第百二十一話 価値ある勝利‼の巻
すごい遅れてしまいました。次回は十一月22日二投稿したいと思います、
光太郎は側頭部から出血し、地面に血の華を咲かせる。これで誰もがこの試合が終わってしまったものかと思った。
江南の文官、軍人たち、光太郎を応援する相撲塾の若者たちもまともに見る事が出来ない。
しかし、こういう場面を見慣れているカナダ山、スペシャル山は勇気ある力士の最後を見守る。
キン星山は弱かったのではない。
ただフラの舞の方がわずかに強かっただけの事だ。
両雄は地に伏した光太郎を見て”敵ながら天晴”と目に涙を浮かべる。
羽合庵と美伊東君も項垂れて光太郎の姿を静止できないでいる。周瑜は薬湯を全て飲んだ後、立ち上がって口を開いた。
「天晴だ、キン星山。俺は今完全に目が覚めたよ。目の前の敵を倒して新たな天下を築く事が俺の為すべき事ではない。生きている限り強敵に立ち向かい続け、俺の後について来る者たちに抗う意味を教える事こそが俺の使命だった。孫堅様も、伯符も命を賭けてその事を教えてくれたというのに、俺は一度躓いたくらいで全てを失った気になって仲謀に八つ当たりを…」
周瑜は額を手で覆い、流れる涙を拭き取る。
その時、美伊東は光太郎の手がフラの舞の手首を掴んでいる事に気がつく。
外された右手と左手の掴みがいつの間にか入れ替わっていたのだ。
フラの舞は苦悶の表情で強引に光太郎の体を引き倒そうとするが、今は”崖っぷちのど根性”を使っている為に断ち切る事が出来ないでいる。
光太郎の背中から魂の炎が立ち上る。
この時まで抑えていた。
フラの舞が”キン星バスター投げ”に集中しすぎて光太郎の反撃に対する反応が遅れるこの瞬間を待っていたのだ。
二人の慎ましい死闘を愚弄する暗黒洞は異界から冷笑を投げかける。
「そう。本来ならばキン星バスター投げとは人間の使う技ではない。ゆえに崖っぷちのど根性なんぞというデタラメなものに頼らねばならんのだ…。海星翔よ、あの世で見ているか?お前の子孫がまたしくじったぞ…」
フラの舞は右手を捨てる覚悟を決める。
(フラの舞どん、今はその判断の早さも命取りでごわすよ…)
光太郎はフラの舞の手首を払って五輪砕きを阻止しようとした。
フラの舞は舌打ちをした後、光太郎の手刀を躱して逆に肩を掴んだ。
そして光太郎の首根っこを抑え込み両腕を掴んで五輪砕きの形に持ち込む。
本来の相撲のルールでは五輪砕きは成立した時点で試合終了となってしまうが国際大会ともなれば決まり手にはなり得ない。
フラの舞はプロレスでいうところのダブルアームの状態から光太郎の肩の関節を破壊する為に両腕を捻じって、上半身を持ち上げようとする。
光太郎は後方に退いてそれをやり過ごそうとするがフラの舞の”崖っぷちのど根性”が持続している為に脱出不可能となっていた。
事実上、技の成立を賭けた綱引きが始まる。
光太郎とフラの舞はここが正念場と全身から気を放つ。
「ぬぐぐぐぐ…ッ‼ここから脱出して逆転一発を狙うでごわすよ‼どすこーい‼」
光太郎は目からは涙、鼻と耳からは血を噴き出した。
フラの舞は決して逃がすまいと両腕を極めた状態で土俵中央に向かって光太郎を引きずる。
真の意味でここが正念場だった。
単純にフラの舞が勝利を求めるなら前に押し出して光太郎を土俵の外に出してしまえば容易に勝利することが出来たのだろう。
だがフラの舞は頭の中で理解をしていても行動に移す事は無かった。
亡き父親への想いが、ラーメン山との絆が、スペシャル山とカナダ山との信頼が安易な勝利を拒んだのである。
フラの舞は勝利までもう一息とさらに両腕に力を込める。
光太郎は歯が砕けるほどに力みながら後退してフラの舞から離れようとする。
肩と肘と腕の骨と腱がミシミシと悲鳴をあげている。
このまま続ければ二度と相撲が取れないほどの怪我をしてしまう可能性もあるだろう。
だが耐え続ける事が出来た。印度華麗との戦いの時とは違う、確かな勝利への道筋が見えていた。
「なぜだ?どうして耐えられる⁉キン星山よ、この状況明らかにお前のスペックを越えているはずだッ‼」
(脚だ。フラの舞はまだ気がついていない。若が仕掛けた刈り足のダメージがフラの舞の瞬発力を削っているんだ)
美伊東君は大きな眼鏡の奥で瞳を濡らしながら光太郎の姿を見つめる。
二度の敗北は決して無駄ではない。
これが単なる偶然か奇跡かは神のみぞ知る。
しかし光太郎はこの激闘に光明を見出し、勝利を手繰り寄せようとしている。
(これで五分…。これでも五分、勝利はまだ遠い…ッッ‼ハワイの灼熱の砂浜で鍛えられたフラの舞の脚力は世界でもトップレベルだろう。この戦いに勝つ事は容易ではないぞ、光太郎)
羽合庵は組んだ両腕を解き、歯を食いしばりながら光太郎の勝利を祈った。
相撲の世界において奇跡の勝ちなど塵芥に等しい。
日々の修練と稽古が物を言う。
モチベーションの出所はどうあれ今の光太郎とフラの舞は互角の戦いを演じていた。
一方、フラの舞は驚愕の念を封じ込めて力比べに集中する。
「おいどんが立ち続ける理由?それを何故かと問われればあんさんのお陰でごわすよ、フラの舞どん。あんさんのようなハンサムで強い男が、おいどんのような外見も中身も駄目な男を相手に全力で挑んでくれる…とそう思うだけでおいどんはどんな困難だって乗り越えられる気がするでごわすよ‼」
光太郎は腰と背中に力を溜める。
逃げるのは止めた。
このままフラの舞を持ち上げて土俵の外にぶん投げるつもりだった。
少なくとも彼が”キン星バスター”に固執している間はこの腕が離れる事は無い。
その間にもミシリミシリと光太郎の両腕は耐久度の限界が近い事を告げる。
(全力には全力で応える。それがおいどんの相撲の道でごわす…ッ‼)
光太郎は膝を折り曲げて重心を落とした。
もう駆け引きも糞も無い、最後の抵抗が始まろうとしていた。
「理解したぞ、海星光太郎…ッ‼だが俺も力士の端くれ、ここで退くような真似をすれば誇り高きハワイ力士の名誉を傷つける事になる。俺はキン星バスター投げで決着をつける。男子に二言なし、力士の言葉は汗と同じ物と知れッ‼」
フラの舞は宣言すると同時に技の仕上げに入る。
即ち五輪砕きで上半身の自由を奪った後、光太郎の体を逆さに持ち上げるつもりだった。
フラの舞は力いっぱい屈んで抵抗しようとする光太郎の全身を持ち上げようとする。
この勝負でも光太郎の健闘も虚しくフラの舞の勝利で終わった。
五輪砕きによって肘と肩を完全に極められて光太郎はフラの舞によって逆さに持ち上げられてしまった。
この時、光太郎は両腕の関節を破壊されたショックで意識を失っていた。
「待て‼もう勝負は終わっているぜ‼審判、早く試合を終わらせろッ‼このままじゃキン星山が殺されちまうッッ‼」
光太郎が既に気絶している事に気がついた伊達が叫んだ。
五輪砕きとは下手をすれば背骨と頸椎そのものを破壊しかねない危険な技である。
伊達に続いて富樫と虎丸も試合を止めるように張昭に訴えた。
そして土俵の中を漂う異常な熱気に気がついた張昭は試合を中断すべきか羽合庵の判断を聞こうとしたが、当の羽合庵は項垂れながら首を横に振るばかり。
光太郎はまだ死んではいない。
意識を失いながらも抵抗を続けている、と言わんばかりの悲痛な表情だった。
フラの舞は自分の頭を使って光太郎の首を固定して両足首を掴む。
後はその場で飛び上がって首折りと股裂きを極めて地面に落とせば”キン星バスター投げ”という技が完成する。
フラの舞は残り少なくなった”崖っぷちのど根性”の持続時間が終わりを迎えつつあることに気がついていた。
同時にこの期を逃せば勝利は無いという事も知っている。
フラの舞は最後の力を振り絞り膝を曲げてから天に向かって飛び立つ。
周瑜は立ち上がり光太郎に向かって檄を飛ばす。
「例え戦いで百回負ける事があったとしても、百一回目に勝てばいいッ‼お前の信じる物の為に、お前を信じた者たちの為にッ‼命ある限り、立ち向かい続けろッ‼勝ち負けの結果ではない、抗う意志こそが弱者のたった一つの武器だッ‼…キン星山ッッ‼‼」
その時、光太郎の右手がピクリと動く。
先ほどフラの舞によって関節を外されたはずの光太郎の右手は復活していた。
次に光太郎は意識を取り戻し、右手でフラの舞の首に手をかける。
これがフラの舞の知らぬもう一つの”崖っぷちのど根性”の特性、疑似的な回復能力だった。
今の光太郎のように試合の最中に関節が破壊された場合(※部位による)に”崖っぷちのど根性”によって脳内のアドレナリンを必要以上に分泌する事によって負傷を一時的に忘れる効果である。
しかし実際に骨折している状態なので過度の期待は無用だが、切迫した試合では活路を見出す程度の効果はある。
「ぐははははッ‼流石は美周郎、誉め言葉も天下一品でごわすなッ‼これから始まる一世一代の逆転劇を特等席でご覧あれッ‼」
光太郎は豪快に笑いながらフラの舞の首に手をかける。
力は五分にも届かず加えて不利な体勢だったが、今のフラの舞の力には十全には及ばず完全に意表を突かれてしまった。
(ここで技を解けばキン星山に逃げられてしまう。ならば俺が取るべき行動はただ一つ、この場で”キン星バスター投げ”を完成させる事だ‼)
フラの舞は光太郎の両足を引っ張って強引にキン星バスター投げに移行する。
光太郎は無我夢中でフラの舞の首を掴んで何とか脱出しようとした。
しかしフラの舞の首の筋肉は思った以上に頑丈でビクともしない。
フラの舞は顔を真っ赤にして何とか技を成功させようとするが首を絞められる度に意識の集中が途切れて技が止まってしまっていた。
やがて光太郎に蹴られ続けた右脚にガタがくる。
フラの舞はそれを悟られまいと懸命に堪えるが時間が経過するにつれて限界が近くなっている事が暴露されてしまった。
ガタッ‼
フラの舞は右足に痛みを覚えると同時にバランスを崩してしまった。
絶対の窮地には違いないがフラの舞とて力士の端くれ、敵の前で弱音を吐く事はない。
光太郎の腕を引っ張って何とか膝を地につけないで土俵に残った。
辛くもこの局面を生き残った光太郎はフラの舞の体力もまた限界である事に感づく。
だがそれでもフラの舞の優位は変わらない。
光太郎は息を吸い込み、フラの舞の首を絞める。
微力ながらも時間の経過につれてフラの舞の顔色に変化が現れた。
されどハワイの王者は揺るがない。
首を折られようと、喉を潰されようとも技を解かない。
フラの舞は膝を曲げて力を溜め一気に飛び上がろうした。
このままフラの舞が着地して股裂きと首固めが成立してしまえば、光太郎は受け身を取れない状態で逆落としを決められてしまう。
そうなれば地面に叩きつけられた光太郎の脳天は破壊され良くて脳挫傷、最悪死を迎える事になるだろう。
だがスモーデビル”暗黒洞”はまたもや嘲弄せざるを得ない。
「だが、それでも可能ならばという話だ。フラの舞よ、お前のキン星バスター投げは完全な失敗作。分不相応な振る舞いをした代償はお前自身で払うがいい」
バシュッ‼
フラの舞の膝が割れて血が噴き出す。
ここで終わってたまるものか、とフラの舞は踏ん張るが彼を支え続けた脚は既に限界を迎えていた。
そして災いは連鎖する。
光太郎が再度、”崖っぷちのど根性”を発動して握力が強化されてフラの舞の喉を圧し潰す。
十数秒後、暗黒洞の予言は的中した。
酸素の供給を断たれたフラの舞は白目を剥いてその場で崩れ落ちる。
光太郎は受け身を取って何とか地に背をつけずにすんだ。
「この勝負、キン星山の…」
張昭は土俵の上でうつ伏せになっているフラの舞を見る。
転倒時に額を打ちつけ、光太郎によって喉を潰されてフラの舞は完全に意識を失っていた。
一刻も早く治療しなkれば命の保証も危うい。
張昭はカナダ山の方を一度見た後、軍配を光太郎の方に向ける。
しかし、光太郎は首を横に振って己の勝利を拒んだ。
これは決着ではない。
光太郎は堂々とした足取りで張昭のもとに歩み寄る。
「ただ今の勝負は物言いでごわすよ、審判殿。おいどんはフラの舞どんの仕掛けた技から逃れる時に首根っこを掴んでしまいもうした。これは相撲における重大なルール違反でごわす」
相撲には”のど輪”という技は存在するが、相手の首を直接絞める行為は禁止されている。
例え命を賭けた真剣勝負であろうともルールを守らなければ暴力のそれと何も変わらない。
そして海星光太郎は一人の力士としてフラの舞に勝利したかった。
納得の行かない勝利など何の意味も無い。
「それではどうするつもりだ。…まさかフラの舞に勝利を譲るとでもいうのか?」
光太郎は何も答えない。
ただ勝利への未練が、反則負けという事実を受け入れる事を良しとしなかった。
周瑜は着物の襟を正して土俵に上がった。そして困惑する張昭と光太郎に向かって決着方法を提唱する。
「待て、張昭殿。今の決着はキン星山の反則か、フラの舞の自滅かは判断が難しいところだ。一番望ましいのは、フラの舞の意識が戻ってから勝負のやり直しだろうな。カナダ山、お前たちはそれでいいか?」
「…そうだな。キン星山の反則負けなんて事実はフラの舞が受け入れないだろう。キン星山、フラの舞が起きるまで待っててくれないか?」
カナダ山の質問に対して光太郎は頭を振って答えた。
かくして両陣営は小休止を迎え、土俵から降りてしまった。
光太郎は美伊東君に体を拭いてもらい、羽合庵によって外された手首の応急処置を受ける。
羽合庵は見事に光太郎の手首を修復して今度は水で冷やしたタオルを当てる。
諸葛亮は羽合庵の治療行為を感心しながら見つめていた。
羽合庵は光太郎に関節の可動部位を確認させる傍らで尋ねる。
「光太郎よ、私からの最初で最後の頼みだ。よく聞け、何でもいいからフラの舞に勝て。お前の誇りとやらの行く先をこの私に見せてみろ」
羽合庵らしからぬアドバイスに光太郎は思わず驚いてしまう。
普段から羽合庵は”己に負けるな”と言っても”相手に勝って来い”とは言わない性分だったはずだ。
同様に美伊東君もまたらしからぬ応援を光太郎に送る。
「若、ここが正念場です。貴方の相撲への意気込みが嘘ではない事を僕の目の前で証明してください。フラの舞に勝って海星光太郎という力士がここにいることを証明してください」
美伊東君の大きな瞳には薄らと涙が浮かんでいた。
光太郎は”二人とも何を大げさな”と思いつつ返事をする。
羽合庵と美伊東君は今まさに海星光太郎という力士を認めつつあった。
彼は目先の勝利よりも対等の勝負を望んだのである。
光太郎の成長を見守ってきた二人にとってこれ以上の幸福は存在しない。
「…お、応ともさでごわすよ」
光太郎は右手が意のままに動く事を確認してから再び、土俵に上がった。
先ほど目の前には意識を取り戻したばかりのフラの舞が立っている。
フラの舞は自分の頬をピシャリと叩いて気合を入れ直した。
「キン星山、お前に一つ良い事を教えてやろう。今の俺は”崖っぷちのど根性”が使えない。おまけに地面に落ちたショックで左肩が上がらないという最悪のコンディションだ」
「ははは…。何を言うかと思えば、それはおいどんも同じ事でごわすよ。あんさんのキン星バスター投げで足は曲がらないわ、背中は痛いわで大変でごわすよ」
二人は土俵中央まで歩き、ゼロ距離同然で見合った。
そして張昭が軍配を構える。
「フラの舞、キン星山よ。これが最初で最後の仕切り直しだ。見合って、見合って…。はっけよい、残ったぁぁッ‼」
張昭のかけ声と共にフラの舞と光太郎が激突する。
そして、勝敗は一瞬で決した。
地面に投げ出されたフラの舞は両膝をついて勝者を見上げる。
光太郎は額から血を流しながらフラの舞を見た。
激闘を乗り越えた誇り高き勝者の名は海星光太郎、キン星山である。




