第九十九話 気炎万丈、夏侯惇見参ッッ‼の巻
時間がかかったわりには進展がない、わけのわからない話になってしまいました。すいません。次回は六月三十日に投稿する予定です。
張り手、鉄砲、ぶちかましの応酬が続く。
ぶつかり合い、後退してからまた一気に駆けだしてはぶつかり合う。
そして肉体が爆ぜ散った。
わずか一瞬で光太郎の皮膚は紅き花が咲く。
皮膚が打たれて裂けて、そこから出血したのだ。
光太郎は己の無謀を悔いる瞬間さえも与えられず、張り手の猛火に晒されることになった。
ここまで追い詰めてもフラの舞は一向に攻撃の手を休めることはない。
なぜならば今のこの状況も光太郎が導き出した局面の一つにすぎないことを、フラの舞は既に知っていたのだ。
キン星山の奥義”へのへのもへじ投げ”の真価が発揮されている瞬間でもあった。
フラの舞は試しついでに己の優位を確実なものにする為に土俵の際へと光太郎を負い込もうとする。
しかし、必殺の猛攻を光太郎は易々と躱して足さばきのままに双方の位置を取り換えてしまった。
「実にCHEAPな技だな、キン星山。どうせ足掻くならもっと気の利いた技はないのか」
フラの舞は土俵を深く踏みしめながらやや強引に位置を入れ替え直した。
土の上に作られた轍が、彼の歩みの力強さを物語る。
光太郎はフラの舞にとってやや有利な間合いを嫌ってさらに距離を置く。
あくまでフラの舞にとって不利な状況を作り出すように最大限の努力をしていた。
(実際、もう手は残されてはおらんでごわすよ…。美伊東君はこれから先はフラの舞レベルの力士との対戦は避けられんと言っておったがのう…)
光太郎は目を細めてフラの舞の張り手をパパッと横に流した。
美伊東君は最初からフラの舞と速度で競うことになれば光太郎が絶対に負けてしまうことを知っていたので代わりに最初からヤマを張っておいたのである。
光太郎は体力が限界に近くなっていることを感じながら丁寧にフラの舞の張り手を防ぎ続けた。
「おいどんは最初からあんさんに勝てるような器ではないでごわすよ、フラの舞どん。この”火山”の型とて羽合庵師匠の猿真似…」
そう言って光太郎は前面に両手を出して”火山”の構えを取る。
その姿は以前に比べ頼りなく、いつ倒れてもおかしくはない疲弊した姿だった。
フラの舞も”火山”の構えで光太郎の挑戦を受ける。
この時フラの舞の本能は今の残された体力がゼロに近い状態の光太郎こそが最も危険であると判断していた。
かくしてフラの舞の微塵の容赦さえ無い猛攻が始まる。
「キン星山よ、お前にくれてやる勝利など無い。ここでその四股名ごと潰れろッッ‼」
フラの舞は気合と共に火山弾の如き張り手を光太郎の全身に見舞った。
光太郎も負けじと張り手で応酬するがすぐに押し切られてしまう。
下から上に迫る張り手を弾いた直後に反対の手で右の頬を張り飛ばされた。
しかしここで意識を失えばフラの舞の勢いはさらに増して土俵の外に押し出されてしまうことだろう。
光太郎は何度も打たれながらも決して後退することは無かった。
フラの舞は対戦相手の粘り強さに賞賛を送りながら”仕上げ”にかかる。
それは重心を落とし、左右の手を相手に向かって一気に前進する必勝の技”両手突き”だった。
”若、フラの舞が見誤りましたよ。この樹を逃さないでください”
光太郎の脳裏に美伊東君の声が響く。
「そうは問屋が卸さんのでごわすよ、フラの舞どん。ここからが男、海星光太郎の見せ場でごわよッ‼」
光太郎は身体を左に向けて両手突きが狙った身体部位を避けた。
同時に顔面をフラの舞の額にぶつける。
通常の戦いならば力士の特に固い額に顔面をぶつけるのは自殺行為にも等しい。
頭骨の中でも額と頭蓋は頑強な構造になっているからであり、大して顔面は鼻や口、目といった複雑な構造を持つ器官がついているので前述の二例よりも繊細な構造となっている。
さらに相手が力士ならば思い切り当たれば鉄柱を曲げるほどの武器と化す。
言うなれば槍(フラの舞)とガラス細工(光太郎)の衝突。
フラの舞はこの時不覚にも光太郎が血迷って暴挙に出たと考えた。
しかし…ッ‼
「…キン星山、お前ってヤツはどこまで馬鹿なんだよ‼」
伊達臣人が吼えた。
三面拳、相撲塾の一号生、そして雲吞麺も壮絶な相討ちを固唾を飲んで見守る。
光太郎は鼻を潰され血を出し、フラの舞は首をのけぞって後退している。
光太郎の覚悟と決意がフラの舞の盤石の策を上回った証だった。
それは技の威力とも言えぬような一撃だったが、勝負の流れは大きく変わる。
光太郎はすぐさま地面を蹴ってフラの舞のまわしを取って圧し掛ける。
「甘いな、キン星山。…DOGFIGHTならばともかくBULLFIGHTで俺に勝てるつもりか?」
フラの舞はポーカーフェイスを崩さずに光太郎の真っ向勝負に応じた。
既に彼の中では緊張や焦りは消え失せて、この状況を受け入れている。
フラの舞と光太郎では身長、体重といった基本的な部分で既にフラの舞は大きく差をつけていたのだ(但し、フラの舞はアメリカ勢の中ではテキサス山同様に軽量級に属する)。
フラの舞は光太郎の突進を体で受け止めてから、ゆっくりと足腰を使って前に押した。
一見して単純な戦法に見えるが普通の相撲でもこれが一番強い行動となる。
案の定、光太郎はゆっくりと後ろに押し返される。
「フラの舞どん、あんさんこそ忘れているのでごわすか。今からおいどんが使うこの技は、これはあんさんの親父さんの得意技でごわすよ」
光太郎は両腕に渾身の力を込めてまわしを掴んだ。
足の指を鉤爪のように土俵に食いつかせて地面を固定する。
これぞハワイ相撲、第二の奥義”嵐”。
光太郎はまず腕の力だけでフラの舞を右に投げた。腕力だけでフラの舞の身体を持ち上げ、振り回して地面に転がす。
フラの舞は空中で身体を捻り、床運動の要領で着地する。
「これは…”嵐”かッ‼キン星山、つくづく小癪な真似をしてくれるッ‼ハワイ王者の俺にハワイ相撲で挑むというのか‼」
「能ある鷹は何とやらでごわす。さあ、これで仕切り…ぐあっ‼」
フラの舞は怒りの形相で光太郎に突っ込んできた。
先ほどの何倍もの速さで張り手を打つ。
光太郎はこれを叩き落として防ごうとするがフラの舞は一気に距離を詰めてまわしを取った。
そして抱え込むように身体の左側に向かって投げた。
だが光太郎は地面に左足を残してフラの舞が仕掛けた投げを凌いだ。
光太郎、フラの舞の両雄は一歩も譲る気配を見せない。
そんな二人の姿を見ながら雲吞麺は胸中に渦巻く不吉な予感を口にする。
「キン星山よ、お前はまだわかってはいないようだな。この試合は普通の相撲の試合ではない。伝説の決闘…赤壁相撲なのだぞ?」
「そりゃあ一体どういう意味じゃい、雲吞麺のおっさん!」
雲吞麺の不吉な呟きに虎丸が反論する。
雲吞麺はそれまで組んでいた両腕を解き、特設リング…ではなく土俵の向こうに見える流民の一団を指さした。
彼らは光太郎とフラの舞の戦いが始まったのとほぼ同時に吊り橋を渡ったのだが魏軍の追撃から逃れるほどの距離を移動してはいない。
仮に魏軍の増援が到着することになれば全滅してしまうことだろう。
「見ての通りだ、虎丸よ。長坂の戦いでの隠しルールとは逃亡する民草の命を守ることにある。もしもこのまま勝負が長引けば魏の騎馬軍が到着し、民草たちは皆殺しにされてしまうだろう。そうなればキン星山とフラの舞は神々の怒りを買い、両方とも負けとなってしまうのじゃ」
雲吞麺は首を大きく横に振った。
その間にも光太郎はフラの舞の攻撃を封じ込めながら一矢報わんと懸命に戦い続ける。
得意のハワイ相撲を逆手に取られて反撃を許したフラの舞は頭に血を登らせて猛攻撃を繰り出していた。
この場合、二人が周囲の変化に気がつくことが出来ないという状況が何よりの問題である。
「何を言うとるんじゃ、オッサン!そうなればワシら相撲塾一号生が総出で外野を追い払ってやるわい!のう、富樫!」
「当たり前じゃ、虎丸よ。義理人情を欠いては土俵の上に立つ資格無しじゃ!」
虎丸は筋肉がついた太い腕を振り回し、富樫は学帽をかぶり直して気合を入れる。
ジェイはその場で数回、飛んで軽い調整を始めていた。
他の面子も臨戦態勢に入っていたが三面拳の飛燕だけは違う様子だった。
「お待ちください。虎丸、富樫。もしや雲吞麺の言う隠しルールとは一つではないのかもしれません」
「それはどういう意味だ、飛燕?」
伊達が二人よりも先に口を開いた。
もっとも伊達の場合、虎丸と富樫とは違って答え合わせの意味合いで尋ねたのだろう。
虎丸と富樫は先を越されて何故か悔しそうにしていた。
「伊達殿、私とて確証があるわけではありませんが”歴史の再演”というものが赤壁相撲のルールに含まれているのではないでしょうか?」
ぺっ。
伊達は地面に向かってツバを吐く。
飛燕の言葉の意味を理解した証拠でもあった。
史書によると長坂の戦いにおいてもっとも失われたのは民草の命だった。
非情の世界で生きていた伊達臣人とて弱者が無残に殺されることを見過ごすことは出来ない。
「落ち着かれよ、伊達殿。力を持たぬ者が為政者の都合で殺される事に憤りを感じる事は致し方無いだろうが、これは赤壁相撲の一部。現実では御座らぬ」
雷電が伊達の怒りを諫めようと必死の形相で前に立った。
伊達臣人は余人に冷酷非情、極悪非道と謳っていても根幹を為すものは紛れも無く武侠の仁義である。
仮初の世界の出来事であると民草が惨たらしく殺されるなど見過ごすはずがない。
(やれやれ。俺ともあろう者がずいぶん相撲塾に毒されてしまったのだな)
雷電の死をも恐れぬ覚悟を目にした伊達は自嘲気味に笑う。
雷電は頭を下げながら一歩下がった。
ここで伊達の怒りにふれた雷電が討たれようものなら止めに入ろうと考えていた剣桃太郎は安堵していた。
かつては敵として戦った雷電と伊達は唯一無二の仲間である。
どちらも失うわけにはいかない。
「雷電、伊達殿。そして剣殿。どうやら我々にとっての待ち人が現れたようだぞ。向こうを見られよ」
月光が後方から土煙を上げながら接近する兵馬の群れを(たまにはゴルフクラブの代用品としても使う)棍で示した。虎丸と富樫はすぐに確かめようと走り出そうとしたが先回りしていたジェイに止められた。
ジェイはフライ級のボクサーのジャブさえウィービングで回避する(絶対無理)卓越した視力で煙の向こうにいる武人の正体を見破っていたのだ。
大気を震わす鬼神とも見紛う苛烈な闘志。
戦場においては常に先頭に立って、刃と矢の的になった百戦錬磨の勇将。
腰を飾る天下の名刀、北斗七星剣(持っていたという記述は無い)が暗夜を切り裂く月光のように輝く。
そして隻眼。
「NO…ッ‼あれは魏軍の総大将、夏侯惇ッッ‼まさかこんな場所で出会うとは…ッ‼FANTASTIC‼」
この時、一堂はジェイのディープな三国志の知識の豊富さと「月光って目が見えないとか言ってなかったっけ?」という二つの疑問が頭の中を占めていた。