第百三十一話 死を越えた戦い‼の巻
すごい遅れました。次回は四月十五日くらいに投稿したいと思います。
がんっ。
スモーデビルの乱入によって魔境と化した会場の中で金属同士をぶつけたような鈍い音が響いた。
東ドイツ代表ブロッケン山の息子”鈴赤”は後方に回り込んだラーメン山が、ブロッケン山にジャーマンスープレックス投げを決めた瞬間を目撃する。
「目を覚ませ、親父ッ‼ジャーマンスープレックス投げはドイツ力士の誇り、それをこんな風に使われて悔しくはねえのか‼」
その時、鈴赤は理由もなく叫んでいた。
彼の尊敬する父親はもう死んでいる。
この惨状を目にすれば、如何に子供といえど受け入れざるを得ない。少年の悲痛な叫びに三角墓は答える。
「そうだな、鈴赤。このまま負けるのは良くない」
三角墓は包帯に覆われた頭部の奥で笑った。
何故そんな事をしてまったのかは彼自身にもわからない。
だが敗北の崖っぷちに立たされている自分を応援してくれている鈴赤に何かを示してやらなければならないと思った。それだけの話だった。
「スモーデビルは、いやゲルマン力士はただでは死なん。お前も地獄に連れて行ってやる…」
そう言って三角墓は両手を揃えてから、前に突き出す。
ただの両手突き、必殺技と呼ぶにはあまりにも凡庸。
だが消えかかった命の残り火を激しく燃やした。
スモーデビルとは不死の存在だが、一度死ねば多くの物を失う。
それは相撲の技術、記憶、感情、etc…。最後には存在意義を失って消滅する。
死なないのではない、死ぬことが出来ない呪われた存在である。
(ああ、こんなところをバネ野郎に見られたら”軟弱”って言われるんだろうな…)
三角墓は変幻自在のスプリングボディを持つ戦友を思い出して笑った。
吉野谷牛太郎は非力な三角墓には不似合いな戦い方だと笑うことだろう。
(それはそうだ。俺には先祖から伝わる呪いくらいしか能がない。スモーデビルセブンなんて器じゃない。だが、仲間たちへの道しるべは残すッッ‼)
三角墓は投げを食らった後、背中を地につけずにラーメン山の掴みから脱出した。
頭蓋には間違いなくヒビが入ったのだろうが、何も問題はない。
壊れた箇所は包帯を巻いて固定し、さらに念力で包帯を介してブロッケン山の肉体を操れば生前同様に動く事も可能である。
問題があるとすれば試合の後に三角墓がブロッケン山諸共死んでしまう事だろう。
目の前の勝利と生存、スモーデビルならば勝利を選ぶのは当然だ。
(俺がここで息絶えても、俺の仲間が必ず俺たちの勝利の道を繋ぐ)
三角墓はラーメン山目がけて再度、突進する。
そして、両の腕でラーメン山のまわしを掴む。
「どうした、ラーメン山ッ‼それが相撲拳法とやらの限界なのか⁉」
締め、持ち上げる。
三角墓が”吊り上げ”で土俵の外に出すつもりだった。
「それほどの力を持っていながら悪の道に堕ちるとは、自分自身が情けないと思わないのか‼」
ラーメン山は三角墓に必死で抗う。
何よりもその事実が悔しかった。
これほどの力を持ちながら悪の道を選び、破壊と殺戮を繰り返すだけの日々を送る。
例え望む者を全て手に入れたとしても満たされる事は無いだろう。
「ほざけ、若造ッ‼力こそ正義、力無き者は死に方さえ選ぶ事が出来ないのだッ‼」
びきっ‼
三角墓は憤ってさらに力を加える。
この時ラーメン山は関節、骨格にかつてないほどの圧迫感を覚える。
だが同時にそれらの激痛が彼に自尊心というものを取り戻させる。
過酷な修行は誰の、何の為か。他者よりも高い位置に立つ為に不断の努力を続けていたのか。
(違う。私は復讐の為に相撲拳法の道を選び、果てには力士の高みを目指す事になった。これは気まぐれではない。自ら考え、選び取った唯一無二の道のはず…)
時間の経過と共に三角墓の関節技は威力を増していった。
意図して相手の関節を破壊する事は世界基準の相撲も同じだったが、三角墓はスモーデビルの誇りにかけて試合を捨てるつもりだった。
(組み合えば自ずとわかる。このラーメン山という力士はやがてスモーデビルを脅かす存在となるだろう…)
ラーメン山は左右に体を捩って抵抗する。余力は無かった。
当然のように体裁を気にしている場合ではない。
すぐにでも逃れなければ命を失う、という最悪の状況でラーメン山は全力で抵抗した。
だがその時、幸か不幸か敵の目から光が失われ忘我にある事を知る。
「勝機‼」
ラーメン山は死力をもって掴みを断ち切り、三角墓の拘束から脱出する。
「ぬうっ‼私とした事が何たる醜態を…ッ‼」
三角墓は力を出す度に意識が薄れている事に気がつく。
先ほど、ラーメン山に吊り出しを仕掛けてからの記憶が途切れている。
(潮時か…)
意識を泥沼に沈められたような疲労感を三角墓は背負い込んでいた。
それは三角墓がスモーデビルとなってから幾度となく訪れた”死”の感覚。
背を向けて逃れたはずのラーメン山は既に迎撃態勢に移っている。
次の瞬間、膝から力が抜けた。
三角墓の今生の終焉が近いのだ。
「ハハハ…。この私が立ち直るのを待っているのか。ラーメン山とはつくづく甘い力士だな」
三角墓はラーメン山の性根の甘ったるさを笑いながら、同時に感謝する。
「本来ならば貴様のような悪鬼外道に慈悲の心など持たぬ。だが、死ぬ前に我が強敵ブロッケン山を解放しろ」
三角墓は首を横に振り、一歩前に進む。
敵の同情など死んでも受けるつもりは無かった。
「小僧、貴様に良い事を教えてやる。スモーデビルにとって温情など侮辱でしかない。生きる限り戦い、邪悪と暴虐の限りを尽くす。それがスモーデビルの相撲道よ‼」
次の刹那、三角墓は息を飲み込んで全身の包帯を収縮させた。
黄ばんだ古めかしい包帯は黒鉄に変わり、土俵に身を沈めて”ぶちかまし”の姿勢を取った。
「スモーデビル、砂漠相撲奥義…トトメスの進撃」
今、ラーメン山のただ一人の力士が腰を落として構えている。
しかし群衆の目には、何よりもラーメン山には槍を構えた騎兵の軍団の姿が見えていた。
「わからず屋め。ならば私も相撲拳法の伝承者として最大の奥義で答えてやろう…」
両足を大地に着ける。
それは技の土台であり、内に秘めた力を呼び起こす為の儀式でもある。
左手は敵に向かって突き出し、右手は臍の近くに置く。
今のラーメン山の構えは三角墓同様に矛と盾を持った兵士の姿だった。
両者の違いとは三角墓が攻撃に、ラーメン山は防御に特化した構えであるということだろう。
「そのような貧弱な”盾”で私を止められると思うなよ‼」
ラーメン山は三角墓が射程距離に入ると目を閉じた。
接触まで一秒とかからない、この瞬間に。
そして、時間だけが静かに流れる。
三角墓の掌が触れる直前にラーメン山は目を開いた。
その時、湖面にひらひらと木の葉が落ちる。
落ちた場所から次々と波紋が生まれ、湖面全体を沸き立たせた。
「相撲奥義、猛虎百歩神張り手…ッ‼」
先に触れたのはラーメン山の掌だった。
ピシッ‼…ピシィッ‼
鋼鉄の塊となった三角墓の掌に亀裂が疾走る。
「だからどうした‼この身が砕けようが、粉微塵になろうが私は此処にいるッ‼スモーデビルを舐めるな‼」
砕けた右腕で張り手を打つ‼
右が無くなれば、残った左手で張り手を打つ‼両手が無くなれば頭突きを食らわせる‼
スモーデビル三角墓の猛攻はブロッケン山の肉体を覆っていた包帯が無くなるまで続いた。
「無駄だ、スモーデビル。猛虎百歩神張り手は相手が向かって来る限り続くのだ。今のお前は河面に向かって吼える野良犬に等しい」
ラーメン山は敵を見据えながら静かに言い放った。
眼前の敵は命綱とも言うべき魔の宿った包帯を失い、立ち尽くすのみ。
「私が野良犬か…。面白い、ならば野良犬に喉笛を食い千切られて死ぬがいいッ‼」
三角墓は両手を広げてラーメン山に飛び掛かった。
その動きには勢いが失われ、見てからでも躱せるほど鈍重な代物だった。
(スモーデビルよ。今の私に侮蔑はない。ただ一人の力士としてお前を倒すのみ)
ラーメン山は三角墓を正面から受け止めた。
両者は互いのまわしの淵を取り、取っ組み合いが成立する。
「勝つ。スモーデビルの名に賭けて、絶対に勝つ」
三角墓は残る力の全てを使い、ラーメン山を土俵の外に出そうとした。
しかし結果は火を見るよりも明らか、今の三角墓の力ではラーメン山に寄り掛かるのが精一杯だった。
「私も同じ気持ちだ、スモーデビル。相撲拳法の伝承者として負けるわけには行かぬ。卑怯者の誹りを受けようともこの場でお前に勝つ」
ラーメン山はそう言うと全身に力を込めた。
三角墓の肉体が大きく後方に下がる。
三角墓は歯を食いしばり、嗚咽を堪えながら耐える。
勝機など無い。
(ここで食い下がらなければ、例え何度復活しようとも俺は二度と戦えない。…終わってしまうのだ)
されど三角墓の意に反して後退は止まらない。
三角墓は力尽き、目を閉じて敗北を受け入れようとした。
「ハッ‼どうやら俺の出番はまだ残っていたようだな」
その時、三角墓の脳裏に死んだはずのブロッケン山の声が響く。
三角墓は己の幻聴と疑いながらも声の出所を探る。
その場所とは左手に巻かれた包帯だった。
三角墓の魂がそこに宿っていたのと同じく、死したブロッケン山の魂もまた隠れ潜んでいたのだ。
「ブロッケン山、私は…」
「ハハッ。面倒な挨拶は抜きだ、ホータイ・マキマキ。さっさとあの野郎と決着をつけてやろうぜ⁉」
ブロッケン山はあっさりと三角墓から肉体の支配権を取り戻し、ラーメン山と対峙する。
命の残り火はか細く、僅かな物だった。
(戦場や戦法を選ぶような兵士は二流だ。どんなコンディションでも実力以上の結果を出す。それが相撲軍人だ)
「これはッ‼」
ラーメン山の前進が止まった。
前に出た矢先に後ろに引き込まれたのだ。
距離にして土俵の外まで後数歩である。
ブロッケン山はラーメン山のまわしを外側から掴んで主導権を回復する。
「そう驚くな、ラーメン山ちゃんよ。相撲の世界じゃ逆転勝利なんてのはよくある事だろ?」
ブロッケン山は軽口を叩きながらラーメン山の体を右側に動かした。
重心を落としている軸足を無理矢理動かさなければ、重厚な力士の肉体とてコンパスで円を描くように動かす事は可能だ。
「ふざけるな、ブロッケン山。試合中に死者が蘇るなど如何に私といえど聞いた事が無い」
ラーメン山はわざとブロッケン山の技に身を委ねて土俵の端に着地する。
「そこは素直に価値を譲れよ…。この試合が終わったら俺は死ぬんだぜ?自動的に勝ち上れるだろ」
「笑止。私は全戦全勝でスモーオリンピックに優勝するつもりだ」
「ハ?マジで言ってんのかよ。次は最悪、倫敦橋だぜ?」
ブロッケン山は耳の穴をほじりながら悪戯っぽく言う。
「この戦いの前、相撲拳法総本山を出る時に誓ったのだ。私はスモーオリンピックで優勝し、相撲拳法こそが世界最強の相撲格闘技である事を証明すると」
ラーメン山はブロッケン山を見ながら低い位置に構える。
今までこれほど敵の存在を大きく感じた事があっただろうか。
目の前のブロッケン山は全てを出し切り、立っているだけがやっとの事だというのにラーメン山の本能はかつてないほどの強大な敵として捉えている。
「やってみろよ、ラーメン山。せいぜいあの世で見ていてやるぜ」
ブロッケン山は一歩、踏み出す。
その横顔はどこか嬉しそうに微笑んでいた。
「親父‼」
気がつくと鈴赤が土俵のすぐ近くまで来ていた。
しかしブロッケン山は気がつかぬフリをしながらラーメン山に向って行く。
「俺は最後まで親父の事を見ているから‼今日の事は絶対に忘れないから‼大人になったら絶対にラーメン山を倒すから‼」
鈴赤はそう言ってから泣き崩れてしまう。
(後は任せたぜ、ソーセージ。俺は最後の任務を果たすからよ…)
そしてブロッケン山は立ち止まる。
「覚悟は出来ているか?」
「全身全霊、徹頭徹尾にて出来ている」
ブロッケン山は全体重を右脚に乗せて駆け出した。
どんっ‼
人生最後、渾身のぶちかましをラーメン山は受け止めた。
その瞬間ラーメン山はブロッケン山の人生、命の重みという物を感じる。
止められる物なら止めてみろ。
必ず止めてみせる。
二人の力士の意地がぶつかり合う。
それから数十秒後、ブロッケン山の体が止まった。
ラーメン山は抜け殻となったブロッケン山の体を支えながら後方を見る。
左の踵が土俵にかかっていた。
(死に瀕してこの力。ブロッケン山、おそるべし…)
ラーメン山は己の流した汗の冷たさを感じながら確かな勝利を覚える。
ブロッケン山との戦いは今ここで終わったのだ。
「勝者、中国代表ラーメン山‼」
そして今さらのように行事がラーメン山の勝利を宣言する。
二回戦勝者、中国代表ラーメン山。
この試合は結果として下馬評通りとなったが後の相撲界に大きな影響を与える事となる。




