甲火龍誘導作戦 その1
大変お待たせしました!
夜が更けていくとマクサ村のお祭り騒ぎも終わりを迎えた。村人に歓迎の宴を開かれ、多くの大会出場者は暖かい食事と寝床にありついて1日を終えた。しかし彼らはわずかな不安や焦燥を抱いていた。
これは無論のことだが、出場者の誰もが正統な帝国騎士を目指すために今大会で全力を尽くそうとしている。出来ることならば村に滞在している最中でも、競争相手の寝首を掻いたり、間接的な妨害工作に及びたい気持ちがあった。こうしてのんびり眠っている間も、なんとしても他の出場者を出し抜きたいという欲望と、寝ている自分が餌食になるのは避けたいという恐怖が、ほとんどの出場者の心中で渦巻いていた。
そんな出場者たちの緊張感に追い討ちをかけるように、村のすぐ側にそびえる山の向こうから、凶猛な咆哮が空気を切り裂いて鳴り響く。目覚めた竜のその産声は村にいた全ての人間の耳に届き、いくつも点在する簡易宿にいた出場者たちは、愛用の武器を握って宿から出てきた。村中の灯りも一斉に光り出し、森の木々から野鳥の群れが羽音を立てて逃げ飛んでいく。
「い、今のは…?」「お前も聞こえたのか?!」
「何の雄叫びだよ!」「うるせえっ!俺が知るか!」
「北から…聞こえたよね?」「一体なんなんだ…!」
外に出てきた出場者どうしが騒ぎ始め、村人たちもそれに続いて続々と村の中央広場に集まってくる。出場者の大部分は、最低限の武装をした状態で不安そうに北の山を睨みつけているが、中には大慌てで寝間着のまま出てきた出場者もいる。そういった競争相手の無様な姿を見て、せせら笑う者もいたのだが、その目元や頰は恐怖で引きつったままだった。
「皆さん!! 落ち着いてください!」
人々が集まった村の広場に男の大声が聞こえた。全員がその方向に振り向くと、燭台を掲げている村長のマッケンジーが立っていた。マッケンジーも緊張のせいで口髭をヒクヒクと震わせているが、気丈に声を張り上げて周囲の者を先導しようとする。
「まずは落ち着いて避難にあたりましょう! 北の方角から聞こえてきた咆哮の主はどんな魔物か分かりませんが、用心するに越したことはありません! 協力して行動するのです!」
村長の言葉に村人たちは平静を取り戻したが、元々は部外者である出場者たちは、この場をどうしたものかと戸惑っていた。もちろん彼らもすぐに逃げ出したいのだ。尋常ではない咆哮の主の正体は定かではないが、限りある食糧や武器のみでサバイバルレースを行う大会に出ている身としては、無用な足止めや下手な被害は被りたくなかった。
ある出場者の一団が仲間内のみで目配せしていた。5人組のその一団は全員が男で、なめし革の鎧にサーベルと手斧を装備している。見た目からして山間部の領地の見習い騎士らしいが、屈強そうな外見とは裏腹に、表情には怯えと緊張があった。その一団はマッケンジーが村人たちを集めて南へ誘導し始めた時、一斉に東へ向けて走り出した。
周りにいた村人たちは突然の逃走に驚いたが、出場者たちは出し抜かれたという意識が働いた。誰もが頭の片隅では逃げ出す機会を狙っていた。村人たちの避難に付き合っていては、レースで遅れを取ることになりかねない。逆にどさくさに紛れて逃げてしまえば、少なくとも村に滞在していた競争相手には、決定的な差をつけることができると考えていた。
逃げることを選んだ5人の出場者は村人も押し退けて進む。そして自分たちが寝泊まりしていた宿の厩舎に駆け込むと、大急ぎで愛馬の縄を解いて外へ連れ出し、村人たちの白い目も気にせず飛び乗った。
「おい、あんたら!」
1人の村人がその5人に向かって叫ぶ。逃げる気だと悟った男は武装した出場者たちに臆せず怒鳴る。
「ここにはあんたらより弱い人がたくさんいるんだぞ! たらふく飯をご馳走してもらったくせに、こういう時に限ってさっさと逃げるのか!」
出場者たちは男を忌々しげに睨んだ。まずは逃げるのが先決だと考えて無視しようとしたが、それでも男は食ってかかってきて、1人の出場者の馬の手綱を掴んだ。手綱を掴まれた出場者はカッと頭に血が上って、男の頰を裏拳で殴りつけた。殴られた男は鼻から血を吹いて、したたかに地面に頭をぶつけて倒れた。
「うるさいっ! 俺たちは大会で勝って騎士になるために来たんだ! お前らみたいな下賎な農民たちを助けて、この大会をフイにするなんてごめんなんだよ!邪魔をするやつは同じ目に合わせるぞっ!」
殴られた男を見て村人たちは怯んだが、それと同時に出場者たちへの怒りも沸き起こったようだ。捕まえてしまおうとする者はいなかったが、その5人の出場者に向かって恨みを込めた視線を投げつけた。中には後悔している者もいるだろう。自分たちが精一杯もてなした相手が、ここまで勝手で卑怯な人間だとは思わなかったと。
何も一晩ずっと警護してもらおうとは思ってない。避難する間に森から魔物が出るかもしれないから、少しの間だけでも守ってほしいと思うのが、大抵の村人たちの意思だった。しかし、すでに村人と出場者の間には決定的な軋轢が生まれていた。
「くそっ…たかが飯を一食まかなったくらいで、恩着せがましくしやがって…!」
四方から睨まれた出場者たちは、苛立たしげに舌打ちしてから東へ走り出した。道にいる村人たちすら馬で吹き飛ばすような勢いで馬に鞭を入れる。
灯りが点々と光る村の中心から離れるにつれて、辺りは暗さを増していく。先に逃げる後ろめたさと、競争相手に差をつけられる嬉しさが、馬を駆る出場者たちの胸の内で複雑に絡み合う。心とは裏腹に無言で走り続けるその姿に躊躇いは無いが、視界の横から影が現れると、馬が急に前脚を振り上げて暴れ出した。
「うわわぁっ!?」「ぐはっ!」「あぐううっ!」
「おわっ!」「いっ、いてぇ!!」
なんの前触れもなく乱暴に馬が止まった衝撃で、乗っていた者は全員が落馬した。馬も無理な体勢から横倒しになり、1人の出場者があわや下敷きになるところだったが、なんとか横に転がって避けた。
地面に落ちた5人が前方を見ると、そこには馬に乗ったジャックとハル・イブリッツがいた。2人とも怠りなく武装した状態で、両手でしっかりと手綱を握ったまま、倒れ転がっている逃走者たちを見下ろしていた。今の危険な落馬事故を、路地裏の野良猫の喧嘩を見かけたかのような関心の薄い目だった。
「こいつらはどうする?」
ジャックが5人を見つめながら、隣にいるハルに言った。ハルはふうと一息入れてから首を横に振った。
「別にどうもしないよ。ひどい奴らだったけど、僕らが手を下すまでもない。そんなことよりも山の向こうで目覚めた奴をどうするかな……」
話し合いながらジャックとハルは馬脚を進ませる。落馬した出場者には目もくれず、その脇をゆったりと素通りしていく。
倒れた5人のうちの1人がよろよろと立ち上がった。急に馬が暴れ出したのは、横から進んできたジャックとハルが現れたせいなのではと考えたのだ。直接ぶつかってきたわけではないが、自分たちの馬に何かしらの危害を加えたから、あのように馬が突然暴れたはずだという結論に至った。
その男は歯ぎしりして拳を握りしめ、この場から離れるジャックとハルの背中に向かって叫ぼうとした。だが声は出なかった。いざ恨み言を発しようとしても、舌が思うように動かない。それどころか歯ぎしりしていた奥歯が、気がつけばカチカチと震えている。
立ち上がった男の後ろで転がっている仲間の出場者も、自分たちの身体が細かく震えていることを、ようやく理解した。うまく立ち上がれないのは落馬の衝撃のではなく、今まさにすれ違った2人の圧力を感じてしまったせいなのだと本能が察知した。
そこでジャックが立ち上がった出場者に振り向いた。ジャックの瞳に射すくめられ、初めは怒りで一杯だった男の顔はみるみるうちに青ざめていく。
「……馬も飼い主に似るのだな。乗り手がこうも情けない者だと、馬も殺気のみで肝っ玉が縮むようになるということか」
それだけ言い残してジャックは去っていく。その冷たい声の余韻に、逃げようとした出場者たちの震えはしばらく続いていた。
ジャックとハルの2人が村の中心に現れると、避難を始めていた者たちの動きが止まった。他の出場者は北を見つめながら立ち往生しているか、渋々と避難誘導を手伝っているだけだったが、2人の登場に固まって唾を飲んだ。もしも万が一、実力のあるこの2人が村から逃げ出せば、自分たちも逃げやすい雰囲気が作られることになる。あの2人が逃げるほどならば自分たちも。そう言い逃れられる好機ができる。
しかしそんな期待をする間も無く、ジャックとハルは悠々と村の中心を見て回る。
「ジャック様、イブリッツ様!」
村人たちを南へ向かうように指示していたマッケンジーが、2人を見つけると急いで駆け寄ってきた。
「村長、僕たちは不要な混乱を避けたいので率直に訊きますが、北の山の向こうにいる『あれ』を知っている者はいますか?」
マッケンジーが呼吸を整える前にハルが尋ねる。熊のような体格をぜいぜいとした呼吸とともに上下させたまま、マッケンジーは首を振った。
「はあ、はあ……いいえ、私以外にあの怪物を知る人間はいません。あれが近くの洞窟に眠っているという話は、私も祖父から聞いたおとぎ話のようなもので、あの咆哮は本物なのかと一度は耳を疑いました」
「そうですか。つまり、昔からのおとぎ話は本当の話だった。実際に竜は近くに生息していて、ついに目覚めてしまった…ということですね?」
「っ…! は、はい……」
ハルの言葉に頷いた村長の顔は険しかった。運が悪ければ村が竜によって焼き払われるかもしれず、そのような不安の中でも、村長という立場である以上は怯えている暇はない。村人をどうにか安全な場所に導かねばならない責任が、マッケンジーの顔を暗くさせていた。
ハルがマッケンジーの肩に手をかけた。あくまでも落ち着かせるために優しくかつ力強く、ハルは語りかける。
「ご安心してください。たとえ相手が竜だったとしても、僕たちは決して逃げません。あなたは村の皆さんを南へ誘導してください。それと逃げようとした者は別として、逃げずに踏みとどまっている他の出場者に協力を呼びかけてみてください。避難誘導の手助けくらいするでしょう。彼らも騎士を志すはしくれです」
「わ、わかりました。あなた方2人は?」
村長に問われたハルは一度だけジャックの方を見てから、鋭く目線を北の山へ向けた。ジャックは軽く頷いて同意したので、ハルはマッケンジーに答えた。
「僕らは竜を足止めしようと思います」
「なっ、なんですと?!」
声をほとんど荒げたことのない村長のマッケンジーが声を上げたので、周りにいた人間が驚いて見てきた。村長は咳払いしてから、いつもよりさらに小さい声で訊き返してきた。
「……危険ではないのですか?」
心配するマッケンジーにハルは首を振った。ハルの表情に強がりや嘘偽りは見えない。全くうろたえる様子もなく、毅然とした態度を崩さないままだった。
「なに、竜がこの村に向かって南下しないように誘導するだけですよ。では行って参ります」
そう言い残してハルは愛馬に鞭を入れた。ウンディーネが駆け出すと、ジャックの愛馬ソルダートも主人の鞭に応えて走り始めた。
あっという間に村の外の闇へと消えた2人を見て、その場にいた者たちは、何が起こったか全く分からなかった。しかし1人また1人とその意味に気づく。北の山中に現れた恐ろしい怪物に、あの2人だけで挑みかかるつもりだ。
それを出場者たちは理解すると、驚きと同時に含み笑いしそうになる気持ちが出てきた。ジャックとハル・イブリッツの戦いぶりは、多くの出場者が大平原で目の当たりにしている。仮に大勢の人間で勝負を挑んでも、あの2人には逆立ちしても勝てる気がしない。だが2人が自ら進んで苦難を背負ってくれるならば、それは願ったり叶ったりだ。怪物相手に手こずって出発が遅れてくれたり、大怪我を負ってリタイアしてくれたら有利になる。ジャックとハルの背を見送った出場者たちは、そのような卑しい期待をせずにはいられない。
しかしその直後に村人たちから喝采が起こった。村人は2人が北へ向かったことがどういうことか理解すると、その勇気ある行動を惜しみなく賞賛した。2人への応援が大きくなるにつれて、残った出場者たちの心には羞恥と嫉妬の念が色濃くなるのだった。
北へ駆けるジャックとハルは山と山の間にある道を、巧みに見つけてから慎重かつ迅速に進む。月明かりがある中で道を進んでいるとはいえ、夜道は何が飛び出してくるのか分からない。思わぬ障害物に衝突して怪我をしないためにも、2人は手綱の操作に集中していた。自分たちで灯りをつける手もあったが、山の向こうにいるであろう竜に気づかれたくないので、2人はあえて闇の中を疾駆する。
「ハル、やはりあの怒号は竜なのか?」
「十中八九はね。声量や太さはともかく、アーリマン教官のワイバーンの鳴き声と『質』が似ていたから、何かしらの竜種に間違いない」
ハルの説明に納得したジャックは唇をキュッと結んだ。期待と緊張感の現れだった。敵の正体が竜だと分かったならば、ジャックにとっては未知の存在である。前世の江戸では竜は架空の存在だったが、転生したこの世界では、竜や鬼巨人や人狼などは当たり前の生物だ。ジャックはそんな生物に出会うたびに、自分が体験したことのない戦いが始まることを、楽しみに感じる節が少しあった。もちろん恐怖もあり、そもそも戦い自体がジャックの趣味や欲求ではない。しかし自分の剣技が怪物に通用すれば、それはそれで楽しいものだ。
「俺は竜を初めて見るな」
ハルは横に振り向いて、月明かりの影に隠れたジャックの瞳を見る。しっかりと確認することはできないが、そこには微かな高揚感を見て取れた。
「僕もワイバーン以外の竜は見たことがない。あれほど豪快な吠え声を出せるとなれば、体の大きさも相当なものだろうよ」
「なるほどな……っと、ハル! 谷間で動いているあの巨大な影が竜か?」
ジャックが指差した先は山を越えた先にある渓谷の底だった。2人は山道を上がり、山を越えて山頂付近の道で止まった。谷間は西から東に伸びている。雲によって途切れ途切れに差し込む月光の下で、小さい山のような何かが、その谷底を這うように進んでいる。よく目を凝らせば、その巨体には翼が見当たらず、その代わりに円盤のようなものを背中に乗せていることが分かる。
「本当にあれが竜なのか?」
不思議そうに首を傾げるジャックにハルは教えた。
「あ〜…竜といっても色々あるけど、あれは翼が無い種だ。あの体躯に亀のような甲羅、鱗の色形からしてフレイム・レックスタートル、通称『甲火龍』という種だろう」
「甲火龍か。随分と頑丈そうなやつだ」
「うん、実際に頑丈だよ。大砲でもあの甲羅にヒビを入れることはできないし、鱗だって並の武器では歯が立たない。それにあの甲羅の内部は巨大な熱器官が存在している。もし怒らせたら、巨大な火の玉を口から何度も吐き飛ばすらしい」
「……」
さすがのジャックも閉口した。いくら未知の敵への好奇心があっても、ここまで規模が大きい怪物だとため息が出てくる。幸いなことに甲火龍の動きは速くないが、だからといって真っ向から戦うのは正直気が引ける。
ハルは黙ったジャックの意を汲んで、苦笑いを浮かべながら手を振った。
「まあ、いくらなんでも正面から勝負することはしないよ。あんな怪物を僕たち2人だけで討伐するのは不可能だ。仮に無力化するまで弱らせるとしても、何日かかるか分からないしね」
「南下しないように誘導すると言ってたが、誘導した後はどうするのだ? あの竜に後ろを追われたまま、俺たちは東へ向かうのか?」
「まさか! こういう時のために大会運営があり、竜騎士部隊がいるんだよ。竜の討伐を大会の出場者に委ねることはあり得ない。僕たちが出来ることは人里を守るために、あの竜を上手いこと撹乱することだ。後は本職の竜騎士にお任せしよう」
ジャックはハルの考えに大いに同意だった。ハルは自信家で好奇心旺盛な面もあるが、無鉄砲な蛮勇ではない。自分と仲間の能力を見極めて、何をすべきなのか考えて行動する少年だ。天狗になって痛い目を合うことがない点では、同期のアドルフ・ゲーグナーとは全く違っていた。ハルならば今回の誘導作戦も信頼できる。
「谷底は木や岩が少ないみたいだ。しかも甲火龍が動けているということは、それなりに開けた場所だろう。あそこで挑発して気を引こう。そして馬の小回りの良さとスピードを生かして、東へ誘導するんだ!」
「あい分かった。とことん鬼ごっこするとしようか」
ハルは鎗を持ち直して呼吸整える。それからハルはすぐに走り出し、ジャックは刀の鍔に指をかけて相棒の背を追った。2人の馬が山の斜面を静かに素早く下っていく。ちょうどその時、雲が青白い月の光の帯を覆い隠し、先の見えない闇の中を2人は怯えず進んでいった。




