サラフィー仮面
礼拝と夕食を終えた伊之助は元気にテレビの前に陣取る。
「ごちそうさん。さあ、サラフィー仮面のビデオ、ビデオ~~~。おお、サラフィー仮面の白装束が早速でてきたぞ」
「さあみんな、1日5回の礼拝は今日もきちんと済ませたかな。イスラームの寛容なる力で今日も理想のイスラーム社会を築いていこう」
「もちろん済ませたぞーー」
♪サラフィー仮面、義道の仮面♪
第7話 カーフィル団の計略
ウンマ団に属するキリスト教徒の女子高生ヒロイン、三笠ミトコは音楽会にて5分間熱唱し、みごと1位に輝いた。
帰宅時
ミトコは雪の舞う今日も常時着用が義務付けられている膝上20cm丈のミニスカートの制服で短髪をひらひらとさらし、義道都市を同じ高校の友人と共に歩いていた。
「ミトコ様、本日の音楽演奏は極めて美麗でございました。正に神の旋律かと思わせるほどの美声でございましたわ」
「やめてちょうだい、反省点がまだまだあると本人が自覚しているのに、神を持ち出して褒めるのはむしろ失礼よ。」
・・・・
やはりたまりませんわ。
200人が参加する大会で優勝しておきながら、決して奢らず謙虚さを忘れない誠実な姿勢
実際には一言の感謝もしていないのに、何万人にも感謝をしているように思わせる凛とした表情
これぞ人民に服務する理想の宣教師の御姿ですわ。
ふふふふふふふふ。
友人が一人で賞賛している間にも、ミトコは有力候補の下馬評を伝える都市の新聞記事を見せながら話しかける。
”音楽はヒジャーブ少女と共に”
「ほら、ここに載ってるイララさんが欠場したのが私の優勝に大きく寄与したのでしょうね」
「うん、その子は私でさえ聞いたことがある。何でだろう?」
「ひょっとしたら、これをみて初めて気づいた親族が音楽などするなと言ったとか?ほら、音楽はイスラームに反するって人がいるでしょ」
「でも、音楽の悪徳を説くハディースがあるのは確かだけど、その美徳を説くハディースもまた存在するのよ」
「真実はどちらにあるの」
「白黒はっきり審判できないというところが正直なところね」
ここで、ミトコの手持ち電話が鳴った。
ウンマ団との直通回線番号だ。
「はい、こちらはウンマ団信仰護衛特級委員、三笠ミトコです」
上から見られていなくても姿勢を正して応答すると、受話器が告げる。
「本日の演奏会で君と競うはずだったイララ氏の身柄が、カーフィル団のもとにあることが判明した」
CM
「居場所を明記した犯行声明が送られてきた。イララ氏が軟禁されている場所は、ミトコ君の家から1キロも離れていない学術F区画だ。至急急行せよ」
「承知!」
ミトコは無理についてくる友人を走って引き離し、学術F区画に入る。
この区画は学問が盛んな義道都市でも、最も教育水準が低い場所として都市外でも知られている。
現場へ道すがら、髭面の男集団が女子の制服集団に声をかけている場面に遭遇して立ち止まる。
「やい、そこの異教徒娘、ここがどこだと心得ている。由緒正しきムスリム以外は決して入ってはならない非公式のダール・ル・イスラームだぞ。そんなみだらな服装で入ってよいと思っているのか」
怖がる女子に男たちは更にすごむ。
「ちょっと撮影させてもらおうか。な~に、イスラームは処女を尊ぶ寛容な宗教だ。野蛮なキリスト教徒みたいなことはやらない。ちょっと君たちの日常生活を鑑賞させてもらうってだけだ」
「ちょっと、そこのあなたたち」
ミトコは割って入る。
「なんだ、お前も異教徒か。髪の毛ばかりかもっと足を露出させ…」
大声を上げている男に、別の男が制止する。
「って、短髪に坂東第の制服にこの容貌ってどこかで…」
「ウ、ウンマ団の…基督淑女!?」
「「「「うわあああああ、逃げろ~~~!!!!」」」」
逃げ去った男たちをみて、被害者たちはミトコにお礼を言う。
「「「救っていただき、ありがとうございました。私たち、用心して普段よりずっと長い靴下を履いていたのに、スカートとの間の1mmの隙間をとらえてあのような事態になったのです」」」
ミトコはウインクをして、きっぱりと答える。
「ああいうのはね、怖がらずに見つめ返して何か言ってやれば、あなたたちでも簡単に撃退できたはずよ。なんかつるんでいたけど、全然連帯しあっているように見えなかったでしょ。共通の絆なんてものは、異教徒への感情を除いて彼らにはまったく存在していないのだから」
「救うばかりか、親切な助言まで下さるなんて。本当の英雄です。一生の思い出です」
「褒めすぎないで。それじゃあ先を急ぐから」
駆け抜けるミトコの背中を、膝下丈スカートの少女たちはいつまでも見つめていた。
CM
F学術区画のビル暗室。
毛糸交じり茶色い格好をした猪仮面の怪人が語る。
「やあ、イララ君。何度も問うけど、君がなぜ誘拐されたか分かるかな」
「…」
全身を黒い布で覆われされているイララは沈黙している。
「この新聞記事にあるように、君が音楽なんかに取り組んでいたからだ。“ヒジャーブ歌姫、目指すはマッカでの大演奏会”だって?聖地マッカでアザーン以外の音楽が許されるとでも思っているのかね?君はまことに罪深い。預言者ムハンマドは、音楽が聞こえてくるなり耳を塞いだものだ」
「あなたたちがマッカや偉大なる預言者ムハンマド将軍のことを引き合いに出さないで。せめて耳を塞がれたと言うところよ」
イララの反論に怪人は耳を貸さない。
「ほお、このハディースを真正と認めるのだな?別のハディースに曰く、楽器は悪魔の燐子なりともある。ああ、実に君は罪深い。記事によると、音楽を始める時は親戚に知られないようにするのが大変だったともあるな。今は承認してくれているかはどうでもよい。でも、この記事のせいで、君の知らない親戚が背信者扱いして襲撃しにくるかもしれないね」
「背信者?何よ、猪を家畜にした動物が豚なのよ。そんな汚らわしい動物の仮面を喜んで被っている時点で、もうあなたの言うことに価値なんかないわ」
怪人は少し不機嫌になり、イララを強く埃まみれの地面へ投げ飛ばした。そしてそのまま鑑賞の姿勢に入り、余裕たっぷりに微笑み口調で喋る。
「ふっ、貴様はそれでも恵まれているのだぞ。我々は寛容なる集団だ。他の誘拐団だったら、お前は今頃どんな服装をさせられていただろうかお察し下さい」
ここで扉がバンと開いた。
「誘拐しておいて寛容ですって?もう位置は把握されている」
外の夕日を背景に、ミトコがその足を暗室の中に踏み入れた。
怪人は絶叫する。
「素足を見せつけてやはり来たな基督淑女。どうせだったら足や髪の毛だけでなく、胸や背中やヘソも見せつけて俺たちの前を闊歩しやがれ!」
「何よ、やはりあなたは腐ってもなおカーフィル団の一員ね。異教徒の女の子が自分でみせてる箇所を眺めてから家に帰って、誰もいないところで空想に浸るのは勝手だけど、そちらから服を脱ぐよう命じるなんて、貴方には礼儀の欠片もみられないわ」
一蹴したミトコに怪人は応じる。
「何が礼儀だ。そんな姿で歩いている時点で既にムスリムの礼儀に反しているではないか。ならば、今のイララのように全身をニカブで覆いやがれ。我々は問う。ニカブか全裸か。ニカブでないなら、全裸でいやがれ!!」
「その藪めいた二分法が戦略かしら。許さない。自力で成敗してもいいけど、サラフィー仮面を今から呼び出して、わたし以上の雷を落とさせる」
ミトコは丸い特製の50銭玉を天井に投げつけて叫ぶ。
「サラフィー仮面~~~!!!」
CM
50銭玉が天井に当たって光り輝き、アラブ衣装の白色に緑色の髭を生やしたサラフィー仮面が地面に降り立つ。
「アッラーの他に神は無く、預言者ムハンマド同志はアッラーの使徒なり。サラフィー仮面、見参!」
右手を高く斜め上に挙げて宣誓するサラフィー仮面に向けて、ミトコは指令する。
「さあ、あの猪仮面をやっつけて、あそこにいるニカブ姿の女の子を救出して」
「合点しました、人民のハディージャ嬢。カーフィル団の魔の手から彼女を早速救出し、日没の礼拝を共に行わなければならない」
これに対して、猪仮面の怪人はイララを片腕で締め付けながら言い放つ。
「ふははははははははサラフィー仮面、それ以上近づいたら、この娘のニカブをぶちはがして、その髪の毛を皆の衆に見せつけてやるぞ」
「おのれ、啓典の民たるキリスト教徒ならともかくとして、本教徒を標的にそのような蛮行を働くとは許せぬ」
激怒したサラフィー仮面が腕を三日月形に構える。
「サラフィー・ビーム!!ビビビビ!」
三日月のような形をしたビームに星がきらめく。
怪人は人質を盾にしてビームを受ける。
無能なとミトコは思う。
このビームはイスラームの敬虔さに比例するので、敬虔と判定されている民には効果がない。
むしろ、ビームの力を強化し、より太いものにするだけだ。
そのはずだが…
ビームがニカブに直撃すると、完全に貫通しなかったとはいえ、ビームがその場で通ってしまったではないか。
そのせいで、イララの髪の毛や足が5cmほど露わになり、その身体が透けて見える。
猪仮面が勝ち誇る。
「どうだ!サラフィー仮面!我らは決して不信心という訳ではない。我らは新戦略としてコーランやハディースの御言葉に沿って行動することを選択したのだ。社会的にはどんなに不謹慎な文脈だとしても、コーランやハディースに沿う限りそれはイスラーム的なのだ。音楽はアッラーの名のもとで罪深いのだ―――――!故に音楽を奏でるイララはサラフィー・ビームの恩恵に授かれなかったのだ―――!まあ、アッラーは慈悲深い存在だから、殺すまではしなかったようだけどな」
サラフィー仮面は問う。
「ならば、誘拐を是とする根拠は何か?」
「イララの親戚を名乗るおじさんから音楽はイスラームに反する、不実な男どもを誘惑している、どうか音楽を禁止し、今日もイスラーム道に精進するムスリム男士のお気に召すムスリマ女子に改造してほしいと依頼された。だから誘拐した。おじさんの写真をイララに見せたら、確かにおじに当たると証言した」
写真をみせながら話す猪仮面の弁明をサラフィー仮面は一喝する。
「何を言うか!不信心で名を馳せるカーフィル団に誘拐されたとなれば、そのムスリム男士たちはイララを、不貞を働く慰安婦とみなして理由を問わず斬殺しにくることだろう。そのような風潮を知らずして誘拐を働いたというのか!」
「言っておくが、おじから依頼を受けたというのは真実だ。シャリーア聖法に曰く、男子は一人で十分な証言力を有するが、女子は4人揃ってはじめて証言能力を認められる。ゆえに、男子の猪仮面の証言は真正である。ふははははははは」
「違うな。宗教に強制があってはならない。人間の自由を奪う誘拐はどんな理由があったとしてもイスラームで許されない」
「俺のイスラームでは許される。音楽は禁則事項なり。ゆえに歌の歌い手となった堕落ムスリマのイララを誘拐するのはアッラーの歓びたまう正義なり。このキヤースに疑問の余地なし」
ミトコは割って入る。
「サラフィー仮面、類推で対立しようというのなら、あれが必要ね」
サラフィー仮面は頷き、上を眺めて呪文を唱える。
「エルサレムの荒ぶるジンどもよ。サラフィー仮面来たり降り、教理の不和、このシャムシールを以て調伏せん。草莽の異教徒との和諧を恢復せん!」
周囲がまた三日月に輝き、サラフィー仮面の手からしろがねに輝く湾曲刀が出現した。
「これは秩序のシャムシール。異教徒を裁く力はなくとも、世に暫定の秩序をもたらす世俗の法を犯すムスリムのみを断罪する刀」
サラフィー仮面は刀を猪仮面に近づける。
猪仮面はイララを人間の盾に構えて防御する。
サラフィー仮面は構わず刀を振り落とす。
ザクッ!
その刃は…確実に猪仮面のみを傷つけた。
猪仮面は痛みに耐えかねてイララを解放し、暗室の暗闇を活かして奥へ逃げ込む。
「くっ、俺はイララのおじの依頼に応えてやっただけだ。片手に剣を掲げてやる布教は下策なんだ…」
負け惜しみが響く中、サラフィー仮面が後を追う。
そして捕まえ、手錠をかけ、ウンマ団の本部に報告した。
CM
「さあお嬢さん、もう安心だ。この新しいヒジャーブを身に着けて、共に日没の礼拝をしようではないか」
サラフィー仮面が寛大な声で手を差し出すが、イララは泣いてうずくまっている。
「どうして…どうして…サラフィー・ビームで私のニカブが焼けたの?どうして、そのシャムシールで私は斬られなかったの?私はその神器から…不信心者認定されているの?どうして、どうして…おじさんを恨んでしまったから?音楽をやっていたから?」
嘆くイララをサラフィー仮面は諭す。
「アッラーは寛容なる存在だ。ただ、親族に殺意水準の恨みを抱くのは、どんな理由があっても許されることではない。しかし、しっかりとそれを反省し、礼拝をしっかりと行っていれば、アッラーは慈悲深く許したまう。さあ、共に礼拝を捧げよう」
サラフィー仮面がアザーンを唱え、イララは泣き止み、2人は礼拝を行う。
礼拝を終えたサラフィー仮面にミトコは問いかける。
「今回の事案は親族の敵意が入ってしまっている。この場合、被害者を親族のもとに返すのに危険が伴う」
「この場合は、本人の意思を問うべきだ」
サラフィー仮面が聞いたところに、ウンマ団の救援団が駆けつけてきた。
「ミトコンドル~~」
「って、なんであなたもそこにいるのよ?」
「私が大事なアイテムを持っていることを忘れました?ミトコンドルのいるところ、私はどこにでも瞬間移動するようにかけつける。ほら、この表彰状。イララさん、この三笠ミトコさんは、本日あなたも出場する予定だった音楽会に出場して、みごと優勝されましたの。ミトコさんの歌は本当に美麗堪能にして…うぐぐぐぐっ」
満面の笑顔で解説する友人の口をミトコは押さえつける。
「いつものことだけど、場を考えなさい。イララさん、貴方がちゃんと出場できていれば、ちゃんと勝てていたかどうかは分からない。今は精神的に難しいでしょうけど、次回は正式の場できちんと決着させましょう」
しかし、イララは決然と述べる。
「気持ちには感謝します。でも、今回の経験からみて、イスラームにおいて音楽は男子と異教徒のみに許された行為なのでしょうと私は音楽の是非に触れたハディースから類推することにします。この類推はウンマ団が何を言おうと譲りたくありません。家族は何よりも大事にされねばなりません。私は本日をもって音楽を引退し、家族のもとに帰ります。たとえ何が起ころうとも」
この答えに、ミトコは冷静に評する。
「立場を違えども、選択は害にならぬ限り尊重すべきというのがウンマ団の原則です。残念ですが、その選択を受けいれ、保護は避けましょう」
一方、引っ張られていくカーフィル団の怪人はサラフィー仮面に向けて叫ぶ。
「貴様、アッラーの名を唱えながら、そこにいる足も髪もむき出しの異教徒女2人に何も命じないとはどういう神経をしているのだ!」
「矛盾など何もない。ヒジャーブ云々の部分はキリスト教徒に適用される条項では決してありえない。ウンマ団に入る時に、偉大なるアッラーの唯一性と預言者ムハンマド同志(ムハンマドと彼の使徒たちの頭上に平安あれ)の至高性と無謬性を認めたミトコ君たちはアッラーを信じているのだから、来世においてはムスリムより等級が劣るとはいえ、しっかり天国に転生できることだろう。だが、お前は男子の4分の1の存在としてずっと保護されているべき本教徒に対して誘拐という蛮行を働かんとした。その罪は大天使ジブリール様の使いによって綿密に記録され、審判の日にしかと処断されると思え」
サラフィー仮面の声が響いて、エンディングロールが流れる。
「はっはっはっはっは、サラフィー・アクバル!」
伊之助はテレビ画面の前で、左手を斜め前に突き出して宣言した。
(2話終わり)