第九十二話 役者は揃った‼の巻
すいません、また二日ばかり遅れてしまいました。
次回は五月二十二日を目処に投稿したいと思います。
スモーオリンピック第二回戦、キン星山とフラの舞の試合は東京ハワイアンセンターで行われる事になった。
東京ハワイアンセンターとは一年を通してビーチバレーを行う為に作られたスポーツ競技場であり、ドーム状の建物の中には天井に人工太陽と地面は砂浜が常夏の環境を作り出していた。
最大の特徴は砂浜にはハワイの砂が使われているという点だろう。
対戦相手に先んじて会場入りを果たした羽合庵は故郷に戻った心境となり自然と嬉しそうな顔になっている。
光太郎よりも暖かい地方が生まれ故郷である美伊東君もまた砂浜や椰子の木に心を躍らせている。
しかし、当の光太郎は会場入りをした瞬間から人口太陽と空調機の熱気に白旗を上げていた。
光太郎は東京生まれの東京育ちだったが夏は大の苦手だったのである。
光太郎は紙パックに入った冷たいミネラルウォーターを飲んでいる。
「若、もうすぐ試合だというのに貴方という人は…」
美伊東君はやや強引に光太郎からミネラルウォーターの入った紙パックを取り上げる。
光太郎は情けない表情で下を向いたまま泣き言を言い出した。
羽合庵は人工的に再現されたハワイの砂浜を堪能する為に今回ばかりは追求するような真似はしない。
光太郎たちの前では決して口にはしなかったが、ここ最近はかなり気温を寒く感じていたらしい。
「美伊東君。おいどんはこういう熱気がムンムンとした場所は大嫌いでごわすよ。コミケの雰囲気は好きでごわすけどね。とにかくこういう小麦色に肌を焼いた水着姿の健康的な若い男女がワーワーキャーキャーするような場所とはてんで無縁な人生なわけでごわしてのう…」
「あのですね、若。僕だって似たようなものですよ。ご存知でしょうが相撲の知識は在りますが身体的な才能はゼロですから…。まあ久々に故郷の空気を吸って気分転換が出来たとかそういう話ですね」
はあ…と二人同時に盛大なため息を吐いている間に向かい側の入り口から歓声が上がり始めた。
ビリッ‼
肌を突き刺すような闘気に光太郎と美伊東君は思わず身構えてしまう。
古のハワイの英雄カメハメハ大王の神輿を模した玉座に腰を下ろしたフラの舞が入場する。
かの若き英雄の周囲を固めるのはハワイの有名な力士たち、そして全身に包帯を巻いたスペシャル山とカナダ山(※共に一回戦もしくは予選敗退)の姿があった。
彼は王者の如く玉座から降り立ったフラの舞のもとに駆け寄り、声をかけようとした。
しかし、フラの舞はこれを左手で制する。
「ソーリー、偉大なる先輩方。私がこれから戦う相手は宿命のライバル。戦う前から貴方たちを頼るようでは土俵の上に立つ資格さえ危ういものとなるでしょう。今はただこの場で私の勝利の報告だけをお待ちいただきたい」
フラの舞は兜を外してカナダ山とスペシャル山に礼をする。
その瞳にはただ一人戦地へと赴く戦士の覚悟が秘められていた。
だが普段ならカナダ山も後輩の無礼を怒るところだったが、相手が親友であり誰もが認める実力者テキサス山に一矢報いたキン星山なので親指を立て笑うに止まった。
その隣ではスペシャル山が「幸運を祈るよ」と短く挨拶を済ませる。
フラの舞は応援に駆けつけてくれた先輩力士たちに向かって深々と頭を下げる。
数日前の負けん気だけが強いフラの舞からは考えられないほどの心の余裕が感じられた。
(フラの舞の変わり様、ラーメン山の影響を受けたのか。死んだワイキキの浜にもあの姿を見せてやりたいところだ)
羽合庵は両腕を組みながらフラの舞の姿を優しく見守る。
そこからやや時間が経過して会場内に三人の審判たちと、見届け人である吉野谷牛太郎とラーメン山が姿を現した。
吉野谷牛太郎は皮肉っぽい笑顔で光太郎たちに手を振る。
光太郎はその事に気がつくと自分の為に用意された控え場所から大きく身を乗り出して手を振った。
(参ったね。嫌味のつもりで手を振ったというのに)
吉野谷牛太郎は白い帽子で目線を隠す。
何しろすぐ近くにはラーメン山がいるのだから今だけは疑われるような行為は避けたい。
実際にラーメン山は吉野谷牛太郎の行動を事細かく監視していた。
「若。そういえば今日の吉野谷牛太郎さんの周りにはお友達の姿が見えませんね…」
美伊東君はポケットに手を突っ込んで二階の観客席に腰を下ろしている吉野谷牛太郎の周囲に、以前見かけた風変わりな姿の力士がいないものかと目を向ける。
しかしどれほどサスペンションX、天辺龍たちの姿を捜そうとも見つかる事は無かった。
光太郎はベンチから立ち上がって軽い柔軟体操を始めている。
その視線の先にはハワイの同期の力士たちに囲まれてミーティングを始めているフラの舞の姿がある。
より正確に言えば光太郎とフラの舞の両者は既に肚の探り合いをしていた。
「ううむ。あの夜にいた大きな力士も、へんてこな仮面をつけた力士も、バネみたいな体をした力士もいないでごわすな。案外、仲直りをして今頃仲良くお寿司でも食べに行っているのかもしれないでごわす」
光太郎は涎を垂らしながら、カウンター席で三人仲良く特上の寿司を食べているサスペンションXたちの姿を想像する。
しかし、美伊東君は逆に血まみれになって中トロを奪い合う天辺龍たちの姿を想像したせいで噴いてしまった。
「やれやれ。試合が始まってもいないというのに寿司の話とは優雅な事だな、光太郎よ。せめて大会が終わるまではちゃんこ鍋かカツカレーで我慢してもらうぞ」
光太郎と美伊東君が話に一区切りがついたところを見計らって羽合庵が姿を現す。
光太郎は既に簡単な調整を済ませていつでも試合に臨めるようにしている。
(やはり私の杞憂だったか。光太郎の力は既に今のフラの舞と拮抗している)
羽合庵は頭を軽く振って弱気を追い出し、いつもの巌のように厳しい表情を作る。
「羽合庵師匠ッ⁉今までどちらに?」
「フラの舞の様子を見に行っていた。死んだ兄弟子の子供だ。敵味方に分かれたとはいえ気になるものは気になる。だが光太郎よ、心して聞け。ヤツはおそらくキン星山の奥義”崖っぷちのど根性”を手に入れたぞ」
それは予感ではなく確信だった。
フラの舞の傲慢な性格は自身の実力不足を自覚していることが原因である、と羽合庵は考えていた。
しかし今のフラの舞は力士としてさらに強くなろうとする向上心と他者を思いやる心を持っていた。
以前のように己の力を誇示する為だけに戦いを挑んで来るような真似はしないだろう。
一方、試合会場の砂場で四股を踏む光太郎もまた力士としての成長を垣間見せている。
ハワイのワイキキビーチを想定した砂地に足をつけ環境に適応しようとしているのだ。
光太郎は音を出さぬように四股を踏み続け、フラの舞を見ている。そして余裕たっぷりに言った。
「羽合庵師匠、それはおいどんとて承知の上でごわす。今の状態でフラの舞どんの勝率は8、おいどんが2というくらいでしょう。このままぶつかることになればストレート負けする可能性も大なりでごわす。のう、美伊東君?」
光太郎は豪快に笑いながら美伊東君の肩を叩いた。
例え相手よりも実力が勝っていても、必ずしも勝てるわけではない。
それが相撲。
フラの舞は射るような視線で遠くから光太郎の姿を見ている。
瞳を閉じてから、もう一度光太郎の姿を見る。数日前よりも闘気を蓄え、より巨大な姿となっていた。
「僕も同じ気持ちですよ、若。今回の戦いで重要なのはどちらが先に手の内を晒してしまうか。これに尽きると思います」
「相撲で肚の探り合いか。ぞっとしない話だな」
羽合庵は会場の審判たちに指示を下しているラーメン山の姿を見た。
彼は今回の戦いにおいて”赤壁相撲”という試合形式を提案してきた張本人だ。
その理由は吉野谷牛太郎の正体を探る手段なのだろうが、吉野谷牛太郎は一向に尻尾を出す気配はない。
ラーメン山はテーブルの上に会場の見取り図を広げて考える素振りを見せていた。
(足りない。最終決戦の場である”揚子江の戦い”に至るまでの相撲超力が一定以上、高まらなければ相撲龍の制御が効かなくなって暴走することになるだろう…)
ラーメン山が見取り図と格闘をしていると審判用の仮設テントの中に吉野谷牛太郎がやって来た。
片手にはアルコール飲料の入ったジョッキが握られている。
ラーメン山は嫌悪感に満ちた視線を吉野谷牛太郎に向けた。
「何の用アルか、吉野谷牛太郎。酒の相手が欲しいなら酒場に行くがいいアルよ」
「おいおい。ずいぶんなご挨拶じゃねえか、ラーメン山。あの時、坊やたちの喧嘩を止めてやったのは俺だぜ?暇つぶしの相手くらいしてくれてもいいじゃねえか」
吉野谷牛太郎はジョッキに口をつけてビールをがぶ飲みする。
天辺龍との戦い以降、急にサスペンションXが五月蠅くなって隠れ家でアルコールの摂取を禁じられてしまったのだ。
酒を好まない暗黒洞や三角墓ならばともかく酒と相撲をこよなく愛する吉野谷牛太郎にとっては居心地の悪い空間になってしまった。
特にルールに厳しい大西洋などが復活した日には吉野谷牛太郎は禁酒期間を設けられる事だろう。
「吉野谷牛太郎、私がお前を嫌う理由はただ一つだ。こちらの事情を察しているなら無駄口を叩くな」
ラーメン山は吉野谷牛太郎を拒絶するセリフを吐くと再び見取り図に集中した。
実際ラーメン山は試合開始と同時に別の会場に行って宿敵ブロッケン山と戦わなければならなかった。
吉野谷牛太郎はラーメン山の背後から東京ハワイアンセンターの見取り図を覗き見る。
「ハイハイ。邪魔者は黙っていますよ。ところで俺からの提案なんだが最初の戦いは定番の長坂の戦いにしないか?赤壁相撲の雰囲気を掴むには格好の舞台だと思うんだがね?」
吉野谷牛太郎はいたずらっぽく片目を閉じてラーメン山から離れて行った。
ラーメン山は眉をひそめ親指の爪を噛む。赤壁相撲という特殊ルールにおいて重要なのは舞台の盛り上がりにある。
試合の監視役である霊獣たちの機嫌を損ねれば最悪試合は中止になってしまうのだ。
その為に本場中国では赤壁相撲のルールに通じたベテランの力士が演武として行うことが多い。
ラーメン山は念の為に稽古を通じてフラの舞に赤壁の戦いに関係する中国の歴史を教えておいた(※蜀に片寄っている情報)。
ラーメン山が決断に踏み切れぬまま悩んでいると観客席からタナボタ理事が下りてきた。
タナボタ理事は光太郎の味方のような存在だが、相撲の試合に関しては一切の私情を交えず公平な判断を下すことで有名な人物だった。
今回は母国でも味方が少ないフラの舞の事を考えて羽合庵の願いを受けて主審の役を買って出たのだ。
「ラーメン山よ、そろそろお前さんの試合の時間も迫っている。赤壁相撲がどれほど難しい試合かはワシも知っておる。このまま普通の相撲のルールで試合を始めても良いのではないか?」
タナボタ理事は最初から赤壁相撲のルールを採用することに関しては否定的だった。
実はタナボタ理事は若い頃、古代相撲の研究をしていた経験があり現代では消滅した特殊試合に関して多くの知識を持っている。
赤壁相撲は天の時、地の利、人の和という三つの理に勝負の結果を委ねるという非常に厳しい条件によって成り立つ試合形式だったのだ。
その苛烈さはラーメン山とテキサス山が戦った四聖相撲の比ではない。
だが差し迫った状況とタナボタ理事の一言がラーメン山に決断を下させる。
「キン星山、フラの舞。覚悟はいいアルか?これより中国四千年の伝統、赤壁相撲を開始するアルよッ!ハイヤァァァーーーッ‼」
ラーメン山はかけ声と共に背中に括り付けていた巨大な巻物を縛る紐を解いた。
しゅるしゅるしゅるしゅる…。
巻物の中には夕暮れの中、橋を渡るボロボロの服装をした農民たちと彼らの殿を務める虎髭の大男が馬に跨っている姿が描かれていた。男の手には先端が歪んだ槍、蛇矛が握られている。
「この勇ましい姿は…ッ‼おいどんは知っているでごわす。この男の名は武田信玄、戦国時代最強の武将として…ぐおおッ‼」
光太郎の額に二本の手裏剣が刺さっていた。
烈海王がドイルに向かって投げまくったアレである。
ラーメン山は糸目を強引に開いて光太郎を睨みつける。
「海星光太郎よ。よく覚えておくアルよ。この侠は三国志時代中華最強の武将に数えられた張翼徳アルよ。武田晴信ではないアルよ!」
ラーメン山は歯ぎしりをしながら目を血走らせている。
口の端からは勢いが余って血が流れていた。
光太郎は震えあがりながらも、ラーメン山がどうして武田信玄の本名を知っているのかを気にしていた。




