第八十七話 その時は突然、訪れて…‼の巻
今回も遅れてすいません。次回は遅れないように気をつけます。
今回の天辺龍と吉野谷牛太郎の戦いですが、天辺龍が吉野谷牛太郎の手首に籠手固めという拳法の技を仕掛け、その上から吉野谷牛太郎が相手の腕を喉に当てながら締め上げる技(正式名称不明)を使っているという状態です。
実際に私が過去に練習中にかけられた技ですが、私は悲鳴をあげて技を解いてもらいました。
世間一般で特に取沙汰にされる事は無いが、相撲には関節技が存在する。
闘牛の角合戦即ちブル・ファイトが主流とされる日本の相撲では珍しい技になるが、比較的大きな体格を持つ力士が多数存在する世界相撲において”関節技”の存在は技巧の極致として重用された。
天辺龍は首と腕を同時に極められながら、己の勝利を疑わなかった。
(この程度のパワー、親方や巨峰に比べればどうって事はねえ)
重厚な腹筋に覆われた腹の下に力を集め、吉野谷牛太郎の剛力に耐える。
尚且つ、猛牛の手全体を内側に丸め込むように折り曲げる。
先に放した方が利き腕を失うという戦いになっていた。
「吉牛、敵のスタミナは尽きようとしている。さっさと折ってしまえ」
暗黒洞が盟友に激励を送った。
吉野谷牛太郎は身体を反転させて天辺龍の関節技を妨害しようとする。
背中に鉄槌を落として天辺龍の動きを邪魔するという手段もあったのだが、掴みを緩めた瞬間に右手を破壊されてしまうことだけは十分に理解できた。
(腕が駄目なら膝を使うか…)
吉野谷牛太郎は左膝を折って天辺龍の横面に叩き込んだ。
天辺龍は吉牛の手を極めたまま岩をも砕く膝蹴りに耐える。
吉野谷牛太郎は関節技を解きながら膝蹴りを打つ。
この場合、打撃はあくまで囮、本命は腕と首の骨を折ることにあった。
しばらくの間、膝蹴りの乱打が続いた。
天辺龍の身体は真っ赤な痣だらけになっている。
満身創痍となっても天辺龍は決して吉野谷牛太郎の手を放さない。
右手で指を握り、左手で手首から先を捻じ曲げる。
「そろそろ手を放してくれねえか、コスプレ野郎。俺の手がさっきから痛いのなんのってよ…」
吉野谷牛太郎は天辺龍の腕を解放した。
千載一遇の好機。天辺龍は吉野谷牛太郎の右手をさらに強い力で捻じ曲げようとする。
これが罠である事は明白だったが、今の天辺龍にはこうする他になかった。
吉野谷牛太郎は止めの一撃、後頭部への肘打ちを用意する。
如何に頑丈な天辺龍であろうと頸椎を砕かれてしまえば再び立ち上がる事はない。
吉野谷牛太郎は口元に残忍な笑みを浮かべる。
そして、その事を知ってか天辺龍も不敵な笑みを見せた。
「そうかい。それは良かったぜ。俺はさっきからお前には神経が通っていなくて全然効いていないんじゃないかって思ってたからよ」
天辺龍は辛うじて頭上の吉野谷牛太郎を見ている。
その瞳は勝利を諦めた力士の目ではなかった。
(この目はあの時のキン星山、海星翔と同じ目だ。気に入らねえ…)
吉野谷牛太郎は天辺龍の首の後ろに向かって渾身の肘落としを放った。
「続きは夢の中でやってな。あばよ、天辺龍のコスプレ野郎」
がッ‼
天辺龍は首の骨と筋肉に全神経を集中する。
相手は最高クラスの力士、チャチな技巧は必要ない。
そして吉野谷牛太郎の肘が無慈悲にも振り下ろされた。
この時、吉野谷牛太郎の盟友暗黒洞は勝利を確信した。
かつて吉野谷牛太郎を相手に戦った力士の中で彼の正統派相撲ファイトに隠された魔の反則技を食らって無事だった者など誰一人としていない。
ごうんッ‼
吉野谷牛太郎の鶴嘴のような肘が天辺龍の太い首に突き刺さる。
天辺龍は一瞬にして眼光を失い、吉野谷牛太郎から手を放してしまった。
「よし!殺った‼」
暗黒洞は拳を握りしめて盟友の勝利を確信した。
しかし、勝ったはずの吉野谷牛太郎は驚愕の表情で自身のまわしを見ている。
首の骨を砕かれ、気絶したはずの天辺龍の手がまわしを掴んでいた。
「こいつが伝家の宝刀…、ダブルレッグスープレックス投げだ‼」
天辺龍は吉野谷牛太郎の巨体を持ち上げ、後方に向かって投げ飛ばした。
吉野谷牛太郎は投げられる寸前に地面を蹴って投げのインパクトを分散させる。
正直な話、完成度の高い投げ技への対処法としては不十分なものだったが、今ここで何もしなければ地面に脳漿をぶちまける結果となるだろう。
吉野谷牛太郎は歯を食いしばり、後頭部への衝撃に耐えようとする。
その直後、二人の力士は後方に向かってアーチを描きながら倒れ込んだ。
仕掛けたはずの天辺龍もまた技の途中で意識を失ってしまったのである。
「いやあ、痛いね。実際、痛いよ。ていうか、そろそろ死んでくれねえかな」
最初に吉野谷牛太郎が起き上がった。
後頭部に違和感を覚え、何気なく手で触れると指先が血まみれになっていた。
吉野谷牛太郎の陽気な軽口の中に明確な殺意が存在した。
「ははっ…。よく言うぜ、闘牛野郎。大した効いてもいないくせによ。…いっぺん死んでみるか?」
次いで天辺龍が立ち上がって来る。
こちらも千鳥足で万全と呼ぶには程遠い状態だった。
先ほどの関節技の後遺症として首と腕に痺れが残っている。
天辺龍と吉野谷牛太郎は互いに相撲の試合の開始位置まで距離を取った。
「地獄ならとっくの昔に体験済みだよ、坊や」
ずん、と大地を衝く。
蹴り足で地の底に己という存在を知らしめる為に思うがままに力を響かせた。
スモーデビルとスモーナイト、一見して相反する不俱戴天の仇のような存在だが地面を衝いて戦意を顕すという一点では同じ生き物であることには違いない。
(この力士ならば或いは俺を壊し尽くしてくれるのだろうか…?)
自らの宿命を受け入れ天辺龍となった春九砲丸はスモーデビルの雄、吉野谷牛太郎の姿にかつてない胸の高鳴りを感じていた。
一方、吉野谷牛太郎はバイザーの下から冷気を含んだ視線を目の前の強敵のみならず盟友サスペンションXと火花を散らすグレープ・ザ・巨峰にも向けていた。
(サスペンションXの野郎、かなりキレていやがるな。そういうのは俺たちの仕事だろうが、全くよ。さりとてあの御方の為に不安要素は徹底して排除しなきゃなんねえ)
吉野谷牛太郎はアフロヘアによって隠された額の小さな傷を引っ搔いた。
この傷だけは完治させていない、悔恨と反省の証である。
かつて吉野谷牛太郎はキン星山こと海星翔と戦った時に自軍の優勢にのぼせ上って敵を逃がしてしまうという失策を犯してしまった。
当時のキン星山は弱く、試合は赤子の手をひねるといったような内容だった。
しかし顔も知らぬ誰かの為に命を張って戦うキン星山の姿に吉野谷牛太郎は興味を覚えたのも事実。
あろうとことか吉野谷牛太郎は倒れたキン星山に背を向けてしまったのだ。
一瞬の隙をついてキン星山は吉野谷牛太郎に連勝ストッパーの構えでタックルを仕掛け、転倒させる。
この命がけの特攻により吉野谷牛太郎は額に小さな怪我を負った。
キン星山は命からがら逃走に成功し、やがて体勢を立て直した今はその名を聞くことも無くなった”ドッキン⁉☆IDOL力士連合軍☆”によってスモーデビル軍団は敗走することになった。
最初に仕掛けたのは天辺龍だった。
天辺龍はまず大きく手を振り上げ、張り手を打つ。
所謂テレフォンパンチの類だが自らを力士と号する人種にとって初めの一撃を回避する事は敗北宣言と同意である。
(何て、な…。俺はスモーデビルだぜ?スモーデビルってのは勝つためには何だってやるもんだ)
吉野谷牛太郎は皮肉っぽく笑い、大きく下がって張り手をやり過ごした。
「逃げてんじゃねえぞ、闘牛野郎‼」
天辺龍は怒号と共に一歩、踏み込んだ。
そして左右の張り手を打って吉野谷牛太郎の反撃を封じ込める。
吉野谷牛太郎はどちらを食らっても決定打になりかねない熾烈なワン・ツーの張り手にステップを合わせて巧みに回避する。
天辺龍がまんまと自分の間合いに入ってきた瞬間に頭突きをお見舞いしてやるつもりだった。
天辺龍は我武者羅に突き進み、さらに深く吉野谷牛太郎の領域に入って行く。ここまでは全て吉野谷牛太郎にとっての想定内の出来事だった。
グレープ・ザ・巨峰はサスペンションXとの死闘の中、天辺龍の姿を垣間見る。
(驕ったな、スモーデビル。その男の真骨頂はそこからだ。スモーナイトの王の相撲をその目に焼き付けるがいい)
直後、頭上からサスペンションXの奇襲を受ける。
グレープ・ザ・巨峰は四方八方から襲いかかるサスペンションXの攻撃に備え、またもやガードを固めた。
「ハイ、残念」
突如として吉野谷牛太郎の顔面が目の前に迫る。
天辺龍は首を後方に引き下げ、前に踏み込むと同時に頭突きをぶちかました。
暗黒洞はこれから天辺龍を待ち受ける過酷な運命、即ち顔面陥没を思い浮かべて失笑する。
吉野谷牛太郎の頭突きは彼らの師匠、デビルスモーナイトの一人”ジャンク山”からも稽古で使用することを禁止されているほど危険な技なのだ。
「馬鹿め。吉野谷牛太郎の頭突きはスモーデビルの中でも最強と言われているのだ。お前のような半端者が…」
暗黒洞の言葉はそこで止まる。
今、彼の目の前で信じられない出来事が起こっていた。
吉野谷牛太郎と天辺龍の頭突きの威力が拮抗しているのだ。
互いの頭蓋を何度もぶつけ合い、血しぶきが飛び散る。
スモーデビルの中で無類の巨体を誇る”山本山”の力をもってしてもこうはいかないだろう。
「ハンッ‼頭の固さなら負けねえよ‼その角も砕いてやるから覚悟しやがれってんだ‼」
天辺龍は仮面の間からだくだくと血を流しながら吠えた。
吉野谷牛太郎の頭突きは天辺龍の額に傷をつけ、骨にヒビを入れている。
吉野谷牛太郎もまた額から並々と溢れ出る己の血を手で拭い、舌先でゆっくりと味わう。
「俺の角を砕くねえ?そんなつまらねえ冗談を聞いたのは久しぶりだよ。スモー大元帥にケンカを売った時以来だ」
そして吉野谷牛太郎は笑った。
彼はスモーデビルになったばかりの頃、スモーデビル軍の総帥であるスモー大元帥に頂点の座を賭けて戦いを挑んだことがある。
結果、吉牛は大惨敗したのだがその時も吉牛の角は欠ける事もなかったという。
吉野谷牛太郎は、天辺龍は出血で己らの視界が妨げられることがないよう入念に払い落した。
「さて、そろそろ続きと行こうか。吉野谷牛太郎…」
「おいおい、ヘアーセットがまだだぜ。天辺龍よ。せっかちな男は嫌われるぜ?」
そして再び、両者はどちらかが動けなくなるまで頭突き合戦を始める。
この時、運命の歯車は確実に回り出していた。あわやスモーデビルの生贄となりかけた男が逃げ出したその先に見るからに間抜けな風体の男が立っていたのである。
男はビニール袋の中にジュースやらお菓子を入れて家に帰る途中だった。
その傍らに立つ男の友人か弟であろう少年は袋の中を覗きながら”栄養が偏っている”とか言って文句を言っていた。
「全く。こんなにお菓子やらジュースを買ってどうするつもりですか、若。また朝ご飯が食べられなくなって英樹親方と羽合庵師匠に怒られますよ」
そう言って美伊東君はビニール袋を開ける。
袋詰めの甘いスナック菓子と炭酸飲料しか入っていなかった。
美伊東君は光太郎の偏食に関しては寛大な態度を取っているが、羽合庵は普段から飲酒や娯楽は慎むように言っている。
今回のように大会中、朝方におやつやジュースをドカ食いする事など決して許してはくれないだろう。
「うう…。美伊東君、おいどんは毎日辛すぎる修行ばかりしているのでごわすからおやつぐらいは好きに買わせて欲しいでごわすよ」
光太郎は情けない言いわけをしながら棒状のお菓子(※おそらくは”う〇い棒”)を取り出して美伊東君に差し出す。
美伊東君は手を振って光太郎からの賄賂をキッパリと断った。
光太郎は美伊東君にすげない態度を取られて気落ちしてしまう。
かくして光太郎は美伊東君の背中を追う形で帰宅することになった。
二人は道中、マスコミの目を気にしながら人通りの少ない道を歩いていた。
光太郎も最近は有名になってきたのでインタビューを受ける機会も多くなっていたのだ。
お調子者の光太郎がマスコミをとんでもない望郷に出る可能性があったので、彼の付き人役となった美伊東君は近くの通行人にも警戒を払っていた。
「あ、あんたは!綿津海部屋のへっぽこ力士(※現在の光太郎の世間からの評価)のキン星山さんか!」
突然、裏路地から初老の男が血相を変えて飛び出して来る。
美伊東君は光太郎の前に立って話を聞こうとしたがそれよりも早く光太郎は男の前に立った。
「いくらおいどんが弱っちいへっぽこ力士だからといってそういう言い方はあんまりでごわすよ。…それでこの”未来の横綱”に何の用でごわすか⁉」
光太郎はキリリと表情を引き締める。
最近の光太郎は幾多の戦いを乗り越えて他人の頼み事に耳を貸すくらいの度胸が身についていた。
美伊東君はこの時、酔っぱらい同士の喧嘩なら警察に届けるように進言するつもりだった。
「大変だよ!見たこともねえ、力士が!いきなりオラを襲ってきて、別の力士がオラの為に戦ってくれてるだっちゃよ!」
男は錯乱しながらも身振り手振りを交えて天辺龍たちの戦いを光太郎に伝える。
光太郎はある種の決意を秘めた瞳を美伊東君に向けた。
これが後に相撲界に現れる二人の王の初めての出会いとなる。