第九十八話 打つ手なし。されど倒れず‼の巻
次回は六月二十五日の投稿になります。
光太郎は土俵の上に立つフラの舞を見る。
第一戦、そして先の兵士たちとの戦いで消耗した様子は見られない。
しかし、光太郎の方は段々と疲労の度合いが増えていた。光太郎はスポーツバッグの中から水筒を取り出し、水を口に含んでからすぐに出した。
フラの舞は光太郎の現状など一顧だにせず立ち尽くすばかりだった。
光太郎は深呼吸をした後、スポーツバッグに水筒を戻してから土俵に入る。
自分の都合で手間をかけさせてしまったので軽く頭を下げた。
「フラの舞どん、おいどんが土俵に入るまで待っていてくれてありがとうでごわす。恩に着るでごわすよ」
フラの舞は右手を払い、礼など無用という合図を送る。
実際、光太郎よりも早く試合場に到着した時に準備は終わらせていたのだ。
光太郎は返礼のつもりで力強い足取りで土俵に入る。
身体の節々に痛みを覚えたが気力で抑え込んだ。
一度、土俵に入れば弱音を吐くことは許されない。それが力士というもの。
光太郎は高く足を上げ、四股を踏んで己の健在ぶりをアピールする。
フラの舞は両腕を解き、低い位置に構える。
(キン星山は間違いなくアレを狙っている。だが俺もこの数日のトレーニングでアレの仕組みは解明済みだ)
アレとは即ちキン星山の四股名を受け継ぐ力士が使う肉体の潜在能力を引き出す技、その名も”崖っぷちのど根性”。
海星光太郎のみならず、フラの舞もまた先々代のキン星山”海星翔”の血を受け継ぐ力士だった。
海星翔は外国人の血を引いていた為に正式のキン星山を名乗ることを許されなかった。
あまつさえスモーデビルとの戦いに敗れ、ハワイ島まで逃れた後に隠居したとフラの舞は聞いている。
彼の名誉を回復させた人物こそ父ワイキキの浜であることを、フラの舞は先日生まれて初めてラーメン山から聞かされた。
(キン星山、海星光太郎よ。今となってはお前との戦いに俺は宿命さえ感じている。海星翔とハワイ相撲こそが最強であると俺が証明してやる‼)
しかし、そこでフラの舞は昂る己の血流を抑え込んだ。
ラーメン山曰く”崖っぷちのど根性”とは下手をすれば使い手を自滅に追い込みかねない魔の技。
フラの舞は両手を揃え、身体の前に置いてキン星山を待つ。この構えこそハワイ相撲の基本の型の一つ、”蒼天”だった。
光太郎はフラの舞の姿を見た瞬間に冷や汗を流す。
美伊東君、羽合庵が想定し得る最悪の展開だった。
二人のアドバイザーはフラの舞は派手な戦いを好み、常に圧倒的な優勢で勝とうとする傾向があると話ていた。
仮にラーメン山との修行でその弱点を克服していた場合はフラの舞が攻勢に出てくるまで耐えるしかないと美伊東は言っている。
かくして光太郎は己の身一つでフラの舞と戦う事になった。
極度の緊張状態の為か汗がやけに冷たく感じられる。
光太郎は最初にフラの舞に正面から挑みかかる。
心技体あらゆる面で光太郎に勝るフラの舞に対して効果的ではないと思われる戦法だが、意外にもフラの舞に先手を取ることが出来た。
光太郎は素早くまわしを掴んで前に引き寄せる。
フラの舞は光太郎の奇襲を警戒していたので対処が遅れる。
光太郎はまわしを掴む手に力を込めて何とかフラの舞の得意とする速攻を封じ込めにかかった。
二人の力士が陣地の取り合いをする度に、土が巻き上がった。
光太郎はフラの舞に有利な立ち位置を作らせまいと、フラの舞はひたすら食い下がる好太郎を引き放そうと四方八方に手を尽くす。
しばらくの間、好太郎とフラの舞はその場を一歩も動けずにいた。
「ぬう…ッ‼やはりラーメン山の言う通り、正面からのぶつかり合いともなればキン星山の不利は動かせないということか…ッ‼」
雲吞麺は土俵の外から観戦しながら歯を食いしばる。
素人目には互角の戦いだったが、力士の雲吞麺から見ればキン星山とフラの舞の実力差は一目瞭然である。
フラの舞は時間の経過と共に有利な体勢に移行して今や光太郎は土俵の外に押し出されようとしていた。
光太郎は今のフラの舞の突進を正面から支えてかなりの体力を消耗している。
フラの舞は光太郎に体力回復の機会を与えまいとまわしを掴む手を左に切った。
ザザッ‼
光太郎は引き倒しによく耐えてフラの舞との距離を縮める。結果としてフラの舞に体勢を整える機会を与えることになってしまうが逃げられるよりマシな状況だった。
距離を開ければフラの舞の十八番の”火山”の型に持ち込まれ防戦一方の展開となることは必至だ。
光太郎はまわしを掴んでフラの舞を引き寄せ、決して自由にさせないように努めた。
光太郎のいじましい食い下がり方を見た伊達が吐き捨てるように言った。
「ケッ。情けねえな、仮にも日本代表ともあろう男が。いつまでベタベタとくっついているつもりだ。どうせ負けるならさっさと負けて来い」
いつまで経っても埒の空かぬ戦いに伊達は苛立ちを覚えていた。
今や互角の勝負は終わり、後はフラの舞がまわしを取ってしまえば光太郎は土俵の外に押し出されてしまうことだろう。
(俺ならばゼロに近い勝機に全てを賭けて打って出るぜ。キン星山よ、お前はなぜそうしないのだ。手を伸ばさなければ何も掴めはしないんだぜ)
伊達は歯噛みしながら土俵際に追い詰められている光太郎を見つめていた。
「伊達殿、キン星山はフラの舞が仕掛けてくるのを待っているのだ。決して臆病風に吹かれているわけではない」
雷電が伊達の内心を察して口を開いた。
伊達は視線を逸らして奥に引っ込む。
雷電の隣には虎丸と富樫が伊達の身を案じるような目で見ている。
腹心の三面拳は温い感情を表に出すことは無かったが虎丸と富樫は放っておけば今すぐにでも寄ってきそうな気配だった。
「余計な世話を焼くな、雷電。俺は何もキン星山に肩入れしているわけじゃない。決着がつくのが遅れるほどに闘技場の仕掛けが作動するんじゃねえかと思っているだけだ」
伊達の言葉を裏付けるように、長坂の戦場にまだ張飛は到着していない。
飛燕は目を凝らして遠く眺め、周囲一帯のわずかな変化を捜そうとした。
一方、光太郎はフラの舞との距離を維持する為にありとあらゆる手を尽くす。手足の動きと位置に注意しながらフラの舞が強引に攻め込む瞬間を狙っていたのだ。
フラの舞も光太郎の思惑を知ってか”蒼天の型”を維持しながら確実に自分の有利な戦局に導いていた。
そして、フラの舞はようやく光太郎の左手の上からまわしを取ることに成功した。
会心の笑みを浮かべるフラの舞。
だがここで終わる好太郎ではない。
股の下からフラの舞を強引に持ち上げて俵投げを決めようとする。
これに対してフラの舞は至近距離からの張り手を打って投げを阻止した。
張り手を受けて光太郎はよろめきながら二、三歩下がる。
この二度と来ることはないであろう好機にフラの舞は一足飛びで前進する。
今の体力が残り少なくなった光太郎が”火山”の猛攻に晒されることになれば一気に勝負を決めることも容易ではないだろう。
「攻撃は最強の防御。そして防御こそ最高の攻撃に為り得る瞬間があるでごわすよ、フラの舞どん…」
その時、光太郎の口元にも会心の笑みが生まれた。
光太郎の強烈な右の張り手がフラの舞の頬を張り飛ばす。
続いて十数発もの張り手が出鼻を挫かれたフラの舞を襲った。
フラの舞は張り手を受けた場所を庇いながら、土俵の中央まで後退した。
この悪手、屈辱どころの騒ぎではない。ハワイの力士が日本の力士からハワイ相撲の技で追い払われたのだ。
フラの舞は怒りの炎に身を焦がしながらラーメン山の戒めの言葉を思い出す。”キン星山の弱点が試合経験の少なさならば、フラの舞お前の弱点は敗北した経験が少ないということだ”その言葉を当初は若者を戒める先達の訓示程度に考えていたが、実際はラーメン山は事実を述べたまでのことだった。
呆然とするフラの舞に向かって光太郎はぶちかましを仕掛ける。
「どおぉりゃあああああああああーーッッ‼」
フラの舞はぶちかましを素早い再度ステップでやり過ごそうとしたが光太郎はそれを許さない。
急停止してまわしを掴み、そのまま足を刈って投げる。
「よしっ!」
伊達は拳を握りしめて光太郎が窮地から脱したことに魂を昂らせる。
光太郎は敵の大きな影に怯んだのではない。いずれ来るであろう反撃の時に備えてギリギリの状態で自らの力を溜めていたのだ。
「小癪なッ‼」
フラの舞は為すがままを良しとせず左脚一本で土俵に残る。
光太郎は右腕を取ってからフラの舞の身体を今度は後方に引っ張った。
今度は腕を振り回し、体勢を崩してから前方に叩きつけるという算段だった。
(今は”逃げ”の一手に尽きるでごわす。闇雲に攻めて、フラの舞に”崖っぷちのど根性”を使わせる。それ以外の活路など…)
光太郎はフラの舞の右肘を解放し、今度はまわしを両手で取った。
そして身体を持ち上げてから地面に向かって転がす。
同時に光太郎は奥歯を噛み締めて反撃に備える。
フラの舞の左足はまだ地面から完全に離れてはいない。
フラの舞は、天性の勝負師。以前の傲岸不遜な性格の裏には数多の敵を苦もなく倒した実績があった。
「ここで諦めては海星光太郎の男が廃るでごわすよ!ぬぅおりゃああああああーーーッ‼」
光太郎はさらに投げ方を変えて相手を背負って空中に放り投げようとする。
(何たる悪手。しかし、海星光太郎。お前はよく戦った)
その瞬間、フラの舞は獣じみた笑いを見せた。形の良い顎を後方に引いてから後頭部に目がけてピストルの撃鉄よろしく額を打ち下ろす。
主審の目を欺く反則攻撃は、アメリカの相撲では観客を沸かす香辛料でしかない。
ガッ‼
光太郎は後頭部にフラの舞の頭突きを受けて大きくよろめいた。
「あの透かした野郎ッ‼何という反則をッ‼もう許せん、助太刀じゃあああーッ‼」
富樫源次によく似た男は顔を真っ赤にして土俵に殴り込みに行こうとした。
しかし、その前にアメリカの相撲レスラー警察養成機関”スーパースモーポリスアカデミー”から留学してきた男ジェイが立ち塞がる。
「STOPだ、TOGASI。アメリカ相撲ではあの程度のCROSSPLAYはROUGHFIGHTのうちにも入らない。そしてここは世界最強のスモーレスラーを決める大会、スモーオリンピック。キン星山も承知の上で戦っているだろう」
どんっ。
富樫はジェイの鉄板のように硬い胸板を叩く。
そして兄の形見であるボロボロの学帽を目深に被り直して、刃の如き眼光をジェイに向けた。
「おうおうおう。所詮はテメエもメリケンの仲間ってわけかよ。だが構うことはねえぜ、ダチ公。俺たちは相撲塾の人間だ。やりたいことは相撲で決める、それで構わねえよな?」
(それでいいのか?とも思う)
「待てい、富樫の兄弟。俺たちは血よりも熱い絆で結ばれた相撲塾一号生だぞ。いくら何でも滅茶苦茶すぎるわい!」
虎丸が仲裁に入ろうとする。
かつて虎丸は教官に反逆して留年しているが、それだけにジェイの疎外感を理解することが出来た。
ジェイは手を出すなと瞳を閉じながら首を横に振る。
そして相撲用のメリケンサック通称”ヨコヅナ・サック”を手に嵌めようとしたその時、二人の前に剣桃太郎によく似た男が現れた。
なお伊達と三面拳は内輪揉めにつき待機中である。
「待て。富樫、ジェイ。相撲を愛する心にアメリカも日本も無い。それにキン星山先輩が負けると決めつけるには早過ぎはしないか?」
剣桃太郎はGガンダムに登場するネオドイツ代表のガンダムファイター、シュバルツ・ブルーダーのようなカッコイイ声で言った。
そして親指で土俵の方を指し示す。富樫とジェイは衝突の雰囲気を残しながらも土俵に立つキン星山とフラの舞の姿を見て愕然とした。
試合はまだ終わってはいない。光太郎は上半身を捻ってフラの舞の腕を掴み必殺の投げを阻止している。
右手の人差し指と親指のつけ根を押してフラの舞の握力をそのものを封じていた。
古代相撲の極意、指絡みである。
「あれは…指関節の可動を封じることによって相手の腕力そのものを封じる柔術の技”指絡み”。まだまだ勝負の行方はわかりませんよ、お二人さん」
飛燕は微笑ながら富樫とジェイに言った。
富樫はまわしに手を突っ込んでジェイから離れる。
ジェイは小声で飛燕に「SORRY…(※多分、正確には EXCUSE MEもしくは I AM AFRAID TO MEだと思われる)」と残してその場を離れる。雷電と月光は飛燕の配慮を労ったが、伊達は相変わらず背を向けたままだった。
光太郎はフラの舞の右手を持ち上げて後ろに突き返した。
光太郎はフラの舞から距離を置いて五指を動かして無事を確かめる。
後数秒、放すのが遅れていれば関節を破壊されていただろう。
しかし、今の攻防には確かな収穫があった。
(待っているだけではあの男に、フラの舞には勝てんでごわす。かくなる上は…真っ向勝負あるのみ)
光太郎は両手を合わせてから改めてフラの舞に対峙する。
「フラの舞どん。おいどんは万策尽き申した。ここから先は背水の陣、攻めの一手で行かせてもらうでごわす」
光太郎は前傾姿勢を維持しながらフラの舞に接近する。
策は尽きていない。
美伊東君が最悪の状況を想定した最後の一手が存在した。
フラの舞はその意図を見抜いた上で勝負に応じる。
端正な口元は好戦的に歪んでいた。
「面白い。日本の力士とは搦め手ばかり狙ってくる姑息な者ばかりと思っていたが、お前は違うらしいな、キン星山よ。望み通り、”火山”比べと行こうじゃないか‼」
フラの舞は白い歯をむき出しにして大笑する。
そして前に向かって大きく足を踏み出した。
土俵に土煙が上がり、大地が大きく揺れる。
それはかつての羽合庵とワイキキの浜の対決を思わせる一幕だった。