第百二十九話 さらば最後の相撲軍人‼の巻
かなり遅れました。すいません。次回は二月十七日頃には投稿したいと思っています。
ラーメン山の掌がブロッケン山に触れた瞬間、勝利を確信した。
互いに死力を尽くした勝負だったと思う。仮に勝因を問われれば”運”としか答えようがない、そういう戦いだった。
果たして老師山は弟子の博打のような戦いをどう思うだろうか。
首を横に振り、胸の内でふつふつと沸く怒りを抑えながら「修行が足りぬ」と言われてしまうだろうか。
(ああ、歓声が遠い。これでは勝ち名乗りを上げる事も…)
そこでラーメン山は気がつく。
自分は勝利したはずではないのか?
どうしてこうも億劫で、何もかも嫌になってしまいそうな気持になっているのか。
(違う。これは倒したのではないッ‼私が倒されたのだ‼)
ラーメン山は丹田に意識を集中して自我を引き戻す。
次の瞬間、目の前に広がる視界が蘇りブロッケン山の投げられた直後である事に気がついた。
「クソが‼おとなしく寝てろって‼」
ブロッケン山はラーメン山の手を引きながら毒づく。
先の攻防から回復したのはブロッケン山の方だった。
ラーメン山の真・猛虎百歩神張り手は確かにブロッケン山の左胸に当たったのだが同時にブロッケン山の”魔剣”では無い方の張り手もラーメン山の下腹部に炸裂していた。
その結果、猛虎百歩神張り手は不発となりブロッケン山は九死に一生を得る。
(”魔剣”に気を取られ過ぎたな、優等生。地力じゃ俺の方が下なんだ。使える物は何でも使ってやるぜ)
ブロッケン山はラーメン山の腕を掴んで得意気に笑った。
その姿は”真・猛虎百歩神張り手など恐れる足らず”と言わんばかり。
(私の腕が欲しいならばくれてやる‼)
ラーメン山は歯を食いしばり”その時”を迎える覚悟を決めた。
相手の腕を取るという事は相手から離れられないという事。
密着すれば”魔剣”を解除してしまった以上、距離と時間を必要とする”88”の効果は期待できない。
ラーメン山は身体ごとぶつかり足を引っかける。
ビキッ‼
動きの中に巻き込まれたラーメン山の腕は当然のようにあらぬ方向に曲がってしまった。
そして最後の力で手首を握り、地面に向かって投げる。
それは文字通りの決死行、一千万の技を操るラーメン山とは思えぬ無様な戦いだった。
「ここから逆転は無いぜ?」
しかしブロッケン山は脚一本で土俵に残った。
直後、顔面を狙ったラーメン山の頭突きも身体で受け止める。
今のブロッケン山には多少の不都合など物ともしない自信があった。
その一方でラーメン山の反撃も止まらない。
”投げ”から”打撃”へ、”打撃”と見せかけて”投げ”を仕掛ける。
ラーメン山は窮地に追いやられ、無謀な抵抗を続けているのではない。
反撃の機会に備えて時間を稼ぐ為だった。
(今はブロッケン山の体力を削るしかない。由緒正しき相撲拳法の使い手である私が…屈辱だッ‼)
プライドを捨てたラーメン山の猛攻も虚しく、ブロッケン山はいずれの攻撃も的確に対処する。
数十秒後、ラーメン山は土俵際に立たされていた。
今や相撲拳法のプライドを捨て、防御に徹したボクサーのようにガードを上げているラーメン山を誰が責められようか。
ブロッケン山は感情の無い瞳でラーメン山を見下ろしている。
その時、控室にある特設モニターから二人の戦いを見守っていた絶対王者、倫敦橋は呟く。
「この勝負、終わったか。勝者と敗者に惜しみない称賛を…」
王者の言葉には哀惜が込められている。
彼は平易ならぬ相撲人生から、この結末を想像していた。
どんな強者もいつか必ず敗北の道を歩かされる。
栄枯盛衰。
ただその役がこの時、彼に回ってきただけの事なのだ。
「さらば、東ドイツの勇者ブロッケン山。私はお前の事を生涯忘れないだろう…」
倫敦橋はモニターの中に映るブロッケン山に向かって頭を垂れる。
動けない。
どう足掻いても一歩も動けない。
ブロッケン山は最後の時を迎えようとしていた。
それは体力の枯渇、ブロッケン山の命の終わり。
(俺の人生、”悔い”はある。それは山ほど、たくさんある)
ブロッケン山は腕を上げて必殺の張り手”88”を撃った。
形だけならば普通の時と何も違いはしない。
だが渾身の一撃はラーメン山の身体に触れただけで汗一つかかせる事も出来なかった。
「やれよ、ラーメン山。俺は生きている限り、お前の喉元を狙っているぜ?」
不敵な笑み、人生最後のブラフ。
「さらばだ、ブロッケン山。我が人生最大最強の敵よ。最後は相撲で倒してやろう」
ラーメン山はガードを解いてブロッケン山に組みつく。
互いのまわしを取っての真っ当な勝負が始まった。
ブロッケン山からは熱量が一切感じられない、死体同然の肉体だった。
(ブロッケン山よ。こんな身体で何故戦いの場に出て来た?お前にはまだやるべき事があったはずだ)
ラーメン山はブロッケン山の体を肩に乗せて持ち上げる。
(最後に息子にカッコイイ父親の姿を見せてやりたかった、それだけの事だ)
ブロッケン山は薄れゆく意識の中、大人になった鈴赤の勇姿を思い浮かべる。
後悔しか無い人生だった。
「…親父、何で動かないんだよ…」
鈴赤は両目から涙を流しながら父親の姿を見ている。
「いいか、鈴赤。よく見ておけ、あれが兵士の最後だ。兵士は誰かに倒されて死ぬ。そして生き残った兵士はその魂を受け継ぎ戦い続けるんだ…」
ヴァンツァー山は涙を堪えながら戦友の最後を見届ける。
この場でブロッケン山が倒される事になれば全ての責任はヴァンツァー山が取るつもりだった。
おそらく表の世界に出る事は二度と出来ないだろう。
国の面子を潰してしまったのだからそれは仕方ない事だ。
だが鈴赤は違う。
彼ならばいつか必ず父ブロッケン山の無念を晴らしてスモーオリンピックの優勝トロフィーを母国に持ち帰ることが出来るはず。
だから彼はこの後、何が起こっても決して泣く事は無かった。
「ブロッケン山、敵ながら天晴な奴よ。死の淵に在っても己という物を見失わない」
犬繰山を始めとするラーメン山の同志たちはただ静かに二人の勝負の結末を見守った。
そしてラーメン山はブロッケン山を頭から土俵に落として勝負を決めた。
ずんっ‼
ブロッケン山は頭頂部から地面に叩きつけられ、仰向けとなる。
色を失った瞳は天井の外にどこまでも広がる蒼穹を眺めているのだろうか。
(この勝負、最後までどちらが勝つかわからぬ試合だった。眠れ、我が生涯の強敵よ…)
ラーメン山は最後に一瞥するとブロッケン山に背を向けて土俵の中央まで歩いて行った。
「…ッッ‼」
鈴赤は下を向いて何かを堪えている。
彼は誰よりもブロッケン山が限界に近づいている事を知っていた。
今、泣いてはいけない。涙を流し、声を出してしまえば父親の敗北を認めてしまう事になる。
この激情はいつかラーメン山に自分が勝つまで我慢しなければならない。
鈴赤はこの時、自分がただの子供ではなく「ブロッケン山」という力士の後継者である事を魂に刻んでいた。
ヴァンツァー山も鈴赤の胸中を知ってか、あえて声をかけるような真似はしなかった。
やがてラーメン山が土俵中央に戻った頃、中国と東ドイツと大会の審判たちがブロッケン山の生死を確かめる為に駆け寄る。
(これが相撲。二人の男が土俵の中に入って、出てくるのは只一人)
ラーメン山は目を瞑る。今彼の頭の中にあるのは勝利の歓喜ではなく虚無だった。
(結局、私は自分の父親を殺害した悪党どもと変わらないのではないか。自分の力をひけらかす為だけに力を振るったのでは…)
その時、会場内のざわめきが止まってしまった。
ラーメン山が振り返ると人形のような物が視界に飛び込んでくる。
それは人形ではない、ただの死体だった。
ラーメン山は反射的に審判の死体を受け止めると眼前に立つ敵の姿を見る。
ブロッケン山は右手を下げて、左の掌を前に出す。
緑色の瞳には何も映ってはいない。
ここに立つのは木偶。魔の眷属に操られた悲しい人形だ、とラーメン山は独り言ちる。
ブロッケン山はしゅっと息を吐くと手刀を打ち込んできた。
狙うは死体の背中の左側、死体を介してどラーメン山の心臓がある場所だった。
ラーメン山は憐れな審判役だった男を土俵の外に投げる。
「任せておけ、ラーメン山‼」
「恩に着るぞ、友よ」
放岩山が先回りして死体を受け止めた。
ラーメン山は同時に放たれたブロッケン山の手刀を肘と肩を使って後方に流した。
ざんっ‼
しかしブロッケン山は身体を反転させて通り過ぎる際にラーメン山の胸を切り裂いた。
普段ならば出血する場面だが、そうはならない。
なぜならばこの時、ラーメン山の肉体と精神は激しい怒りに支配されていたからだ。
何者であろうと死者を冒涜すべきではない。
筋肉を引き締め、一瞬にして傷口を塞いでしまう。
ブロッケン山は凍てつくような微笑を浮かべていた。
「そうだ。俺を憎め、ラーメン山。怒りこそ力の源。お前も我らスモーデビルの仲間となって悪の相撲の虜となってしまえ」
そして、また手刀を水平に構えるとラーメン山に襲いかかった。
ラーメン山は両手で敵の体を受け止める。
「憤怒に身を任せた力など相撲拳法に非ず。あのブロッケン山が貴様ごときに屈する道理は無い‼」
ラーメン山は相手の体を持ち上げ、そのまま前方に向かって投げる。
粗雑な戦法だが相手の力量を推し量るには効率的でもある。
そしてラーメン山の予想通り、敵は空中で一回転してから両足を揃えて着地した。
少なくともブロッケン山とは別の力士の体さばきである。
「フン。相撲をかじった程度の若造が、相撲を語るなど言語道断よ」
「…貴様の名と目的を言え。この戦いは戦友、ブロッケン山の弔い合戦でもある」
ラーメン山は得意の片足立ちの構えを取った。
気がつくとブロッケン山の手首に巻かれていた包帯が全身を覆うほどに増え続ける。
やがてホラー映画に登場するミイラ男のような姿となっていた。
「マキマキ…。未熟者に教える名など無いが、その勇気に免じて教えてやろう。我が名は三角墓、絶対的支配者”スモー大元帥”に使えるスモーデビルセブンの一人だ‼」
ミイラ男に姿を変えた三角墓は張り手を仕掛ける。
吹き荒ぶ嵐のような連撃によってラーメン山はいとも簡単に土俵際に追いやられた。
動きは威力重視の豪快な物だったが、受ける側となれば実戦と修行を繰り返す事によって身につけられた技術の賜物である事が窺える。
(実に完成された”技術”だ。しかし対処法はあるのだ)
ラーメン山は地面に両足をつけてから腕を交叉する。
どのような攻撃も耐え得る要塞の如き構えだった。
だが悪魔はそれを知りながらも笑った。
「何という愚策ッ‼相撲拳法も地に落ちた物だッ‼砂塵の如く散れ、ラーメン山ッ‼」
ガコッ‼ゴリッ‼
三角墓は腕と肩の関節を外してリーチと可動範囲を大幅に増やした。
(包帯の中ならば私は肉体を自由に操作する事が出来るのだッ‼)
三角墓は鞭と化した両腕を振り回しながらラーメン山に襲いかかった。
「これが砂漠相撲キング・コブラの舞だッ‼」
ひゅん!
そして三角墓の腕がラーメン山の肩に触れた瞬間、皮膚が爆ぜた。
より正確に言えば技の衝撃だけでラーメン山の皮膚を破裂させたのである。
經力を用いた打撃ならば同じ經力を使って防ぐ事は出来る。
しかし破壊する部位を皮膚のような表層的な物だけに限定されては硬気功は用を為さない。
(もしやこの男、相撲拳法を知っているのか?)
ラーメン山は動揺を表に出さず冷静に対処する。
即ち、鞭打の嵐を群体ではなく一つ一つの打撃と見なして冷徹に弾いた。
仮に三角墓の技が力で押し切るタイプの乱打ならば失敗だったが、彼の一流の技巧者である矜持がラーメン山の勝機を手繰り寄せる。
(根比べか。面白い)
三角墓は身体操作を駆使して限界の限界までリーチを引き延ばした。
いざ呼吸を整え、魔の技を再開する。
ラーメン山は現前に天を衝くほど大きな砂嵐を見た。
「相手にとって不足なし。来いッ‼」
そして張り手の嵐が過ぎ去った後には傷つきながらも闘志を絶やさぬ相撲拳法の使い手の姿があった。
対極には己の技を全て撃ち落とされ、憎悪の炎を燃やすスモーデビル。
両者、満身創痍ながらも闘志は高まるばかり。
もはやラーメン山と三角墓の戦いは競技というよりは死闘、命の削り合いと言う他ない。
「つまらん…。貴様の芸はつまらんぞ、ラーメン山。防ぐしか能がないのか‼」
三角墓は肩と腕の包帯を収縮させて元の長さに戻した。
「三角墓といったか、私もお前の大道芸にも見飽きたところだ」
ラーメン山は涼やかな微笑みを見せながら右手の人差し指を軽く横に振る。
虚勢、挑発。そのどちらも普段のラーメン山には無用の物である。
だが相手が尋常ではない敵ならば話は違う。彼とてスモーデビルの存在は伝説上の存在として先人たちから聞かされてきた。
スモーデビルたちの度を越えた残虐性、耳を疑うような武勇伝をラーメン山はある種の反面教師的な教訓と考えていた。
しかし、ブロッケン山の死体を操る謎の力士の実力を目の当たりにすれば話も違ってくる。
今では彼にスモーデビルの恐ろしさを伝えた先人たちの甘さを恨むばかりだ。
スモーデビルとはただひたすらに強いだけの存在だった。
「私の技が大道芸か。マキマキ(笑い声)…なるほど、お前の主張を認めてやろう。だが私はエンターテイナーとして常に客を満足させるよう常に心掛けているのだ」
ゴキ…ッ‼ゴキ…ッ‼
腕の関節を外して、もう一度つけ直す時に発する不気味な音。
ブロッケン山の骨格は人間のレベルでは上位に位置するが、スモーデビルの世界では些か頼りない。
本気で張り手を打てば骨が砕け使い物にならなくなってしまう。
「スモーデビルの相撲とは肉を削ぎ、骨を砕く諸刃の剣…」
必殺の張り手、”88式”が無ければ三角墓の本気の張り手の反動には耐えられなかっただろう。
三角墓が手塩にかけて育てた力士である。
(ブロッケン山よ、私を許せとは言わぬ。だがお前に鈴赤を世界最強の力士にするという希望があったように、この私にも為さねばならぬ使命が存在するのだ)
三角墓の魂が憑依したブロッケン山は両腕を低く構えた。
「とくと味わえ‼この三角墓の砂漠相撲をッ‼」
そして、咆哮と共に一気に駆け出した。
それに対してラーメン山は三角墓同様に腰の低い位置に構えて待ち構える。
まだ体の中に残る戦友の技が彼を奮い立たせた。
(三角墓よ、お前はたった一つの過ちを犯した。ブロッケン山は死んでなどいない。ヤツの魂はこの私の体の中で生きているのだ)
「ハチョーッ‼」
「GOD AND DEATH(かなり久しぶり)ッッ‼‼」
かくして二人の力士は激突する。
この戦いの果てに何があるのか?
…悲劇の加速は止まらない。