第百四話 相撲三国志 ~赤壁の戦い~ 立志編‼の巻
すいません。暑すぎてへばっていました。次回は七月の二十五日に間に合うように努力します。
「使いの者の無礼をどうか許してもらいたい。この通りだ」
男は両手を合わせて頭を下げる。
頭はほとんど白髪になっていたが鋭い眼光からは些かの衰えも感じさせない。
また供の者も同様に学者のような姿をしていたがピンと張りつめた背筋と堂々とした態度は武官のそれを思わせた。
フラの舞は館に招かれて、林の中の煩わしい暑さと虫の羽音から解放された理由から男に礼を述べることにした。
この辺りで先手を打っておかなければ会話の主導権を握られたままになってしまう可能性があったからである。
「こちらこそ。素性の知れない我々を館に招いて頂いて何かと助かった。俺の名前はフラの舞。アメリカ合衆国のハワイ州で力士をしている。こちらは同郷の先輩力士、スペシャル山…」
フラの舞は緊張のあまり動けなくなっているスペシャル山を紹介する。
スペシャル山は油の切れた機械のように不格好な動作で頭を下げた。
老獪な白髪の進士は破顔しながらスペシャル山に向かって頭を下げる。
そしてすぐに部下に水の用意をさせて自分が先に飲んでからスペシャル山に勧めた。
わざわざ毒見をして見せた老人の計らいに気を良くしたスペシャル山は微笑みながら盃を手に取る。
フラの舞は張昭の人心掌握の老練な手管に舌を巻いてしまった。
一方、カナダ山は頭にたん瘤を作った甘寧と一緒に鳥の丸焼きを食べて大いに盛り上がっている。
フラの舞は不謹慎さよりもカナダ山の度量の広さを羨ましく思っていた。
「時にフラの舞殿、貴方は麒麟様の使いと受け取って宜しいのか?先日ワシの枕元に麒麟様が立たれてのう。数日の間にフラの舞殿がこちらに参られると仰られたので使いの者を(ギロリッ!甘寧、鳥の丸焼きを口の中に運ぶのを止める)…出したのだが」
「ああ、俺もよく詳しくは理解していないがその認識で問題はないと思う。時にミスター・張昭、俺たちを貴方の館に招き入れた理由を教えてもらいたい。少し無作法だが、借りを作るのは嫌いでね」
張昭と呼ばれた白髪の文官は目を細めながら侍従を下がらせる。
ここから先は他言無用というジェスチャーだろうか。
フラの舞はスペシャル山に席を外してもらうように頼もうかと考えたが、張昭は首を横に振ってその必要がない事を示した。
「お恥ずかしい話ですが、我が江南の地は孫堅殿、孫策殿が亡くなられてからこのように身内をも疑わなければ無ければならなくなってしまったのです。真に嘆かわしい限り。しかしフラの舞殿、スペシャル山殿、カナダ山殿は天人の使者。漢の帝室の忠実な家臣である私がどうして疑う事ができましょうか。家人を遠ざけ、貴方様方と相対することは我が信頼の証と考えてもらいたい。いかがですかな?」
老獪な張昭は”実はコイツが美周郎(※周瑜のあだ名)なんじゃないか?”というくらい綺麗に笑った。
フラの舞はより警戒心を強め、スペシャル山とカナダ山はまんまと騙されて気を良くしている。
カナダ山はハンカチで口を拭って胸を拳で叩いて頑健ぶりを示した。
「ガッハッハッハ!そういう話なら任せておけ、爺さん!俺は大した戦績は持っちゃいないが腕っぷしと肝っ玉には自信があるからよ!もちろんお喋りなんてのは男の風上にもおけねえよな?なあ、スペシャル山、フラの舞!」
カナダ山はウィンクしながら二人を見る。
すっかり三国志の世界の人になっていた。
フラの舞は物分かりの良い好々爺然とした張昭に篭絡されてしまったカナダ山の世話をスペシャル山に任せると本題について話を進める。
(この張昭はどうにも演劇の登場人物とは考えらない。もしかすると先ほどの吊り橋の試合の時と同様に何らかのイレギュラーな事態が発生しているのかもしれないな…)
フラの舞はなるべく張昭の目を見ないようにしながら交渉を再開する。
”もしも気にかかる事があれば近き者は見るな。遠き者の声は聞くな”というラーメン山から教えられた孫子の兵法の応用だった。
「ミスター、あまり詳しく話すことは出来ないが私も用事があってここに来ている。時間に余裕があるわけでもない。説明は手短に頼む」
「承知いたしました、フラの舞殿。実はこの数日の間に隣の荊州では貴人が続けてお亡くなりなられ、我が江南も慌ただしくなる始末。おまけに混乱に乗じてけしからん狐狸の如き盗人が入り込んでしまったようでして…」
張昭は芝居がかった様子で特に盗人という部分を強調する。
三国志の話になぞらえれば荊州を逃れてきた劉備の事だろう。
フラの舞たちも柴桑の地で孫権の家臣たちと一触即発の状態になったことくらいは知っている。
次にキン星山と戦う舞台は間違いなく劉備と孫権の会見の場ということである。
フラの舞の様子を横目で確認しながら張昭の話は続く。
「その盗人は腕の立つ用心棒と口舌が達者な山師を連れていまして、江南の地で商いをしようとしているのです。本来ならば江南の守護神、周瑜将軍が首を刎ねてしまえば問題はないのですが生憎将軍は別の用事で出て行くことは出来ないのです。そこでワシが老体に鞭を打って孫権様に一言申し上げたいところなのですが、道中の護衛役をしていただけないでしょうか?」
張昭は話が終わってから念入りに頭を下げる。
「…ッッ⁉」
張昭たちの話を聞いていた甘寧は本来の護衛役である自分の存在が無視されてしまったのかと思い込んで真っ白になっていた。
(俺たちの役回りは道中の護衛ではあるまい。おそらくは城内での接見が本番のはずだ)
フラの舞は反対する様子もなく只頷く。
張昭は落胆する甘寧の尻を蹴って出発の支度を始める。
かくしてフラの舞一行は柴桑の城に張昭の護衛役として向かうのであった。
一方、一連の動向を空から見守っていた霊獣麒麟は天に散らばる雲を足場にして光太郎のいる場所に向かった。
光太郎はフラの舞同様に舞台の登場人物に導かれて孫権の重臣の一人、諸葛瑾の舘に到着していた。
演義や小説には馬面と描かれていた諸葛瑾だったが、本人は普通の線の細い美男子だった。
当の諸葛瑾といえば光太郎たちを出会った時から恐れながら見ている。
というのも同行した羽合庵を追い出そうとした兵士が一喝されて気絶してしまったからである。
さらに諸葛瑾は光太郎たちは天からの使者と麒麟から聞いていたので神の怒りに触れてしまったのではないかと怯えていたのだ。
現在も羽合庵の頭からは湯気が立ち上っていた。
「ところで諸葛瑾どん。おいどんは何をすれば良いでごわすか?羽合庵師匠の機嫌が戻るにはもう少し時間がかかるので、それまでは我慢して欲しいでごわす」
光太郎は羽合庵の様子を見たが両手を組んだまま背中を向けている。
美伊東君が機嫌を直すように説得しているが、数時間を費やすことになるだろう。
諸葛瑾は頭を垂れつつ恐縮しながら話を続ける。
「こちらこそ、もうしわけない。少し前の話になるが先の大将、孫策様が暗殺者の手にかかって亡くなられてからは兵たちも何かと激し易くなっているのです。どうかお許しあれ、羽合庵様」
「フン。私の浅黒い肌の色で差別を受けるのは慣れているが、問答無用で拘束しようとしてきたのはそちらの方だ。次に無礼な真似をすれば光太郎と美伊東君を連れて出て行くからな」
羽合庵も口で言うほど怒ってはいないだろうが諸葛瑾は必要以上に彼を恐れるようになる。
不祥事続きに加えて、天人の使者の機嫌を損ねるようなことになれば江南の命運はさらに暗くなってしまうと諸葛瑾は考える。
美伊東君はすっかり縮こまってしまった諸葛瑾を憐れに思い、羽合庵との間に立って仲介役となることにした。
おそらくこの中では精神年齢が一番上なのかもしれない。
「まあまあ。羽合庵、そろそろ怒りを収めてください。諸葛瑾さんも引っ込みすぎると話になりませんよ?それでウチの若にどういうご用件があるのか教えてくれませんか?」
「…フン、どうせ私は時代錯誤な老人だ。話が終わるまで部屋の隅でおとなしくしているさ。美伊東君、後の事は任せたぞ」
羽合庵は鼻息を荒くしながら部屋の中を見て回っていた。
美術品の類に興味は無かったが時間を潰す方法が他に思いつかなかったというのが主な理由である。
諸葛瑾の部屋にある壺や皿などを鑑賞したが何も得るものは無かった。
羽合庵が相撲以外の事物に興味を抱く事など在りはしないだろうが。
諸葛瑾は羽合庵の興味が美術品に移ったところで美伊東君との話を再開する。
「キン星山様、美伊東君殿。お話というのは他でもない私の愚弟のことなのです。あの穀潰しときたら、よりにもよって劉備に仕えるなどと言い出して…。とにかく一度、うちの弟に会って”劉備は君子の器ではない、ただのやくざ者だ。おとなしく故郷に帰って真面目に働け”と言ってやってください。本物の天人の使いの言葉ならばあの怠け者も信用することでしょう。もし口答えしようものなら、羽合庵様がやってようにバチンと一発張り倒してかまいませんから!」
諸葛瑾はかなり憤っていたらしく雅やかな顔が真っ赤になっている。
拳を振り上げ、地団駄を踏む始末。光太郎と美伊東君は顔を見合わせてから当然のように諸葛瑾の弟の正体について尋ねることにした。
「あの諸葛瑾どん。…もしかしてあんさんの弟といのは諸葛亮さんではないのでごわすか?」
光太郎が気後れしながら諸葛亮の名前を出すと諸葛瑾は吃驚仰天といった様子で固まってしまう。
光太郎がガチガチに固まってしまった諸葛瑾からの返答を待っていると美伊東君が肘でわき腹を突っついてきた。
「若、駄目ですよ。諸葛亮さんは今の時点では無名の方ですから…。ホラ諸葛瑾さん、驚いて何も言えなくなってる」
諸葛瑾はあんぐりと開いた口を手を使って強引に閉じた。
そして今まで見たことがないほど興奮しながら光太郎と美伊東君に詰め寄る。
美伊東君の推察通り、諸葛亮は無名の識者であり孫家に仕えてそれなりの地位を持つ諸葛瑾にしてみれば悩みの種でしかなかった。
だがそれでも諸葛瑾は弟が天人に名を知られているという事に感動して涙を流している。
「おおお…ッ‼最初は天人の使者などと半信半疑だったが、今私は理解した!キン星山様、美伊東君殿、羽合庵様…ッ‼あなた方はやはり天人の使者だッ‼あの口から屁理屈しか出て来ない愚弟、亮の名前を知っているとは‼これを機と言わずして何と言おうか‼是非とも舘の座敷牢に入れている私の弟にあって”おまえは詐欺師に騙されているだけだ!”と怒ってやってください!」
その後、諸葛瑾が泣き終わるまで光太郎たちは彼が自分の弟の将来をどれほど心配しているかについて聞かされた。
光太郎はついこの間までの自堕落な自分の事を言われているようで良心がとても傷んだ。
さらに美伊東君と羽合庵は視線に「お前の事を言っているんだぞ」という意思を乗せる。
ザクッ!ザクッ!
試合前から光太郎は精神にダメージを受けてしまった。
そうこうしているうちに諸葛瑾は自信を取り戻し、自分の舘の離れにある倉庫に三人を案内する。
この頃には羽合庵への恐怖心も薄れて逆に尊敬の眼差しを送るようになっていた。
羽合庵は彼の心境の変化に同情しながらも居心地の悪そうな顔をしている。
やがて光太郎たちが入り口に立つと諸葛瑾は衛兵に旨を伝え、建物の中に案内した。
諸葛瑾は建物の内部を真っ直ぐ行くように案内する。
急ごしらえの牢屋らしく敷地を隔てる柵のようなものがいくらかはあったが奥の奥の牢に入っている二人の男以外には囚人はいなかった。
囚人の一人は地面に寝そべって高いびきを上げている。
もう一人は諸葛瑾の姿を認めると一気に立ち上がって怒鳴りつけた。
「諸葛先生、これは一体どういう事だ!何故我々が虜囚の辱めを受けねばならぬ!今は江南の勢力が手に手を取って結束する時!その為ならばこの魯粛、死をも厭わぬ!」
「黙らっしゃい!如何に周瑜将軍からの信頼が厚い貴方といえど、これ以上家中を騒がせるような真似をするとその報いを受けることになりますよ!そして亮、お前はいつまでそうして寝ているつもりだ!」
怒声の主は、やたらと濃いラテン系の顔つきの男だった。
諸葛瑾は魯粛と寝そべっている男に睨みつける。
かくして光太郎たちは孫呉の家臣たちの争いに否応なく巻き込まれるのであった…。