第百二十話 例え全てを失おうとも闘志は折れず…ッ‼の巻
次回フラの舞とキン星山の四度目の対戦が決着します‼そしてブロッケン山とラーメン山の戦いを挟んで…。
というか遅れてすいません。次回は十一月十二日ぐらいには投稿したいと思います。
この時点で暗黒洞だけが冷静に勝負の行方を追っていた。
なぜならば彼は完成された”崖っぷちのど根性”の生き証人であり技の長短を知り尽くしていたからである。
その彼に言わせラバフラの舞と光太郎の技の完成度は凡庸の領域を脱してはいない。
(あの技の真の恐ろしさとは術者だけではなく周囲の力士の底力をも引き出す事だ。あれが一番厄介だった…)
暗黒洞はポップコーン缶の中に手を入れて冷めたポップコーンを取り出した。
そして手の中のポップコーンを握って体内に吸収する。
スモーデビルは悪逆非道を地で行く存在だが力士としては禁欲かつ厳粛に振る舞う事を信条とする(残虐相撲はするが観客には手を出さない。昔の悪役レスラーのようなもの)。
その中でも大西洋、三角墓らと同じくらい規則にうるさい暗黒洞が間食して憂さを晴らさなければならないほど今の試合に憤りを覚えていた。
しかし、忘れてはいけないことがある。
今の暗黒洞の外見は出奔した吉野谷牛太郎の物である。
そして偶然、清掃の為に観覧席(※VIP用の個室)に入って来た清掃員は吉野谷牛太郎の手の中で次々とポップコーンが消えるという怪現象を目の当たりにすることになる。
以降、吉野谷牛太郎は土俵の手品師という本人とっては不名誉な異名を持つことになるが噂の出所が暗黒洞にあったということを知るのは数十年も先の話である。
暗黒洞はポップコーン缶を空にした後、退屈極まりない死闘の総評を下す。
「さてこのつまらない茶番もそろそろ終わりを迎えるだろう…。せいぜいどんぐりの背比べといったところだが、ここからが正念場というヤツだ。即ち一瞬でも気を抜いた方が負ける」
その声の内には嘲りと、憤怒があった。
かつての仇敵はかようにも衰えてしまったのか、と。
そしてスモーデビルの戦いにおいてこの程度の死闘は児戯に等しい。
暗黒洞はいつもの調子で椅子から数センチ離れた場所に座り直した。
(こ、これは大変だべ…。スペインの吉野谷牛太郎さんは超能力者だっぺ)
後ろで暗黒洞の姿を見ていた清掃員のおじさんは家に帰った後”土俵の超能力者”吉野谷牛太郎についての噂を得意気に語ったという。
風評被害とはこうして広がるものなのだ…。
舞台は変わって光太郎とフラの舞が持てる力の全てを賭けて戦う土俵の上となる。
フラの舞の背から立ち上る気炎は幻覚の類ではなく、血肉を燃やして猛り立つ陽炎。
言うなれば極端な体温の上昇がもたらした奇跡の光景だった。
対して光太郎は”へのへのもへじ投げ”を解除して正面から迎撃せんとする。
裏の裏を衝く頭脳戦と思いきや、二人そろって考えている事は短期決戦のみ。
それもそのはず今の光太郎には小細工を仕掛ける余裕はなく、逆にフラの舞は正面対決によって雌雄を決する事にこだわりを見せ始めている。
「海星光太郎よ、俺はキン星バスター投げを使うぞ…」
フラの舞はボソリと呟いた。
この時フラの舞は始めてラーメン山との誓いを破る。
意外にもラーメン山はキン星バスター投げはなるべく使うなと言い残していったのである。
(もう限界だ、ラーメン山よ。俺はキン星バスター投げで海星光太郎を、キン星山を倒す)
次の瞬間、揺らめく熱気が止まった。
もしもこの場にラーメン山がいたとしても決してフラの舞の行為を咎めるような事はしなかっただろう。
フラの舞は身体の正中を崩さないようにして前進する。
その動きは相撲というよりも舞踊のように静かであり、無駄というものが一切存在しない。
ひたり、ひたり、と。フラの舞は距離を縮めた。
「来るでごわすか、フラの舞どん。おいどんはそれをずっと待っていたでごわすよ…」
最も警戒すべきは初手。
光太郎は前方から発せられる圧迫感を堪えながら接近する。
足を使って少しずつ距離を縮める度にフラの舞が大きくなっているような気がした。
やがて光太郎の全身の汗が止まり、体温が平常の物に戻ってしまう。
その引き潮の感覚に光太郎は怖気を覚えた。
ふわっ。
視界が、足元が真上から大きな影に覆われる。
気がつくと目の前までフラの舞が迫っていたのだ。
光太郎は身を引きながら両腕を持ち上げる。
がしっ‼
次の刹那、動き出した歯車がかみ合うかのように光太郎はフラの舞の両手を掴む。
光太郎は苦悶の表情で浮かべ、フラの舞は獲物に襲いかかる猛禽類の形相で睥睨する。
かくしてキン星山とフラの舞の第四戦における最後の攻防が始まった。
「何じゃ‼何が起こっておるのじゃ‼わからんッ‼ワシには全くわからんぞ、雷電ッ‼いつものようにズバッと説明してくれい‼…出来ればワシの頭でも分かるくらい分かり易くのう…」
目の前で繰り広げられる大凡相撲らしからぬ攻防を前に虎丸が唸り声を上げる。
フラの舞が手を振り上げ光太郎に掴みかかり、光太郎はそれを腕で受け止めた。
一連の流れは相撲というよりはレスリングに近い状態である。
通常の相撲の試合であればフラの舞の攻撃は前から後ろに動いて容易に回避する事が可能である。
しかし、光太郎は身体を動かして脱出することを良しとせずにその場で受け止めてしまった。
虎丸ならずとも相撲に関わる者ならば異論を出さずにはいられないだろう。
しかし相撲塾きっての理論派である雷電は冷静な態度のまま試合の動向を見守っている。
(この技はもしや…伝説の殺しの技”キン星バスター投げ”ではないのか?いや、あの技は最後の使い手と共に存在を抹消されたはず…)
雷電は技に関する情報を伝えるべきかと苦悶の表情を浮かべる。
なぜならば彼の知る限りではキン星バスター投げは魔の奥義であり、綱に破滅の影がつきまとうとされている。
その時、雷電の肩に雲吞麺の手が置かれた。
「雷電よ、安心するが良いぞ。ワシがお主に代わって魔の奥義について語ってやろうではないか。お主はまだ若い…、このような汚れ役はワシのような老いぼれで十分じゃ」
”それって単に目立ちたいだけじゃないか?”孫権と相撲塾の一同は疑惑の視線を雲吞麵に向けるが当人は素知らぬ振りで話を続ける。
こうして雲吞麵に対する評価は”強者のオーラをまとう謎の男”から”説教好きなうざい親父”にランクダウンした。
「それでは宜しくお頼み申す、雲吞麵殿」
雷電は大人の対応で雲吞麺に解説役を譲った。
雷電の知識をもってしても”キン星バスター投げ”の全容は解明されていない。
否、雷電は己の師や先達らが意図して魔の技”キン星バスター投げ”について語らなかったとさえ考えている。
力に溺れた者の末路とはかくも悲惨な物である事は雷電とて重々に承知していた。
そしてそれは相撲塾に在籍してからも変わらない。
雲吞麵は大げさに咳払いをしてから先達から授かった教訓を相撲塾の若獅子たちに述べる。
それまで呆れ顔だった剣桃太郎らの顔も雲吞麵の真剣な面差しを見るうちに深刻な物へと変わった。
「オホン。今フラの舞という力士が使おうとしている技は”キン星バスター投げ”といって相撲界の禁忌とされる技なのじゃ」
「おい、雲吞麵のおっさん。禁忌なんぞと大仰な事を言っておるが今のところは真っ当も真っ当、反則なんぞしておらんぞ?」
富樫は取っ組み合い中のフラの舞を指さして尋ねる。
確かにプロレスのように手四つで競り合うという相撲の試合とは思えない膠着状態だがルールを破るような要素は一切見られなかった。
或いは、様式美に拘るというのであれば違反なのだろうが。
しかし雲吞麺は両目を閉じて首を横に振った。
「甘いな、富樫よ。あの技が魔の極致と呼ばれる所以は目潰し、肘当てのようなせせこましい違反行為ではない。技が成功した暁には必ず相手を絶命せしめる事にあるのじゃ。そもそもキン星バスター投げとは一つの技ではない。合掌捻り、五輪砕き、逆落としという三つの工程を経て完成するのだ。これなら貴様とて技の威力の凄まじさを理解しようて」
「ちょっと待ていッ!こっちがおとなしく聞いていれば適当な事を次から次へと言いおって!合掌捻りに、五輪砕きに続いて逆落としじゃと⁉そんな大技を連発すれば誰だって抜け出せるじゃろうが‼いよいよ呆けたか、雲吞麵のおっさんよう⁉」
あまりの途方もない話に虎丸が大声をあげて非難の嵐を浴びせた。
普段ならば飛燕あたりが止めに入る場面だが飛燕も虎丸の意見に賛成らしく美しくも厳しい顔つきで雲吞麺を睨んでいた。
(こ奴等いずれはワシを越える実力者になるだろうが、まだまだ若いな。相撲というものは理屈ごときでは説明しきれぬ事があるのじゃ)
雲吞麵はかつて己の師に”相撲拳法も無敵ではない”と言われて憤慨した過去を思い出しながら苦笑する。
「虎丸よ、お前の言い分も相撲を愛すればこそ当然の物と言えよう。ワシとてこの話を師やラーメン山から聞かされた時は己の耳を疑ったものじゃ。されど相撲の道は広大無辺、このワシや相撲塾の塾長江田島平八山でさえ想像のつかない技巧というものがある」
雲吞麵はそこで言葉を区切る。
土俵の上では光太郎がフラの舞の両腕を掴みを断ち切って中央まで押し返していた。
そして、元の位置に戻されたフラの舞は技を仕掛ける機会を窺う構えを取る。
息も絶え絶えとなり、地面に滴り落ちる熱を失った汗。
光太郎とフラの舞は今の攻防でかなりの体力を消耗していた。
「キン星バスター投げとは三つの段階に分かれておるのじゃ。まず最初に”合掌捻り”で相手の方向感覚を奪い、次に五輪砕きで腕と背骨を破壊して庇い手や受け身を出来なくする。そして最後に逆落としで脳天を粉砕する。…食らった奴は例外無く即死じゃろうな」
ゴクリ。
数多の修羅場を潜り抜けてきた相撲塾の猛者たちも”キン星バスター投げ”の恐ろしさを聞かされて生唾を飲み込む。
全員が金縛りにでもあったかのように動かなくなってしまったが、相撲塾一号生の中でも一、二を争うほどの胆力と実力を備えた伊達臣人が雲吞麺に異論を唱えた。
普段は何かと伊達に楯突く虎丸と富樫もこの時ばかりは実力の違いというものを思い知る。
三面力士と呼ばれる伊達の同志たちも(彼らは伊達の配下と言っているが、伊達は同志と呼ぶようになった)何が飛び出すかと期待の眼差しを向けていた。
「解せねえ…。たかだか相撲の試合で何故そこまでする必要がある?勝つだけなら五輪砕き、相手を殺すだけなら逆落としで十分だろうが。そこまで…ああ、畜生め。上手い言葉が出てこねえな。雷電、お前ならわかるだろう。後は任せたぜ」
伊達はそう言った後、首を捻りながら後ろに下がってしまう。
(あの己の勝利以外は全て無価値と断じてきた伊達殿が言い淀むとは…ッ!これも相撲塾の絆のなせる技か)
雷電は咳払いをした後、伊達の意図する事を皆に伝えた。
「オホン。では伊達殿に代わって説明させていただこう。相撲に限らず格闘技の試合とは早すぎる決着も疎まれるが、逆に時間をかけすぎても忌避される事は諸兄も存じているだろう。然るに例え試合中に重傷を負う或いは死を迎える事があっても是非を問われる事は無い」
「…チッ‼」
試合の中で死を迎える、という一言を聞いた時富樫は血が流れるほどに拳を固く握りしめる。
だがすぐに学帽のツバを下げて瞳の奥に燃える憎悪の炎を隠してしまった。
雷電は気がつかないフリをしながら話を続けた。
「先の話の結論を述べるならば、五体の動きを封じてさらに死に至らしめるような技など相撲には不要の技と伊達殿は仰りたいのだ。雲吞麵、私からもお願いしたい。なぜそれほどまでに危険な技が後世にまで語り継がれているというのですかな?」
「…ワシを見くびるなよ、雷電よ。ワシとてこの目にするまでは絵空事、戯言と思っておったわ。…だがこうして本物を見てしまうとラーメン山の話を笑えなくなってしまうのじゃ」
かつて雲吞麵がラーメン山と共に相撲拳法総本山で修行を続けていた頃、彼は相撲の力を使って世界に不善と恐怖をバラまこうとする存在について危惧していた。
若い雲吞麵はラーメン山の話を臆病風に吹かれたかと笑い飛ばしたものだった。
「よく聞くがいい、小僧共。ラーメン山曰くあの技、キン星バスター投げとは人間相手に使うことを考えられた技ではないのじゃ…。手足を失おうがすぐに立ち上がり、並外れた怪力で命ある限り屍の山を築き続ける相撲の悪の化身スモーデビル、彼らを倒す為に”キン星バスター投げ”という技は生まれたらしい…」
雲吞麵は土俵の上に注目する。
ついにフラの舞は光太郎に指絡みを仕掛け、機先を制した。
だが光太郎も負けてはいない。
至近距離から頭突きを当て、フラの舞を追い返そうとする。
額を血に染めたフラの舞は不敵な笑みを浮かべるとそのまま光太郎に頭突きを返す。
そして五指は光太郎の手に食い込んだままとなっている。
「親父、ラーメン山、羽合庵、よく見ておけ。これが俺の、フラの舞の価値ある最初の勝利だッ‼」
フラの舞の心の火が大きく爆ぜ上がる。
今この瞬間の為に用意された”崖っぷちのど根性”が発動した。
光太郎は蹴足を決めてフラの舞を退かそうとするがビクともしない。
フラの舞は光太郎の手首をさらに締め上げて無力化しようとする。
光太郎は全力で抵抗するが”崖っぷちのど根性”を使われた状態では何をしようがフラの舞を止める事は出来なかった。
(何という力。まるで鉄柱でも蹴っているような気分でごわすよ。はて鉄柱…⁉)
その時、光太郎の脳裏には羽合庵との修行の日々が映し出される。
鉄砲、鉄柱…。
不動の極意とは何があろうとも決して自ら動かないという事と羽合庵は語っていた。
ならばこれは真逆。フラの舞は不動ではない。不動の極致に至れば技は成功しないのだ。
結果、光太郎は抵抗を止めなかった。
フラの舞の顔面を、足をひたすら叩き続ける。
激昂し、闘争本能に支配されたフラの舞が動じる事は無かったが技の成功は妨げられている。
「名付けて”北風と太陽作戦”でごわすよ‼あんさんが諦めるか、おいどんが決め技を食らって倒れるか‼勝負でごわすッッ‼‼」
ガッ‼‼
肉食獣の咢が光太郎の頭に食らいついた。
光太郎は苦痛で表情を歪めながら己の右手首を見る。
関節が外されてあらぬ方向に曲がってしまった己の一部に”よくぞここまで戦った。お前は俺の誇りだ”と光太郎は感謝の念を送った。
フラの舞はついに光太郎の頭を捉える事に成功したのだ。
後は左右に振り回して五感を奪う飲み。
しかし光太郎は抗う事を止めない。
残った手で、足でフラの舞の動きを止めようと必死に抵抗を続ける。
「海星光太郎、お前は…強かった‼」
フラの舞は己の勝利を誓う雄たけびを上げた後、光太郎の頭を地面に叩きつけた。