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4.勇者と龍とダンジョンと

 ベリー魔導学院の学院長室にて、その面会は行われていた。居るのは現学院長である老賢者ネオ=ベリーと卒業生のトイラ。


「学院長。こちらがこの度発見された例のモノです」

 トイラが差し出してきたのは、呪符帯で厳重に包まれた数枚の紙切れ――魔導王ルトの発掘紙片だ。

 学院長はしわしわの手で丁寧に呪符帯を解き、その中身を確認する。そこに現れた紙片には、彼らが教え共に研磨し続けるリム式刻印魔術の刻印式とは明らかに一線を画す、特殊な術式が記されていた。


「ふむ。筆跡を見る限りでは、魔導王ルトの物と見て間違いないな」

「学院長、解析はどれくらい進んでいるんですか?」

 問われ、難しい顔をする学院長。

「各地より送られてくる紙片の大半は贋作だ」

 物が物だけあって好事家の蒐集品と言った面もあり、贋作が多かった。

「ご丁寧に特級の呪符帯で封じられている物まで存在するから質が悪い」

 騙す方も騙す方で、より凝った仕掛けを施していたのだ。特級の封印ともなれば解除するのにもかなりの手間が掛かった。


「こちらには何枚くらい、本物が集まってるんです?」

「確実に本物と判明しているのは八枚。また、判断し切れていない保留分が四枚だな」

「私が持ってきたのも本物としても、十五枚ですか。確か、魔導王ルトの手記は……」

「百七十八ページと言われておる」

 魔導王ルトの弟子だった者の手記にその枚数が書かれており、未だ十分の一も集まっていなかったのだ。


「学院にある分の紙片、見せて貰えますか?」

「写しで良ければ直ぐに渡せるが?」

 首を横に振るトイラ。折角だから、本物が見てみたいと言う。

「やれやれ。勇者見習いの愛弟子の頼みだ。特別に許可してやるぞ」

 傍らにあった杖でトンッと足下を突くと床に刻まれていた魔方陣が発動し、二人の姿は学院長室から転移させられた。


    ▽


「あんちゃん、勇者見習いのあんちゃん、飲めや、飲め飲め! ジャンジャン飲め!!」

 ドラゴンスライムを退治したサンとフェルの二人は、村人達に誘われるがままコペ村へと訪れることに。そして広場では、ドラゴンスライムを退治した事を祝い、どんちゃん騒ぎの大宴会が催されていた。

「お、おう」

 なみなみと注がれたエール酒を零さぬよう、慌ててジョッキへと口を付けるサン。大きく呷れば、きめの細かい泡が髭のように付く。


「ぷっはー。美味い!」

 手の甲で泡を拭っては空になったジョッキを差し出す。

「もう一杯くれぬか。斯様に美味い酒は初めてだ。素晴らしいのど越しに微かに感じる甘い香り――これは醸造に林檎(マルス)を混ぜてるな」

「やるな、あんちゃん。正解だ。しかも、ただ林檎(マルス)を混ぜるだけじゃないぞ。なんと酒樽も林檎(マルス)の木を使って作ってるんだ」

「ほほう。これならば王都に持っていっても売れるのではないか?」

 二杯、三杯と酒が進む。


「そうしたいのも山々なんだが、さすがに量が造れないからな。俺達が楽しむだけだ」

「そうか。ならば、この味を忘れぬためにも飲み尽くしてくれようぞ。そうであろう、フェルよ――って、フェル?」

「連れのあんちゃんなら、あっちですっごく食ってるぞ」

 村人が指差す先には、頬を一杯に張らせては出された食事をかっ込むフェルの姿があった。その食欲足るや、冬眠前のクマさながらだ。


「すげー、食いっぷりだね、お兄さん。こっちの肉も食うかい?」

「食います、食います」

 新たに受け取った肉汁したたる串焼きを、美味そうに噛み千切る。

 その見事なまでの食いっぷりに気をよくしたのか、フェルの前には次々と肉の塊が運ばれてきていた。


「兄さん、こっちの林檎(マルス)を使ったパイも食べな。コペ村の名物なんだよ」

「おお、そうだそうだ。コペ村に来て林檎(マルス)パイを食わないってのは人生の半分を損してることになるぞ。村長の儂が言うから確かだ」

「ご老体、もう半分は何だ?」

「決まってるだろ。この林檎(マルス)エールを飲むことだ」

 サンが口を挟めば、気の良い返事が返ってきた。

 そして、がはっはっと笑いあってはジョッキを空にする酔いどれ集団。一方パイを勧められたフェルは、それを手に取ろうとするも――


「徴収」


 横から現れた影にかっさらわれた。

 隣を見れば、

「あっ、こら待て、キラ」

 皿ごとパイを抱きかかえて逃げていくスプリガンの少女がいた。

「生菓子なんて日持ちしないんだから、借金の形にはならないだろ! 返せよ!!」

 フェルの言葉など聞く耳持たぬとばかりにうまうまと食べだすキラ。


「なぁ、あのちっこい娘はなんだ?」

「ああ、気にしないで下さい。ただの、俺に憑いてる借金取りですから」

「おいおい、大食いのあんちゃんは借金持ちかよ。だったら、もっと食ってけ食ってけ」

 フェルの前にある皿の上には次々と料理が盛られていった。


「だけど、若いのに何やって借金なんて抱えたんだ?」

「あー、親父の事業失敗かな。それで一族にまで尋常じゃない借金が課せられたんだ」

「それは……大変だな」

 そう声を掛けるしかない村人達だった。

 幸い、田舎過ぎるコペ村にまではジンク商会倒産の噂は届いていなかった。


「まぁ、故郷にまで戻れば俺の分の借金はどうにかなるらしいんだけどさ。ただ、その道中は借金取りのそいつが付きまとうって寸法」

「ならなおさら、食える時に食っとけ」

 次はいつ、腹一杯に食べられるかわからない料理に舌鼓を打つフェルであった。


    ・

    ・

    ・


 その後も宴会は深夜まで続き、二人は公衆浴場として解放されている温泉に浸かっていた。

 ほどよいと言うには若干熱すぎる湯加減に耐えつつも、湯船に浸かっては夜空を見上げる。

 都とは違い街灯すら無いコペ村の夜は暗く、頭上には無数の星々が瞬いていた。


「さすがに勇者を志すだけあって、いい身体してるよな。

 ……股間のそいつは既に豪傑そのものだけど」

 引きつった笑みで言うフェル。彼の向かいでポージングしているサンの身体は、剛剣を振ることに最適化したような、強靱な筋肉(にく)付きをしていた。

「そうか? 俺としてはもう少し無駄な筋肉を落としたいんだがな」

「筋肉はあった方がいいんじゃないのか?」

 戦わない者としての些細な疑問だった。


「確かに重量級の武器を扱うなら力はあった方が有利だ――が、余分な筋肉は身体を重くするだけだからな。

 勇者スイが残したとされるハイドナー王家に伝わる剣術は、男性よりも筋力の劣る女性が振るうことを前提でな、力よりも速さを尊ぶものなんだ」

「へー、勇者の剣術ってヤツか」

 素直に感心する。

「姉上の剣裁きなど、まさに神速だぞ」

「トイラ先輩が!?」

 つい昨日知り合った姫は、どう見積もっても剣を振るうタイプには見えなかった。


「あっ、いや、フル姉上じゃなくて長姉であるアーセ姉上だ」

「ああ、アーセ姫様か」

 サンの上には二人の姉がいたことを思いだす――も、逆に一つの疑問が過ぎった。

「アーセ姫って剣を振るえるのか!?」

 写真などの映像でそのお姿を拝見したことがあるフェル。だからこそ、驚きが隠せない。

 魔法使いであるトイラよりも遙かに華奢であるアーセ姫。その容姿たるや、まさに物語に出てくるようなお姫さま然り。その可憐な姫は守る対象でこそあって、剣を振るうとは思えなかった。


「アーセ姉上の剣速は王国一だぞ。並の騎士など、一呼吸つく間も無く喉元に姉上のレイピアが突き刺さっているであろうな」

「姫様って……凄いんだな」

 絞り出すように口にした感想はそれだけだった。

 勇者としての血を色濃く受け継ぐ姫なだけあってか、自分よりも遙かに強いとサンは言う。

「だから俺もアーセ姉上に負けぬよう、日々剣の鍛錬を怠らず鍛え続けているのだ」

 グッと握り拳を作っては夜空へと伸ばす――途端、


「グッ……」


 くぐもった悲鳴を小さく上げ、伸ばした右腕を押さえ込むサン。突然の様子の変化に、フェルが駆け寄ってきた。

「お、おい、サン。大丈夫か!? ドラゴンスライムにケガでも負わされていたのか?」

「気にするな。いつものことだ」

 心配げに声を掛けてくるフェルを左腕で制すサン。

「こいつはスイの剣を使った反動だ。適性者ではない俺が本気で振るうと、決まって腕に痛みが走るんだ」

 言うサンだったが相当に苦しいのか、額には無数の脂汗が浮き出ていた。


「この感じなら朝までには収まってるはずだ。だから気にするな」

「だけどさ……腕、一回り細くなってないか?」

 無駄な筋肉は付けないとは言っていても、自分と比べれば遙かに筋骨隆々の太い腕だったサンの右腕が、自分よりも細くなっていたのだ。

 フェルが気になるのも無理なかった。

「すまぬがばあやを連れてきてくれ」

「解った」

 他の衣装と共に脱衣所に置いてきたグローブを取ってくることに。


「ばあや、いつものを頼む」

『はいはい、解ってますよ、坊や』

 苦痛に耐えるサンと違い、彼の左手に填められたグローブはのほほんとした返事を返してきた。


『光あれば光の内に、闇あれば闇の外に、天地の開闢より、万の理を象りし母よ。

 貴女の息吹は全てを癒やし、貴女の吐息は安らぎへと誘わん。

 穏やかなりし至高なる女神よ。

 健やかなる貴女の子らに一時の救いを与えたまえ』


 奏でるように紡がれていく祝詞(いわいことば)。それは神々の力を借りた神域魔法の詠唱であった。

 ナトリの神域魔法によって形成された魔力の帯が、サンの細くなった右腕を包み込むように巻き付かれていく。

「あれって、治癒術を帯状に編んでるのか……」

 通常、治癒の光を当てて終わる治癒術。それを長時間掛けっぱなし状態にしてることに舌を巻く。


「……凄すぎだろ」

 目の前で展開されていく高レベル過ぎるの神域魔法に、ただただ感嘆の声を上げるしかなかった。

 それほどまでに信じられない魔法の使い方だった。


『坊や、これで痛みは治まったはずです』

「すまぬ、ばあや。感謝する」

 調子を確かめるように二度三度と腕を振るサン。一重二重にと帯が巻かれたためか、腕は元の太さに戻っていた。


「どうだ、フェル。

 神の力で封印された右腕って感じで格好いいだろ」

「えぇっと……」

 意気揚々に言われても、返す言葉に窮するしかないフェルだった。


    ▽


 フェルとサンの二人は朝一でコペ村を発ち、姫勇者スイの装具が納められているとされるダンジョン目指して道無き道を歩いていた。

 ドラゴンスライムが暴れた影響か、多くの巨木が無造作に倒され、大岩が転がる。

 そんな荒れ果てた地、満足に歩くことも難しく、時には両手を使って障害物を越える必要があった。

 今も前を塞ぐように転がる大木を乗り越えようと、腕をつくサンの姿があった。

 そんな彼の右腕を見ては言う。

「本当に元通りなんだな」


「ん?

 ああ、これか」

 何でも無いとばかりに元の太さに戻った右腕を振るサン。

「ばあやの治癒術は最高だからな」

『クスッ、私を褒めても何も出ませんよ』

「フン。事実を言ったまでだ」

 照れるようにそっぽを向くサンだった。


「けど、剣を振る度に激痛が走っていたら、身が保たないんじゃないのか?」

「あそこまで痛むのは大技を繰り出した時だけだ。通常で振るう分には腕が萎む程度だ」

「萎む程度って……」

 本当に大丈夫なのかと逆に不安になる物言いだったが、

『坊主の身体がまだ慣れておらぬからな。慣れれば問題無い。』

『そうそう。坊やの身体が慣れれば問題無いわ』

 歴代勇者を見守ってきた二人の英霊にまで言われてしまえば、そんなモノなのかと流すしかなかった。


    ・

    ・

    ・


 訪れたのは小高い岩山の上に作られた小さな祠だった。

「こっちだ、フェル」

 サンに促され、祠の裏へと回り込むとそこには地下へと続く階段が存在した。


「ばあや、灯りを頼む」

『はいはい』

 初歩的な神域魔法である灯りの魔法を唱えるナトリ。

『坊やは本当に人使いが荒いんですから。坊やもいい加減、灯りの魔法くらい覚えなさいよね。そんなんじゃ、勇者への旅路も困難になりますわ』

 老婆心ながらの愚痴が彼女から飛んできた。

「うぅ……俺だって覚えたくはあるんだ。でも、俺には魔法の才能が無いからな」

『ナトリよ、そう坊主を急かすな。無いなら無いで、出来る仲間を募れば良いだけだ。だからこそ、スイは我らを仲間に加えたのであろうよ』

 そんな三人のやり取りを後目に、フェルは興味深げに石階段を眺めていた。


「なぁ、サン。無造作に入り口が開け放たれているけど、大丈夫なのか? 勇者の装具があるなら盗みに入るヤツとかいないのか?」

「ああ、それなら大丈夫だぞ。

 姫勇者のダンジョンに入れるのは、スイの血筋を引いてる者か、それらの者から許可を得た者だけだ」

「俺はトイラ先輩から許可を得てるってこと……なのか?」

 許可を得たのは指輪の貸与だけであり、ダンジョンへの立ち入りまでそうかなのか疑問が残るフェルだった。

 でも、実際に立ち入れているから許可を得ていたんだろうと、気を引き締めることに。

 だからこそ、


「このダンジョンってどれくらいの規模なのか解ってるのか?」

 先を行くサンに問い掛けた。

 情報が足りないのだ。

 地下へと続くだけあって、ダンジョン内部はヒンヤリとし触れた石壁は冷たい。石造りの構造からしてもっともオーソドックスな代物だと言えた。


「姫勇者の装備を納めているダンジョンは試練のダンジョンでもあるからな。内部迷宮は毎回変わるらしいぞ」

「それって、難易度が無茶苦茶高くないか?」

「四代前の女王の妹君が挑戦した際は、百層近く潜っても見付けられなかったとか」

「…………」

 その途方も無い広さに、フェルは回れ右をしたくなった。

「俺、サンについていっていいのかな?」

 成り行きで同行しているが、パーティーを組んでる訳でもない二人だ。一緒に潜る謂われない。


「今の俺って、戦力にはなってないんだけどさ」

 何だったら、自分は後で出直そうかと促す。トイラの口ぶりからして、もっと簡単に手に入るものだと思っていただけに、同行するのに気が引けていた。

「かまわぬぞ。

 俺としてもフェルが一緒にいると楽しいからな」

「いいのか!? 正直、絶対に足手まといになる自信があるんだけどさ」

 卑屈――と言う訳でもなく、商人として鍛え上げられたスキルが、現状におけるフェル自身の立ち位置を正確に把握させてくれていた。

「かまわん。ひと一人守れなくして何が勇者だ」

 かっかっかっ――と、サンは楽しげに笑ってみせる。それだけの度量が彼にはあった。

 目の前の王子が憧れや酔狂で勇者を目指してるんじゃないんだと、理解するフェル。だからこそ、彼は自身で出来ることを模索する。


「サン。少し待ってくれ」

 フェルは持っていた荷物袋を漁り工具一式からペンを、そして、

「紙は……こいつでいいか」

 それはリトスからの手紙だった。

 何も書かれていない裏面にペンを走らせていく。


「何をしてるんだ?」

「マッピングだよ、マッピング。闇雲に彷徨っていたら、帰るに帰れなくなるだろ?」

「おお、それもそうだな。すっかり失念しておったぞ」

 素直に感心してみせるサンだったが、それはそれで大丈夫なのかと若干の不安を感じさせてくれた。

 フォローしよう。

 サンのダンジョン攻略をフォローしてやることが、今の自分に出来ることだとフェルは考えたのだった。


「では、行くぞ。

 俺の勇者への旅路の第一歩だ!」

 通路の中央を臆することなく闊歩していくサン。対してフェルは辺りを注意深く見渡しながらも、脳内の片隅で歩数を数え地図を描いていく。

「なぁ、サン。罠とかは気にしなくていいのか?」

「フン。罠なんぞ、喰らってから噛み砕けばいいだけだ」

「それ、勇者って言うよりも覇者だろ」

 フェルは呆れ気味にそう零してみせた。


 その後、二人の探索は始まり、一層、二層と順調に階層を下へと進むことに。途中、遭遇する魔物は雑魚ばかりで、技を繰り出す必要なく倒せていた。

 だからこそ、

「思ったよりも深そうだな」

 1フロア辺りの広さはさほどではないのだが、四層、五層と階を重ねるごとに先の見えないゴールへの不安が嵩んでいく。


「トイラ先輩は俺一人でこんなダンジョンに潜らせる気だったのか?」

 サンが一緒だからこそ攻略できているが、自分一人だったらさすがにここまでは潜れなかったと考える。

「たぶん、姉上が潜った時は階層も無く装具が目の前にあったのであろうな。あの人は当たりを引き当てることに対して、天賦の才を持っていたからな。幼い頃は何度それで煮え湯を飲まされたことやら……」

 ブツブツと恨み節になっていく、どこか歪な賛辞であった。

「……本当にあの人とゲームすると必ず――」


『坊主!』


「解ってる」

 サンとポロスがほぼ同時に反応した。

「サ……」

 呼び掛けた言葉を飲み込むフェル。サンの緊迫した横顔に黙るしかなかった。


 通路の曲がり角の壁に身を潜めては、奥の様子を窺い――

「――――」

 そしてフェルは言葉だけではなく息をも飲んだ。

「な、な、な、なんだよ、あれ!?」

 小声で、それでいて大口を開けては慌てふためくフェル。通路の先にはまだまだ迷路が続くと思っていた。

 なのに実際に窺った先は大きく拓けた空間であり、その中央には大きな魔物が鎮座していたのだ。

 それは特異にして最凶の二つ名を持つ魔物――

「ここには龍なんているのか!? サン、聞いてないぞ!」

 昨日戦ったドラゴンスライムとは明らかに違った、王者の風格を秘めた――龍。そいつがいたのだ。


 ただ、よくよく見れば少しおかしい。

 鱗に覆われたはずの体躯は大きく抉れ、所々に骨すら垣間見えた。身体を動かす度に濁った体液が滴り、腐敗臭がフェル達の元にまで漂ってきていた。

「龍の死体がゾンビ化したようだが……」

 そこまで呟きかけ、サンはあることを思いだした。

「七年ほど前、アーセ姉上がどこかのダンジョンで巣くっていた龍と遭遇し退治したと聞いていたが、ここのことだったのか」

 素直に姉の偉業を感心するサンだったが、横で聞かされているフェルにはたまったものじゃない。

「だったら、どうして死体を残していったんだよ!? 普通、持って帰るだろ?」


 龍の死体。

 武具防具の素材から各種薬剤の材料にと、余す所無く使えるソレは一級品のお宝だ。並のハンターならば回収して当たり前のブツである。

「確か、金銭には困ってないから角を一本だけ取って、他は捨て置いたと言っていたな」

 実際に、腐敗龍(ドラゴンゾンビ)の角は一本根元から欠けていた。

「…………」

 ここで言い争うのも無駄だと悟り、気を落ち着けるフェル。大きく深呼吸しては問い質した。


「勝てるのか?」

「知らん」

 即答。ただし、続く言葉があった。

「だがな、アレを退治した七年前の姉上は今の俺よりも下だった。若い姉上が出来たんだ。俺に出来無いはずもなし!」

 それは、どこから生まれるのかすら解らない根拠の無い自信だった。

 そんなサンの鼓舞する気持ちに呼応するように、握る剣が淡く輝きだした。

「行ってくる。フェル、貴様は隠れてろ」

 それだけ残すとサンは颯爽と駆けだし、


「やあやあ、腐敗龍(ドラゴンゾンビ)よ。

 我は姫勇者スイが興しハイドナー王家が末裔。現女王シレ=ハイドナーが第三子、サン=ハイドナーだ。

 いざ、尋常に勝負!」


 腐敗龍(ドラゴンゾンビ)の背後で剣を構えては名乗りを上げていた。

「…………」

 その突拍子もない闘いの始まりに、頬を引きつらせるフェル。戦闘経験の無い彼にも、その行為があまりに馬鹿げていることは理解できた。

 人以上の存在相手に、馬鹿正直に全面から斬り結ぶ必要は無いのだ。

 だと言うのにそれを成した。

「あれが勇者の血族ってヤツなのか……」

 呆れるしかない。 

 だがそれで、圧されつつも善戦できるのは勇者の血筋であった。


 毒混じりのブレスを避けてはスイの剣を振るうサン。硬すぎる鱗に弾かれ、唯一刃筋が通った腐敗部位からは逆に溶解液が噴き出してきた。

 咄嗟に左腕の手甲でそれを防ごうとする。

『きゃっ! ちょっと、坊や。私で防ごうとしないでちょうだいな』

 左手のグローブにいるナトリからクレームが届いてきた。

「すまん。

 でも、ばあやなら平気だろ?」

 グローブに取り付けられている精霊石には傷一つ付いていなかった。ただしそれは、あくまで精霊石だけの話であり、手甲のプロテクター部分は溶けかけている。


 仕切り直すように距離を取るサン。飛び散る溶解液が厄介すぎて、完全に攻めあぐねていた。

 あれを掻い潜って斬り付けるなど、まだまだサンの腕前では酷すぎる技術だった。

 かと言って、浴びながら突き進むには装備が貧弱だ。


 一国の王子なだけあって、そこそこレベルの高い装備で身を固めているのだが、速さ重視のそれは軽装すぎた。腐敗龍の溶解液と毒ブレスに耐えるとなると、対毒仕様の刻印が施された聖属性のフルプレートでもなければ無理すぎた。

 だからと言って、退かないのは彼が勇者たる所以。


「腕の一本や二本、覚悟するしかないな」

『一本だけにしておけ、坊主。二本失ったら、攻撃する術が無くなるぞ。せめて、腕一本と半身だけだな』

『この剣術馬鹿は……』

 ポロスの言葉に呆れるナトリ。

『でも、やるのでしょ?

 最悪、命の灯火を少しでも残してくれれば蘇らせてあげますから、安心して浴びてきなさい』

 彼女も彼女だったりする。


 そんな三人のやり取りは、離れたフェルの元まで聞こえてきていた。

「サンのヤツ、無茶する気なのか……」

 苦い顔で呻く。

 魔術があれば支援も出来たのだが、今のフェルにはそれは叶わぬことが悔しかった。

 力を持たぬ彼に出来ることは、ただただ歯噛みし見守るだけなのだ。


 ――ちょいちょい――


 羽織っていたマントを引っ張られフェルが振り返ると、いつの間にか現れていたキラがある一点を指差していた。

 そこは、腐ったドラゴンと見習い勇者の苛烈なまでに激しい闘いの場よりも更に奥にある小さな空間だ。

「祭壇……みたいに見えるな」

 舞い上がる砂埃やらで見づらいが、何かが納められているのが解った。

 そして、この地でそんな状況で納められている物がなんなのか、理解できた。


    ・

    ・

    ・


 息を殺し、腐敗龍に見つからぬよう瓦礫の影に隠れつつ祭壇を目指す。

 辿り着いた祭壇には、

「これが勇者スイの盾……」

 白磁の如く白く滑らかな円形の盾が置かれていた。

 その荘厳さに見取れるのも一瞬。

 今も続く闘いの場へと顔を向ければ、明らかに今までの毒ブレスとは違った輝きが、龍の口から見て取れた。

「何だアレ!?」

 それが何なのかはフェルにも理解できない。ただ、ヤバいのが来ることだけが解った。


『坊主、退け! あれはヤツ本来のブレスだ!! 何龍かは知らぬが、毒と違って威力が強すぎるぞ!』

 ポロスに言われ避けようと動くも、サンは腐食に侵された床の一部が崩れ、足を取られてしまい上手いこと逃げられない。


『ナトリ!』

『解ってます!!』

 ナトリが防御魔法を展開する。

 しかし、そんなのは気休めでしかないことは誰もが解っていた。それほどまでに龍の本気のブレスは凶悪だったのだ。

 だが、その一瞬だけ猛威を防いだのが功を奏したことに。


 ――――ッ!!


 火炎ブレスと合わさるように、眩いばかりの白い光が辺りを照らし出した。

「アレは何だ? 俺を守ってくれているのか?」

 光の奔流に目を眩ましながらも何とか見えたのは、白く輝く物体が龍のブレスを押さえ込んでいたところだった。

『ぬっ!

 あれは、スイの盾だな』

 ポロスが答えた。彼とナトリは生前、その盾を見ていたのだ。


「姫勇者の盾……でも、どうして」

 混乱しつつも視線を泳がせば、離れた祭壇に人影がいるのが見えた。

「サン! そいつを装備するんだ!!」

「フェルか!?

 よく解らぬが、助かったぞ!」

 ブレスを防ぎ、目の前へと落ちてきた盾を受け止めるサン。彼が手にした途端、姫勇者の盾は光の玉へと姿を変え、サンの胸の中へと溶け込んでいった。


 ドクン――


 胸の奥で強い一拍。そして、

「グッ……」

 サンは小さく呻き片膝をついた。身体からは無数の汗が噴き出している。盾を取り込んだことで、身体に急激な負荷が掛かってきたのだ。

 それでも何とか歯を食いしばって立ち上がれば、

「これがスイの盾……」

 左腕には白磁の盾が装着されていた。


『行け、坊主。

 その盾ならば、並のドラゴン程度のブレスなんぞ、軽く蹴散らしてくれるわ』

「おう」

 威勢良く飛び出すサンだった――がしかし、その勢いはすぐさま失速してしまうことに。


 スイの盾はドラゴンブレスを防いではくれた。でも、あくまでそれは盾が守った部位だけの話だ。

 先ほどフェルが投げた際は、拡散しきる前だったからこそサンの身体全体を守り切れたのだが、左腕に装備された今では守れる部分が限られてしまう。

 なまじ、守れる力を得てしまったことで先ほどまでの潔さが消え、無理にでも盾で防ごうとするあまり、動きに精細さを欠いてしまっていた。

『坊主、動きがなっておらぬぞ』

 ポロスからの叱咤が飛ぶが、それに応じるだけの余裕が消えていた。


「サン! 目的は済んだんだ!! 一旦退くんだ!」

「退くなど出来るか!!

 俺がここで退いたら、こいつはいずれ外へと出てくるはず。村人達が襲われる前に、ここで倒すしかないんだよ!!」

 自信の安全よりも民の安寧を願う。王族なだけあってか、思考が上に立つ者だった。


「あの馬鹿!! 脳みそ筋肉で出来てるのか!?」

 不敬罪にでも問われそうな悪態をつくフェル。状況を打破するべく必至に自分の出来ることを探す――も、武器になりそうなのは、借り受けた工具セットにあるスパナぐらいだ。

 思いっ切り振り下ろせば人ぐらいなら殺せる鈍器だが、ドラゴン相手に通じるとは思えない。

 万事休す。

 いぜん続く見守るしかない現状が忌々しかった。そんなフェルの身体を振動が襲った。

 効かないブレス攻撃以外にも、尻尾を振り回し始めたのだ。そのぶっとい尻尾が床を叩けば、ダンジョンそのものが激しく鳴動する。

 そんな振動に揺られ、


 コロコロコロ――っと。


 祭壇の片隅から小さな輪っかが転がってきた。

 それがフェルのつま先に当たり、彼の眼下で倒れた。

「指輪……!?」

 手に取ったその表面には何やらの刻印が彫られていた。フェルの知識を持ってしても見たことの無い紋様だ。

 通常、ダンジョンで見つかった装具品など、未鑑定状態で装備など恐くて出来ようが無いのだが、フェルは躊躇うこと無く右中指を通してしまう。

 それが何なのか、鑑定しなくても解っていたのだ。


「――――ッ!」

 チクッとした鋭い痛みに顔を顰めるフェル。それでも外さずにいると、彼の血を吸った指輪の紋様が蒼白く輝き始めた。

「キラ。頼めるかな? あのくそったれの脳筋馬鹿王子を助けたいんだ」

 フェルが訊けば、コクリと小さき精霊は頷いた。

 ならばと、指輪を起動させる。


「――憑依――」


 囁くように小さく呟けば、眼前にいたサンの身体が黒色の光の粒子と化していった。

 そして、フェルの身体へと纏わり付いてくる。

 粒子に全身が包まれる中、フェルは自分の身体が曖昧模糊に感じられた。まるで、自己と他者の境界線が無くなるような……

「…………」

 温かくも心地よい光の中で、次第に象られていく輪郭。

 再び自己を認識できるようになった頃には、纏っていた光の粒子は消えさっていた。


「これが……精霊憑依なのか?」

 身体全体に違和感はある。

 着ていた服は何故か黒色の――キラと同じ忍び装束へと変わっていた。首筋を撫でるのは、口元を隠すマフラーか長く伸びたように感じられる髪の毛か。そして何より、自分の発する声が違って聞こえていた。

 精霊を憑依させたため、若干身体が変調したのだと割り切る。

 ただ、それだけだ。

 それ以上に気になったのは、魔力とは違った力が身体の中で渦巻いていることだ。


 そして、その力――精霊力の使い方は始めから解っていた。動物が息を吸うが如く。

 パンッと手を叩いたかと思えば素早く両の手を動かし、組んだ指先の間の向こうに腐敗龍の姿を捉える。

「空間忍法、縛りの陣」

 フェルがそう口にすると、身体の中からかなりの精霊力が吹き出していった。

 その力は空間を捻り、巻き込み、猛威を振るっていた龍の尾を空間に固定してしまった。

「サン、今だ!!」

「おう」

 勇者としての本能が突き動かしたのか、それとも勝機を覚る才能の成せる業か、身体は反射的に応え、逆手に持った剣からは必殺の斬撃を繰り出していた。


    ・

    ・

    ・


 首元の逆鱗ごと腐った龍核を斬られ、腐敗龍(ドラゴンゾンビ)は完全にその動きを停止した。

「ふぅ。世話になったなフェ……ルなのか?」

 剣に付いた汚れを払い落としつつ振り返ったサンの言葉は、何故か疑問系だった。


「フェルに決まってるだろ。俺以外に誰がこの場にいると言うんだ?」

「そりゃそうだが……随分と姿が変わったな」

「精霊憑依してるからの影響だろ」

 鏡を見ていないフェルには自分の姿が解っていなかった。解っているのは、服装が変わってることくらいだ。後は身体に微妙な違和感を覚えるくらいか。

 そんなフェルに対し、サンは大理石の柱を見るように指差した。彼の仕草に釣られる形で柱の方へと向きなおすフェル。

 ツルツルに磨かれた柱は鏡面の如く風景を映し込む。そして、フェルの姿も。

 そんな自分の姿を確認しては、


「はい?」


 唖然と小首を傾げるフェルだった。


    ▽


「学院長、少しは整頓したらどうですか? 前に訪れた時よりも酷くなってるように見受けられますけど」

 学院の深部――封印倉庫へと転移してきたトイラは、その雑多すぎる混沌さにジト目を向ける。


「コホンッ。

 ここに入れるのは学院でも限られた者だけだ。故に、なかなか整理が出来ぬのでな」

 咳払い一つして弁解する。

 無造作に置かれている品々のどれもが特級品の魔道具やら魔導書なため、おいそれと人の手を借りる訳にはいかなかった。

 だからこそ、老賢者が独りで行うしかないのだが、多忙な学院長でもあるため、暇を見付けての整理整頓は作業の連続性を欠き、中途半端な片付けは更なる混沌を積み上げるだけだった。


「賢者一族の問題ですからあまり強いことは言いませんけど……預けている姫勇者の鎧、あれから見つかってるんですか?」

「…………」

 そのツッコみに返す言葉を無くす学院長だった。


 姫勇者スイが身に付けていた彼女の鎧は、ベリー一族が預かっていた。そしてそれを、勇者の旅路に出た姫君達が見に来ることになっていたのだが、以前リトスが訪れ際には倉庫の中で紛失していた後だった。

 外部に持ち出された形跡は無いので倉庫内に有るのは確かなのだが、皆目見当も付かないのが現在の状況だ。


「私は別に姫勇者の装具には興味が無いからいいですけど、弟が集めまわってるみたいですから、ちゃんと見つけ出しておいてくださいよ」

「サン王子が? あの者も勇者の旅路に挑戦してるのか?」

「らしいですよ。今朝方、お城の方に連絡を取ったら教えてくれました」

 もっとも、城にあった剣を持ち出して飛び出しとしか聞いておらず、詳しい状況は知らなかった。

 ただ、頭の片隅では、あの少年と出会ったりしてるのかな――と、考えてみたりもしていた。


「ふむ。

 だが、サン王子なら問題無かろう。剣や盾と違って鎧じゃ装備のしようがないからな」

 慌てて探す必要が無いと勝手に安心してみせる。


「それより、こいつが儂が保管しておる発掘紙片だ」

 学院長が取り出したのは刻印によって封のされた小さな文箱だった。刻印は雅な紋様の如く幾重にも重なっており、いかにも高級そうな印象を与えてくれる。

 節くれ立った指で丁寧に封を解き蓋を開ければ、十二枚の紙片が納められていた。


「拝見しますね」

 紙片を手に取り目を通すトイラ。そんな教え子に、老賢者から注意が飛んできた。

「あまり注視してはならぬぞ」

「何故です?」

 顔を上げ訊ねた。

「魔導王ルトは仕掛けを好む傾向がある。十重二十重(とえはたえ)にと、手記に何らかの仕掛けを施しているとも限らぬからな」

 写しを取るにも、厳重に対魔結界を張った上で行う必要があった。


 学院長の言葉に従い、軽く目を通すだけにしておくトイラ。真作とされている八枚を見終えると、真偽保留中の四枚を手に取った。

 パラパラパラと一通り目を通し、それらを一枚と三枚に分ける。

「こっちの一枚が本物で、残りの三枚は偽物ですよ」

「何故、解ったんだ?」

 問われ、逆に小首を傾げるトイラ。自分が何故そう判別した理由が解っていなかった。


「何となく……そんな気がしたんです」

「そうか。

 姫勇者スイは正解を導く能力に長けていたと言う。トイラ君はその力を色濃く引いていると女王から聞いたことがある。キミの基準を元に調べなおしてみよう」

 保留中の四つの紙片を一枚と三枚に別けては呪符帯で縛りなおす。そして再び、真作の八枚と併せ、更にはトイラが運んできた三枚の紙片をも加えては文箱へと再封印してみせた。

 そんな彼の隣で、


「……りない」


 ポツリと紡ぎ出された囁きが、部屋の静寂に溶け込むように消えていった。

 今回から加わった『TS?』タグ、『?』が消えるのは何時のことやら?

 続きはまた、忘れ去られた頃にでも……

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