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2.美人のお姉さん

 神々が礎を作り上げ、精霊の祝福を受けた世界――神霊界エレム。

 そこは他次元世界とは隔絶された封じられし世界であった。

 そんな隔絶世界エレムは、今より八百と少し前に精霊文明としての最盛期を向かえていた。そして、超高度にまで発展していた精霊工学は、一つの禁忌に触れてしまうことに。


 異次元世界との接続。


 本来、隔絶世界であった神霊界エレムは他次元との接続は不可能だったのだが、禁忌の技術によって隔絶の封印は解かれ、今までには無かった一つの厄災を舞い込ませることとなってしまった。

 それは、次元を渡る最強の生命体――龍種の到来であった。


 一説によれば龍種とは、滅亡した次元世界で造られたとされる生物であり、精霊を糧とし神を殺すと言われてた対神兵器であった。

 そんな精霊喰らいの龍種にとって、精霊に愛されたエレムの地は格好のえさ場となった。


 多くの精霊は龍達に喰われ、傷つき、エレムは滅びを向かえようとしていた。

 そんな折、立ち上がったのは龍によって滅ぼされた亡国の姫君にして後の世に姫勇者と呼ばれる少女スイとその仲間達であった。

 彼らの活躍により、七大厄災龍と呼ばれる七頭の大型龍種は、倒され、封印され、追いやられたりした。


 束の間の平穏を手に入れたエレムではあったが、精霊達の多くもまた傷ついてしまった。

 このままでは消失するしかない程に弱まった精霊達を救うべく、姫勇者と共に戦った異界の精霊使いが精霊を癒やすことのできる別世界へと彼らを連れて行くと言い出した。

 エレムの人々はその申し出を受けいれ、彼の者に精霊を託すことに。

 そして異界の精霊使いは精霊の多くを連れてこの地を去って行った。いずれ、癒えた精霊を返しに来るとだけ残して。


 多くの精霊が去ったこともあり文明の根幹である精霊魔法は大きく後退。残された精霊のみでは文明が成り立たず、精霊の力を今までどおりに借りられなくなったエレムは一つの転換期を向かえることとなった。

 それは、精霊に頼りきりだった文明の終演を意味し、その代替え手段としてそれまで秘術として隠匿された魔術の力が台頭してきた。

 それもひとえに、大賢者リム=ベリーが作り上げた刻印魔術の存在が大きかったりする。


 もっとも、魔術文明は簡単には発展せず、一進一退を繰り返すことに。その間にも、人々は幾度となく未曾有の危機に苛まれ、幾人かの姫勇者がそれを退けていった。


 そして時代は現在――


    ・

    ・

    ・


 借金放棄の旅に出て半日にして、いきなりフェルは路頭に迷いかけていた。


「まさか車が一台も走っていないなんて思わなかった……」

 移動の大半をヒッチハイクで済まそうと考えていたフェルだったが、都市間を結ぶ主要街道を歩いていると言うのに、何故か一台として通ってくる車がいなかったのだ。


 都市間の長距離を行く旧時代の発明である精霊駆動機関や魔導機関を用いた大型トラックを始め、近隣の村々を周回する集配用の荷馬車すらも走っていない。

 もし、常日頃から街道を行き来ている人ならば気付いたかも知れない完全におかしな状況であったが、朝から晩まで学院という限られた空間で生活し、都市の外に出ることもほとんど無いフェルには、その異常性を理解するには時間が足りなかった。


 そしてその原因も。


 世界流通の大半をも牛耳っていたジンク商会。その倒産による余波は激しく、世界規模で混乱し物流の大半が停止していたのだ。

 故に大半の人や企業は都市間移動を控え、世界の動勢を静かに見守っていたりするのが現状であった。

 そんなこととは露知らず、渦中の関係者であるフェル=ジンクは一人途方に暮れていた。


 ぐぅ~。


 可能な限り忘れていたかった空腹感を呼び覚ますように、彼の腹が鳴った。

「陽の位置からして三時頃かな……」

 魔導書のページを対価にして借り受けた食料もあるにはあるのだがなるべく温存したいと考えているフェルは、食糧供給をギリギリまで引き延ばそうと耐えていたんだけど、それもそろそろ限界に達しようとしていた。


 もっとも、実際の時刻はまだ一時半程度だったりする。

 慣れない徒歩移動は思いのほか肉体のエネルギーを消費させ、カロリーを欲していた。

 少しでも空腹感を紛らわそうと、借り受けて所持している水筒へと手を伸ばせば、

「空っぽか」

 一滴の水すら残っていない。


 借金返済の旅を初めて半ば半日で死にかけるとは思いも寄らなかったフェル。今更ながらに見通しの甘い自分を呪った。

 へたり込み休むこと暫し、

「そう言えば、会長の荷物にアレがあったよな」

 おもむろにカバンを漁ると、目当ての折りたたまれた紙を引っ張り出した。


 広げるとそれは、ベリー魔導学院がある学術都市リム周辺の地図だった。街道脇に立っている標識で現在地を確認すると、フェルは近場の水場を探す。

「えぇっと、北に向かえば川があるのか」

 車が来ない以上ヒッチハイクは期待できず、フェルは旅における重要性を変えるのだった……移動から生き抜くことへと。


    ▽


 主要街道から逸れること小一時間。フェルはなんとか川へと辿り着けた。

 流れる水面に顔を付けては水分を補給する。

「ぷっはー、生き返る」

 空かした腹を水で満たすと、ひと心地つく。そしておもむろに空っぽの水筒を水で満たしておく。


「魚でも捕れるといいんだけどな」

 川の中に魚の影を見付けてはこぼす。サバイバル経験の無いフェルにしてみれば、素手で魚の捕り方なんて知らないし出来ない。もっとも、釣り竿や銛があれば可能かと問われれば、小首を傾げるしかなかったのも事実だ。


「確か、サバイバルの本なら罠の作り方ぐらい書いてないかな?」

 そう考え、本のページを捲ってみれば川魚の捕らえ方が幾つか載っていた。

 中には罠の作り方も載っており、オーソドックスな罠は大きな筒を用意し底を塞ぎ、空いてる方に漏斗を逆さにした様な物を取り付けて完成とあった。

 ジャンク弄りを趣味とし、手先の器用なフェルの腕ならば余裕で作られそうな代物なんだけど……


「材料がないと無理だよな」


 道具に関しては、悪友のアルから借り受けてきた工具一式があるので何とかなるが、肝心要の材料が何も無い。

 しいて有るとすれば、周りに生えている草木ぐらいだ。

「悩んでいても仕方ないか。やれるだけやってみるかな」

 しなりのありそうな長い枝を集めてはそれを編んでいく。

 持ち前の器用さと生来の凝り性が相俟ってか、幾つもの罠を作り上げていく。そんなフェルの創作活動をじぃっと見つめる二つの目があった。債権回収に使わされたスプリガンの少女だ。


「よし、出来た」

 陽が傾きかけた頃合、没頭していた作業の手を止めるフェル。そんな彼の前に並べた罠を、スプリガンが選別を始めた。

「これとこれとこれ、回収。あれとそれ、セーフ」

「え?」

 言葉短く告げたかと思うと、戸惑うフェルを余所にスプリガンの少女は彼の作り上げた罠の幾つかを回収していった。


「ちょ、ちょ、ちょっと!? 何してくれるんだよ!」

 慌てて止めようとするが時既に遅く、フェルの作った罠は保管庫へと転送されていた。

「どう言うことなんだよ?」

「出来良い。だから売れる。売れる、は資産。資産、回収」

 どこか舌足らずなそんな返言葉が返ってきた。

 どうやら、出来の良すぎる罠は差し押さえの対象になるようだった。

 愕然と肩を落としつつも、フェルは残った罠――出来の悪い代物を集めては川の中に仕掛けていった。

 そんな彼の脳裏に一つの危惧が過ぎった。


「もしかして、森で見付けた果物とかも回収されたりするのか?」

 一時、小首を傾げた素振りをみせ、

「日持ちする物ならする。しない物はしない」

 それだけ口にすると、スプリガンの少女の身体は背景に溶け込むように消えていった。

 契約精霊が回収しても、それらがすぐに現金化出来る訳でもなく、時間の経過と共に腐敗したり劣化する物は対象外だった。


 回収される線引きを見極めなければ――と、フェルは改めて考える必要性を感じていた。

 ともあれ、魚は大丈夫そうなので胸を撫で下ろす。

 もっとも、出来損ないと認定されただけあってか、どれだけ待っても魚が掛かることは無かった。


 ぐぅ~。


 罠作りに没頭している間は忘れていた空腹感がぶり返してきた。激しくも存在を主張する腹の虫。

 川の水をたらふく飲んでは誤魔化そうとしてみるも、いよいよもって限界に達しようとしていた。

 携帯食に手を付けようかと葛藤を始めるフェル。一口でも――と考えるも、逆に少しでも口に付ければ胃が活発に動き出し、止まらないことが解っていた。

 だからこそ、ぐっと我慢する。そんな彼の耳に草木の擦れる音が聞こえてきた。そして気付くのだった。


 今自分のいる場所が、大自然のど真ん中だと言うことに。


 街道から大きく逸れた時点でそこは魔獣の領域だった。いつ何時、襲われてもおかしくはないのだ。

 ゴクリと唾を飲み込む。

 そんな緊張感に包まれた彼の背後から――


 カサッ。


 聞こえてくるは乾いた音。反射的に近くに転がっていた枝を掴み、魔術を放とうとして――フェルの身体が固まる。

 魔術が使えないことを思いだしたのだ。幸い、そこには何もおらず、風で揺れた草の葉が擦れただけだった。

 ただし、現状を意識した途端、恐怖がフェルの心を捉えてきた。思わず身震いし、

「火、付けた方がいいよな?」

 誰に訊ねるでもなく独り言を呟く。


「でも、魔術は使えないし……」

 刻印魔術において火付けは初歩の初歩で習う代物だ。故に、それを使うのが当たり前な彼にしてみれば、他の手段が解らない。

「確かサバイバルの本に――」

 カバンから本を取り出すと、月の淡い灯りを頼りに何とか目当てのページを探し出す。そこにあったのは、木の棒を擦って摩擦熱で火を付ける方法だった。他にも幾つかあるが、現状で出来そうなのはそれくらいしかなかった。


「くそっ、さすがに簡単には付かないか」

 棒代わりの枝を乾いた流木に押し付け、捻るように擦ってみるが思うようにいかない。

「キミ、さっきから何をやってるのかしら?」

「何って、火を起こそうとしてるんだよ」

「火を……それで、付きそうなの?」

「全然ダメ」

 でこぼこした流木と曲がっている枝では摩擦を一点に集約することすら難しかった。

「せめて、真っ直ぐの棒と板があれば良いんだけど――のわ!?」

 そこまで答えて初めて、フェルは自分の作業を頭上から覗き込んでいる存在に気が付いた。


「だ、だ、誰!?」


「荷物運び途中の――美人のお姉さんかしら?」

 頭上で浮いていたのは、薄い赤紫の髪を靡かせた赤い瞳をした二十歳前後の年上の女性だった。自意識過剰気味な発言を肯定するように、降り注ぐ月光の淡い光に照らされたその容貌は神秘的で美しかった。


 ふわりと舞うようにしてフェルの前に降り立つ女性。


「森の上を飛んでいたら、下で人の声が聞こえてきたから何かあるかなと思って降りてきたんだけど」

 いとも容易げに話す。

 森の上を飛んでいたと言うその力量にフェルの緊張度は若干増した。


 物を浮かせるだけの浮遊魔術ならば学院でも教えられ使い手も多いが、飛翔魔術は違った。その刻印式は門外不出の秘蔵の術式としている流派が多く、普通の人が使いたければ自力で編み出すしかなかったのだ。

 仮に飛翔の刻印式を持っている流派に属し教えられたとしても、その制御式は複雑怪奇なほどに難解で、並の魔術師では理解出来なかったりする。

 それを使いこなせる女性に、警戒心が高まった。自然、生唾を飲み込むのも無理ない行為だ。


「それより、キミはどうして魔術を使って火を付けないのかしら? 黝い髪をしてるんだから、魔力って相当なものを持ってるんでしょ?」

 月明かりしかない暗闇で、自分の髪の色を言い当てた女性に動揺するフェル。それでも顔には出さずに答えた。

「魔術が使えないんだよ。ベリー魔導学院を退学になったから。それで、魔導書を返納して」

「魔導学院を退学?」

 キョトンと小首を傾げる女性。ふと、何か思い付いたのか納得した表情に変わる。


「あそこを退学なんて珍しいわね。よほどの事情がないとあそこを退学なんて――キミ、もしかしてジンク商会の子かしら?」

「えっ!?」

 驚くフェルをよそに、彼女の言葉が続く。

「私の確かな記憶には、ジンク商会の息子さんが一人在籍中のはずなのよね。それで、私の知りうる限り、昨日今日退学する可能性のある子はその子ぐらいしか思い付かないのよ。確か名前はフェル……そう、フェル=ジンク君」

 名前をも当てられたことに戦慄する。


「ど、どうして俺を……」

「ああ、怯えなくてもいいわよ」

 無意識に後退るフェルに、優しく言う女性。

「私もあそこの卒業生なの。キミが入学してきた時に私は卒業生で一年しか在籍期間は重なっていないけど……私、記憶力はずば抜けて良くてね。一度見聞きしたモノは全て記憶してるのよ。それで、自分が在籍していた時の全生徒の名前と素性をたまたま覚えているだけなんだ」

 信じられない記憶力だった。

「それにしてもお互い災難ね。あっ、私はトイラよ。美人のお姉さんと呼んでくれてもいいけど」


「えぇっと、トイラ先輩。互いに災難ってのは?」

 名を呼び、それを訊ねる。自分だけならば災難の理由も解るけど、互いにって言う部分が理解できなかった。

「ジンク商会が潰れた所為で、昨日の夜辺りから世界中での物流がストップしているの」

「へ?」

 思わず間の抜けた言葉がこぼれた。話の脈絡が掴めなかった。

「おかげで宅配依頼も受けて貰えなくてね。空を飛べる私が配達の仕事を任されたのよ。それが私の災難」

「あっ」

 言われ、やっと気が付いたフェル。自分の身の上ばかり気にしていたが、冷静に考えてみれば世界トップの企業が倒産したのだ。世界規模で何らかの不具合が生じてもおかしくなかったはず。街道で一台も車が通らなかった理由を知ることとなった。


「それで、何を配達してるんですか」

 見た感じ、自分よりも軽装で荷物を運んでいるようには見えなかった。

「運んでいるのはこれよ」

 トイラが懐から取り出したのは数枚の紙切れだった。

「紙切れ……?」

「あー、ただの紙切れだと思って拍子抜けしたでしょ。そんなの手紙で送れば十分だと思ったでしょ」

 強く追求され、肯定とも否定とも付かない曖昧な笑みをフェルは浮かべた。

「こいつはね、魔導王ルトが記したとされる彼の魔導手記の発掘紙片よ」

「魔王ルト!?」

 出てきた名前のあまりのビッグネームさに、フェルは驚きを隠せない。


 魔導王ルト。魔術魔法の粋を極めた亡国の王であり、二代目姫勇者ことエンとその一行に倒された伝説の魔王だ。

 戦いは苛烈で、その爪痕は数百年経った今の時代にも色濃く残されていた。彼は戦いにおいて一つの禁術を使ったのだ。異界の魔族を召喚するといった、最悪の禁術を。

 召喚された魔族は魔王ルトが倒された後も世界に残り、今なお人々の生活を脅かし続けていた。


「それで、私達の母校であるベリー魔導学院へと運んでるとこ。ネオ学院長が魔導王ルト研究の第一人者だからね。それに、あそこにも手記の一部があるからそれと比べる予定なんだ。それでやばそうな内容だったら、封印処理を施す予定なの」

「あの、俺にそんなことを話して良いんですか? 隠れルト教信者だったらどうするんですか?」


 ルト教信者とは魔導王ルトを魔王として崇拝し、その復活を企む狂者の集まりだ。いくら母校の後輩だからと言って、気軽に話していい内容では無い。


「大丈夫よ。私はこれでも人を見る目は持っているからね。キミがルトの狂信者じゃないのは見れば解るわ。だって、あの連中って目が濁って腐ってるもの」

「だからと言って――」

「それに、宅配を頼まれた私としても、愚痴の一つや二つは言いたいの」

 フェルを遮るようにトイラが言った。

「愚痴……ですか?」

 予想外の言葉に小首を傾げるフェル。


「そっ、愚痴。

 本当なら今頃、仕事明けで仲間と宴会でもしていたところなのよね。なのにさ、頼んでおいたジンク運送が本社倒産の煽りをくらって業務不全に陥っちゃったのよね。さすがに魔導王の紙片を普通の運送会社に頼む訳にもいかなかったしで、仲間の中で一番足の速い私が直接運ぶことになったのよ。学院の卒業生で学院長とも面識があったからね。でも、酷いと思わない? 二ヶ月もダンジョンに潜っていてやっと出てこられたばかりなのに、休む間もなくお使いに出ろだなんてね。仮にもぃ……の……めを使いっぱ……るんだから……」

 ブツブツと続けられた語尾はフェルには聞き取れなかった。だからこそ、

「何て言うか、実家が潰れてすみませんでした」

 素直に謝罪しておくことにした。自分が原因じゃないとは言え、申し訳ない気分なのだ。

「こちらこそごめんなさいね。キミに落ち度がある訳でもないし、キミの方が遙かに大変みたいだしね」

 逆に謝罪されるフェルだった。


「それより、フェル君。火が必要なのよね?」

 トイラが指輪の付いた手を振ると、集めておいた薪に火が付いた。

「ありがとうございます。助かりました」

「別に大したことはしてないから。それと、火付け符があるから分けてあげるよ」

「あっ、ダメ――」

 フェルが静止するよりも早く、ボンッと白煙を上げて現れたスプリガンの少女が、トイラの手から離れた火付け符を回収してしまうのだった。

 あまりの早業に固まるトイラ。フェルはあちゃーと顔を顰める。


「その娘ってスプリガンよね? どうしてそんな精霊が?」

「こいつはその、俺の借金取りですよ。俺の資産になる物は全て彼女に取り上げられるんです」

「へー、スプリガンの借金取りだなんて、徹底してるのね」

 トイラは感心してみせた。

「今の時代精霊は少ないって言うのに。借金取りの契約精霊に仕立てるだなんて、剛毅な連中もいたものね」

「それだけ債権回収に本気になってるってことなんですよ」

 言ってはみるも、フェル自身はそうは思ってなかったりする。自分に対するこの対応があまりにもおかしすぎるのだ。あり合わせの材料で作り上げた罠まで回収されたとなれば、今後あまりにも出来ることが限られてしまう。


 普通にどう考えても、裸一貫になった時点で自分の死は避けられない。それなのに希少な精霊を契約精霊にし、借金取りに仕立て上げる理由が解らなかった。

 会長の息子とは言え、独り遠方の地に住む第三子相手に無駄な労力だとはフェルは考えていた。

 何がしたいんだか――と、スプリガンの少女へと視線を向ければ、彼女はちょうどその姿を消すところだった。


「でも、だったらどうしてキミは服を着ていられるのかしら?」

 フェルの着ている服と足下に転がっている本やらカバンやらを見て言う。

「そう言うのも資産になるんじゃないの?」

「これらは学院の友人知人から借りたんですよ。だから借り物であった所有権は俺には無い代物。まぁ、返却不要ってことですけど」

「ふーん、そんな方法が通じるんだ」

 フェルを見つめる瞳を眇め、納得してみせるトイラ。

「じゃあ、先輩のお姉さんからも何か貸してあげるわね」

 腰に取り付けているウエストポーチを漁り、小さな石の塊と金属片を取り出した。


「石……ですか? 瑪瑙のように見えますけど」

「瑪瑙で正解。それ、火打ち石なの。瑪瑙に金属片を叩き付けて火花を起こして火を付けるのよ」

「火打ち石! これがそうなんだ。初めて見たかも」

 知識として存在は知っていたフェルだったが、現物を見るのは初めてだった。

「ダンジョンとかに潜るとね、魔術の使えない部屋とかがあったりするの。それで、魔術や火付け符の代わりにそれを使って火を起こすんだよ」

「ありがとうございます! 大事に使わせて貰います」

 受け取った火打ち石セットをお宝の如く扱うフェル。これで少しは生き残れる可能性が増えてきたのだ。


「でも、俺には何のお礼を返すことが出来ませんけど」

「お礼って?」

 キョトンと聞き返すトイラに、フェルは自分の魔導書のページをレンタル料として差し出してきたことを告げた。


「刻印式を渡したですって!? ばっかじゃないの!」


 思わず叫んだ怒声が、夜の森に響いた。

 魔導書を返納しただけならばまだ魔術を使えるようになる可能性は存在した。でも、ページを渡してしまえば二度と使えないのだ。

 それは、同じ魔導学院に籍を置いていた者としては到底容認できる内容ではなかった。


「そんな黝い髪をして、勿体なさすぎ! 勿体ない、勿体ない、勿体ない!! 私だって赤紫だって言うのに、あー勿体ない! だいたいお友達もお友達よ。そんなの対価を求めず貸すのがお友達ってもんでしょうに!」

「良いんですよ、トイラ先輩。刻印式の譲渡は俺から言い出したことですから。それに、どうせ俺は二度と自分の魔導書を手にすることなんて出来ませんから。今を生き抜く方が大事なんです」

 それは本心からの彼の想いだった。


「キミは言うけど、魔術に関わりを持つ者としたら心底惜しいのよね」

 納得しないトイラ。

「だいたい生き抜くって言っても、金も無ければ魔術も使えないんだよ? そんなんでどうやって生き抜ける訳? キミ、旅を甘く見てない?」

「それは努力と根性と知恵と勇気で」

「火も付けられなかったよね?」

「うっ」

 正直、痛いところを突かれた。


「はぁ……」

 やるせないように息を吐くトイラ。おもむろに北の方角を指差した。

「ここから半日ほど飛んだ先に拓けた盆地があるわ。そこにコペって言う農村があるの。果樹園で育ててる果物が主な産業の小さな村よ。林檎(マルス)は絶品ね。高級果物として国中の王侯貴族に――」

「えぇっと、トイラ先輩?」

 話の要点がずれていくのを感じ、声を掛ける。


「コペ地方が高級林檎(マルス)の産地として有名なのは知ってますよ」

「あら? 知っていたのね」

「一応商人の息子ですから」

 彼の実家であるジンク商会でも取り扱う高級食材だ。食べたこともあり、実は甘酸っぱく濃密な芳香を漂わせる真っ赤な皮をした果実だったのを覚えている。


「ただ、コペ村の場所までは知りませんけど」

「ふーん。じゃあ、話は戻るけど、半日ほど飛んだ先にある盆地に――」

「ちょ、ちょっと待って下さい。飛んだ先って言われても、俺、飛べませんし」

 言われ、生身で飛べる人の方が少ないことを思いだすトイラ。

「徒歩だと……よく解らないんだよね」

 歩いて移動したことのない距離だ。しかも道中には幾つかの難所もあるため迂回が必須で、彼女の経験則からじゃ目算のしようがなかった。

「あっ、地図ならありますけど」

 足下のカバンから一枚の地図を取り出した。


「へー、地図持ってるんだ。これもレンタルなの?」

「はい。クラスメイトから。旅の必需品としてサバイバルの本とか食べられる野草とかの本と一緒に」

「へー、ちゃんと先を見通せる子がいるのね。美人のお姉さんは安心したよ。親友だったりするのかしら?」

「友人ではないですよ。仲が良いのかは微妙ですし。一つの約束を破ってしまってるから、怒ってないといいんだけど」

 つい昨日の話なのだが、リトスとのやり取りが遠く感じるフェルだった。


「ふーん、それって女の子ね」

「うぐっ」

 トイラの洞察力に内心冷や汗を伝わせる。

「もしかして、キミに惚れてるのかしら? 名前は何て言うの?」

「言いませんって」

 フェルと同学年までの生徒ならば全員の名前を知っているトイラだ。下手に話して知っていたら揶揄されそうだ。しかもこれから学院の方へと赴くともなれば、そこで何か吹き込まれても困る。


「それに、俺は借金王ですから。女性と付き合う資格なんて無いですよ」

 少なくとも相続放棄の手続きを済ませないことには色恋沙汰なんて夢のまた夢だった。仮に放棄できたとしても、学院長の孫娘と一介の貧乏人となる自分じゃ二度と接点なんて無いだろうと考えていた。

 そんな自虐的な笑みを浮かべるフェルに不満気味なトイラだったが、その場では何も言わず、地図の複数の場所に印を付けていた。

 一つの×には『コペ村』と注釈が入れられ、もう一つには『目的地』とだけ記されていた。


目的地(ここ)は?」

「姫勇者スイの装具が封印されているダンジョンよ。あっ、姫勇者云々は重要じゃないから気にしなくていいわ。それでそこのダンジョンに――」

「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」

 話を遮り叫ぶフェル。それは聞き捨てならない内容だった。

「姫勇者の装具が封印されてるって、国の最重要機密じゃないですか!」

「そうらしいわね。それでね――」

「だから待って下さいよ!!」

 アッケラカンと流そうとするトイラに悲痛な面持ちのフェル。通常、一般人が知り得て良い話ではない。


「トイラ先輩って何者なんですか!? あっ、いや。この場合は訊かない方が良かったりするんですか? だったら、言わなくてかまいませんけど……」

 追求を口にするも、事のやばさを直感しては尻窄みに力を無くす。

「ふむ。私の本名を言っておいた方が話が通じやすいか」

 少し思案したかと思えば、トイラはあっさりと名乗ることにした。


「私の本名はフル=ハイドナーよ、フェル=ジンク君。ちなみにトイラは幼名よ」


「ハイドナーって王家の……フル姫様!?」

 慌てて膝をついては頭を垂れるフェル。そんな彼にトイラは苦笑を浮かべ、頬を掻く。

「そうやってかしこまられるのが嫌で、本名は使っていないんだけどね。ちなみに学院でもトイラを使っていたから、王族だって知っていた人はほんの一握りだよ」

 気さくなトイラだ。


 フル=ハイドナー。新ハイド国現女王の次女に当たる姫であり、初代姫勇者スイ=ハイドナーの直系の子孫であった。ちなみにハイドナー王家直系は女系一族であり、王家の中でも世界規模の危機から世界を救った姫には姫勇者の称号が与えられていた。ある姫は魔王を倒し、別の姫は龍を駆逐し、そしてまた別の姫は大災害から人々を守り抜いたりしていた。

 そんなハイドナー王家の(むすめ)達は、ある一定の年齢に達すると諸国を旅して回る慣例があった。それは代々の姫勇者達が旅をしながら世界を救ったことを起因としていたのだ。そしてその旅の経緯で時期女王が選出されたりする。


「フル姫様、この度は数々の無礼な物言い、失礼しました」

「だから、トイラで良いってば。あっ、美人のお姉さんでも良いけどね」

「……ですが、フル姫様」

「むっ」

 直そうとはしないフェルに、トイラはムスッと頬を膨らませる。

「あくまで私を姫様扱いするなら、それ相応の対象をすることになるけど?」

「それ相応とは?」

 恐る恐る訊ねる。

「手っ取り早く、不敬罪で牢屋行きかしら? あっ、でも、キミの場合はその方が長生きできるかもね」

「…………」

 返す言葉が浮かばないフェルだった。


「では、トイラ先輩。俺なんかに教えていいんですか?」

「あら? あっさりと切り替えられるのね」

 フェルが呼び名を戻したことに、トイラは意外そうな表情を浮かべた。

「機微を読むのが商人ですから。トイラ先輩は本気で嫌そうでしたし」

「ふーん、いいね、キミ」

 にっこりとはにかむ。

「話は戻すけど、姫勇者の装具が封印されているそこのダンジョンには、憑依の指輪って言う装具があるんだけどね」

「憑依……ですか?」

 怪訝そうに眉を潜める。


「身に着けると、誰かに憑依出来るようになるってことですか?」

 それをどう使えば旅で生き抜くことに繋がるのかが解らない。

「違う違う。憑依するんじゃなくて憑依される指輪。異界の精霊魔法を参考に作られた精霊装具の一つよ」

「精霊を憑依させる?」

 それはそれで意味が解らない。

「精霊を憑依させると、自らの魔力がその精霊の力に転換されて、自在に操ることが出来るようになるの。水の精霊なら水の魔法、火の精霊なら火の力が――って感じにね。キミにくっついているスプリガンなら、番人としての守護の力とか空間を操る力とかが使えるんじゃないかな?」

「…………」

 凄そうな力に言葉が出ない。


「私の権限でそいつをフェル=ジンク君、キミに貸してあげる。それがあれば魔術の代わりにはなるでしょ? だから、このまま旅を続ける気でいるなら取ってきなさい」

「いいんですか? かなり凄そうな指輪ですけど……」

「いいの、いいの」

 気軽に言いのけるトイラだ。

「起動させるには青髪クラスの膨大な魔力が必要だし、憑依させる精霊を見付けなきゃならないしね」

 現在の神霊界エレムにおいて精霊の存在はかなり希薄だ。かつては至る所に溢れていた精霊も今ではほとんど見かけない。指輪を使いこなすには、それを探す必要があったのだ。

「それと、青髪持ちの魔術師なら自分の魔術を使った方が燃費効率が上なのよね」

 だったらなぜそんなモノを作ったのか、そんな疑問がフェルには浮かんでいた。

 その後も二、三話を交わすことに。


「それと、フェル君が旅を成功させるには、戦う力とパトロンになってくれる同行者を探すことね」

「パトロン……ですか?」

 戦う力は解るが、そっちは解らなかった。

「パトロンって言うのは少し語弊があるけど、パートナーって言ってもいいかな?」

 言葉を少し正し、

「キミの『物を借りる』って言う借金取り対策は正解だと思うの」

 上手い考えだと褒めるトイラ。

「それを踏まえて、今後の旅では労働の対価をレンタル品として変換してくれるパートナーが必要だと思うの」

 要するに彼女は、旅の途中で何らかの依頼を受けては仕事の対価として得るところの金銭を、フェルではなくパートナーに受け取らせ、彼自身はパートナーから借りる形でその対価を受け取れと言っていた。

 食事や寝床は奢りという形で。消耗品や日常品はレンタルという形で――と。


「パートナーですか。見つかるかな、そんなヤツ」

 戦う術の無い借金王と組んでくれる旅人なんて想像がつかなかった。

「そこら辺はキミの運次第かしら?」

「運……今の俺には一番無さそうですね」

 がくっと肩を落とすフェルだが、トイラはそうではなかったようだ。

「あら? この広い世界で私と出会ったのよ。運ならまだ十二分にあるわよ」

 自信満々に言い切ってみせるトイラ。

 姫勇者の末裔にそう言われれば、フェルにも何かやれそうな気分がしてきた。


「頑張るだけ頑張ってみます」

「そうそう。やれるだけやってみなさい。それでもダメなら死ぬだけよ」

「…………」

 凄い言い様だが、不思議と嫌な気はしなかった。

「じゃあ、そろそろ私も行くわね」

 ふわりとトイラの身体が浮かび上がる。

「本当にお世話になりました」

「いいっていいって。それより、一、二ヶ月くらいは学術都市(リム)にいるから、指輪絡みで何かあったらそっちに連絡して。口くらいは貸すから」

 そう言い残すと、トイラは夜の空へと消えていった。


    ・

    ・

    ・


 深夜、リトスは寮の自室にて独り愁いを帯びた溜息をついていた。

 仄かなランプの灯りの下、険しげに眉を潜めて調べているのはフェルの魔導書。残り僅かなページの最後に記された、複雑にして難解で未完成の刻印式を完成させるべく、図書館から借りてきた本の数々を読みまくっていたのだ。

「フェルさん、フェル=ジンク。貴方は何て言う刻印式(モノ)を作り出そうとしてたのよ」

 未完の刻印式を読み解けば解くほどに、そのあり得ない発想に舌を巻く。

「天才っているのですね……」

 思わず口を衝いて出る。


「何がいるのかしら?」

 背後からの声に飛び跳ねるリトス。振り返れば、バルコニーから入ってこようとしていた女性の姿が。


「トイラ姉様!?」


「久しぶりだね、リトス。元気してた?」

 トイラことフル=ハイドナーとリトス=ベリーは実の姉妹ではない。

 リトスの兄弟は妹と弟しかおらず、従兄弟を含めても彼女が長子となる。故に兄姉に憧れていた彼女は、はとこの関係(リトスの祖母が先代女王の妹)に当たるトイラを姉と慕い懐いていたのだ。


「いつ、リムの街に?」

「今着いたところ」

 乱雑に本が積まれたベッドの空いている場所に腰掛けるトイラ。

「学院長にお届け物を頼まれたんだけど、夜中だからね。どうしようかと思っていたら、リトスの部屋から灯りが見えたからベッド借りようと思って訊ねてきたの」

 アッケラカンと言いのけるトイラ。勝手知ったる妹分の部屋だ。遠慮がない。

「お祖父様に? それで、どれくらい滞在できるのですの?」

「んーっと、一ヶ月から二ヶ月くらいかな?」

 発掘紙片を運んできた者として、そこに記されている内容が気になった。だから、ある程度の解析結果が出るまでは居続けようと考えている。


「教員寮にでも部屋を借りる予定だから、遊びに来てね」

「はい。是非、お伺いさせて貰います」

 二つ返事なリトスだ。それほどまでに彼女はトイラを慕っていた。姉として魔術師として。


「……それにしても凄い本の量ね。新しい刻印式でも作る気なのかしら?」


「えぇ、まぁ、そんなところです」

 珍しくも曖昧に言葉を濁すはとこに、おやっとトイラは小首を傾げた。

 よくよく見れば、机の上には見慣れないページの欠けた魔導書があることに気付く。彼女の確かな記憶では、リトスの魔導書は表紙が白色でそこにあったのは黒色の本だ。

 そんなリトスの視線に気付いたのか、そっと身体で黒い魔導書を隠すリトス。強く追求しようかと一瞬思ったトイラだったが、その興味は別のモノへと移った。

 それは、自分の知り得る妹分には似つかわしくない数冊の本。

「サバイバルの本が何冊か転がっているけど、旅にでも出るの? リトスは研究室に籠もるタイプだと思っていたけど、遺跡にでも潜る気になったの?」

「あっ、いえ、これはその……友達に貸した本の残りなんです」

「貸した?」

 その一言で大体のことを察したトイラ。にたりと楽しげに顔を歪ませた。


「ねぇ、リトス。フェル=ジンク君って知ってるかしら?」

「ひゃい!?」

 想定外の名前に、思わず声を上擦らせてしまう。


「にゃ、にゃ、にゃ、にゃぜトイラ姉様が、フェルさんのことを……」

「なーんでだろうね?」

 面白可笑しそうに言う。

「あっ、そうそう。フェル君、サバイバルの本を貸してくれたことに、すっごく感謝していたみたいよ」

「うっ」

 敬愛すべき姉貴分のねっとりとした視線に晒され、自分の部屋だと言うのに酷く居心地の悪いリトスだった。

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