち振る舞いだった。
奴の堂々とした態度に似合った声に聞き惚れながら俺は強敵の言葉に耳を傾けていた。
「サー・倫敦橋。貴方は今大会を勝ち抜いて世界最強になったわけですが、これからの先の目標について伺ってもよろしいでしょうか?」
何とも軽薄な質問だ。
俺はマスコミの下種さ加減に吐き気を覚える。
俺たちはゴールドまわしやメタリック大銀杏(ともにスモーナイトのマストアイテム。蔵前国技館にも多分あるはず)の為に戦っているわけじゃない。
体脂肪が、魂が強者とのドスコイファイトを求めているんだ。
俺は弁当のローストチキンにかぶりついた。
その時、倫敦橋の様子が一転する。
マスコミの男は薄っぺらい口を閉じてしまったのだ。
それは倫敦橋の静かなる怒り、戦士としての誇りを傷つけられ眠れる獅子を解き放ってしまったのだ。
俺はそれ見たことか、と陽気に笑った。
「残念ながら私は世界最強になってはいない。なぜならば今回のスモーオリンピックには中国の拳法力士ラーメン山、アメリカはパワー自慢の喧嘩屋テキサス山、ドイツの残虐力士ブロッケン山、そして日本の期待の新人キン星山といった強豪たちが参加していないからだ。勿論、彼らと今から戦っても私は負けるつもりはない。だが、まだ見ぬ強豪たちとの戦いに全て勝利しに限り、私はスモーナイトの称号を返上するつもりだ」
「倫敦橋。私には貴男以上のスモーレスラーがこの世界に存在するとは思えませんが」
憤る倫敦橋を諫める役を買って出たのは誰であろうか王族の威厳と風格につり合いが取れた豪華なドレスを身にまとう英国の女傑、スーパーエリザベス一世だった。
しかし、倫敦橋は威厳に満ちた女王の言葉を聞いても微塵の動揺も見せない。
「現に私には英国角界においていまだに戦っていない強敵がいます。その男の名は」
かつてない殺気が俺を襲う。
まさか!?
駄目だ!まだ早すぎる!!
階位が違い過ぎる。
奴にとって俺などは路傍の石にすぎない。
神よ、どうかこれは夢であったと俺に罰を与えてくれ!!
倫敦橋は俺に向かって指をさしてきた。
「そこのスモーレスラー、春九砲丸との決着をつけない限りは少なくとも私は英国最強の力士であるとはいえません。女王陛下」
俺はサングラスを投げ捨て、倫敦橋を睨みつけた。
どういうつもりだ。まさかお前も俺を見ていたとでもいうのか、倫敦橋よ。
気がつくと俺はステージ上に君臨する倫敦橋に向かって歩き出していた。
警備員や王室直属のロイヤルガードたちが俺の行く手を阻もうとする。しかし、倫敦橋がそれを片手で制してしまった。
「おいおい。冗談はその鉄仮面だけにしてくれよ、サー・倫敦橋。アンタみたいなスーパースターが世界の強豪たちを差し置いて俺とダンスしてくれるってか?」
俺と倫敦橋。実際、両者の距離はまだかなりある。
しかし、二人の放つ闘志はすでにぶつかりあっていた。
この男にだけは負けられない。
俺はもしも倫敦橋に敗北したら、自慢の金髪の髷を切り落とすことを考えていた。おそらく奴も同じはず。それは強さに飢えたスモーレスラー同士だからこそ共有することが出来るシンパシィだった。
倫敦橋は腕を組んだまま何も答えない。
いいぜ、乗ってやる。
俺はジャケットを脱ぎ捨て、衆目に己のボディを晒す。
いかがわしいクスリや胡散臭いトレーニング方法には頼っていない。
地道な稽古と真剣勝負の日々が作り上げた鋼鉄の肉体を見せつけてやった。周囲から歓声が上がる。
「ミスター・春九砲丸。デビュー以来、その荒々しいファイトスタイルゆえに対戦カードを組むことさえ避けられている貴君の実力は私も耳にしていた。だが果たして、このエメラルドに匹敵する硬度を持つ私の鎧を脱がすことは出来るかな?」
倫敦橋は太い首を飾る蝶ネクタイを投げ捨て、同時にタキシードを剛腕で引き裂いた。
その中から現れたのは倫敦橋の生身ではなく青い鎧だった。
このプロテクターは倫敦橋の肉体を守るためのものに非ず。対戦者の命を本気を出した倫敦橋から守るための拘束具なのだ。俺の本能は我が身に迫る脅威を察知して冷や汗を垂らす。
だが、そんなことは承知の上だ。
「旅人の上着を脱がすのに北風や太陽の出番なんざ最初から無えのよ。そんな大口を叩くのは100億ポンドのサンドバック(どんな砂袋だ!!)を破壊する俺の鉄砲を受けてからにしなっ!」
「ふんっ。そろそろティータイムだ。いつまでここにいるつもりだ、春九砲丸。試合は明後日だぞ」
お茶の時間か。そいつは退かざるを得ない。
英国人ならばお茶の時間だけは決して蔑ろにすることは出来ないからな。
俺は倫敦橋に背を向けて会場を後にする。
明後日を倫敦橋の初の敗北と引退式にする為に。
ローストチキンは骨ごと食っちまった(危険ですから絶対に真似しないでください)。
「ウォルター、私にコートを」
スーツ姿の初老の男(こいつも鉄仮面)が左手にコートを右手にティーセット一式を持って現れる。
憤る倫敦橋の様子から察するに大凡の事情を察しているようだった。
「若君。お茶の時間はよろしいのですか?」
倫敦橋に仕える執事はステージ上のテーブルにティーカップを並べ、華麗に紅茶を注ぐ。
湯気と芳醇な香りが場の空気を少しだけ和らげた。
しかし、倫敦橋はティーカップに口をつけようとはしない。
漲る闘志を萎えさせるわけにはいかないからだった。
「ドラゴン退治が終わるまでお茶の時間はお預けだ。それでは女王陛下、会場の皆様方、明後日の試合を楽しみにしていてください」
「エレガントではありませんな。貴方はスモーレスラーである前に貴族の御曹司であることをお忘れなく」
執事は(あくまで鎧の上から)主人にコートをかける。
それから同席していた女王や国内外の要人たちに恭しく頭を下げて回る。
その時、スーパーエリザベス女王が倫敦橋に声をかけた。
「倫敦橋。貴方に勝利の女神の祝福を」
倫敦橋は一度だけ振り返り、女王に向かって頭を下げると会場の外に向かって歩いて行った。
その後を駆け足気味に執事が追いかけていく。
主人不在となった会場内の熱気はさらに沸き上がり、やがて大衆たちは明後日の対決を待ち望み静かになっていくばかりであった。