第百三話 第二の霊獣、麒麟登場‼の巻
次回は七月の二十日に投稿する予定でごわす。毎度遅れてすいまないでごわす。
「二敗か。想定内の結果とはいえ直に聞かされると辛いものがあるな」
羽合庵は眉間にしわを寄せながら腕を組んでいる。
これで光太郎を怒鳴ろうものならまだ救われるのだろうが羽合庵の声には”責任は自分にもある”といった憐みの情も含まれたいた。
光太郎は拳を固く握りしめ、口を真一文字に結ぶ。
しかし美伊東君は光太郎と羽合庵の予想に反して今こそが反撃の機会であることを訴える。
光太郎専属の軍師は何かと理詰めで、理想論に奔走し易い性格だが勝てない戦いをするような無謀さを持ってはいない。
羽合庵と光太郎は固唾を飲んで美伊東君の話を聞く事にした。
「羽合庵、若。考えようによっては今の状況は千載一遇の好機かもしれませんよ。今の慢心とは程遠いフラの舞ならば不意打ちが効果的かもしれません」
「それは危険すぎる賭けだな、美伊東君。今の私には、あらゆる面で光太郎を凌駕するフラの舞に今さら奇策が通用するとは思えん。慢心を捨てたとあれば尚の事と思うが?」
羽合庵はやや呆れた様子で答える。
光太郎は美伊東君を見つめながら首を何回か縦に振っていた。
しかし美伊東君は気勢を止めず、持論を曲げるどころか語気を増して展開する。
「羽合庵、いいですか。僕に言わせればそこがフラの舞の慢心なのですよ。彼は確かにラーメン山との修行で絶大な力と自信を勝ち得たのかもしれない。だけどそれは本来、彼が持っていたものを再確認したにすぎない。あえて言わせてもらいますがね。本当の勝負というものはその先にあるんじゃないでしょうか?」
美伊東は光太郎の目を見つめる。
光太郎は目から鱗が落ちる思いで美伊東君の話を聞いていた。
確かにフラの舞は複雑な出自から伸び悩んでいたが、元はアメリカの相撲界の王者となっていてもおかしくはない逸材だ。
キャリア的に考えれば光太郎の相手など片手でしても誰も異論は唱えないだろう。
だからこそ考えてしまう。
彼は今も己の勝利を当然の物として考えているが故に、光太郎と全力の死闘を演じているのではないか。
物語の主人公のように苦節を経て勝利する。
ある意味、真理には違いないが最も真実に程遠い代物だろう。
この時、光太郎は総毛立つ。そ
れは見下されたという怒りから来るものではない。
ここに来て、不明だったはずの勝利が見えていたのだ。
(おいどんは何という恐ろしい軍師を傍らに置いていたのでごわすか…。美伊東君、改めて君を敵に回さずに済んだ天の采配に感謝するでごわす)
光太郎は心の中で美伊東君に頭を下げる。そして、その時偶然にもフラの舞を倒す勝利の構図を閃いてしまった。
「美伊東君。次の戦いで、おいどんはフラの舞を背後を取ろうと思うのでごわすが…」
そこまで言って光太郎は言葉を止めてしまう。
無謀な策だ。
あまりに無謀すぎる。
光太郎の数倍の運動神経を持つフラの舞の五感をかいくぐって背後を取るなど今の光太郎には不可能な芸当だろう。
だが、その震える背中を羽合庵が押した。
「光太郎、それは良いアイディアだ。フラの舞はヤツの父ワイキキの浜と同じく正面から敵と戦うことに執着する悪い癖がある。たしかに背後を取るなど力士としてはあるまじき行為かもしれんが、既に結果の見えたような勝負だ。ブーイング覚悟でやってみろ。…私は失敗するのに明日のランチのロコモコを賭けてもいい」
羽合庵の不慣れなジョークに光太郎と美伊東君は失笑してしまった。
光太郎の師として気を利かせたつもりがとんだ不評だった為に羽合庵は不満そうな顔をしていた。
美伊東君は話を進める為、やや強引に引き締まった表情で光太郎の背後を取る作戦について切り出す。
「若の背後を取るという作戦には、僕は賛成です。次の試合でもフラの舞は次の試合でも一切の妥協なくこちらに挑んでくるでしょう。ですが、あのラーメン山から散々言われているでしょうから絶対に”キン星バスター投げ”と”崖っぷちのど根性”は使わないでしょう。ラーメン山はフラの舞に二つのキン星山の奥義を授けましたが、逆にこれを使わせないことで修行を完成させたのです。ラーメン山こそ恐るべき力士ですよ、若。話を戻しますが、フラの舞に奥義があくまで奥義を使わないならこちらが使っても問題はないはずです」
美伊東君は光太郎、羽合庵の順に見た。
羽合庵は脳天を雷鳴に打たれたような愕然とした表情に、光太郎は一瞬で今までのフラの舞との激闘を思い起こし今がその時であることを確信する。
美伊東君は二人の期待通りの反応を見て会心の笑みをもらす。
「安易な発想だ。危険だ、あまりにも危険すぎる。だが、それだけに否応ない説得力がある、美伊東君。仮に光太郎がフラの舞を上回る場面があるとすればそれしかあるまい」
羽合庵は目の前の小柄な青年と自身の出した途方も無い結論に戦慄する。
それは欠けていたジグソーパズルのピースが見出した瞬間にも似ていた。
「ええ。ですからほんの一瞬で良いんです。フラの舞の自信を揺るがすことが出来れば彼は二つの奥義を使わざるを得ない局面に遭遇する。これはもう時間との勝負ですよ、若」
フラの舞が次の光太郎との試合でかつてない脅威を感じた時、彼は必ず二つの禁断の奥義”崖っぷちのど根性”と”キン星バスター投げ”を使うことを選択肢の中に入れる。
その時、昨日光太郎と羽合庵と美伊東君が見出した奥義の弱点を突くという逆転の秘策を使う機会がやって来るのだ。
「まずは”崖っぷちのど根性”でごわすか…。今のおいどんにどこまで力を引き出すことが出来るのか…」
光太郎は両手の拳を握りしめ内なる気の在り処を探った。
”崖っぷちのど根性”を起動させるのは体内を駆け巡る気の根源を探ることが肝要である。
初代”キン星山”は”崖っぷちのど根性”を直接、後世に残さなかった事には幾つかの理由が存在する。
その一つが肉体の潜在能力とさらにそれ以上の力を引き出してしまうことにあった。
一時の試合で勝つ事が出来るかもしれないが、使った者が確実に命を落としてしまう魔の技を残す価値は果たしてあろうか。
光太郎は丹田に集まった気を感じながら目を閉じる。
(ご先祖様、もうしわけないでごわす。だがおいどんは何としてもこの戦いに勝たねばならんのでごわす)
一呼吸した後、光太郎の燃え尽きかけた命のロウソクに火が灯る。
ロウが溶けてドロドロになった命のロウソクは再び己の身を費やしながら戦いの場に立つべく炎の闘志を燃やし続ける。
例えこの場で死すとも、海星光太郎の生涯に悔いは無かった。
一方、フラの舞はかなり離れた別の場所で腰を下ろしていた。
現実世界にいるスタッフから椅子を借りてきたスペシャル山の持ち物である。
フラの舞の周りでは応援に駆けつけたカナダ山とスペシャル山がタオルを振って体を冷やしていた。
フラの舞は無言でスポーツドリンクを口に含み、吐き出している。
極限の疲労からまだ喉の奥に水分を入れる気分にさえなれなかったのだ。
「フラの舞よ、ちょっといいか?」
カナダ山は疲労の極みにあるフラの舞を心配しながら尋ねる。
先ほどまで会場のスクリーンでキン星山との死闘を見ていたので今のフラの舞のコンディションはある程度まで理解しているつもりだった。
フラの舞はかすれた声で「かまわん」とだけ返してきた。
「俺のようなお前より圧倒的に勝ち星の少ない俺からアドバイスなんか聞きたくはないだろうが…。フラの舞よ、次の試合はヤツに花を持たせてやれ。この試合どう考えてもお前の勝ちだ。今は少しでも回復して次の戦いに備えるべきじゃないのか?」
カナダ山は恐縮して頭を下げたままでいる。
本来ならばフラの舞のようなプライドの高い男に伝えるべき助言ではない。
「一回戦ボーイが何を言っている?」と小馬鹿にされるのがせいぜいだろう。
だが、今のフラの舞は違った。
残量ゼロに近くなった体力を絞り出しながら力強く語った。
「甘いな、カナダ山。俺はマグレで勝ち星を二つばかし拾っただけだ。油断すればすぐにでもキン星山に全敗してしまうだろう。この先のトップを競う戦いとは常にそういうものだ」
(今ならば理解できる。現役時代、ライバル不在で迷走した親父の気持ちが…。親父の死の直前に対戦を受けた羽合庵の気持ちが、痛いまでにわかる。俺とキン星山は力士だ。戦う事でしか何かを伝えることは出来ない)
フラの舞はこみ上げる嗚咽を堪え、浮かんだ涙を全て拭い捨てた。
彼の心情を察したカナダ山とスペシャル山はフラの舞から目を逸らしていた。
「だけどフラの舞、準々決勝の事を考えるなら体力の管理は尚更考えなければならないと思うよ。そういう意味でも審判に敗北宣言を出すべきじゃないかな。今回の試合形式は試合会場を移動する時に結構な休憩時間があるみたいだからね」
スペシャル山もフラの舞に休息を優先させるよう勧める。
彼らとてフラの舞の実力を疑っているわけでも、光太郎の実力を低く見ているわけではない。
ただ身を削るような戦いを続ければフラの舞が重傷を負って相撲が続けられなくなる最悪の事態を心配した末の結論である。
大柄なパワーファイターが活躍するアメリカ角界において力士たちが引退を余儀なくされる凡例の一つだった。
だがフラの舞は頑として是を受け入れず首を横に振るばかりだった。
「お気遣いは有難く受け取っておくが、それではキン星山に失礼というものだ。俺は今回も予定通りに全力で挑むとしよう」
フラの舞は椅子から立ち上がり周囲の変化に気を配る。
そろそろ次の舞台演目が始まる頃合いだった。
おそらくはラーメン山の召喚に答えた幻獣が現れて次の闘技場を目指すことになるだろう。
フラの舞の変容に違和感を覚えた二人もタオルをスポーツバックに収納し、休憩用の椅子を折りたたんだ。
頭上から己らを白雲を纏う見事な龍馬の姿に驚嘆し、心を奪われた。
龍馬の名は麒麟、五霊と呼ばれる高位の幻獣の一体である。
「お初にお目にかかる、フラの舞殿。我が名は麒麟、ラーメン山の召喚に応じて今回の赤壁相撲の見届け役となった。以後ヨロシク」
とメガテンの仲魔のように挨拶をする。
フラの舞は内心は驚き慌てながらも冷静に頭を下げた。
麒麟は目を細めて返礼に応じる。
野生動物は皆恐いと思っているスペシャル山と馬が苦手なカナダ山は緊張のあまり身動き出来なくなっていた。
「それで麒麟殿、次の赤壁相撲の舞台となる場所はどこなのでしょうか?」
フラの舞は休憩場所として使っていた林の中から一歩出て周囲の風景を確認する。
生えている植物の種類、温度はフラの舞の故郷である南国のそれに近いものとなっていた。
フラの舞は赤壁の戦いの内容についてはラーメン山から聞いていたので現在地は長江より南に位置する場所だと当りをつけていた。
一方、麒麟はフラの舞の明察な推理を好感を得たようで自然に頷いている。
「劉備の新しい軍師、諸葛亮が呉の重臣を相手に弁舌で立ちまわる柴桑の地こそが次なる赤壁相撲の舞台だ。ご察しの通り、もう君のところに孫呉一の石頭の爺さんがやってくるよ」
麒麟はそう言ってから霞のように姿を消してしまった。
この戦いに挑むもう一人の力士、キン星山の元に向かったのだろう。
フラの舞は感謝の意を表して会釈する。
麒麟の姿が見えなくなってすぐに事態の説明を求めてカナダ山たちがフラの舞に近づこうとした時、草木をかき分けて髭面の如何にも柄の悪そうな男が手下を連れて現れた。
腰には鞘に収まった曲刀を下げている。
髭面の男は部下たちをその場で待たせてフラの舞のところにやって来た。
男は拳に手を合わせてフラの舞の前に立った。
「もしや貴方様は、霊獣様のお使いでフラの舞様で間違いないでしょうか?」
髭面の男は如何にも慣れない丁寧な言葉を使っているという様子でぎこちない笑みを浮かべていた。
フラの舞は挨拶を返す代わりに頭を縦に振る。
「如何にも、俺はハワイの力士、フラの舞。こちらはチームメイトのカナダ山とスペシャル山だ。無作法を承知でお尋ねするが貴方の名前を聞いてもいいだろうか?」
「これは失礼、先に名乗るのを忘れちまったぜ。俺の名は甘寧。この先に張昭様っていうすげえ頑固ジジイがアンタを待ってるんだ。手荒い真似は絶対にしねえから、ついて来てくれないか?」
男は後半、悪役のような笑い声を出しながら手招きしている。
フラの舞はこの時、目の前の甘寧よりも彼の示す方向から漂う怒気の塊に注意を払った。
そうこれは子供の頃に他人に無礼を働いたフラの舞に対してワイキキの浜が激怒した時に放つそれによく似ていたのだ。