第八十九話 不滅の魂‼の巻
遅れてすいません。次は五月七日に投稿する予定です。
「若。あの二人が、どこの部屋の力士かは知りませんがこのままでは確実に怪我人が出ますよ!そうなったらスモーオリンピックが中止になってしまいます」
巨大なバネが大男に取り付いている。
常識で考えれば決して有り得ない光景だが、美伊東君は順応力に長けているので余計なツッコミを入れるような真似はしなかった。
光太郎は光太郎でサスペンションXとグレープ・ザ・巨峰が既に負傷、流血状態にあることを酷く怖がっていた。
ここだけの話だがホラー、スプラッター映画はからきしの光太郎だった。
「いやあ、後の事は若いお二人に任せて…おいどんたちはコーラでもがぶ飲みしてからさっさと寝てしまうでごわずよ。さあ、家に帰るでごわす」
光太郎は親指を立てた後、笑いながら美伊東君の肩をポンポン叩いた。
ガンッ‼
美伊東君は何も言わず光太郎の脛を蹴った。
如何に力士が頑健な肉体を持っていようとも”弁慶の泣き所”を蹴られてしまえば痛いという点では普通の人間と変わらなかった。
光太郎は蹴られた場所を抱えながら悲鳴を上げる。
足の痛みが少し退いたところで美伊東君に抗議をしようと思ったのだが、睨まれている事に気がつき光太郎はすぐに起き上がる。
目の前では引き続き、ギギギ…ッ‼とサスペンションXとグレープ・ザ・巨峰の命の駆け引きが続いている。
「わかっていますね、若。スモーオリンピックが中止になればフラの舞と和解することも、テキサス山と決着をつけることも出来なくなってしまうんですよ。僕は何があっても若の側を離れませんからそこだけは安心してください」
光太郎は美伊東君の決意を秘めた瞳を見ると平常心を取り戻す。
今思えば零戦全敗力士と呼ばれていた頃から美伊東君だけは光太郎という力士を認めていた。
この小さな相棒が信頼が無ければ今ここに日本代表の力士として立っている事も無かったのだろう。
そして次に恩師”羽合庵”と因縁深きフラの舞の顔が思い浮かんだ。
実際彼と羽合庵の間にどんな事があったのかを光太郎は知らない。
だが、羽合庵は意味も無く誰かを傷つけるような人間ではないことを光太郎は知っている。
フラの舞の誤解を解き、羽合庵の真意を、因縁無き相撲の素晴らしさを伝えることが羽合庵の弟子である光太郎の使命ではないか。
そう考えただけで体の芯に火が入った。
そして再戦を誓った男、テキサス山の事を考えた。
まだ直接、出会ったわけではないが彼の勇名は光太郎のもとに届いている。
以前の戦いでは僅差で光太郎の勝利だったが、試合の内容はお世辞にも褒められたものではない。
次に会う時は実力で勝利する。
その気持ちを強めながら日々の稽古に時間を費やしてきた。
強敵、印度華麗。
偉大なる先輩、大神山。
飄々とした兄貴分、ブロッケン山。
百戦錬磨の実力者、ラーメン山。
戦いたい相手はごまんといる。
そして、相撲界に絶対者として君臨するあの男”倫敦橋”。
彼らと戦う為にはスモーオリンピックの続行は必要不可欠だった。
光太郎は一歩、前に出る。
その横顔には一切の恐怖や動揺が消え失せていた。
「美伊東君、おいどんが間違っていたでごわす。スモーオリンピックに参加する全世界の力士たちの為に、おいどんはあの二人に注意をしてくるでごわす」
「流石は若‼どこまでもお供しますよ‼」
かくして光太郎と美伊東君はグレープ・ザ・巨峰とサスペンションXの対決を思いとどまらせるべく戦場まで出て行った。
ギロリッ‼
戦場に到着するなり光太郎たちはお互いの喉に食らいついた獣のように命を奪い合うサスペンションXとグレープ・ザ・巨峰から睨まれた。
光太郎は全身をブルブル震えながら啖呵を切った。
「あの、その仮にも力士たるものが路上で喧嘩をするのは良くない事だと思うでごわすよ!」
しかし、二人は何も言わなかった。
それどころではないというのが現実だったのだろう。
サスペンションXの必殺技は単なる締め技ではない。
グレープ・ザ・巨峰の肉体の要所を縛り上げることによって、彼の持つ怪力を利用して動きを封じているのである。
つまりこの場合はサスペンションXと自分自身の力がグレープ・ザ・巨峰の肉体に向けられていた。
巨峰が力を入れるほどに、巨峰のプロテクターと肉体は破壊されていった。
しかし、この技の欠点は敵の肉体とサスペンションXの肉体が同時に限界を迎えることにあった。
さらにグレープ・ザ・巨峰はガイアフォース・アルファによる放熱攻撃を継続している。
時間が経過するごとにサスペンションXの肉体は焼け焦げ、命の灯は尽きようとしていた。
そんな命の駆け引きの最中に光太郎の漠然とした説得など聞き入れようもなく、光太郎は二人から殺人的な眼光を浴びせられる。
(今お前に用は無え!さっさと消えろ!)
(失せろ、道化が!)
熾烈な二対の眼光を前に、光太郎のみならず美伊東君も怯えてしまっていた。
ガタンッ!
その時、別の方角から金髪の力士が吹き飛ばされてきた。
金髪の力士はその場ですぐに起き上がると光太郎を見る。
「…お前、新しい敵か?」
「ひいいッ‼おいどんは敵ではないでごわす!だけど味方でもないでごわす!」
力士は仮面越しに光太郎の顔を凝視した。
光太郎と美伊東君は目の前の仮面の力士を見て悲鳴をあげる。
その男はかつてない畏怖を強者のオーラを纏った力士だった。
(何て間抜け面だ。どう考えてもコイツが牛野郎の仲間って事はないだろうな…)
金髪の力士は叩きつけられた時の衝撃でズレてしまった仮面の位置を調整する。
次に重厚な筋肉に覆われた太い首を左右に動かして、自分がまだ戦えるかを確かめた。
「兄ちゃん、悪い事は言わねえよ。さっさとここから逃げな。アイツはまともな力士じゃねえや」
仮面の力士、天辺龍は光太郎たちに背中を向ける。
光太郎はその時、彼の姿に失踪した兄翔平の姿を重ねていた。
(あの時の無力なおいどんには兄ちゃんを止める事は出来なかった。しかし今のおいどんには父ちゃん、美伊東君、ライバルたち、師匠からもらったど根性があるでごわす…)
光太郎は前に進み出て天辺龍の肩を掴む。
「ならば尚の事、あんさん一人に任せるわけにはいかんでごわす。男、海星光太郎。この命に換えても無益な戦いを止めるでごわす」
光太郎は地面を踏み、目の前に迫り来る敵の姿を見た。
(コイツ、…気配が変わった?)
天辺龍は通りの向こうから迫りつつある吉野谷牛太郎よりも光太郎に心を奪われる。
今ここにいるのは狩られる側の兎ではない、狩る側の獅子だった。
「頑丈だな、コスプレ野郎。次は自慢の角で心臓をぶち抜いてやるから覚悟しろよ…」
吉野谷牛太郎は自慢の髷つきのアフロヘアーを整えながら悠々と歩みを進める。
天辺龍のダブルレッグスープレックス投げによってかなりのダメージを受けているはずだが微塵にも負傷をしているようには見せない。
それが土俵の殺し屋、吉野谷牛太郎の真骨頂だった。
「…どこのどなたかは存じませんが、不肖キン星山が止めさせてもらいます!」
光太郎は両手を開いてから腰を落とし、敵の突進に備えた。
吉野谷牛太郎はこの時、光太郎の先々代にあたるキン星山”海星翔”のことを思い出す。
実に不快極まりない男だった。
実力は中途半端、スモーデビルを複数同時に相手に出来るような力士では無かった。
しかし海星翔は仲間が到着するまでの間、一人きりで戦った。
無名のスモーデビルを倒し、残ったスモーデビルセブンの前に立ちはだかったのだ。
結果、スモーデビル・セブンから数名を失い、吉野谷牛太郎自身も足止めを食らうことになった。
(やたらとしつこい雑魚は嫌いだぜ。先に死んでもらうか)
吉野谷牛太郎は金剛石をも刺し貫くと自ら豪語する二本の角を光太郎の心臓に向けた。
ちなみに今吉野谷牛太郎は下を向いているので誰を相手にしているかはよくわかっていない。
吉野谷牛太郎は大地を蹴って直進する。
光太郎は開いた両手を折り曲げ、顔面の前に壁を作った。
そして相手との接触の瞬間を待つ。
キン星山の奥義の一つ”連勝ストッパーの構え”だ。
吉野谷牛太郎は当時と同じく自分が必ず勝利するものだと思っていた。
海星翔は自分が不利と判断すると、接触前に構えを解き攻撃を回避する事を選択した為に生き延びることが出来た。
つまり如何に鉄壁を誇る奥義といえど、吉野谷牛太郎の”嵐の輪舞”の前では無力。
吉野谷牛太郎は口元を歪め、光太郎の心臓めがけて一気に駆ける。
「あばよ、カウボーイ。せいぜい天国で吉野谷牛太郎に殺されたって自慢してやんな」
光太郎は接触の瞬間、ガードを解除して吉野谷牛太郎の頭を抱える。
そして後方に力を流して威力を殺した。
過去に敗れたキン星山の奥義は継承され進化していたのだ。
羽合庵はフラの舞の父ワイキキの浜と共同研究をするうちに連勝ストッパーの構えが敵に破られた事を知った。
そして、死にかけた海星翔は残りの命の全てを費やして”連勝ストッパーの構え”を改良していた。
その名も…。
「何の、これが”連勝ストッパーの構え”・改じゃあぁぁッッ‼」
吉野谷牛太郎の攻撃が止まる瞬間を狙う。
いかなる必殺技とて最大の効果を発揮した次の瞬間には無防備。
言うなれば力みの後に必ず訪れる脱力と弛緩こそが反撃の時。
光太郎は吉野谷牛太郎の頭を抱えたまま地面に両足を落とし、そのまま後方に投げ飛ばした。
どうんッ!
吉野谷牛太郎の巨体は大きな音を立てながら、背中から地面に叩きつけられた。
「これがカミカゼってヤツか。燃えたぜ、キン星山さんよ‼」
天辺龍は拳を握りしめ、光太郎の奮闘に魂を震わせる。
単純な力の勝負ではキン星山は吉野谷牛太郎の足元にも及ばなかっただろう。
だがしかし、力の勝負とは単なる力比べには止まらない。
力の強弱を使いこなすこともまた力の勝負を決める要素となり得るのだ。
「痛えな、畜生。俺とした事が油断したぜ…」
吉野谷牛太郎は何事もなかったかのように立ち上がった。
「ん?アンタはもしかして吉野谷牛太郎どんか?」
光太郎は目の前に立つ巨漢に向かって指をさす。
頭に角が生えたアフロヘアという時点で気がつかない方がおかしいのかもしれないが深夜の出来事なので致し方ないのかもしれない。
一方吉野谷牛太郎は街灯に彩られた光太郎の間抜け顔を見てようやく戦っている相手の正体に気がついた。
(コイツはマズイな。昼間に会った時はラーメン山の前でスモーデビルじゃないって否定したばっかりだし)
吉野谷牛太郎はさてどうしたものか、と自慢のアフロヘアをボリボリと掻く。
ダンッ‼
考え込んでいる吉野谷牛太郎の前に傷だらけのサスペンションXが降り立った。
その後ろを片脚を引きずりながらグレープ・ザ・巨峰が追って来た。
「まだ生きてやがったか、デカブツ。次は左足だけじゃあすまねえぜ?」
サスペンションXはグレープ・ザ・巨峰の折れ曲がった左足を見る。
サスペンションXの魔の奥義からの脱出と引き換えにグレープ・ザ・巨峰は自分の左足を折ったのだ。
「減らず口はそこまでだ。我らの命の削り合いを、続けるぞ。…お、お前は!馬鹿な!お前はあの時、死んだはずだッッ!」
グレープ・ザ・巨峰はサスペンションXを睥睨する。
しかし次の瞬間に信じられないものを目にした。
遠い昔にグレープ・ザ・巨峰の目の前で死んだはずの男がサスペンションXの傍らに立っていたのだ。