第百七話 光太郎、早くも背水の陣‼の巻
力が勝手にうわあああああ…ッッ‼
ではなくて次回は八月の十三日になる予定です。
諸葛亮は羽合庵の隣にやって来て光太郎の戦績について尋ねる。
諸葛瑾は天人を怒らせるべきではないと止めようとするが、諸葛亮は禁忌に触れることなどお構いなしに羽合庵の近くまで行ったのだ。
その際にこっそりと美伊東君に会釈するなど中々、抜け目のない人物だった。
対して羽合庵は諸葛亮の存在など意に介さずといった態度で質問に答える。
「光太郎の戦績か?この前、一勝したばかりだ。その前は引き分け、今の対戦相手のフラの舞には二回負けている。正直なところ、勝ち目どころか見どころさえないぞ?」
羽合庵は思ったままを語る。
そもそも対戦相手同士のドラマなど当事者以外に意味があるとも思えない。
美伊東君は光太郎が不利になる度に苦虫を潰したような顔になる羽合庵の姿を思い出してクスリと笑った。
それを見た羽合庵はバツが悪そうに大きな咳払いをして美伊東君の口封じをする。
その一方で羽合庵から光太郎の戦績を聞いた諸葛瑾と魯粛は暗鬱な表情になってしまった。
逆に諸葛亮は光太郎への期待をさらに高まらせる。
傍目から見てもフラの舞の実力は疑いようのない代物だが、光太郎の戦意はそれを知っても決して怯む事は無い。
仮に戦乱の世を勝ち抜く者がいるとすれば光太郎のような窮地から何度でも立ち上がる力を持つ者だろう。
諸葛亮が曹操よりも劉備に興味を持った理由の一つである。
「ふむ、それは実に宜しい。もう失う物は何もないでしょうから存分に戦ってください。仮に負けたとしても私の首一つで済むでしょうから」
諸葛亮は底抜けに明るい笑顔を見せる。
この場で死ぬ気など毛頭無かったが、今はなぜかそれでも良い気分になっていた。
だが光太郎は諸葛亮と羽合庵に向かって首を横に振る。
「心配は無用でごわすよ、御三方。おいどんはフラの舞を倒し、勝って土俵を出て来るでごわす」
光太郎は景気づけに左右の腕と胸板を叩いた。
先ほどの敗戦の翳りなど微塵も見せない自身に満ち溢れた態度に諸葛亮たちは感激の声を上げる。
フラの舞は光太郎の見せかけだけの復活を心の底から歓迎する。
数回のスクワット運動を行った後、褐色の肌に覆われた重厚な筋肉を再起動させてから光太郎の前に立った。
光太郎はこの時、目の前に立つかつてない強敵の実力を再認識した。
優劣を問われれば間違いなくフラの舞が優秀であり、光太郎は劣等に甘んじる事になるだろう。
だが相撲とはそれだけではない。
印度華麗、テキサス山との戦いも同じだった。単純な強さ、経歴を比較すれば光太郎は最弱の存在だ。
「フラの舞どん。月並みの言葉でごわすが、おいどんは勝ちたいという気持ちだけはあんさんに負けるわけにはいかんでごわす…」
「俺もそのつもりだ、キン星山いやさウミホシ・コウタロウ。俺もお前にだけは絶対に負けたくはない。外国人の血を引いていたというだけで海星家を追放された俺の祖先ウミホシ・ショウの無念ともどもこの場で晴らしてくれる」
なぜ故にこの時、そのような言葉が出て来たのかはフラの舞は理解していなかった。
悲劇のキン星山、海星翔の血がそう言わせたのか。光太郎との宿命の一戦を意識してつい口にしてしまったのか。
フラの舞当人が一番混乱している。だがこの時、光太郎はフラの舞の高揚こそが勝利のカギであることを確信する。
(今のフラの舞どんならば必ず正面からの勝負に挑むはず。この戦い、悪いがおいどんの勝ちでごわすな)
光太郎はそう考えてから赤面する。
その感情は今までの光太郎にはない傲慢さだった。
光太郎は一人、拳を握り直してフラの舞を見た。
「では審判役はワシ張昭が皆を代表してやらせてもらおう。それで良いな?」
張昭の登場にフラの舞は当惑するが、光太郎が頷いて了承したことで落ち着きを見せる。
またカナダ山がアイコンタクトで張昭が不正を働くような真似はしないと伝えてきたこともフラの舞の判断の材料となったことは言うまでもない。
かくして光太郎とフラの舞は土俵の中央で互いを見合うことになる。
相撲に興味などないはずの文官、武官たちも向かい合う光太郎とフラの舞の姿に自ずと注目していた。
「それでは見合って…、見合って…。はっけよい、のこったぁぁッ‼」
張昭の号令と共にフラの舞と光太郎は同時に前に踏み出した。
大地を蹴り、地の底を揺るがすような突進する二人の力士の姿は名馬に跨り先陣を切る武将の姿を思わせる。
文官の張昭はこの時不覚にも今は亡き孫堅と孫策の姿を思い出し涙を流してしまう。
凌統は近い将来ぶつかり合うであろう曹操軍との戦いへの熱き思いに血を滾らせ、甘寧は孫権に率いられ江南の地を守る己の姿を重ねて心を熱くする。
しかし周囲の熱気に染まらぬカナダ山とスペシャル山は光太郎の変化に気がつき不安を抱いていた。
「なあ、スペシャル山の兄弟。キン星山の野郎、前と何か違わないか?俺はあいつの戦い方なんざ全く知らないがさっきから不自然な感じがしてなあ…」
光太郎は今オーソドックスに体当たりを決めた後、張り手で牽制しながらまわしを取るタイミングを覗っている。
通常の相撲ならば問題の無い展開だが、今の段階では絶対に勝てない選択肢でもある。
スペシャル山はフラの舞の動きに注目しながらカナダ山の問いかけに答える。
「たしかに君の言うようにキン星山の狙いは逆転を狙っているような戦い方じゃないね。仮にここから二勝してフラの舞を追い詰めても体力が保てないだろう。僕の戦績データでは今までの彼は千秋楽まで優勝を賭けて戦った事は一度もない。対してフラの舞を若いながらも2シーズン(日本の相撲でいうところの夏場所、秋場所みたいなもの)、負けなしという実績がある。この差は大きいよ」
スペシャル山は両腕を組んで静かに土俵の中を観察する。
この力士、上半身はアメフトの選手のようなコスチュームを着ている為に脳筋バカだと思われているがデータや戦術研究に余念の無い米国屈指の力士でもあった。
そしてカナダ山、スペシャル山らは共に優勝経験のあるそれぞれの国内において上位の成績を持つ力士であるがゆえに最初からフラの舞の優勢を疑わなかった。
しかし、光太郎陣営である羽合庵と美伊東君は光太郎が活路を見出しつつあることを既に察知している。
ここに来てようやくフラの舞の動きに余裕が生まれたのだ。
「いいですよ、若。その調子です。もっとフラの舞を自由にさせてあげてください」
フラの舞と光太郎はまわしの取り合いを続行している。
フラの舞の動きは微細そのもので攻守を巧みに使い分け、今や土俵の支配者と化していた。
羽合庵はフラの舞の華麗な立ち振る舞いを称賛しつつも脇の甘さに表情を歪ませる。言ってみれば、”軽率”というフラの舞の幼い頃からの欠点がそのまま出ているのだ。
「フラの舞め。勝負の終わりが近い時ほど慎重になれ、とあれほど言っていたのにもう一人前の力士のつもりか。ああ、もう!なぜそこで前に出るのだ!」
羽合庵はフラの舞を心配するあまり彼の動きに注文をつけるようになっていた。
美伊東君もフラの舞と光太郎の土俵内の立ち位置を巡る激しい攻防を前に息を飲む。
光太郎はフラの舞を土俵際に追い込もうと攻撃を繰り返す。
フラの舞は光太郎の猛攻に対して一見、冷静に対応しているが痺れを切らして前に出ようとする場面も幾つかあった。
(僕にも理解できる。今フラの舞は余力を使って勝負を一気に決めたいんだ。だけど若が全力で攻めて来ているからそれが出来ない…)
光太郎が再び強引にまわしを取ろうとするとフラの舞は左に身を躱して土俵際に背を向ける。
今の攻防とて光太郎を叩き落とせば十分に勝負を決めることは可能だった。
しかし、ラーメン山の慎重論がフラの舞の行動に制限をかける。
(クッ‼今さら何を疑う…、今の俺の選択は間違っていないはずだ‼)
フラの舞は脳裏から”果たして今の自分の動きは慎重すぎるのではないか?”という雑念を振り払う。
光太郎はフラの舞の迷いに漬け込んで体当たりを仕掛ける。
フラの舞はすぐに気を取り直して光太郎の身体を正面から受け止め、横に流した。
そして大きく一歩、踏み出してから張り手を打った。
バチィッッ‼
光太郎は一本張り手を受け止めてやや後退する。
ふくらはぎと踵の後ろには土俵際が見えていた。
「やるじゃないか、キン星山。この土壇場に、時間の緩急をつけずに攻めて来るとは恐れ入った…」
フラの舞は低い位置に構え直し守りを固める。
そしてこの時、光太郎が二度の敗北でフラの舞への対処法を身に着けつつあることを感じていた。
光太郎は自分から距離を詰めようとせず、その場に止まって様子を見る。
拙攻を繰り返し、フラの舞の盤石の備えを崩そうとしたが今の時点では石垣に迫ることさえ出来ていない。
言ってみれば門前払いを食らっている状況だった。
「光太郎、”馬鹿の考え休むに似たり”だ。お前から直向きさを取れば何が残る?さっさと攻撃を再開しろ」
羽合庵は両腕を組みながら光太郎とフラの舞の姿を見ていた。
光太郎は体勢が整うとすぐに前に出る。フラの舞は冷静に対応してまた元の位置に戻る。
このままではいずれ光太郎のスタミナが尽きて自滅するのは目に見えているだろう。
しかし、フラの舞の方は機械のように冷静に対処することに飽きてきている。
おそらく若いフラの舞はさぞドラマチックな結末に飢えていることだろう。
羽合庵がフラの舞と同じ立場だったとしても同じ事を考える。
だが勝負の結果とは必然の産物であり、偶発性の高い結果に見舞われることなどまずない。
泥仕合を経験したことがないフラの舞がどこまで凡庸さの塊のような光太郎と同レベルで競えるかこそが今回の試合の最大のポイントになっていた。
「美伊東君。私はフラの舞がさっきよりもずっと前に出ようとしている意志が強くなっていると思うのだが君はどう思う?」
また光太郎の体当たりが躱された。
フラの舞は背後に回り、後頭部を掴んで引き倒そうとするが光太郎がフラの舞の手を叩き落として元の位置に戻る。
光太郎は天を仰ぎ、フラの舞は地を睥睨する因縁深い形になってしまった。
フラの舞の顔の側面に冷たい汗が流れる。
ここに来て、光太郎はフラの舞の追撃を誘っている可能性が生じたのだ。
「残念ながら、フラの舞はまだ罠である可能性を疑っていますね。スタミナの残量は置いておくとして、今の時点で若の動きはほぼ見切られていますからテコ入れが必要なんじゃないでしょうか?」
美伊東君は大きな眼鏡のレンズの奥で瞳を冷徹に輝かせる。
光太郎のスタミナは既に限界に近いが気持ちが高まってきているので動きが鈍くなっているということはない。
技術の面でもフラの舞は光太郎を遥かに上回り、いずれどんな攻撃を仕掛けても上手く躱されしまのがオチだろう。
美伊東君と羽合庵が知恵を絞っている時に、諸葛亮が姿を現す。
「時に美伊東君殿、私のような門外漢で宜しければフラの舞殿が打って出てくる妙案が一つあるのですが、如何でしょうか?」
諸葛亮は嬉しそうに長いまつ毛に覆われた瞳を細めている。
美伊東君はどんな奇策が出て来るのかと少しだけ心配になったが話だけは聞くことにした。
「ええと…。実は僕たちも煮詰まって良い案が出て来ないので宜しくお願いします」
美伊東君は恐縮しながら頭を大きく下げる。
羽合庵は呆れながらも諸葛亮の話を聞く様子だった。
諸葛亮は懐に潜ませていた例の帽子をかぶってフラの舞を指さす。
「ではまず最初に一つ、献策させていただきますれば…。フラの舞殿は力は虎、素早さは鷹といった優れた御仁ゆえに是を捕まえるともなればさぞや苦労することになるでしょうな。そこでこの孔明は考えました。捕まえるのが無理なら捕まってみるのはどうかと…ってね?」
諸葛亮は苦し紛れに笑ってしまう。
なぜなら話の最中に。フラの舞を捕まえに行った光太郎が逆に投げられそうになっていたのだ。
仮に光太郎がフラの舞に捕まってしまえば簡単に投げられて試合は終わってしまうだろう。
(やはり実戦は机上の戦いとは違うものだな…)
諸葛亮は身を縮こまらせて奥に引っ込もうとした。
しかし、羽合庵は彼の手を掴んでその場に止まらせる。
諸葛亮は羽合庵の迫力に屈して「きゃっ‼」女性のような甲高い悲鳴を上げてしまった。
「素晴らしい妙案だ、諸葛孔明。是非ともその話の続きを聞かせてはもらえんかね?」
羽合庵は出来るだけフレンドリーに言ったつもりだったが、逆に諸葛亮は白目を剥いて気絶してしまった。