魔馬捕獲作戦〜出立の朝〜
お待たせしました。ここからしばらくはラスクとルイーネの出番です。
「う、ん〜……ふぁあ……」
カーテンの間から差し込む日光は、じわじわとラスクの頰から移動して瞼に当たった。
眩しさに反応したラスクはあくびしながら瞼を擦った。
「朝、か……」
ぼんやりと目を開けて呟いたラスクは、上半身を起こそうとしてベッドに肘をついた。
そこでラスクは、肘に当たるベッドクッションの柔らかさに僅かに驚く。
「ああ、そっか……ルイーネの家だったな」
ようやくラスクは、ここがファルス王国の安っぽい宿ではなく、ルイーネの実家であるマリアクラスタ邸に泊めてもらったのだと思い出した。
ベッドの高級な質感はほとんどラスクが経験してないもので、今一度手の平で楽しんでから、寝巻き着のラスクはベッドから足を下ろした。
「さて、出発の準備しないと」
うんと体を伸ばしたラスクは、カーテンを開け朝日を全身で浴びながら、昨夜のルイーネとの会話を振り返った。
あの夕食の後にラスクとルイーネは、寝巻き着に着替えて各自の部屋に戻ったのだが、就寝する前にラスクはルイーネの部屋に訪れた。
その時、ラスクはルイーネに魔馬を捕らえることに挑戦したいと言ってみたのだ。
『魔馬を捕まえるって……本気なの?!』
『ああ、本気だよ』
『……ラスク、魔馬というのがどれほどの危険生物か理解していないの? 魔馬を捕らえようとして命を落とす正統騎士もいるのに、私たち2人だけで挑むのは無茶よ!』
『でも、魔馬を捕らえることが出来れば、君のお父さんだって全面的に協力してくれるし、選考大会でもそんな強い魔馬がいれば心強いんじゃないか?』
『それは……確かにそうよ。魔馬がいるだけで大抵の馬は怖じ気づくし、騎兵戦の部門ではまず負け無しになるわ。けれど……』
『じゃあこうしよう、ルイーネ。条件の3日以内と言わず明日だけ……明日だけは魔馬を捕らえられるかどうか、試してみたい』
『……』
『1日だけなら、訓練期間の残り日数だって圧迫しないだろう? 実際にやってみて無理そうなら僕もすっぱりと諦めるよ』
『はぁ……仕方ないわね。なら明日の朝、すぐにここを出発しましょう。ま、どうせ捕まえられるとは思えないけど、時間は多い方が良いでしょ』
『ありがとう……ルイーネ』
『別に、あなたの意見に賛成するわけじゃないわ。私にとってもお父様の鼻を明かしてやりたいから、手を貸してあげるだけよ』
『僕のわがままに付き合わせるような形になって、本当にすまない』
『ほんと、まったくだわ。一体何があなたをそこまで駆り立てるのかしらね』
『…………ジャックを乗り越えるためだよ』
『うん……? 何か言ったかしら?』
『いや、なんでもないよ』
『そう……わかったわ。じゃあ、また明日』
この以上の会話は昨夜のことだ。
結局ルイーネが折れてラスクの要望に沿う形になり、2人はそれぞれの部屋で眠ったのだ。
ちなみに昨夜のラスクは、ベッドの上に畳まれてあった寝巻き着を着て、昨日はぐっすり眠ることが出来た。
今も着ている寝巻き着の生地を触ってみても、その肌触りの良さにソワソワするほどだ。
「貴族はやっぱり凄いな。こんな気持ち良い服着て、こんなぶ厚いベッドで寝られるなんてね」
改めてラスクは、ルイーネが自分とは別世界で生まれ育った女の子だと思い知ったが、当のルイーネ本人は、ラスクにそういう扱いを受けることを嫌うだろうと想像できる。
『ルイーネって貴族のお嬢様なのに、少なくとも僕のことを同列って認めてくれてるんだろうなぁ、嬉しいけど複雑だ。……おっと、早く支度しないと』
ラスクは寝巻き着を脱ごうとしたが、よくよく考えてみると、今の自分に他の着替えは無い。
夕食の時に着ていたドレスも、ラスクが寝巻き着に着替えてから使用人の女性が持っていってしまった。
ラスクの革鎧や普段着も、お風呂に入り終わってからいつの間にか無くなっているし、かといってこの格好で廊下に出るのも躊躇われる。
どうしようかとラスクが考えていると、部屋の扉がノックされた。
「ラスク〜? もう起きてる?」
「うん、起きてるよ」
扉の向こうから聞こえたルイーネの声に、ラスクが返事する。
サッと扉が開かれてルイーネが入ってきた。ルイーネは藍色のインナーの上に白く輝く金属鎧を纏い、長い金髪も後ろでしっかりと結われている。腰に下げている剣は細身の長剣だ。
装備も整えて肩にも大きい荷袋を提げているので、すでに身支度を終えていたようだ。
「はい、これがあなたの服よ」
早速ルイーネは小脇に抱えていた黒布のインナー服を、ラスクに手渡してきた。
「ああ、ありがとう……あれ? そういえば僕が着ていた服は?」
「かなりボロボロだったから捨てたけど、大事なものが入ってたりする?」
「いや、そんなことはないけど。じゃあこれからの僕の服は?」
「服くらいなら全然貸すわよ。私とあなたのサイズはほぼ同じだし、訓練が終わってこの屋敷に帰れば、私の洗濯物とごちゃ混ぜれば済む話よ」
「……なんか、僕って何から何まで君に世話になりっぱなしだね」
「そうかしら? まあ、細かいことは気にしなくていいじゃない」
そう言ってルイーネは部屋のソファに座り、ラスクは渡された黒インナーに着替えた。
インナーの上は7分袖、下は膝下まであるスパッツといったところだ。
いざ着替え終わってみると、インナーはとても軽く動きやすかった。ラスクが腕をグルグル回しても、高く両脚飛びしても、しっかりと織り込まれた布は伸縮して様々な動きに対応してくれる。
「気に入ったようね、それがあなたの訓練服よ。鎧の下に着るものだから、これから1ヶ月間で最も着ることになるでしょう」
「この伸び縮みの良さ、普通の布じゃないね」
「そうね、帝都周辺で栽培されているアイアンツリーの木皮の繊維で作ったインナーよ。加工はちょっと手間だけど丈夫で伸縮性に優れるわ。私のインナーは藍色だけどこれもアイアンツリー性よ」
ルイーネは自分のインナーの袖を引っ張りながら説明する。ルイーネが指を離すと引っ張られていた袖がパチンッと音をたてて、ルイーネの肌に当たって戻った。
アイアンツリーとは帝国のほぼ全域で植林されている樹の1種だ。
その樹の木繊維は通常の植物よりも強靭であるため、この名が付けられた。鉄鉱石の硬度とはいかないまでも、その強固な繊維1本1本が走る幹は強風に耐え、その枝は並みの害獣では歯形しか残せない。
ラスクにとってアイアンツリー性の衣類とは、話に聞いただけの代物だった。
それを実際に着てみて、興味深げに袖をつまんだりする。
「へえ、これがあのアイアンツリーの服なんだ」
「……そんなに珍しい? こういうのってファルス王国には無かったの?」
「う〜ん、山奥に行けば自生しているってところかな。人工的な栽培はされてないし、高クラスの冒険者がたまに着ているくらいかな」
ファルス王国には、隣国に南国ピルカや魔術国家イアティスがあるので、ピルカ出身の獣人の割合、イアティス産の高級魔道具の取引などは帝国に勝る。
しかしファルス王国の発展には、このアイアンツリーのような、使える資源の計画的増大はない。
ラスクの言う通り、ファルス王国でアイアンツリーの衣類を着ている人間はあまり見ないのだ。
「そうなんだ……こんなに便利なのに国が増やさないなんて不思議、というか勿体無いわね」
ディーセント帝国の魔術分野は、ファルスに比べて『半歩遅れ』と諸国から見られているが、帝国は軍事にも生活にも使える資源を大量に有して、手広く有効活用している。
時たま魔術分野の発展が揶揄されがちだが、兵器と人口の総量はこの大陸で紛れもなくトップである。
「そういえば、魔馬ってどこに生息しているの?」
ラスクは寝巻き着を畳みながらルイーネに質問した。
「帝都から北西に進んで、山を越えた先の渓谷よ」
「距離は遠いの?」
「いいえ、そこまで遠くないわ。馬で行けば半日とかからず到着するくらいだもの」
そしてルイーネはソファから立ち上がり、クローゼットの上に置いてあった木箱を下ろして、ラスクの目の前に置いた。
「これは?」
ラスクが訊くと、ルイーネは木箱を指差して言った。
「あなたに使ってもらう鎧が入ってるわ。と言っても、私の鎧と色違いなんだけどね」
鎧と聞いてラスクは木箱の蓋を開けてみた。
中に入っていたのは黒鉄の鎧だった。
持ってみると、その厳しさとは裏腹に軽量であり、ラスクの体格にも合いそうだ。
胸腹を守る部分は女性の体に合わせた膨らみがあるのだが、左の肩当てにはいぶし銀の獅子紋章が光る。
木箱の中には鎧の他に、脚を守る腿当てと脛当て、腰を守る草摺り、腕を守る籠手がしまわれていた。
どうやらこの防具一式は、全身を金属で覆う重騎士仕様なものではなく、局所的な部分をスマートに守るものらしい。
「ふふん、見た目もラスクに合うわ。丁度、この部屋に女性用だけど、男っぽい色合いの鎧が保管してあったのよ」
「いやでもこれも、黒だよね? インナーも黒で鎧も黒とか……絶対に黒尽くしで珍妙な格好になるよね?」
「そ、そんなことない!……とっても似合うわ、うん」
「笑いを堪えて言われても説得力ないよ……!」
ルイーネは明らかに面白がってるが、ラスクはこれ以上文句を言わないことにした。
色合いはともかく、サイズもラスクにピッタリな鎧なのだ。これを着込まないで魔馬に挑むのは危険過ぎる。
ラスクは黒鉄鎧の全パーツを装備した。
近くにあった姿見の鏡で自分を見てみると、やっぱり黒一色で覆われた戦士になっていた。
鈍く光るいぶし銀の紋章も相まって、静謐で近寄りがたい雰囲気を醸している。
『ある意味、ただの男装よりも女性らしさを捨ててるように見えるなぁ、これ』
ラスクは鎧の留め具やフィット感を確認しながら、この鎧が人に与えるイメージについて嫌々ながらも予想していた。
「じゃあラスク、武器庫に行くから私についてきて。使う剣は自分で選んでほしいし」
「ああ、うん、了解だ」
ルイーネとラスクは部屋を出て屋敷の台所へ向かった。
台所に着くと20代の女性使用人が朝食の仕込みを行なっていた。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、イートさん。今から地下の扉を開けるから、足元に気をつけてね」
「はい、分かりました」
イートという女性はそう返事しながら、体をズラしてルイーネの通り道を空けた。ルイーネとラスクはそこを通って台所の奥へ行く。
奥には床に取り付けられた鉄蓋があり、ルイーネはポケットから鍵を出して、錠を外して蓋を持ち上げた。
「よいしょっと……中は結構暗いから、焦らずゆっくり降りてきてね」
ルイーネはラスクにそう指示して、地下へ続く梯子を降りていった。
ラスクはルイーネとぶつからないように、少し待ってから慎重に梯子を降り始めた。
先に降り切ったルイーネが地下の燭台に火をつけたので、梯子を降りている途中でラスクの足元が明るくなった。
ラスクが梯子を降り終わった。
地下の天井は普通に立っても大丈夫な高さで、真っ直ぐ続く道の左右に木の扉がある。
左の扉には大きな黒字で『食料庫』と直接書かれていて、右の扉には『武器庫』と書かれていた。
ルイーネは右の武器庫を開けて、壁のランプを炎魔術で灯した。
武器庫の中は、剣と槍、弓、盾が多く保管されていた。
「汎用の武器は樽や棚にまとめてあるわ。特別な武器は鉄の箱に入ってるのだけど、お父様はその鍵をくれなかったの……まったく、強敵の魔馬に挑めって言ったくせに……変なところで他人にはケチなんだから」
「まあまあ、君のお父さんを怒らせた発端は僕だし……ま、これだけあるんだから、僕にとって使いやすい剣くらいあるだろうさ」
そうしてラスクは武器の入っている樽を物色し、手当たり次第に剣を取って持ち手を握ったり、小さく振って剣の重心を確かめたりした。また、刃を目に近づけて刃こぼれがないか確認したりする。
「どう? いい剣あった?」
ルイーネがラスクの横から訊く。
「う〜ん、どれも似たりよったりかな。使えるには使えるけどね」
「魔馬に挑むから……適当な剣では危ないわね。まだ時間はあるから、じっくり選びなさい」
「ああ、そうするよ」
ラスクはそれからも自分に合う剣を探した。
5分ほどして、ラスクは棚に立て掛けられていた両手剣を手に取った。
その剣は大型のクレイモアだった。
刀身は優にラスクの腕の1.5倍の長さを誇り、幅も太くて見るからに頑丈そうだ。埃を被っているせいで刃の煌めきは弱いが、ふっと息を吹けば高密度の鋼刃が姿を現した。
柄は無骨な黄土色の鱗ががっちりと敷き詰められ、ザラザラとした滑り止めになっている。
到底、15歳の少女が持つような剣ではないが、ラスクはその大剣を軽々と片手で持ちあげた。
「これまた、とんでもないものを選んだわね」
後ろにいたルイーネが苦笑いしていたが、ラスクは剣を眺めて満足げにうんうんと頷いた。
「この剣、良いな……刃の状態も重さも悪くない。柄の握りも合うしリーチも長い」
「じゃあ、それを持っていく?」
「そうだね、この剣で決まりだ」
そしてラスクとルイーネは武器庫を後にしたが、念のためにルイーネは、武器庫にあった弓と数本の矢束を持っていくことにした。
2人が玄関ホールに行くと、ルイーネの兄アルタールと、ルイーネ母オリヴィエがいた。
アルタールは小さな本を、オリヴィエは2人分の外套を持っている。
「お兄様、お母様……」
「……ね、僕の言った通りだろ? 母上。2人は結局、魔馬に挑戦することにしたんだよ。ほら、この本には帝都近辺の魔物や猛獣の生態が載っているから、持っていきなよ」
「はぁ……本当は危ないから気は進まないけど、2人が決めたなら何も言わないわ。ほら、移動の時はこれを着なさい。春でも朝と夕方は冷えるからね」
アルタールとオリヴィエの心遣いに、ラスクとルイーネは心から礼を言った。
特にラスクは、知り合って間も無い自分を受け入れてくれる2人に、頭を下げずにはいられなかった。
「ルイーネ、お前の馬はもうロジィさんが連れてきているよ。玄関先で待ってるはずだ」
アルタールがルイーネにそう伝える。
ルイーネが玄関を開けてみると、庭師の老婆ロジィが栗毛の馬の轡を引いて待っていた。ルイーネが玄関前の石段を降りていくと、馬は嬉しげに足踏みをした。
ロジィが馬の興奮に慌てたが、ルイーネが口笛を短く吹くと馬はおとなしくなった。
ロジィはほっとして笑顔でルイーネに挨拶してきた。
「おはようございます、お嬢様」
「ロジィさん、わざわざこの子を連れてきてくれたのね。本当にご苦労様」
「いえいえ、私も今朝は暇でしたからね」
ロジィはルイーネに手綱を渡して、ルイーネとラスクの背中を撫でてきた。
「お2人とも……魔物がいるところはとっても危険です。どうか、お気をつけてください」
「心配してくれてありがとう、ちゃんと戻ってくるから待っててね」
「ありがとうございます……その、ロジィさん」
ルイーネとラスクはロジィの手を握った。
先にルイーネが身軽な動きで馬に乗りこむ。
「さあラスク、後ろに乗って」
「わかった……よっと!」
ルイーネが手を差し伸べてきて、ラスクはその手に掴まって後ろに乗った。
馬は初めて乗るラスクに嫌な顔をしたり、不機嫌に体を揺らすことはしなかった。
「いい子ね、ワイン」
ワイン、と呼ばれたその栗毛馬の首をルイーネが撫でると、馬は目を閉じてルイーネの手の感触を味わってきた。
「この馬、君によく懐いているんだね」
ラスクがそう言うと、ルイーネも笑顔で頷いた。
「この子はとっても賢いし勇敢よ。この綺麗なたてがみから『ワイン・ビアード』って私が名付けた子なのよ」
ラスクがルイーネ越しに馬を見ると、ブドウを搾ったワインを連想させる、鮮やかな赤紫のたてがみが生えていた。
そうして見ると、深い栗毛色の体はワインを熟成させる年代物の樽のようにも見える。
ワイン・ビアードはブルブルと強めに嘶いて、『早く出発しないの?』と言う風にルイーネを急かしてきた。
「ああ、ごめんねワイン。よし、出発しましょう!」
「目的地は北西の渓谷だったね?」
「ええ、通称『獣魔の巣』と呼ばれているわ。心して挑むわよ、ラスクッ!」
「おうっ!」
そして2人は意気揚々とマリアクラスタ邸を出発した。
少女2人に臆する感情や余計な緊張感はなく、広がる青い朝空の如く晴れ晴れとした気分で、まだ見ぬ難敵『魔馬』の棲み家を目指した。
玄関先には出てこなかったが、上階の窓からは当主のヘルマンが娘とその友人のことを人知れず見送っていた。
その目は険しかった。
またしても自分の目論見ははずれ、ルイーネとラスクは迷うことなく獣魔の巣に赴いてしまったからだ。
「………ルイーネ」
馬に乗って遠ざかる2人の少女の背をヘルマンは複雑な気分で眺めていた。
質問、意見、感想等があればよろしくお願いします。




