第百六話 戦いの舞台は整った‼の巻
すごく遅れてごめんなさい。次回はかなり遅れて七月八日に投稿することになると思います。流石に気温三十四度、連発はキツイです。
柴桑の城。
劉備の到着の前に孫権の家臣たちが集まり、江南の地の今後の方針について語り合うことになっていた。
曹操を中華の覇者として認めて臣従する道を選ぶ和平派の中心人物、張昭は城の大広間に到着していた。
張昭は白髪が目立つようになっていたが立ち姿と気勢には衰えというものが全く感じられない。
また彼の従者も同様に勇猛と理知を兼ね備えた江南最高の智者に相応しい者ばかりである。
フラの舞たちは張昭の従者たちの真ん中に立たされて会議に出席している。
今現在は相撲のコスチュームの上に鎧を着せられているのだが、カナダ山だけがノリノリでフラの舞とスペシャル山は自分たちの場違い感に戸惑っていた。
「それにしても遅いな。おい、陳武。孫権殿はまだ来られぬのか?」
カナダ山は孫権の護衛役の陳武に尋ねる。
カナダ山本人はすっかり物語の登場人物になりきっておりカナダの国旗のようなボディスーツ以外は違和感はない。
一方、陳武の方も天を衝くような巨躯を誇るカナダ山に心酔しているので素直に答えてくれた。
「カナダ山殿、孫権様は先ほど落ち着ける場所に行くと言って外に出て行ったばかりなのです。本来ならば私も御一緒するところなのですが今回は周泰のヤツが一緒なので大丈夫でしょう。ご安心ください」
陳武は破顔しながら返答した。カナダ山は張昭が孫権の不在を知って怒鳴り出す前に話を切り上げる。
(普段もこれくらい機転を利かせることが出来れば勝ち星が増えるのに…)
フラの舞とスペシャル山は必要のない時に有用なスキルを発揮するカナダ山を不憫に思った。
一方、張昭は出鼻を挫かれて憤まんやる方なしといった様子だが孫権のもとに使いを出して冷静に対処する。
このところ孫権は何かと周瑜から辛辣な言葉を浴びせられ自信というものを失っていた。
張昭はまだ若い孫権と責務に追われて日々やつれていく周瑜を不憫に思っている。
彼らは共に亡き孫堅と孫策から託された存在であることに違いないのだ。
城内の空気が落ち着こうとした時、謁見の間の扉が開かれる。
魯粛を先頭に諸葛瑾と諸葛亮、そして光太郎たちが姿を現した。
彼らの姿を見た途端に張昭の目つきが一段と厳しいものに変わる。
また先に到着していたフラの舞たちも息を飲み込んだ後、今すぐにでも戦えそうな気配となっていた。
(嬉しいぞ、キン星山。やはり闘志の”火”を入れ直していたか)
フラの舞は舌を舐めずり狂猛な笑みを溢す。
普段は優美な横顔は、今や戦いに渇いた狼そのものとなっていた。
「良し。何とか間に合ったか。まだ劉備殿も、周瑜将軍も到着していないらしいな」
魯粛は安堵の言葉を吐くと額に浮いた汗を拭う。
そして今回の会議において最大の障害となるであろう張昭の顔をじっと見つめるのであった。
一方、張昭は魯粛の存在など歯牙にかけるまでもないと素気のない態度を取る。
魯粛は孫権の家臣の中でも決して低い地位にいつ者ではないことを知っている他の家臣たちは何事かと話を始めた。
(このまま張昭殿にそっぽを向かれても時間の無駄だな。火中の栗は拾わねばならぬか…)
魯粛は猛火の如き気を放つ張昭の前に立って直に言葉を交わそうとした。
それまで後ろに控えていた甘寧、凌統、カナダ山の三人が自然に張昭の隣に現れる。
この時カナダ山は甘寧、凌統らと義兄弟の契りを結び共に張昭を守ることを約束していた。
流石は座右の銘が”捲土重来”の男である。
「お久しぶりでございます、張昭殿。魯粛、遅ればせながら帰って来ました」
魯粛は懇切丁寧に両手を合わせて頭を下げた。
張昭は遥か天から見下すような視線を”硬骨”と呼ばれた男に向ける。
並の男ならば背を向けて逃げてしまうほどの圧力のかかった眼光だが、魯粛は噂に違わぬ豪胆さでこれを受け止める。
魯粛の護衛役だった光太郎は張昭のすさまじい眼光に度肝を抜かれて羽合庵と美伊東君の後ろに隠れてしまった。
この時、フラの舞とスペシャル山は光太郎とカナダ山の実直な一面を羨ましく思った。
張昭の額に血管が浮かぶ度に胃がキリキリとしまっていたのである。
「ふん。魯粛よ、どの面を下げて戻って来たのだ。言うまでもなく孫権様は和平の道を選び、曹操に降伏して帝への帰順を選択することになるだろうよ。噂の大徳殿には悪いがこの地に止まってもらうわけには行かぬ。早々と荊州か、徐州に帰ってもらおうか」
張昭は魯粛のみならず背後に立っている諸葛亮を挑発するように、わざと劉備を蔑むような口調で告げた。
劉備の大徳という通り名を聞いた張昭の取り巻きたちは「あの弱さで大徳とは聞いて呆れる。ものは言い様だな」と口々に嘲弄した。
魯粛は烏合の衆と化した文官たちに憤慨してすぐさま反論しようとするが、先に諸葛亮が前に出る。
諸葛亮は口元に余裕のある笑みを称え、まずは張昭に向かって頭を下げた。
「お初にお目にかかります、張昭殿。私は流浪の大徳と呼ばれる劉備の使者、諸葛亮と申します。この度は主、劉備に代わって曹操への対処法について幾つか進言する為に参りました。以後、お見知りおきを」
諸葛亮はそう言って光太郎たちの方を見た後に頭を下げる。
目配せを受け取った光太郎たちは諸葛亮に続いて張昭に頭を下げた。
張昭は一堂に向かって返礼をした後、諸葛亮の話を切断しようとする。
「どこぞの使者かは知らんが、今さら進言など無用じゃ。我々の肚は既に臣従と決まっている。妖言を用いてこの場を荒らすような真似をすれば諸葛瑾の弟でも容赦はせんぞ?」
張昭の劉備との交渉に価値は無いといった物言いに、魯粛と諸葛瑾は憤りを覚えた。
孫権の軍は以前よりもずっと強くなった。
しかし、戦乱の世が続くせいで兵力や資金はお世辞にも潤沢とは言えない。
仮に劉備が助力を申し出てくるならば話だけでも聞くべきだ。
ましてそれが理解できぬほど張昭も老いているわけではない。
兄と盟友の動揺を感じながら諸葛亮は余裕のある態度を崩さずに話を続ける。
「しかし、それはあくまで貴方の個人的な意見にすぎません。仮に臣従するともなれば、曹操は問答無用で武装解除を求めてくるでしょう。文士である貴方はまだいい。しかし周瑜将軍や武官の皆さまは”戦わずに全てを放棄せよ”という貴方の意見をどう思われるか?まずは答えていただきたい!」
諸葛亮は張昭に向かって人差し指を突きつける。
張昭は口を真一文字に結んだまま、何も答えない。
この場においては諸葛亮を捕らえて追い出せばいいだけの話だが、それでは甘寧たちの決意と努力を否定することになる。
過去の孫策暗殺の事件に然り、若い命を散らせるわけには行かないという思いがそこにあった。
そこに甘寧が目を血走らせて一歩前に踏み込む。
元は川賊の頭領で野蛮な振る舞いが目立つ男だったが、恩に報いる義の心は確かに胸の中で燃えていた。
「おうおうおう…ッ‼黙って聞いてりゃあ好き放題言いやがって‼この張昭殿がどれほど苦しんだ末にこんな胸糞悪い話をする事になったと思っていやがる‼それ以上つまらない話をするつもりなら俺が黙っちゃいねえぞ‼」
甘寧は怒りのままに刀の柄に手をかける。
隣の凌統も澄ました顔をしてはいるが、内心では甘寧が諸葛亮を手にかければその場にいる全員を皆殺しにするつもりだった。
その後、甘寧共々処刑されることは間違いないだろうが無礼な客をこのまま放置するよりもいくらかはマシだとも考えていた。
「待て、甘寧。まずは刀から手を放せ。今の話はワシに非がある。この場はおとなしく引き下がってくれまいか?」
張昭がそう言うと甘寧は心苦しそうに引き下がる。
甘寧は感情を押し殺しながら諸葛亮に頭を下げると引き下がった。
「諸葛亮殿、部下の非礼は詫びよう。そして先ほどのワシの曹操に全面降伏するという話はあくまで一個人の考えというものであることを認めよう。ご存知かもしれぬが我々江南の民は限界に近い。戦に長じた曹操の軍を退ける余力などありはしないのだ」
張昭は瞼の内側に江南の領民の笑顔を思い浮かべながら目を伏せる。
嘘偽りの無い言葉だった。
「なるほど。お言葉はごもっともです、張昭殿。しかし曹操の目的が中華統一ではなく、禅譲にあるとすればそういたしますか?貴方の君子の家臣としての言葉をお聞きしたい」
禅譲、諸葛亮の放ったその一言で城内は騒然となる。
何を今さらと言う者がいれば、曹操を逆臣と謗る者も現れる始末。
張昭は城に来る前に部下の意見を統一したつもりだったが、大前提である”曹操の天下簒奪という野心を今さら疑う者はいない”という暗黙の了解が破られ見事に分断されてしまったのだ。
「美伊東君。これは一体どういう意味か、おいどんにはわからんのでごわすが…」
「…僕もそれほど歴史に詳しいわけではないので断言できませんが、張昭さんたちは曹操がやがて皇帝の地位を奪い取るという前提で今回の話を進めようとしていたんじゃないかと思うんですよね。だから今さら言うまでもないことを孔明さんが指摘した事で”曹操に従って本当に大丈夫なのか?”っていう混乱が広がっているんですよ。何せ日本でいうところの戦国時代ですからね、実際に皇帝の地位を簒奪するともなれば誰しも不安になってくるという事じゃないんでしょうか」
光太郎は赤壁の戦い以降の歴史を知っているので言葉を止めてしまう。
曹操は結局、魏王という地位に昇ったが皇帝にはならなかった。
その理由は色々とあるが結局は曹操の息子である曹丕が禅譲を迫ったので真意は計り知れない。
張昭は大きく咳払いをして騒ぎ始めた部下たちを沈黙させる。
彼と手各地の有名な識者たちから伏龍と絶賛されている諸葛亮を侮っていたわけではないが、主君の代替わりが続いて家臣同士の繋がりが揺らいでいるという弱点を見事に衝かれるという結果になってしまった。
「ふむ。諸葛亮殿、貴方は何か勘違いをされているようだな。最初からワシには曹操殿の思惑に意見するつもりはない。あくまで江南の良民と孫権様の身の安全だけを考えた結果だ」
張昭は顎髭を撫でながらしれっと言い返す。
まるで”弱者がこの戦乱の世を生き延びる為には強者に従うのは道理であり、責任はあくまで強者にある”と言っている風でもあった。しかし、張昭のこの返答もまた苦肉の策でありその場しのぎと言いざるを得ない。
彼の配下たちの間でも、今回の孫権への全面降伏を勧める進言が正しいものかどうかを疑う者たちが現れた。
「つまり自分たちの身の安全さえ確保されれば他はどうなろうと構わないと仰るつもりですか?」
諸葛亮は語気を強めながら張昭に追い打ちをかけた。
ここで張昭を逃せば周瑜との衝突は決定的なものとなり、孫権を盟主とする江南の国々が引き裂かれるきっかけとなる可能性が高くなる。
やがて張昭の配下かたも諸葛亮の言葉に耳を傾ける者が現れ、彼の真意が彼自身の口から語られることを期待する者たちが現れた。
甘寧、凌統、カナダ山(※何で?)たちが説得にあたるが気休め程度にしかならなかった。
「そう受け取られても致し方あるまい。まあ俗世から離れ、隠者として過ごしていた貴方には理解し難い理屈かもしれないが我々は既に戦後を見据えている。仮に戦争が無くなった未来の世界で、戦時中のいざこざを持ち出すのは一介の識者として如何なものかと思うが?」
張昭はあえて諸葛亮と曹操が戦乱の混迷が続く事を望む人間であるかのようにこき下ろす。
配下の文官たちは張昭の意見に呼応して諸葛亮を非難するが、武官たちは言葉を失う。戦争が終われば自分たちの待遇は格下げとなり、今まで通りの生活が補償されなくなってしまう。
いつしか張昭の配下同士で意見が二分される事態に発展していた。
諸葛亮は張昭から真意を引き出そうとするが、その前にフラの舞が立ちはだかる。
上半身はそれっぽいこの時代の中国式の鎧だったが、下半身は相変わらず腰蓑姿だった。
「話はそこまでだ、張昭殿。これ以上、貴方が彼の話につき合う必要はない。時間を無駄に費やせば周瑜将軍か、劉備が到着することだろう。諸葛亮殿、この場において劉備の客分でしかない貴方がどうしてここまで食い下がる必要がある?俺がこの場において断言してやろう。貴方の本当の目的は周瑜、劉備、孫権、そしてこの張昭殿を直に引き合わせる事だ」
張昭はフラの舞にそう指摘されて目から鱗が落ちる思いに見舞われた。
逆に諸葛亮は図星を指されて動揺する。
後のトレードマークとなる羽扇を持っていれば口を隠していたことだろう。
「なるほど。流石は天下の伏龍。ワシや周瑜とて孫権様の前では易々と隠し事は出来ぬ。劉備が馬鹿丁寧に孫権様に頭などを下げれば、願いを無下には出来なくなるという図式か。まんまと騙されるところだったわい…。者共、劉備の使者を捕縛せよ」
張昭は白い歯をむき出しにしながら諸葛亮を睨みつける。
そして手を出して武官を差し向けようとするが、先にフラの舞が諸葛亮たちの前に立っていた。
「張昭殿、ここで貴方が動けば何らかの処罰を受けるのは間違いないだろう。俺たちはわずかな間が世話にもなった。その恩に報いる為にも、俺が引き受ける。キン星山、三度目の勝負だ。ここでお前と俺が戦い、負けた方がここを去るというのはどうだ?…俺たちにはお誂え向きだろう」
フラの舞は好戦的な笑みを光太郎に向ける。
光太郎はニヤリと笑うと兜を脱いで文金高島田髷を周囲に晒した。
「フラの舞どん、あんさんは本当にいい男でごわすな!このような大舞台で勝負できるとは力士冥利に尽きるでごわすよ!」
光太郎は諸葛瑾から借りた鎧を丁寧に脱いだ後、いつものまわしだけの姿となる。
フラの舞も鎧を外し、均整の取れた褐色の肉体を晒した。
両者の背中から陽炎のような闘気が立っていた。
光太郎は片足を高く掲げ、大きく床を踏みしめた。ついに光太郎の完全敗北を賭けた一戦が始まる。