第七十九話 火山と嵐、ハワイ相撲の奥義とは如何に‼の巻
すいません。展開の都合上、文章の量を増やしていたら遅れてしまいました、ごめんなさい。
次回は三月十八日には投稿したいとおもいます。
その日、光太郎は帰宅して食事を摂った後すぐに稽古に入った。
今日の印度華麗とフラの舞との出会いは確実に光太郎の相撲人生においてプラスの面で働きかけていた。
オーバーワーク、精神論を嫌う美伊東君も稽古には務めて協力的だった。
既に夜になってしまった後だったが綿津海部屋の力士たちは稽古場に集まり、精力的に光太郎の対フラの舞戦を想定したトレーニングにつき合ってくれた。
近所の住民たちも光太郎の一回戦突破を喜び、度々光太郎応援に立ち寄ってくれた。
やがて表の訓練が終わり、本格的な裏の訓練が集まる。
羽合庵の表情は重苦しいものに戻っていた。
Tシャツを脱いで褐色の肌とぶ厚い筋肉を露わにする。
これから実戦を想定したぶつかり稽古が始まるのだ。
光太郎は緊張した面持ちで屈んだ羽合庵を見た。
「おっす。よろしくお願いします、羽合庵師匠」
光太郎は羽合庵に深々と頭を下げた。
いつもの羽合庵とは違う焦りの感じたからだ。
それは光太郎も重々、承知している。
今日試合会場でフラの舞にかけられた”キン星バスター投げ”は不発に終わったが、両者の実力差がはっきりとわかってしまったのは紛れもない事実だった。
そして吉野谷牛太郎の”実力ではフラの舞は羽合庵を凌駕する”という発言は今でも光太郎の心の奥に突き刺さっている。
事実、光太郎にとっての最強の力士はダントツで羽合庵だったからである。
あの芸能人と見間違えてしまいそうな優男が羽合庵より強いと思うだけで身震いするくらいだった。
だが光太郎の身体に残るフラの舞の掴みの後遺症は、彼が尋常ではない力士であることを何よりも示していた。
「そう怖じ気づくな、光太郎。吉野谷牛太郎の言うように、今のフラの舞は確実に私よりも強い。だがこう考えてはどうだ?お前はいずれ誰よりも強くならなければならない。父よりも、私よりも、あの倫敦橋よりも。あえて言わせてもらうが失踪したお前の兄翔平よりも強く在らなければならないのだ」
「ううう…。おいどんは翔平兄ちゃんよりも強くならなければならないでごわすか…」
以前は考えられなかった出来事だが、今の光太郎は違う。
憧れのさらにその先にいた兄でさえ、いずれ超えるべき力士と考えられるようになっていた。
新たな再起を誓い別れて行った印度華麗の横顔が、テキサス山の背中が、光太郎の燻っていた闘志を再燃させる。
一人の力で此処に立っているのではない。
命を賭けて戦った力士たちの思いを背負って戦場に向かうのだ。
その中には第二回戦での健闘を誓ったフラの舞も含まれている。
次の瞬間には、光太郎の顔から弱気が消え失せた。
「私とて全盛期の力を保っていられるのは後数年だろう…。ワイキキの浜が亡くなった後、フラの舞は自分の力だけでアメリカ相撲界のトップに食い込むほどの実力者となった。本来ならばお前ごときでは逆立ちしても勝てるような相手ではない。まずそれを忘れるな」
羽合庵は片足を振り上げた後、地面に落とす。
実戦に近い試合形式の稽古が始まるのだ。
(まず光太郎にハワイの相撲というものを教えねばならぬ。世界の相撲において異質な存在であるハワイ相撲、それこそが二回戦の突破口となるだろう。そうかつてワシが雷電師匠から日本の相撲を教わったように…)
羽合庵は屈託のない笑いを浮かべる海星雷電の姿を思い出し、涙を流す。
その間、光太郎のところに英樹親方がやって来る。
「お父ちゃん。羽合庵師匠、何か泣いていないでごわすか?」
「おい、光太郎。羽合庵も年齢だからな。多分、死んだお前の祖父さんの事を思い出して涙腺が緩んでいるのじゃろう。見なかったことにしてやれ」
光太郎と英樹の親方は羽合庵の涙もろい一面を見て互いに笑い合う。
羽合庵は大きな咳払いをして場の空気を引き締めると稽古を再開する。
無論、稽古が終わった後は光太郎と英樹に説教をしてやるつもりだった。
羽合庵はハワイ相撲の登竜門として”火山の型”について教えることにした。
火山の型とは鉄砲の打ち合い、即ち熾烈極まる張り手合戦で敵を圧倒する戦法である。
羽合庵はこれまでの光太郎の修行の中でハワイ相撲の基本的な部分を組み込まなかったのは火山、嵐という二つの二大戦法は力士の体格に依存するという理由だった。
光太郎の体格は日本国内でもギリギリ標準値で、世界レベルでは小柄な力士である。
さらに羽合庵と出会った当初は消極的な性格でハワイ相撲との相性は最悪だった。
「光太郎。これからの修行では私の故郷に伝わるハワイ相撲の戦いを方を教える。正直なところ内向的な性格のお前には不向きな戦い方ばかりだが、今回はハワイ相撲の名手であるフラの舞だ。多少の無茶も覚悟をしておけよ」
羽合庵は腰を落とし、両手を小さくして構えた。
光太郎は普段通りの前傾姿勢で羽合庵を見上げる。
そして美伊東君の「用意、…始めッ‼」というかけ声と共に稽古が始まった。
美伊東君が土俵を離れた頃を見計らって英樹親方が隣にやって来た。
「のう、美伊東君。羽合庵は本気でハワイ相撲をうちの光太郎に教えるつもりか?ワシも若い頃、何度か習ったが正直光太郎には不向きな戦いだと思うんだが…」
「確かに仰る通りです、英樹親方。若にはハワイ相撲は不向きな戦法でしょう。ゆえに羽合庵は自らの得意とするハワイ相撲を教えられなかった。だが逆にこう考えてはどうでしょうか?今は若の実力も増し、その時が来たのだと。遅かれ早かれフラの舞の先にはハワイ相撲の流れを組む最新最強のアメリカ相撲の使い手テキサス山がいるのですから」
アメリカ相撲の事情に通じている美伊東君の眼光が鋭くなっている。
近年のアメリカ相撲にはハワイ相撲、欧州相撲のテイストが取り入れられているのは周知の事実だった。
スピーディーな決着を求めるアメリカの力士たちに日本の伝統派力士たちが苦汁を舐めさせられる場面も決して珍しくはない。
(翔平、お前の言う通りになってしまったな。今やガラパゴス化した日本の伝統相撲では世界の相撲に太刀打ち出来ぬ。ワシはもっとお前の話を聞いておくべきだったかもしれん)
英樹親方は家を出た長男翔平の事を思い出しながら苦笑いで答える。
美伊東君は頭を縦に振った後、光太郎の体調に変化が出ていないかを見ていた。
バチィッ‼
最初に威力の比較的軽い張り手が光太郎の頭に入った。
光太郎の予想と同じく、その張り手は何とか我慢できる程度の威力だったので光太郎は強引に突っ込んで組み付く戦法を選択した。
羽合庵はまわしを取ろうとほぼ一直線に突っ込んで来る光太郎を見ながら笑っていた。
(素晴らしい成長だ、光太郎。気がついているか?昔のお前なら顔に張り手を受けるだけで逃げ出していただろう。だが今のお前はどうだ?痛みに耐えて、私のまわしを取りに来ているではないか)
そして羽合庵は第二の張り手を放つ。
続く第三、第四と徐々に速度を上げる。
張り手はあくまで土俵際に敵を追い詰める手段、真の狙いは相手の反撃の芽を摘み取ることにあった。
光太郎は羽合庵の思惑通り、手足を引っ込めたカメのように守勢に徹している。
光太郎は絶対防御の体勢を維持しながら羽合庵の表情を見る。
羽合庵は笑っていた。
己の意のままに光太郎の動きを封じ込めた事にしてやったりと喜悦の情を漏らしていたのだ。
つまりこの状況こそが羽合庵が待ち望んでいた真の形。光太郎は奥歯を噛み締めて第二波に備えた。
バチバチバチィッ‼
さらに激しさを増す羽合庵の張り手の嵐。
もしも光太郎が連勝ストッパーの構えを体得できていなければ今頃は逃げ出していたはずだ。
羽合庵の壮絶な張り手の嵐は筋肉と脂肪という鎧に覆われた力士の肉体をとことん削る。
だが光太郎は耐えるしか無かった。
これが羽合庵が弟子に見せたかったハワイ相撲であることは間違いないのだから。
光太郎はガードをさらに固めて張り手の突風の中に身を置く。
今は嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
「光太郎よ、顔を上げろ。守ってばかりの稽古では飽きただろう。次は楽しいダンスの時間だ。私のまわしを取るがいい」
と羽合庵が言うや否や光太郎は極太の腕を掻い潜り、ジャージの腰の部分を押さえ込んだ。
光太郎の腕は痺れていたが今という機会が二度と訪れぬ事を本能で感じていた為に全力で掴んだ…、はずだった。
「これは…ッ‼ぐうううッ‼痛いッ!痛いでごわすぅぅッ‼」
光太郎の腕が外から羽合庵に固められていた。
肩、腕、肘、手首の関節が一瞬で悲鳴をあげる。
相撲技でいうところの閂の形に近いものだったが威力が桁違いだった。
(ほう。これにも耐えられるようになったか。素晴らしい成長度合いだぞ、光太郎)
羽合庵は無慈悲に光太郎の関節を固定する。
そして綱引きよろしく光太郎の身体を後方に引っ張った。
「こッ‼こなくそうッッ‼ハワイ相撲がなんぼのもんじゃああああッッ‼」
光太郎は泣き言を止めて綱引き合戦に応じた。
全力で挟み取られた己の腕を脱出させようと身体の軸をずらし、立ち位置を逆転させようとした。
しかし羽合庵は涼しい顔で優勢を維持する。
そしてどこか楽しそうに光太郎に極めて絶望的な事実を告げた。
「光太郎、どうした?これはまだ序の口だぞ。私はここから土俵中央までお前を引っ張って仕切り直しをするのだからな。その女子のような腕が引き千切れないように覚悟しておけ。これがもう一つのハワイ相撲、嵐の型だ」
どれほど力を込めようとびくともしない圧倒的な力で光太郎は宣言の通りに土俵中央まで引きずられていった。
英樹親方は顔を両手で多い、美伊東君は冷徹な視線で光太郎と羽合庵の師弟に向けている。
そして二人が中央まで戻り、稽古が中断された時に拍手しながら土俵に入った。
何が好ましいのかと光太郎は信じられないものを見たという顔つきで美伊東君を見ている。
光太郎は真っ赤に腫れ上がった己の腕を庇い、撫でていた。
「流石は羽合庵。若に怪我をさせないように細心の注意を払って見事、嵐の型を実践して見せたのですね」
羽合庵は英樹親方からタオルを受け取って顔を拭いていた。
そして半泣きになっている光太郎を見た後、満足した顔つきで笑っていた。
「これでそこのルーキーもハワイ相撲の恐ろしさを知ったことだろう。光太郎、私は今でもハワイ相撲界のナンバーワンを誰にも譲る気はないが次のフラの舞戦では二倍、いや三倍の力で来ると思え。いいな?」
光太郎は美伊東君からタオルを受け取り、汗と土を落とす。
そしてどうにか羽合庵に頭を下げて了解の意を示した。
腕と足腰が悲鳴を上げて声を出すことが出来なかったのだ。
「羽合庵、やはりワシはこの特訓には賛成できん。アンタほどの技巧達者な力士ならばともかく、うちの光太郎がハワイ相撲を一朝一夕で身につけられるとは思えん」
羽合庵は眉間に皺を寄せて不快の表情を作る、
そして要らぬ世話だとばかりに英樹親方を光太郎から引き離してしまった、羽合庵は英樹親方が長男翔平が出奔した事から光太郎に対して特に過保護になっていると考えていた。
自分には厳しく他人は優しいという部分は海星家の人間の長所だが、今は光太郎の”独り立ちしたい”という願望を優先すべき時である。
羽合庵は敢えて血のつながった弟同然の英樹親方を冷たく追い返す他無かったのだ。
「それは無用な気遣いというものだ、英樹。見ろ、光太郎は既に次の特訓の準備に入っている」
羽合庵は立ち上がり、自分の顔を叩いて気合を入れ直している光太郎を指さした。
英樹親方は一瞬だけ寂しそうな顔をしたが、羽合庵の意志に従って土俵の外に出てしまう。
「美伊東、ワシはとんでもない間違った選択をしてしまったのではないだろうか。光太郎を駄目息子と決めつけて、翔平には部屋を継がせることばかりせっついて…。このままでは死んだ親父にもうしわけが出来んわい」
英樹親方はいつになく弱気になっていた。内心では何とか翔平と連絡を取り、光太郎の朗報を伝えてやりたかった。
今にして思えば翔平は誰よりも光太郎の成長を喜んでいた優しい兄だった。
美伊東君は父親、相撲部屋の親方として自信を失いそうに英樹親方の肩を優しく叩く。
そして美伊東君の目線の先には再び、羽合庵に挑みかかる光太郎の姿があった。
「ご安心ください、キン肉大王様…じゃなくて英樹親方。若の強さの源には必ず英樹親方と綿津海部屋の心意気があります。残念ながら僕たちにはハワイ相撲を教えることは出来ませんが精一杯の応援をすることはできます。今はキン星山をしんじましょう」
英樹親方は涙を拭いて光太郎と羽合庵の姿を見た。
汗の珠を散らしながら果敢に羽合庵に挑む光太郎こそが世界にただ一人の力士だと信じながら。