第百十四話 孫権の帰還‼の巻
かなり遅れてしまいした、すいません。次回は九月二十三日頃に投稿する予定です。
「富樫、その辺にしておけ。コイツにはもう立ち上がる気力さえ無えよ」
今、富樫は地面に仰向けになって転がる孫権を睥睨している。
そして喧嘩の仲裁にはいったのは伊達臣人、意外な人物の介入だった。
富樫は学帽をかぶり直して孫権から距離を置く。
富樫は必要以上に痛めつけるつもりも敗北感を与える事が目的ではない。
ただ目の前の相手が全力を出し切って自分の出した答えに満足するまで土俵の上で相撲をするつもりだったのだ。
仰向けになって転がっている孫権の顔にはこの場でやり残した事、或いは後ろめたさのような物は一切感じられなかった。
孫権は全力を出し切り、安易な勝利では得る事が出来ない全力を使い果たした末の敗北を体験したのだ。孫権は赤と青に腫らした顔のまま、富樫に礼を言う。
「富樫さん、その上手くは言えませんがありがとうございました。私は今の今まで”自分は何もしなかった”と勘違いをしていた。自分の望む回答に現実が追いつかないというだけで、勝手に自分を貶めていた…。そんな情けない私を勇気づけようと周囲は必死に私を励まそうとしていたのに、私は身勝手にも彼らと距離を置いていたんだ。私は意気地の無い私が猛烈に許せない」
孫権は顔を両手で覆ったまま涙を流した。
富樫は眼下で泣き咽ぶ孫権から視線を外した。武士の情けならぬ力士の情けというものである。
この先、富樫は兄を死に追いやった相撲塾最強の男”大豪院邪鬼の山”に圧倒的な実力を見せつけられて敗北することになるわけだがこの時から薄々と自分の歩んでいる道が己の信条に相反している事を悟っていたのかもしれない。
富樫はすすり泣く孫権を残して一人、森の奥に消えて行った。
虎丸は親友を追いかけようとしたが剣桃太郎に止められる。
親しい間柄だからこそ側にいて欲しくない瞬間というものが人間には存在するのだ。
それから孫権が立ち上がるまでの間、富樫が姿を見せる事は無かった。
「ところで権の字、そろそろ家に帰った方がええんじゃないか?歴史のタイミング的にお前が柴桑の城に到着しないと孔明がお前の家臣に集団リンチされて死んでしまうぞ?」
しばらくして虎丸が思いついたように尋ねる。
話を聞いた孫権はまるで見当もつかないという様子で目を瞬かせていた。
虎丸はアニメ映画の三国志(※原作横山光輝のヤツ)から得た情報を聞かせようとしたが、その前に雲吞麵と雷電のナイスアシストが炸裂して後ろに引っ込められる。
「虎丸さん、孔明というのは私の相談役の諸葛瑾殿の弟で”伏龍”と呼ばれている識者の方ですよね?…そんな立派な方が河を越えて、どうしてこんな温かいだけの田舎に来るんですか」
孫権は顎に手を当てながら首を傾げている。これまでの交流から孫権(現時点での)は話術を交えた駆け引きが出来るような性格ではないと虎丸を除く相撲塾の猛者たちは理解していた。
そこで一計を案じた雷電はJと剣桃太郎に頼んで虎丸に猿轡を噛ませる。
雲吞麵は眉間に皺を寄せながら雷電に耳打ちをする。額からはねっとりとした汗が流れていた。
「マズイぞ、雷電。この孫権はおそらく今日柴桑に劉備がやって来る事も、重大な会議が開かれる事も知るまい…。このまま徒に時間を費やせば赤壁どころか、今日明日にでも曹操によって天下が統一されてしまうかもしれぬ」
「雲吞麵殿、…流石にそこまで性急に事は運ばないでしょうが私も貴殿のお話に賛成します。この世界の人物に関わってはならないというセオリーは抜いて柴桑の城に連れて行きましょう」
雷電もまた事態の異常性に気がついていた。
どこまで現実の世界の歴史と符合しているかは確かめようがないが、少なくとも雷電たちの目の前にいる孫権は周瑜と張昭から劉備と会見する話の一切を聞かされていないのである。
孫権の負担を減らす為の親心なのだろうが会見の最中に不在というのは些か聞こえが悪い。
事を出来るだけ穏便に済ませる為に雷電と雲吞麵は協力して孫権を説得しようとした。
「孫権殿、失礼を承知で言わせてもらうがそろそろ城に戻った方が良いのではないか?我々は孔明なる人物について全く知らないが、少なくとも呉の総領たる貴殿は会ってどんな人物か見極めなければなるまい」
「左様じゃ、孫権殿。仮に孔明が並の識者ならば、仮に訪ねて来た時に城の主が不在ならば”小肝者”と侮られて悪評を言いふらすだろう。そうなれば貴殿のみならず家臣たちもさぞ肩身の狭い思いを…うおッ⁉」
孫権は青い瞳の中に炎を燃やしながら立ち上がった。そしてすぐに着物と鎧を身に着ける。
それまでのまわし一丁の姿から元の衣装に戻った後、孫権仲謀は虎が如く吠える。
「許せない…。私を臆病者呼ばわりする事は許せたとしても、私の家臣を悪く言う者は絶対に許すことなど出来るものか…ッ‼」
孫権の一喝は森の木々を揺るがし、風を吹かせる勢いがあった。
伊達は不敵な笑みを浮かべながら孫権の隣に現れて肩を叩く。
「ハッ、どこまでも甘ったるい坊やかと思っていたが言うじゃねえか。(※この時点で孫権は伊達より十歳くらい年上)喧嘩ならつき合うぜ?」
伊達は心の中で苦笑する。かつて彼は人を信じるなど以ての外という世界に生まれ落ちた。
同じ孤児たちと無限に続く殺し合う中で武技を身に着け今日まで生きてきた。
己を認めなかった相撲塾を憎み、滅ぼそうとしたこともあった。
しかし今は違う。剣桃太郎との決戦の最後に断崖絶壁から投げ出され、彼の救いの手を取ってしまった時に伊達の中で何かが変わってしまった。
それが何かは今の伊達にはわからない。
ただ一つだけ言えることは、孫権の放った気炎がこの上なく心地よい物だったという事である。
「…伊達殿。貴方は本当は熱い心を持ったお優しい方なのではありませんか?」
「おいおい、その辺で勘弁してくれ。俺は本当にこういう湿っぽいのは嫌いなんだ」
孫権は伊達の瞳の中に信頼のようなものを覚えて首を縦に振った。
二人の和解をきっかけに相撲塾の漢たちは歓声を上げ、勢いで柴桑の城に向かう事になる。
雷電は伊達の成長を目の当たりにして感激の涙を流していたが、それなりに人生経験を積んでいた雲吞麵は”これで本当に良かったのか?”と不安を抱えていた。
しかし雲吞麵も所詮は相撲に命を賭ける男の一人、富樫と虎丸に囲まれて騒いでいるうちに不安に思っていた事を忘れていた。
それから数十分後、相撲塾は柴桑の城に通じる街道に到着する。
土を盛って舗装された簡素な道には多くの通行人が行き交い、活気が感じられた。
虎丸と富樫は早速、街道に出て行こうとしたがJによって止められる。
「待て、二人とも。今はまだ派手な行動は控えろ。孫権の捜索隊と鉢合わせになったら厄介な事になるぞ?」
そう言った後でJは周囲をさっと見渡した。
少し前まではアメリカ合衆国のスーパースモーレスラーアカデミーという怪しげな養成機関に所属していた男だったが行動は堅実かつ慎重そのものである。
富樫と虎丸はJには団体戦で先鋒を任せたりしている(※実は後ろめたさを感じているらしい)ので、彼の進言にはおとなしく従っていた。
Jは周囲に異常が無い事を確認すると、相撲塾のリーダーである剣桃太郎と伊達臣人にその旨を伝えた。
「桃、伊達。俺の見た感じではあの街道にに異常はない。フードをかぶって正体を隠すよりも普通に移動した方が良いだろう」
「気苦労ばかりかけて済まないな、J」
剣桃太郎はJに向かって会釈をする。
伊達は何も答えはしなかったが冷静にJの話を聞き入れていた様子だった。
孫権も自分の置かれている状況を理解して気持ちを落ち着かせる。
かくしてムキムキマッチョな男たちは二列に並んで黙々と柴桑の城を目指す。
本人たちはかなり真剣にやっていたつもりだったが、やはり周囲からは異様な集団にしか見えなかった。
その頃、孫権の捜索をする為に出かけた光太郎たちは何の収穫も得られずに城に帰る道中だった。
光太郎は柴桑の城に通じる街道を何度も往来して体力を消耗していた。
同行している諸葛亮のように愚痴をこぼさないのは隣にいる羽合庵の目を気にしているからである。
試合後の疲弊した状態でも下手に弱音を吐こうものなら、羽合庵は関係無しに光太郎の横面を張り飛ばしてくるだろう。
「いやあ、キン星山殿は本当に頑丈ですね。流石は力士、私も見習いたいものですよ」
諸葛亮は苦笑しながら光太郎に話しかけた。
光太郎は羽合庵の視線を気にしながら背中を反らして諸葛亮の歩調に合わせる。
彼は長旅の疲れが出ている為に先ほどから何度も転びそうになりながら歩いていた。
光太郎は次に巡廻する時に城で休んでいてもらうように言うつもりだった。
「まあこれも日々の稽古の成果でごわすよ。おいどんの戦績はサッパリでごわすが、根性と体力だけは前よりマシになったと思うでごわすよ」
光太郎は自分の腹を叩いて豪快に笑う。
諸葛亮は光太郎の活力に溢れる姿に勇気づけられて速度を上げて歩き始めた。
光太郎は先に行ってしまった諸葛亮を追いかけようとしたところで羽合庵が声をかける。
「光太郎、今は目の前の戦いに集中しろ。今のお前は確実に何かを身につけようとしている。それが直接、勝負の結果に関わらずとも決して焦るな。今のお前は私と出会った頃よりも格段に強くなっている」
「ごっつあんです。羽合庵師匠、おいどんは今の一言だけで十分でごわすよ」
光太郎は羽合庵に向かって礼をすると諸葛亮を追いかけて行った。
羽合庵は苦笑しながら光太郎の背中を見送る。
(かつて私が日本での修行を終えて故郷に帰ろうとしていた時の雷電師匠も同じ気持ちだったのだろうか。弟子の巣立ちとは、嬉しくもどこか寂しいものがあるな…)
「…」
「…」
羽合庵が目元の涙を拭っていると光太郎の出発に出遅れてしまった美伊東君と偶然に目が合ってしまう。
羽合庵は咄嗟に顔を背けてしまった。
「大丈夫ですよ、羽合庵。僕は口が堅い方ですから」
美伊東君は悪戯っぽく笑うと光太郎を追いかけて行ってしまった。
羽合庵も感傷的な気持ちを切り替えて美伊東君の後を追いかける。
諸葛亮と光太郎が柴桑の城の近くに到着すると、衛兵と豪傑然とした男たちが言い争っている場面に遭遇する。
遠間から見た様子ではどうやら強面の男たちは衛兵の検問がお気に召さなかったらしく睨み合いになっていた。
「おうおうおうッ‼天下の往来で何が悲しくて立往生しなきゃならんのじゃ‼ワシらは天下の一大事で急いでおるんじゃ。さっさとここを通さんかい‼」
髪を後ろで束ねた、無精ひげの男が威勢よく声を上げる。
猛虎の如き一喝でそれまで民草相手に居丈高だった衛兵たちも及び腰になってしまう。
光太郎は事態が収拾するまで動くつもりは無かったが、好奇心を刺激された諸葛亮は光太郎が止めようとするより前に現場に向かった。
(諸葛亮どんは行動的というか無茶な事ばかりする御人でごわすな。おいどんはデスクワーク専門かと思っていたでごわすよ)
光太郎は慌てて諸葛亮を追いかける。
「まあまあ、そこのお兄さん。兵隊さんたちもお仕事でこうして一人一人を調べているわけなんですから、許してあげてくださいな。せっかくの男前が台無しになってしまいますよ?」
諸葛亮はにっこりと笑いながら男に向かって会釈する。
男の並々ならぬ大喝を浴びて腰を抜かしてしまった衛兵たちは諸葛亮の後ろに下がる。
諸葛亮は彼らにこの場は任せろと目で意図を伝えた。
「がっはっはっは‼そうかそうか、男前か‼ワシも捨てたもんではないのう‼」
男は露骨なお世辞に気を良くして笑い出した。
光太郎が息を切らせ、やっとの思いで現場に到着すると思いがけない再会を果たした。
「おおっ‼アンタはキン星山先輩、無事じゃったのか⁉」
「そういう君は相撲塾の虎丸君ではないでごわすか‼元の世界に帰ったのではなかったでごわすか⁉」