第七十七話 獅子縛兎‼の巻
文字数を多くしてしまったことが裏目に出て更新が予定よりも二日遅れてしまいました。
ごめんなさい。しかし、次回は三月八日に更新します。どすこい。
東ドイツ代表のブロッケン山が東側の絶対王者”雷帝”を倒した。当時の世界情勢からすると同士討ちのようなものだったがブロッケン山の躍進は東欧、ソ連勢に衝撃を与えたことも事実である。
”雷帝”は祖国の命令で”倫敦橋”に勝利を譲るような力士ではない。
そしてブロッケン山は当初”雷帝”もしくは”倫敦橋”と当たった場合は勝利を譲渡するように東ドイツ本国から命令された事に不服を申し立て、一時は辞退する姿勢を見せたこともあったのだ。
今回のベテラン力士同士の筋書きの無い真剣勝負が持つ意味とは第二回スモーオリンピックの覇者こそが次の世界相撲界の頂点になる資格を持つ者ということに他ならなかった。
その頃、ブロッケン山は息子”鈴赤”と一緒に控室へと向かっていた。
数十年前から相撲において東ドイツはソ連の下流に甘んじていた。
その理由とは”雷帝イワン山”の存在である。最強の肉体と精神、技術、経験値はロシア国内のみならず東欧の力士たちにとっても脅威だった。
ブロッケン山も若い頃から何度も挑んだ事があったがまわしを掴むことさえ出来なかった。
いつ世界相撲大戦に発展してもおかしくはない危うい国際情勢だった為に実現することは無かったが仮に倫敦橋が戦いを挑んだとしても雷帝には容易に勝利することは出来なかっただろう。
ブロッケン山自身今の勝負は”偶然の産物”と今でもハッキリと断言できる。
ブロッケン山は鼓動と恐怖心を鎮める為に先ほどから興奮冷めやらぬ鈴赤の頭を強く撫でた。
「おい。痛いぜ、師匠。そんな力で撫でられた日には髪の毛が抜けちまうよ」
ブロッケン山は鈴赤の不機嫌そうな顔を見ながら苦笑する。
自分は死闘から生還したのだ。
今まで祖国の威信を賭けて死闘に興じた経験はあったが、自らの意志で全精力を費やして戦ったのは生まれて初めての経験かもしれない。
今はこうして何かに縋っていないと正気を保てないほどに消耗していた。
否、次の相手の事は試合の直後に知ってしまった。
休んでいる暇などもう無いのだ。
「うるせえな。じゃあ俺みたいに髪の毛を剃れよ」
「えっ⁉俺、師匠と同じ髪型にしていいの?マジで?」
ブロッケン山の思いがけない発言に鈴赤は気を良くする。
今まで鈴赤は二世力士と呼ばれる事を嫌って故意にブロッケン山とは違う髪型や服装にしていたのだ。
憧れの対象である父親から同じ髪型にしても良いという許可が降りて表情もさらに明るいものになる。
(やれやれ軽率な事を言っちまったな。光太郎のところの美伊東君にでも相談しようかな…)
ブロッケン山はまんざらでもない顔をしながら通路を歩いた。
そして控室に戻る。
古い造りのスポーツ選手用の控室では予想通りに東ドイツのコーチが待っていた。
ドラッケン山は現役を退いてしまったがブロッケン山の先輩にあたる力士だった。
「よお、ドラッケン山。今は疲れているんだ。説教なら明日にしてくれねえか?」
「黙れ、不良力士が。大体お前は自分がやって事を理解しているのか。雷帝の敗北は東側の相撲界に乱世をもたらす。この意味がわかるか?」
「けどよ、あの爺さんが現役でいられるのは後2、3年てところだったぜ。こっちは今まで脇役に甘んじてきたんだ。本音はどうなんだよ、ドラッケン山?」
ドラッケン山はニヤリと笑ってから、ネクタイを外して地面に叩きつける。
この男も長年、雷帝に踏み潰され続けた過去があった。
「でかした、ブロッケン山。あの爺さんの伝説なんざ糞食らえってのが俺の本音だ。責任は全部お前が取れ、以上」
ブロッケン山とドラッケン山は大いに笑った。
大会が終われば祖国から正式に引退させられるのは目に見えていた事だが、憎き雷帝に復讐することが出来たのだから後悔は無い。
その中で鈴赤だけは何が起こっているかわからず呆気に取られていた。
鈴赤は床に落ちて埃まみれになったネクタイを拾い上げ、ドラッケン山に渡す。
ドラッケン山は大笑いしながらネクタイを受け取り、締め直した。
「俺たちにはこの鈴赤がいる。安心しろ、ドラッケン山。後何年かすれば倫敦橋よりも鈴赤の名を世界中に人間が知ることになるだろう。問題は二回戦の相手だ」
そこでブロッケン山の顔からお気楽さが失せて、真剣勝負に臨まんとする力士に変わった。
ドラッケン山も両腕を組みながら二回戦の相手について考えた。
次の相手は雷帝を倒す”前”までならばブロッケン山が国同士の取り決めで勝利を譲られなければならない相手だったのだ。
少なくとも生還する確率は今よりも高いものだったのだろう。
「対戦相手を50パーセントの確率で再起不能、死亡させている相撲界の殺し屋、ラーメン山か。ブロッケン山よ、鈴赤が祖国に戻って相撲を続けるには勝つしかない相手だぞ。勝算はあるのか?」
ブロッケン山が今回の大会で特に警戒していた相手の一人がラーメン山だった。
ラーメン山は中国に古くから伝わる相撲拳の使い手であり、おとなしい外見からは想像も出来ないほどの激しい相撲技を繰り出す力士であることは周知の事実である。
凡庸な力士であれば一回戦の相手のように気絶した状態で土俵の外に放り出される程度だろうが、ブロッケン山ほどの実力者が相手ともなれば命の取り合いになることは避けようが無い。
しかしブロッケン山は敗北した雷帝の顔を横顔を思い出し弱気を追い出した。
相撲とは常に命の危険を覚悟しなければならない戦いなのだ。
「やれるかどうかじゃねえよ。俺たちはもうやるしかねえんだ、ドラッケン山。ヤツが相撲界の殺し屋なら、俺は相撲界の”竜殺し”だ。当日を楽しみにしてな」
ブロッケン山はドラッケン山の肩を叩き、ドクロの徽章がついた軍帽を被る。
ラーメン山はアフリカ代表のサバンナ山を倒し既に二回戦進出の権利を獲得している。
ブロッケン山が記者たちに聞いたところによれば試合にかかった時間はわずか一分、スモーオリンピックの最短記録を更新したらしい。
サバンナ山は粗削りだが今大会ではテキサス山に次ぐパワーファイターとして知られている。
(ラーメン山か。一度は戦ってみたかった相手だぜ…。相手にとって不足はねえ)
激戦を前にかつてないほど昂るブロッケン山の姿を鈴赤は尊敬の眼差しで見つめていた。
一方、ブロッケン山の歴史的な勝利を喜んだ者は他にもいる。
「何のつもりだ、倫敦橋。まさかこのボクと真剣勝負をしようなんて言うつもりじゃないだろうな…」
もう一人のアメリカ代表スペシャル山は額に浮いた汗を拭った。
スペシャル山の眼前に立つ今大会の本筋によれば最初から優勝することを決められた男は両手を開いて、スペシャル山を歓迎するようなポーズを取る。
もはやルールを従う必要は無い。
ここからはより強い者だけが先に進む事が許される世界、と言わんばかりに倫敦橋はスペシャル山に手招きする。
会場に集まった観客たちは文字通りに震えた。
「その通りだ、スペシャル山。ソ連の雷帝が倒れた以上、私が無傷で優勝する当初の筋書きは消えた。さあ、いつもはテキサス山の為に二番手に甘んじてきた貴公の実力を私に見せてくれ」
倫敦橋は両腕に力を込めて、クワガタムシのハサミのように閉じてしまった。
その姿は人というよりも城塞のそれだった。
一方、スペシャル山は相手の動きに合わせて腰の位置を低くする。
倫敦橋に勝って自分の名を売りたいという気持ちはあったが今は思いを封印している。
スペシャル山は二流の力士ではない。
既に目の前の倫敦橋と自分の実力が比べ物にならないくらい事に気がついていたのだ。
(僕の役目はテキサス山の為に少しでも倫敦橋の体力を削り、手の内を明らかにすることだ)
スペシャル山は奥歯を強く噛んだ直後に必殺のアメリカンフットボール式タックルをぶちかました。
「ウォォォォーッ‼これがアメリカンドリームタックル体当たりだーッ‼」
スペシャル山は倫敦橋のまわしを取り、そのまま場外に向かって突進した。
スペシャル山は土煙を上げながら倫敦橋の肉体を土俵間際に追い込んだ。
「そうだ。スペシャル山よ、もっと魂を燃やすのだ。私たちは戦う為にここまで来た。所詮戦いとは命の奪い合いだ」
倫敦橋の腕がスペシャル山のまわしを掴んだ。
無駄な筋肉が一切ついていないしなやかな腕。
しかし、五指が触れた途端に鋼鉄の鉤爪に変わる。進撃がピタリと止まる。
スペシャル山の奮戦もここまでだった。
(ここまで違うのか。同じ力士だというのに…ッ‼)
スペシャル山は己の弱さに悔やみ涙を流す。スペシャル山はアメリカ本国での選考会ではテキサス山とフラの舞に負けて、敗者復活戦でどうにか第三枠から出場するに至った。
慣れぬ肉体改造、精神鍛錬と決して楽な道のりでは無かった。
プライドを捨ててまで戦いに臨んだというのに現実は遥かに過酷だった。
倫敦橋はその気になればスペシャル山を造作も無く叩き潰せる破格の力士だったのだ。
「世界最強が何だ‼僕はアメリカ代表のスペシャル山だッ‼」
スペシャル山は渾身の力を込めて耐えた。
耐え忍んだ。
一方、倫敦橋のアイスブルーの瞳がヘルメットの奥で燃えている。
スペシャル山のデータ以上の力を受けて、倫敦橋の中で餓えていたはずの闘志に火が点いたのだ。
「左様。世界最強の称号に意味など無い。最強とは今この瞬間にも書き換えられている。そして私は幾億の最強を越えて真のスモーナイトとなるのだッ‼お前はその為の踏み台に過ぎんッ‼」
倫敦橋は強引にスペシャル山の腕を引き剥がし、戦旗の如く頭上に掲げ上げる。
観客はざわざわと色めき、主審が一気に動き出す。
倫敦橋はスペシャル山の肉体を頭の上で支えていた。
アメリカ、イギリス側の審判たちは一斉に土俵に入り倫敦橋の前に詰め寄った。
「そこまでだ‼倫敦橋ッ‼今大会において決勝戦はまでは”タワーブリッジ投げ”は禁じ手とされていることを忘れているのか‼仕切り直しだ‼一度離れろ‼」
倫敦橋は「下衆が…」と短く言い放った後、スペシャル山を降ろしてやった。
スペシャル山は自分の頬を勢いよくぶん殴る。
左の口もとから血が流れた。
倫敦橋は含み笑いを漏らしながらスペシャル山を見下ろす。
軽蔑されて当然の展開だがスペシャル山は倫敦橋から目を離さなかった。
藁にも縋る一心で勝利を掴む覚悟だったのだ。
「面白い。恥と汚辱にまみれても尚、闘志を失わないというのか。流儀ではないが最後までつき合ってやろう」
「黙れ、世界王者。最後に勝つのは…、僕だ。アメリカ力士の底意地を舐めるなよ!」
倫敦橋は両手を出して構える。
その視線の先には魂を燃やし尽くしたスペシャル山の姿があった。
(このチャンスをものにして僕はテキサス山とカナダ山の隣に並ぶ‼必ずだ‼)
誰がどう見ても兎が獅子に挑みかかるような明らかに結果が見えた戦いだった。
しかし、手負いの兎は最後まで獅子の喉元に食らいつき放すことは無かった。
三度目の撞木反りで地面に叩きつけられた時、主審がようやく倫敦橋の勝ち名乗りを出す。
倫敦橋は戦場を赤く染めたスペシャル山を一顧だにせず土俵を降りる。
敗者に用は無いとばかりに。
「残念だったな、スペシャル山よ。お前ごときでは決して届かぬ高みに私はいるのだ。さっさと傷を癒していつでもまた挑んでくるがいい。その度に土の味を教えてやる…ッ‼」
倫敦橋は執事からガウンを受け取り、会場を去る。
スモーオリンピック、第一回戦。
イギリス代表の倫敦橋は無人の野を征くように二回戦への進出を決めた。