1.放校
創立七〇〇年を超すベリー魔導学院。悠久にも近い歴史ある学院の中でも一際異彩を放つ施設があった。
大型創作系倶楽部が集う活動の場、第三ガレージ――通称『魔窟』だ。
ある倶楽部は大型の人型機動兵器を研究し、またある倶楽部では創部当初より連綿に伝えられている飛行用の魔導機関の改良に心血を注ぎ続けていた。そんな倶楽部が複数もひしめき合ったガレージ内部は正に魔窟。無数の工具と機材に部品(塗料などの薬物含む)、そして雑多なまでに積まれた失敗作で溢れかえっていた。
そんな倶楽部が造り上げる創作物は、良くて煙を出しての作動不全、悪くて暴走の果ての爆発――と。斯様なまでの危険味溢れる部活動故に敷地内への一般生徒の立ち入りは憚られ、ガレージ内外にいるのは黒く汚れた作業着姿の部員達ばかりだ。
夏の長期休暇前に行われた前期末考査試験も終わりその開放感からか、魔窟は今まで以上に活気に満ちあふれていた。
そんな第三ガレージに、
「邪魔、するわね!」
立ち入りを宣言する、少女の凜とした声音が高らかに鳴り響いた。
多くの倶楽部部員達が作業の手を止め声の主の方へと顔を向ければ、通気のためにシャッターの開け放たれたガレージ開口部に、水色の長い髪をした一人の少女が立っていた。
「水色の髪って、もしかして生徒会長?」
ガレージ開口部付近で陣取っていたゴーレム研究会の一人がそんな呟きを口にした。
古来より人族が生成できる魔力量は髪の色に現れるとされる。生成量が多い者ほど青系色が強くなり、水色ともなればかなりの生成量――魔力量の持ち主と言えた。
そして彼女ほど鮮やかな水色の髪は二千人ほど在籍している生徒の中でもただ一人、生徒会長のリトス=ベリーのみだ。
顔は知らなくても、その白銀ベースで青みがかった水色の髪は有名すぎた。
「どうして生徒会長が第三ガレージに現れるんだよ?」
「まさか査察とか?」
「あり得ないだろ。第三は生徒会不干渉の治外法権が認められてるはずだぞ」
「じゃあ、何だって言うんだ?」
「んなの知るか。会長に直接聞いてみれば良いだろ?」
「それもそうだな」
話がまとまったのか、近くにいた学生が声を掛けた。
「生徒会長さんよ。第三に何の用なんだ?」
「んー」
突き立てた人差し指を口の下に添えてはガレージ内部を探るように視線を泳がすリトス。目当てのモノが見つからなかったのか素直に訊ねることにした。
「確か、発明倶楽部はここにあるって聞いたんだけど、どこかしら?」
「発明倶楽部なら一番奥だ」
持っていたスパナで指し示されたのは、ガレージ最深部にて無数のガラクタが山のように積まれた一角だった。
そんなジャンクヤードへと、リトスは鋭い一瞥を向けた。
まるで親の敵でも見ているかの如く怒りを露わにした視線に、思わず居合わせた学生達が皆後退る。
そんな重圧に支配された空間に、
「フェルさん! フェル=ジンク!! いるんでしょ! リトス=ベリーよ!!」
リトスの声が再度響き渡った。
「会長ってヌシに用だったのか?」
「でもどうしてヌシに?」
リトスが訪れた理由の一端を知り囁きだす一同。新たな疑問が湧いて出た。
フェル=ジンク。第三ガレージに巣くう創作倶楽部の一つ、発明倶楽部の現部長だ。
発明倶楽部自体は弱小とも言えるほど規模は小さいのだが、第三ガレージに存在する数多ある倶楽部の中でも最もその特色を受け継いでいる倶楽部でもあった。
基本的な活動は何かを造ること。
そこには方向性も理念も無く、ただただ目に付いたモノを使って思い付くまま組み立てていくだけだ。
故に爆発も暴走も最も多かったりする。
そしてその倶楽部の部長は代々第三ガレージのヌシの称号を襲名するのだった。
「あっ、そう言えばフェルのヤツって生徒会長と同じクラスに所属していたな」
クラスは違えど、同学年の学生が思いだした。
「先輩。ヌシさんって会長と仲が良いんですか?」
「いや、良いと言った話は聞かないな。どっちかって言うと、悪い方じゃないか?」
後輩女子の言葉に顔を顰める先輩男子。リトスの醸し出す雰囲気からどうして仲が良いと思ったのか疑問だった。
「だってあれ――」
「リトス嬢。フェルなら留守だぞ」
少女の言葉を遮るように頭上から声がゲージに響いた。リトスが見上げれば、中空に張られたハンモックの上に一人の男子生徒がいる。
寝ていたのか、眼にはずらしたアイマスクがあった。
「アルさん? そう言えば貴方も第三ガレージの住人でしたわね。アル=アルメンさん」
頭上で寝ていたのはアル=アルメン。件のフェル及びリトスとは同じクラスに所属し、フェルの悪友とも言える男子生徒だ。基本、気怠そうな顔をして惰眠を貪ることを生き甲斐としている。
「それで、フェルさんが留守って?」
「ふぉわぁ~……、あいつなら蚤の市だ」
「ああ、今日は十五日でしたわね」
不在の理由に合点がいったリトス。学院近くの広場では隔月で十五日に蚤の市が開催され、ジャンク漁りを趣味としているフェルは毎回覗きに行ってはガラクタを仕入れてくるのだ。
「それでいつ頃戻ってくるのかしら?」
「掘り出し物次第だな。かさばるモンでも見つかればすぐに帰ってくるが、何も無ければぐるりと一周するまでは帰って――」
「アル、見てくれ! 精霊式駆動機関を見つけたぞ!!」
噂をすれば何とやら。アルの言葉を遮るようにガレージへと現れたのは、小型の駆動機関を抱えた黒髪の男子学生だった。
「結構綺麗だし魔導式に改造できると思う――ん? 会長さんじゃないか」
アルと会話していたリトスの存在に気付き、興味をそちらへと向ける少年。
「第三ゲージにまでわざわざ来て、アルにでも用?」
その一言に、彼へと向けた彼女の目付きが据わった。更には、醸し出していた重圧が一際強まったのか、居合わせた部員達が身震いをしてみせることに。
「用があるのは俺じゃなくてお前だ、フェル」
「俺?」
キョトンとするフェル。生徒会長の級友が訊ねてくる理由が解らない。
「フェルさん。フェル=ジンク、貴方! 試験結果は見ましたの!?」
「試験結果?」
今日の昼前、前期考査の試験結果が渡り廊下に貼り出すと言われていたことを思いだした。もっとも、すっかりと失念していただけあって、彼は午前の授業が終わると同時に学院を飛び出して蚤の市に向かっており、いまだ確認はしていなかった。
「試験結果に何か問題でもあったのか?」
「リトス嬢は毎度おなじみの一位で、フェルの順位はいつもと大差ない位置だったな。確か――」
三十二位だとアルが教えてくれた。ちなみにアルの順位は中の下辺りだったりする。
「ふーん。まずまずな順位だけど、何か問題があるのかな?」
ベリー魔導学院は六年制で一学年辺り三五〇人前後。その上位一割にギリギリ入る辺りとなり、魔術師の家系でもないフェルにしてみれば上出来と言えた。
「何がまずまずですの!」
キッと鋭い視線で小首を傾げたフェルを射貫く。
「術式試験の第四問、以下の条件において火炎術式のもっとも効率的な変換式を記せ」
いきなり彼女が何を言い出したのか解らず、周りで聞き耳を立てていた第三ゲージ民の誰もが疑問符を浮かべてみせた。
そんな中一人、言葉の真意を察したのか不味そうに視線を泳がすフェル。もっともそれは一瞬の出来事で、直ぐにも彼の表情はいつもの澄ました笑みに戻っていた。
「ああ、あの問題ね。途中式でミスってさ、気づいた時には時間切れ。あと五分もあれば解けたんだけど……難しすぎだよな」
努めて冷静にそれでいて自然に応じるも、リトスの眼光に宿る追求の光は強さを増すばかりだ。
「そう、解けてはいませんでしたね。だって、わざと間違えたんですもの」
ギクッ――
内心で揺れる動揺。ただし、その狼狽ぶりは臆面には現れていなかった。
「どうしてわざと俺が間違えたって思うんだい?」
「あら?」
何をくだらないことを――とでも言いたげに、リトスが言葉を返す。
「あの設問と同系統の問題を試験前の授業でやりましたが、貴方以外誰一人として答えられなかったじゃない」
言ってはどこか苦々しげだ。
それは引っかけ問題であり、学年首席である彼女の頭脳をもってしても初見では間違ってしまった問題だったのだ。
「それを貴方は完璧にして一切の淀みも無くスラスラと答えてみせた」
だからこそ、その引っかけを看破し授業では答えられたフェルが間違えたのが信じられなかった。
そして、
「前々から思っていたんですの」
どこか遠い眼差しでリトスが続ける。
「フェルさん、フェル=ジンク。貴方、授業や課題は真面目に受けていますけど、考査試験となると途端に凡庸な結果となってますわね。まるで意図的に成績を落としているように……」
「意図的にって、何のために落とすんだよ? 今回のだって単純にミスって間違えたんだよ」
不条理な推測だと言いたげに嘆息してみせる。
「だいたい、実技の成績も加わっての総合順位なんだからさ、あんなもんだと思うけど?」
学院で学んだ魔術理論の実証に基づいた実技考査。そちらの順位は生来の魔力不足もあってか中の上辺りを漂う成績だった。
「そう、それですわ!」
言い訳を口にするフェルにリトスは人差し指を突きつけた。
「前々から疑問に思っていたの」
小首を傾げては淡々と語り出す。その会話に、フェルは漠然とした嫌な予感がしていた。
でも遅かった。完全に話の主導権はリトスにあったのだ。内容を逸らすにも場所を変えるにも遅すぎたのだ。
眇めた彼女の瞳がフェルを見定めていく。そんな視線が彼の黒髪に止まった。
「どうして青髪持ちの貴方が、魔力不足などを起こしているのですか?」
「青髪? リトス嬢、フェルはただの黒髪だろ」
アルが不思議そうに口を挟んできた。
「あら? アルさん、アル=アルミ。フェルさんの親友とも言えるお人が彼の何を見てるのかしら?」
眇めるように左目を閉じるリトス。不敵な笑みを浮かべてみせる。
「その眠たげな眼を凝らして、陽光に煌めく彼の髪を御覧なさって下さい」
「よく見てみろって言われてもな……」
眠気で半分瞼の落ちかけた瞼を開け、フェルを見やる。視線はアルだけではなく、ガレージに居合わせた他部員達からも注がれ、困惑混じりに少し気まずそうな表情を浮かべるフェルだった。
「あっ、本当だ。髪の輪郭が青っぽく見える」
誰かがそれに気が付いた。
確かに、天窓から射し込む光は彼の黒髪の輪郭を蒼く煌めかせていた。もっとも、
「でも、青髪と言うには薄すぎないか?」
それは微かでほんのりとした青の煌めきにしか過ぎなかった。
魔術師見習いが通う魔法の学校だ。そのレベルの青さならば大半の生徒が帯びており、青髪と称すには弱かった。
周りから上がる感想に、何故か胸を撫で下ろすフェル。そんな彼を表情をリトスだけが見過ごさなかった。
そして、
「皆さん、何か勘違いをしていますわね」
「リトス嬢、俺達が何を間違えていると言うんだ?」
代表する形でアルが訊ねた。
「絵の具において黒には何色を混ぜたとしても黒となります。黒髪もまたそれと同じ。私のように白銀の髪ならば青みを帯びさせれば鮮やかな水色ともなりますが」
自らの長い碧銀色の髪を手で靡かせるリトス。
「フェルさんのような黒髪ならば黝くなるのがやっとなんですの」
「へー」
説明に納得し、素直に感心する一同。基本、生来の髪の色を下地としそこに青みが帯びていき、髪の色が決まるのだ。
「それで、これはどう言うことなんですの? フェルさん、フェル=ジンク」
今一度、細めた視線で一瞥をくれる。
そんな彼女の追求にフェルは深々と息を吐くと、
「何て言うか、円滑な人間関係の構築?」
どこか疑問系で曖昧に答えてみせた。ただ、それだけは言葉の意味が通じず、かみ砕く必要があった。
「うちの実家って商売やってるだろ? だからあんまし人間関係で波風立てる真似はしたくないんだよ。ほら、ここってさお偉いさんの子供が結構いるからさ」
それでもし彼らの親の反感を買う真似だけは出来ないとフェルは続けた。そんな親友の言い分に、
「天下のジンク商会が、子供の人間関係の拗れで響くようなやわな商売してるとは思えんがな」
呆れ気味なアルだった。
ジンク商会。その創業は古く、姫勇者スイと七英雄の一行を金銭面及び物質面で支援し、八番目の英雄とも称される伝説の女商人セアリア=ジンクが興した商会であった。そしてフェル=ジンクは現会長の実の子となる。
上に姉と兄がおり、下に妹の四人兄妹。幼い頃から商売のいろはを叩き込まれるも、他の兄妹と比べ商才の劣る彼は、他の邪魔にならないよう一歩身を退く癖が付いていた。
それが人間関係を円滑にすることに気付き、いつしか彼の処世術と化し、王侯貴族に大富豪などの子弟が多く籍を置くベリー魔導学院においても多分に発揮されていた。
「だいたいさ、商人の息子が魔術学校でトップレベルの成績を誇ってみろ。顰蹙買いまくると思うんだよ」
家業の安寧と更なる発展を願うフェルにしてみれば、権力者のご子息である彼らと反目し目の仇にされるよりも、そこそこの成績をした無害な同級生として認識されていた方が無難だと考えていた。
ただし、彼の処世術は負けてかまわない勝負事のみに発揮され、決して譲れない勝負事には全力を出すだけの意固地さは備えていたりする。もっとも、現在それが発揮される場面は、趣味である魔導機械弄りぐらいであった。
「そう言うことで、会長。俺の評価が下がるだけで誰も傷つかな――」
「傷つきました!」
話のまとめを言い切る前に、キッパリと言い切られてしまうフェル。鼻の頭に人差し指を突きつけられ、思わず後退る。
「魔術の鍛錬を真摯に行ってる方々にとって、フェルさん、フェル=ジンク。貴方の行いは彼らの努力を馬鹿にして嘲笑うようなもの。このリトス=ベリー、現学院長ネオ=ベリーの孫娘にして大賢者リム=ベリーの末裔であり、最高の魔術師を志している私の心を深く傷つけましたわ」
「そんな傷つくことかな……」
「ふ、か、く、傷つけられましたわ」
ぼそっと愚痴れば、今一度強く押し切られる。
「じゃあ、会長さんはどうすれば許してくれるんだ?」
そう訊けば、クルリと踵を返すように一回転するリトス。どこか楽しげだ。
「フェルさん、フェル=ジンク。貴方は、今週末に催されるイリュージョン大会はご存じかしら?」
「そりゃまぁ知ってるけど」
それは夜空を光系、火炎系、雷系などの魔術で極彩色に彩り、観賞を楽しむ夏の風物詩的イベントであった。
そこにはアマチュア参加のコンテストも存在しており、リトスはそれで優劣を付けようと言ってきた。
「断っても無駄なんだよな?」
「ここで逃げれば、全校集会の際にでも全生徒の前で問い詰めますわ」
おずおずとフェルが訊ねれば、さらりとリトスは恐いことを口にする。それが可能な立場が生徒会会長にはあった。
やれやれと肩を竦め、フェルは了解とだけ告げる。その背中がどこか煤けていた。対して、
「勝負決定ね、フェルさん、フェル=ジンク」
満足げに声音を弾ませるリトスだった。
「土壇場で逃げ出さないように、当日は私が寮まで迎えに行きますから。時刻はそう……エントリーの受付開始が四時だから、三時に行きますわ」
「それじゃ早す――」
「ああ、コンテスト開始時間まで間が空いてしまうことを危惧なされるのね。でも、問題無しよ。私から勝負をけしかけたんですもの。コンテスト開始までの時間は私が奢ってあげますから、屋台の出店でも巡って潰しましょう」
声を挟む間もなく一方的に捲し立てられていく計画。
「でも――」
「もし、一方的に奢られるのがお嫌でしたら、こうしましょう」
名案が浮かんだとばかりに顔の前で手を併せて続ける。
「コンテスト開始までは互いに出し合う。そして、コンテストが終了後は負けた方が買った方に奢ると言うのはどうですか? 所謂、罰ゲームですわね。互いに禍根を残さず、良い考えだと思うけど、どうかしら?」
どう考えて、前もって計画していた節が見え隠れする提案だったが、疲れたフェルは飲むしかなかった。
「では、フェルさん。今週末を楽しみにしてますわね」
意気揚々にしてそれでいて楽しげに、足取り軽く第三ガレージを立ち去っていくリトスだった。
「それで、フェル」
リトスの姿が完全に見えなくなるのを待って、アルが揶揄ってきた。
「美人のリトス嬢からデートのお誘いを受けてどんな気分だ?」
「デートってな……やっぱりそう思うか?」
「それ以外ないだろ?」
アルの返しに全員が頷いてみせた。
たっはっはと力なく笑うフェル。実家の家業柄、そこそこ人を見る目を養われている彼にしてみても、リトスが自分に対して好意的感情を抱いていることは見て取れた。
「付き合うのか?」
「――って、アル。俺は別に告白された訳じゃないんだぞ」
慌てて否定するがその頬が赤い。満更ではないようだ。
「俺の勘だが、コンテストでお前が勝ったら告白してくると思うぞ? まぁ、負けても付きまといそうな気はするが」
うぐっとフェルは低く唸るも、
「あの学院長が許してくれると思うか?」
そう口にした。
彼女と付き合うには最大にして最強の壁が存在していたのだ。
「あー、リトス嬢にはラスボスがいたか」
ベリー魔術学院の長であるネオ=ベリーは孫娘であるリトスを溺愛し、『儂の目が蒼い内はリトスは誰とも付き合わせない!』、『リトスと付き合いたくば、儂を倒してからにしろ』と公言憚らなかったのだ。
故に、美人にして才女でありながらも、リトスはいまだかつて男と付き合ったことが無かった。
一説には、孫娘と男子生徒が必要以上に接触しないようにと、魔術による『目』と『耳』が学院内に張り巡らされていると言う噂だ。
そしてそれを肯定するように、
『基幹術理科三年フェル=ジンク。学院長がお呼びです。至急、学院長室に来て下さい』
そんな放送が学院内に鳴り響けば、さすがのフェルも戦々恐々と震えるしかなかった。
▽
「フェル=ジンク君。本日付でキミの退学が決まった。キミのような優秀な者を志半ばで放校するようなこととなり、我が校も残念に思う」
学院長室へと出頭したフェルを待ち構えていたのは、想定外でありつつも半ば可能性としてはあり得たかも知れない一言だった。
「退学!? ちょっと、待って下さい」
寝耳に水な展開に慌てふためく。
「週末のイリュージョン大会はデートとかそう言うのじゃ無くて、ただ、リトスさんに勝負を挑まれたから行くだけで、やましい理由とかは無いんですよ。いくら孫娘が可愛いからと言って、いきなり退学って酷すぎじゃないですか!?」
「キミは何を言っているんだ?」
長く伸びた眉毛で隠れ気味の瞳を見開き、胡乱な一瞥を向けてくる学院長。対してフェルは、互いに考えていることがずれていることに気付いていないのか、話を続けた。
第三ガレージで交わされた先ほどのやりとり。そしてそこに至った理由でもある試験で手を抜いていたことを説明するフェル。その内容に老賢者は目を細めてみせた。
「ほぅ。その話を聞くとますます惜しいな。リトスが認めた者を見捨てるしかないとは……いやはや口惜しいものだ」
長い白鬚を撫でながら、重厚な机の引き出しから書類の束を取り出した。受け取ったそれらに視線を落とすフェル。その一番上には保護者署名による退学届があった。
ただ、その署名を見てフェルは眉を潜めた。
「学院長、この保護者の名前、兄なんですけど……」
本来ならば両親が記すべく欄にあったのは実の兄であるアロン=ジンクのサインだった。
既に成人しているとは言え兄だ。両親が存命している状況では、さすがに退学届のようなお堅い書類で通じるサインではない。
そして、その意味は直ぐに解った。
「学院長、これって……」
訊ねるフェルの声音が震えた。
そこにあったのは幾つかの事故報告書と写真。あとは複数の新聞紙だった。
ジンク商会が創業七〇〇周年を記念して建造していた豪華飛空挺クィーンセアリア号。それの事故報告であった。
彼の故郷でもある商業都市セアを出航しリゾート都市レイアへと向かうテスト飛行中、天候不順により予定の空路から大幅に逸れて飛んでいた時にその事故は起こったのだ。
通常ならば難なくやり過ごせるトラブルなのだが、運悪く飛空挺は雷雲の中。動力機関に落雷を受け中破。
航行不能となった飛空挺は、近くにあったとある封印石にぶつかりそれを壊すように撃沈したのだ。
乗務員らスタッフは重傷を負うものの無事助け出されたのだが、客室に控えていた会長及び会長夫人――フェルの両親は封印石を壊した際に生じた時空の裂け目に飲み込まれ行方不明となった。
巨万の富を投入していたプロジェクトなだけあってその損失は出かかった。もっとも、その程度で済んでいれば良かったのだが、問題は破損させた封印石。それは、七大厄災龍が一つ灼焔龍の封印を解くことと繋がっていた。
それに伴う損害賠償金は試算しただけでも、大国の一つや二つが軽く吹き飛ぶほどだった。
そんな莫大な負債が残されたジンク一族に課せられたのだった。
人々にとって不幸中の幸いなことは、封印が解かれたからとは言えすぐにでも灼焔龍が復活することではなかったことだ。姫勇者によって封じられた灼焔龍は魂だけの存在となっており、肉体を復元させるのにしばらくの時間が必要だったのだ。
そしてそれは十年後なのか百年後なのかは人には解らず、それらの対策費用がジンク一族の負債に加算さ、天文学的数字な借金と化してしまっていた。
添付されていた手紙によれば、未成年であるフェルは相続放棄の手続きを行えば債務者からは解放されるとあったが、相続放棄の手続きが成されるまでは彼にも負債はのし掛かり、フェルの個人的資産もまたジンク一族の資産とされ、全てが管財人の手によって差し押さえられることに。
その第一段階として、既に支払われているベリー魔導学院の学費の回収が成され、それに伴っての退学なのだった。
そして第二段階として、この手紙に目を通した時点で――
ポンッ!
「のわっ!?」
フェルの手にしていた手紙の一枚が光り、白煙を上げては黒い装束に身を包んだ人の子より小さな少女が出現した。
その様子を端から見ていた学院長が目を細める。
「債権回収に契約精霊を寄越したか。ふむ。種族はスプリガンと見た。その出で立ちは極東の島国伝わる忍装束だな」
博学である彼の知識を持ってすれば、その少女が何なのかはあっさりと看破できた。
そんな忍者少女はフェルを確認するとペコリと頭を下げ、現れた時と同じ唐突さで白煙を残し学院長室から消え去ってみせた。
「何なんです、アレは!?」
「言ったであろう。アレは債権回収のために使わされた契約精霊だ。キミが手紙に目を通した時点で起動する儀式魔術を組み込んであったのだろうな。
今頃、キミの寮部屋でキミの私物を全て差し押さえていると思うぞ」
「俺の私物を!?」
慌てて学院長室を飛び出すフェル。相当焦っていたのか退室の挨拶も無い。そんな彼の背中を見送りながら、学院長は渋い顔で呟くのだった。
「どうする、フェル=ジンク。このままではキミは無一文裸一貫で学院を立ち去ることになるのだぞ」
▽
テラスで夜風に当たりながら、リトス=ベリーは独り黄昏れていた。
ぼぉーっと彼女が見つめる先は男子寮であり、フェル=ジンク退学の噂はジンク商会の倒産のニュースと共に彼女の耳にまで届いていた。
「はぁ……フェル、フェル=ジンク」
愁いを帯びた溜息混じりに彼の名前を呟けば、
「呼んだかい、会長」
「!?」
闇夜をバックにひょっこりと屋根の上からフェルが顔を覗かせたのだ。悲鳴を上げなかっただけでも褒めてやりたい状況だ。
「フェルさん、フェル=ジンク。どうしてここに? それにその格好……」
テラスへと降り立った彼の姿は学院の制服ではなく、サイズがちぐはぐな古着だった。
「ちょっとね。借金の形に私物を全部取り上げられてしまってさ」
おどけるように肩を竦めて言う。
「借金取りの精霊がさ、俺の私物全部差し押さえてくれたんだよ。あの子、押収物の保管庫を別次元に持っていて、ジャンクヤードのゴミまで全部回収」
どうやって見分けているのかフェルにも解らなかったが、スプリガンの少女は第三ガレージに積まれたジャンクの中からフェルが私費で仕入れてきたガラクタを物の見事に見つけ出し、一つ残さず回収してみせたのだ。
「穿いていたパンツまで取り上げられた時は泣きたくなったよ」
力無く、愁いを帯びて続けるフェルだった。
「でも、今は服を着てる……」
「ああ、これ? 友人知人に頼み込んで着ていない服を借りたんだよ」
「借りたって?」
怪訝そうに眉を潜めるリトス。
「貰うとその場ですぐに取り上げられるんだ。だから借りた」
それは苦肉の策だった。
表向きには返却不要のレンタル品として、不要な服やらを分けて貰ったのだ。
「まぁ、一応担保は支払ってるんだけどね」
汚れたマントの中から一冊の黒い本を取り出すフェル。厚そうなハードカバーの割にはページ数の少ない本を見ては、リトスは眼を見開いた。
「貴方、まさか――」
「魔導書が学院からの貸与扱いで助かったよ。こいつと杖だけは取り上げられずに済んだから」
「ページを、刻印式を対価として差し出したって言うの!?」
声を荒げては詰問するリトス。その戸惑い方は激しかった。信じられないとばかりに首を横に振る。
学院では入学と同時に新入生には一冊の本が貸与されることとなっていた。真っ新な魔導書であり、何一つとしての魔術が刻まれていない白紙の本だ。
そこへ生徒達は学院で学び自らが思い描く魔術の式を刻むように記すことで、自分だけの魔導書を育てていくのが慣わしだった。
それは刻印魔術と呼ばれる魔術ジャンルにおいて必須要項であり、卒業と同時にその魔導書は正式に授与されることとなっていた――が、卒業までは学院からの貸与品扱いだった。
元来、魔術と言う魔法は他の魔法――精霊の力を借りる精霊魔法や神々の奇跡に頼る神域魔法などと比べて、圧倒的に手間の掛かる魔法となる。それを簡略化させる手段として編み出されたのが、彼らの学ぶ刻印魔術であった。
魔術師が世界の理に干渉するには、長い呪文を唱えたり複雑怪奇な魔方陣や儀式を用いる必要があった。それを魔導書に術式――刻印式と呼ばれるそれを記し、対になる発動媒体(杖など)とトリガー(短縮呪文や指の形など)で魔術を行使するのだ。
それは、言ってみれば数学における演算過程を魔導書に任せ、最初の公式だけを唱えることで演算結果を導き出すのに近い。
一見すれば便利なことこの上ない様に思えるが、魔導書は特殊な製法で作られるため価格が非常に高く、一般人にはなかなか手が出せないのが現状であった。
また、魔導書に記された刻印式を術者が正しく理解しておかなければ、どれだけ魔導書に記そうが魔術は発動しなかったりするため、金だけあっても才が無ければ宝の持ち腐れなのが魔導書だ。
ただし、逆に理解さえしていればどんな形状の刻印式でも発動する。
1+1=2
とした計算式があるが――
魔術書に記す場合は、『+』以外にも、『足す』でも『合わせる』でも同じ結果の『2』となる。
それこそ、同じ『2』と言う結果だけを出したければ、『1×2』と記したり、『50-48』と記しても構わない。重要なことは、その刻印式に矛盾が存在せず正しく意味が通じれば良いのだ。
中には独自の方式を見出し、新しい刻印式を作り上げる者もおり、一子相伝で伝えたり弟子を集めては教えを広げたりとすることで、いくつもの刻印魔術の流派が生まれていた。
学院では、開祖にあたるリム=ベリーの名を取って付けられた流派――リム式刻印魔術を修めていた。
そんな刻印魔術には一つの致命的なデメリットが存在した。
一度魔導書として機能を始めた本を破損させると、そのページに記された刻印式の魔術が二度と使えなくなるのだ。
例え別のページ、それこそ新しい魔導書に同じ刻印式を記したところで、その持ち主には使えなくなる。ただし、使えないのは破損した魔導書の持ち主だけであり、同じ刻印式を正しく理解し新たに己の魔導書に記した者は普通に使えたりする。
もっとも、あくまで使えなくなるのは破損したページに記されていた刻印式であり、同じ結果を見出せる全く異なる刻印式を用いれば、同じ結果を起こす奇跡を使うことは出来た。
そんなデメリットとは別に、メリットも存在した。刻印式が記されたページを意図的に第三者に譲渡することが出来るのだ。
譲渡方法自体は単純で、譲渡する側とされる側が互いに刻印式の譲渡を認めた上でページを破り、貰い手の魔導書の空きページに貼り付ければ済む。
しかも、刻印式の譲渡には一つの特色があり、受け手側が貰った刻印式の意味を理解していなくても、その魔術を使えるようになるのだった。
ただし、譲渡とは言えページを破ることには違わず、差し出した方はその刻印式による魔術は使えなくなることには変わりなかった。
故に一枚二枚程度ならば、家伝の魔術の伝授として行う一族もあったりするが、ページの大半を差し出す馬鹿はさすがにいなかった。魔術師としての己の人生を差し出すようなものなのだ。
だからこそリトスには、スカスカとなったフェルの魔導書があまりにも痛々しく見えていた。
仮に何らかの手段で借金をチャラにし、しかも運良く新たな魔導書を手に入れることが出来たとしても、これでは記せる刻印式がほとんど残っていない。
つまりそれは、フェル=ジンクが今後魔術師として再起できないことを意味していた。
まるで自分のことのように苦痛に顔を顰めるリトス。そんな彼女の優しさを痛感しては、フェルは困ったように頬を掻く。
「そう気に病まないって」
なるべく軽い口調で言う。
「どっちにしろ、魔導書なんて二度と手に入らないだろうしさ。使えない魔術なら使えるヤツに使ってもらった方が有り難いんだ。それに、魔術は使えなくなるけど死ぬ訳じゃないしさ……まぁ、無事相続放棄の手続きが済めばって話が付くけど」
若干煤けるフェルだった。
これから彼が向かわなければならない実家のある商業都市セアは遠く、徒歩のみで帰ろうと思えば年単位の時間が掛かるのだ。
その上、日々の生活費すら稼ぐ手段の無い――仮に稼ぐことが出来たとしても、給金を受け取った時点でそれはフェル=ジンクの資産とみなされ、その場で回収される彼にしてみれば食べ物にも困りそうな日常であった。
「それで会長さん。貴女にも何か貸して貰えないかなと思ってさ。あっ、勿論レンタル賃の対価は置いてくよ。会長にならここら辺の刻印式がいいかな」
残り僅かなページをペラペラと捲るフェルだったが、それをリトスの手が止めた。
「会長?」
「その魔導書、丸ごと私にください」
「え?」
その申し出に戸惑うフェル。
「でも、これは学院に返さないとならないから」
卒業と同時に授与される魔導書だったが、卒業半ばで退学となった生徒の魔導書は学院に返却された後、特殊な儀式魔術にて中身がリセット――白紙化されるのだった。
それは、退学となり放校された生徒が新たな魔導書を手にしても、再び同じ刻印式が使えるようにするためのものであった。
もっとも本来のリセット処理は、複数冊に別れた魔導書を一冊にまとめるための処理であったりする。
「ですから、魔導書は私の手で学院へとお返ししておきますわ。ただし、対価として刻印式だけは戴きますので、私の手で写させてもらいます」
ようするに彼女は、ページを貼り付けるのではなく、自らフェルの刻印式を理解した上で自分の魔導書に自らの手で写していくのだと言う。
一瞬の逡巡を見せるも、フェルは素直に頷いては自らの魔導書を差し出した。
受け取った魔導書を大事そうに抱きしめるリトス。そんな彼女と自らの手にある杖を見比べつつ、フェルは口を開く。
「魔導媒体の方は、あと一回だけ魔術を使うまで待ってくれるかな?」
魔導媒体とは魔導書と対になっている杖や指輪のことであり、それらを身に着けることで術者は魔導書と繋がることが出来て魔術が使えるようになるのだ。この場合魔導書との距離は関係なく、魔導書は安全な場所に保管しておくのが魔術師の常であった。
「あと一回って?」
「んー、会長との約束を思いだしたからさ」
そう答えては、浮遊魔術を使ってバルコニーから中庭へと飛び降りる。
「あっ、これのカウント無しで。それと、試作段階ででっかい音が鳴るけど勘弁な」
彼が何をやろうとしているのか解らず、戸惑うリトス。そんな彼女に悪戯っぽい笑みを浮かべてみせて、
「魔術師フェルの一世一代にして最後の魔術だ! 乞うご期待あれ!!」
フェルは辺りに響くほどの大きな声で宣言するのだった。
突然の大声に、バルコニーへと出てくる女子生徒達。隣の男子寮でもやはり男子生徒達が顔を覗かせていた。
ギャラリーが一通り揃うのを待って、フェルは最後の魔術を口にする。
「爆ぜろ! 花火!!」
刻印式起動のトリガーを口にし、振るった彼の杖から放たれたのは小さな火球。誰もが固唾を飲んで見守るのだったが、何も起こらない。
「失敗?」
一瞬、そんな疑惑がリトスの脳裏を過ぎった――のも束の間、遙か上空へと打ち上がった火球は、突然の爆音と共に激しくも煌びやかに爆ぜたのだ。
成功を確認すると、次々と火球を打ち上げていくフェル。二度と使えない魔術に未練を残さないように、その秘めたる魔力を使い果たす気でいた。
青髪が持つ、その膨大にして莫大、強烈にして苛烈なまでの魔力の全てを使った魔術は、鮮烈なまでに夜空を彩っていた。
「綺麗……」
思わずこぼれる感嘆の呟き。そして彼女の頬を涙が伝っていた。
▽
黒から白へと世界が色を持ち始めた頃合――
清浄なる空気の中、ベリー魔導学院を裏門から出て行こうとしている人影があった。昨日付で退学が決まったフェル=ジンクだ。
門を抜けた彼の足が止まる。
「カバンに……手紙?」
彼の行く手を阻むように、それは置かれていたのだ。カバンの上に置かれた手紙を手に取れば、『フェル=ジンク様へ』と宛名が記されていた。
美麗な筆跡には見覚えがあり、誰の手紙かは直ぐに解った。そしてカバンの意味も。
「会長は律儀なんだから」
それはフェルの魔導書に記された刻印式の対価として貸し出された代物だ。中身は旅の必需品一式と、
「会長らしいな」
二冊の本を見ては苦笑をこぼす。
一冊はサバイバルの指南書であり、もう一冊は食べられる野草の本だった。これからの自分の旅の問題を見通したかのようなチョイスには、さすがのフェルも脱帽するしかない。
そして手紙には――
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「フェルさん。フェル=ジンク……
それは貸した物です。必ず返しに来てくださいませ。そうでないと、魔導書に残した未完成の刻印式、私が完成させてしまいますわよ」
学院内にある一際高い塔の上にて、裏門を見つめながらそう呟くリトスの姿があった。
「だから、早く返しに来なさいよね……ばか」