マリアクラスタ家の人々 その1
お待たせしました
帝国の本城での会談が終了した頃、その一方でルイーネとラスクの2人が、ルイーネの実家に到着していた。
旧市街を東に進んだ所にマリアクラスタ邸はあった。
ツタの葉が焦げ茶レンガの屋敷に絡み合い、庭には落ち着いた色合いの植物が植えられている。
玄関まで続く道の脇にも植物が多く、都の中であるはずなのに、屋敷は市街の街並みよりもさらに古めかしく、豪華さを重視せず趣きを考えた造りだ。
マリアクラスタ家は代々、騎士もしくは宮廷魔術師として帝国に仕えてきた一族だ。
初代当主は優れた魔術能力を活かして、帝国建国戦争では初代皇帝側として馳せ参じ、その働きが認められて宮廷魔術師団に入った。
今でも現当主は魔術の腕を買われ、魔導騎士団の千人隊長に就任して10年以上になる。
ルイーネは屋敷の鉄門を開けてラスクを招き入れた。
「さあ、どうぞ」
「うわぁ……やっぱりお嬢様なんだね」
「ちょっと、今更そんなこと気にして恐縮するのはよしてよね」
「分かってるってば。でも、急に押し掛けて悪い気もするんだよ? 家族の人にも驚くだろうし」
「なあに、心配ないわ。……あ、ロジィさん!」
2人が玄関に向かっている途中で、ルイーネが庭の手入れをしていた高齢の女性に手を振った。
ロジィと呼ばれた庭師は土のついた皺だらけの手を振って笑顔で応えた。
「おかえりなさい、お嬢様〜……おやまあ、ボーイフレンドですか?」
「やだロジィさん、違うわよ。この子はちゃんと女の子よ」
「ねえ、ちゃんとってどういうこと?」
苦笑いしてルイーネに問いかけるラスクだったが、ルイーネはまあまあと言いながらラスクを玄関に促した。
玄関を開けてエントランスホールに入ると、ラスクは感嘆のため息を吐きながら、ホール内を眺めた。
屋敷は内観も心休まる雰囲気を醸し出していた。
吹き抜けのホールを照らす天井照明は質素な装飾で、カーペットやタンスは全てモスグリーンで統一されている。燭台の数も必要最低限で、贅を凝らしている様子は見受けられない。
上流の家柄といえども、マリアクラスタ家は変な華やかさを追い求めている人々ではないようだ。
「すごい良い家だね。とってもお洒落だ」
「そう?昔から友達を連れてくると、大抵の子は『貴族ってもっと豪華だと思ってた』とか言って、勝手にガッカリしてたけど」
「僕は好きだよ。その友達はこの良さが分からなかっただけさ」
そうして2人がホールで話し合っていると、吹き抜けとなって見える2階左の扉から、貴族用の普段着を着た男が現れた。
男は容貌は上々で、短い金髪に黒羽のピアスが似合っている紳士だ。見た目は30代後半といったところだが、自然に整っている背筋とキビキビとした足取りには見た目以上に活力と威厳がある。
「ただいま、お父様」
ルイーネの一言でラスクは、この人がルイーネの父親だと分かった。
階段を降りてきたルイーネの父は、微笑んでルイーネを出迎えてからラスクに目を向けた。
「おかえり、ルイーネ。その子は?」
「私の友達よ。ラスクっていうの」
紹介されたラスクはさっと頭を下げて、ルイーネの父親に挨拶した。
「初めまして、ラスクといいます」
「よろしく、ヘルマン・マリアクラスタだ。ルイーネと仲良くしてくれてありがとう……と言いたいところだが」
ヘルマンの思わぬ言い回しに、ラスクとルイーネは固まった。
ルイーネの父ヘルマンは厳しい表情で、ホールの隅に置いてあったラスクの革鎧を指差した。
「あれはルイーネの革鎧ではなく、君の革鎧だろう?」
「……はい」
「そうだろう。これは少々いただけないな……何があったか知らないが、嘘をついて自分の物を他人の家に送り届けるのは、友人になる以前に礼儀に反するのではないか?」
ヘルマンの問い詰めの途中、ルイーネは父親の口を止めようとしたが、かすかにラスクの口元が不敵に笑っているのに気づいた。
そこでルイーネは、あえてラスクがどう出るのか見てみることにした。
「どうかな、私の言っていることに誤りがあるだろうか?」
さらにヘルマンが語気を強めるが、ラスクは一歩も譲らないぞという目つきでヘルマンと対峙した。
「はい、失礼ながら誤りがあります」
「何っ?」
「僕はルイーネとただの友達になったわけではありません」
ラスクは隣にいたルイーネをちらりと見て、ヘルマンに言った。
「そもそも知り合ってまだ間も無く、こうして一緒にいるのも、僕がルイーネと勝負をして認めてもらったからです」
「どういうことだ? なんで娘と勝負をすることになった」
「僕が帝国騎士を目指したいと言ったからです。ルイーネはそれに反対しましたが、勝負した末に僕とルイーネは共に選考大会へ向けて修練することになりました」
ラスクの説明を聞いてヘルマンは、予想の斜め上をゆく内容についていけなさそうだ。
ヘルマンが疲れたように目元をギュッとつまんでから、ルイーネの方に目を向けると、ルイーネは小さく頷いて同意の上だと訴えた。
「この革鎧はどういうつもりでここに送りつけたんだ? 私たち付きの御者が怒って帰っていったぞ」
「そのことは本当にごめんなさい。でも、こうでもしないとルイーネには勝てなかったんです」
「そうよお父様、元はと言えば挑発した私だって原因よ。それに、もう私はこの子の力を認めているわ」
「ルイーネ……」
「いい? 私たちはある意味ライバルなの。仲良しこよしで一緒になったわけじゃないから、これから1ヶ月間、細かいことは目をつぶってちょうだい」
「だが、私はお前に、」
「……ああそれと! ずっと前から言ってたけど、もう一回言うね。私だってこれ以上お父様がなんと言おうと、騎士の道を諦めないから」
何かを言おうとした父ヘルマンに強い態度で釘を刺したルイーネは、ラスクを顎で促してさっさと階段を登っていく。
暗い顔で閉口しているヘルマンに、ラスクは一度頭を下げてからルイーネの後に続いていった。
そしてラスクは先程のルイーネの言葉の意味を考えていた。
どうやらルイーネの父は、娘が騎士になることを賛成していないようだ。
加えてルイーネも、父ヘルマンのことを口うるさく感じているのは明らかだ。
「お父様のことは気にしないで。いつものことだから」
心配そうなラスクの様子を察してか、ルイーネは振り向かずにそう言った。
2階に上がってから廊下を進み、次に2人が止まったのは『図書室』という札が掛けられた部屋の前だった。
「お父様はもう会ったし、あとはお母様とお兄様に会っておきましょう。さて! 大抵はこの書斎にお兄様がいるわ。とっても本の虫なのよ」
さっきと一転して明るい口調で説明しながら、ルイーネは書斎の扉をノックした。
「……どうぞ、入って」
扉の向こうから聞こえた声はか細く、ギリギリ耳で拾える声量だった。
ルイーネはそんな兄の声をしっかりと聞き取って、扉を開けてラスクと書斎に入った。
ラスクが中を見渡すと、図書室の広さは大人が10人入れば手狭に感じられるくらいの広さしかなかった。
図書室の構成も左右の壁に本棚が並んで、中央に長机があるというシンプルなものだ。
長机には3、4冊の本が広げられていて、正面奥で座っていた人物が本から顔を上げた。
ルイーネの兄は痩せた色白の青年だった。
容姿こそ整っているが、素肌は全く日焼けしてない青白さで、色素の薄い金髪は無精にボサボサと伸ばしている。
容貌は父ヘルマンと似ている箇所はあるが、顔つきはてんで違う。厳格さや威厳とは無縁で、まるで草を黙って食んでいる羊のような穏やかさだ。
「なんだ、ルイーネか。そっちの子は友達かい?」
「ええ、紹介するわ」
「ラスクです。よろしくお願いします」
「よろしくラスク。僕の名はアルタールだ……ルイーネは強引でワガママな妹だけど……まあ、仲良くしてやってくれ」
「何言ってるのよ、お兄様だって勝手気儘じゃない」
顔をしかめたルイーネだったが、兄アルタールはふふっと笑って済ませて小脇に抱えた本を本棚に戻した。
その時に、ラスクはアルタールが車椅子に座っていることに気づいた。アルタールが机から本棚の方に少し移動したのも、手で車輪をガラガラと押したからだ。
「おや、驚かせてしまったかな。こういうのに乗って生活する人を見るのは初めてかい?」
ラスクが黙ってアルタールの車椅子を見ていたので、アルタールから声をかけてきた。
「いや……そう、ですね。初めて見ました」
そう訊かれたラスクは、まじまじと見てしまったのは失礼だったかなと思ったが、ひとまず素直に答えるしかなかった。
アルタールはそんなラスクに、車椅子を押して近づきながら和やかに話し始めた。
「生まれつき体が弱くてね、こうやって負担のないように過ごしているんだ。もちろん、ほとんど家から出ることもない……だから、こうしてルイーネが冒険者の友達をつくったりするのも、兄としてはとても羨ましいし誇らしいのさ」
「え、なんで僕が冒険者だって分かるんですか?」
「手と靴を見たら分かるよ」
アルタールはラスクの手と靴を指差しながら説明する。
「君の手の平……剣を振った時にできるタコの他に、冒険者が自給自足の生活している際にできる擦り切れや、荒れ、マメがちゃんとある。
君の履いているその靴も……安物だけど雨風にも強い頑丈なものだ。士官学校で配給される軍靴も丈夫だけど、デザインに帝国の紋章がない。
よって君が、学校の見習い騎士ではなく、野山を駆け回る冒険者だと考えるのが妥当だろう」
アルタールに指摘されたラスクが自分の手を見ると、剣ダコや擦り切れが沢山あった。靴にも泥や傷跡がついていて、お世辞にも洗練されたものではない。
さすがのラスクも、今の自分の見た目がこの兄妹に比べて汚らしいことに思わず顔を赤らめた。
「どうしたラスク君?そんな顔して」
「……お兄様ってほんと無神経よね。女の子に『手がマメだらけ』とか『靴が安物だ』とか言うなんて、妹として将来結婚できるのかしら?」
「事実を言ったまでだし、それに僕はラスク君のことを褒めたつもりだよ。ルイーネより素直で純朴、しかも活動的な冒険者なんて魅力的じゃないか」
「はいはい、分かったわよ……まったく、これから一緒に生活するのが思いやられるわ」
「……えっ?!生活?」
何気ないルイーネの発言に、ラスクが驚いて振り返った。
「何を急に驚いているのよ。私はあなたを、今日からここに住まわせるつもりよ」
あんぐり口を開けたラスクだったが、なんとか気を取り直したようだ。
突拍子もないルイーネの方針に、ラスクは慌てて首を振った。
「いやいやいや……き、聞いてないんだけど……」
「言ったら断りそうだったから、わざと言わなかったのよ。第一あなたはジャックと違って、アーリマン教官に選ばれなかったんでしょう? もう元気になった今、もう1日たりとも士官学校に置かせてもらえないわ」
「でも、いきなり僕がこの家に転がりこむのも、」
「たったの1ヶ月じゃない。空き部屋はいくつもあるし……私と選考大会の訓練に励むなら、ここに仮住まいしてくれた方が手間が省けるのよ」
ルイーネは理路整然とラスクを説き伏せるが、ラスクは当惑を隠せなかった。
ハッとしたラスクが、ルイーネの兄アルタールの方を見た。それからルイーネの両肩を掴んで揺さぶり、ルイーネの意見を必死に覆そうとした。
「ル、ルイーネ! 家族の人たちにも許可をとってないだろう? いくらなんでも、そんな勝手は許されないんじゃないか?」
しかし、ルイーネが口を開く前にアルタールが答えた。
「なに、僕は構わないよ。2人が騎士を目指すために頑張るなら、僕はそれを応援する」
「アルタールさん……」
「まあ、父上はいい顔しないだろうけど心配ないさ。母上はこういうことにうるさくない人だし、仮住まいする理由も不純ではない。あと、実際に使ってない部屋が多くて、正直なところ持て余し気味なんだ」
アルタールがそう言い終わると、ルイーネは肩にかけられたラスクの手をポンポンと叩いた。
「申し訳ないって気持ちも分かるわ。けれどもそんなことは騎士になってから、出世払いしてくれれば充分すぎるのよ? 正統騎士になるということはこの国で紛れも無い栄誉と地位の確立なのだから」
ルイーネの言葉に嘘はない。
正統騎士とはいずれ帝国を背負って立つエリートであり、村出身の者が正統騎士となれば間違いなく英雄視され、平民だろうと自動的に富裕層へ仲間入りするのだ。
金銭的な援助を受けてようやく選考大会に出場できた田舎者でも、ひとたび正統騎士の肩書きを得られたならば援助してくれた分を倍にして返したとしても、自分の手元には有り余る資産があるだろう。
詳しく言えば、選考大会で優秀な成績を収めた者は『正統』騎士となり、その下の何百人かが『準』騎士となる。
士官学校生の代表として選ばれた3人、ルイーネやアドルフ、ハル・イブリッツが目指すのはもちろん、正統騎士の座である。
「だから、食事代とかは払える時に払えば良いわ。そして何よりも……みっちり訓練する相手になってくれるだけでも、私にとっては有益よ」
ふふふと黒い笑顔を浮かべたルイーネは、いきなりラスクの手首を掴んだ。
「じゃあお兄様、私はこれで失礼するわ。早速、今日の夕食にラスクを参加させるから、身支度してくるわね」
「ああ、じゃあまた夕食の時に」
アルタールは手を振って、半ば強引にラスクを引っ張っていったルイーネを見送った。
扉が閉められて1人になると、アルタールは一息ついてから肩をすくめて呟いた。
「やれやれ、あんなに楽しそうにしているルイーネは久しぶりだな。騎士選考か……僕も一枚噛ませてもらおうかな」
図書室を後にしたルイーネとラスクは、時折すれ違う使用人に驚かれながら、構わず廊下を進んでいく。
ラスクの手を引くルイーネは、使用人1人1人の名を呼んで挨拶していく。ラスクも戸惑いながらも頭を下げていくが、使用人たちは初めて見る中性的な少女に面食らっていた。
先導するルイーネが窓の外の景色を見た。
太陽が落ちて赤味を帯び始めている。山間へ沈むまであと1時間といったところで、帝都の建築群も赤い陽の光を反射して輝いている。
「あら、もう日も傾いてきたわね」
「ねえルイーネ、どこ向かってるんだよ?」
「浴室に決まってるでしょう。夕食の身支度の前に、まず体を洗い清めなきゃいけないわ」
「この上さらにご家族と一緒に夕食?! それはさすがに困る! 僕なんか場違いだよ!」
「いいからおとなしくしなさいよ! そんなボロついた服なんて捨てて、ばっちりおめかしさせて、場違いなんて思わせないであげるんだから!」
ギャアギャア喚き合う2人の少女は、それから10分後に脱衣所に入ることになった。
使用人は着替えの服を準備するだけで脱衣所から退散し、ルイーネとラスクだけになった。
2人きりになってから、ルイーネは恥ずかしげもなく服を脱いでいくが、ラスクは明らかに渋々といった動きで脱衣していく。
ルイーネはあまり外で訓練しないのか、肌の日焼けの差が少なく全体的に白肌だ。
体つきは少女と女性の中間といったところだが、肩周りや腕周りそして脚全体には、程よく筋肉がついている。また指先の皮も厚く、腰にも鎧紐の跡がある。
しっかりと剣を振り鎧を纏って運動している者の体をしている。
そうしてラスクがルイーネの体を見ていたが、ルイーネはじろじろと見ているラスクのことを咎めなかった。
なぜならルイーネもまた、ラスクの体をじっくり見てしまっていたからだ。
ラスクの素肌はルイーネとは対照的に、日焼けの有る無しがはっきりしていた。
体の筋肉は至る所がざっくばらんに鍛えられていて、様々な状況下で過ごしてきた冒険者らしい体つきとなっている。そしてルイーネより若干発育が早いようで、女性らしい部分も多かった。
しかし特に目についたのは、手の平の剣ダコや手首から前腕の筋肉だろう。これだけでも、剣技の鍛錬はルイーネよりも積み重ねてきたことが分かる。
お互いが相手の体をまじまじと見ていることに気づくと、2人とも気まずそうに顔を背けた。
先にルイーネが浴室に入り、ラスクも少し遅れて入った。
浴室は広い正四方形で、その中心に円形の浴槽がある。白い石製の浴槽には凝った紋様が施され、清潔感と高級感あふれるものだ。
浴槽の傍には木桶と芳香石鹸の入れた壺、肌触りの良い布などの洗面用具が置いてあった。
浴槽内は冷たい水が溜められていたが、ルイーネが炎の球をそこへ投げ込むと、あっという間に熱いお湯が沸いた。
ルイーネは木桶にお湯を入れて、頭からお湯を被って布で体を拭いた。そして、手近にあったもう1つの木桶と布をラスクに指し示した。
「えっと、体を拭いたら湯船に入りましょう。今日のお風呂はジェルアロマだから少々勝手が違うわよ」
「ああ、うん。……ジェル?」
気まずい雰囲気がいまだに残る中、お湯を被るラスクはルイーネの言葉を訊き返した。
ルイーネは小さく頷くと、浴室の傍らにあった小さな木箱を開けて、中身の粉を浴槽に入れた。
粉を入れたルイーネは手でお湯をかき混ぜていく。
そうしていくうちに、だんだんとお湯にとろみが現れて、ほのかな甘い香りが浴室中に漂ってきた。
そして最終的に浴槽のお湯は、糸引くほどのジェル状になった。
「これでよし、と。さあ入りましょう」
そう言ってルイーネはジェル状になったお湯に迷いなく入っていった。
それは体を浸からせる、というよりも体を沈めるというようなもので、とろみ溢れるお湯が全身に纏わりつくことに、ルイーネは身を任せているのだ。
「何をそこで呆けてるの? 温まるから早く入れば良いのに」
ルイーネは浴槽から手を出してラスクを手招きする。
手招きする手にもジェルがゆっくりと滴って落ちていき、鼻先をくすぐる芳香がラスクに届く。
女のラスクでも、肌を伝って光るジェルとルイーネの上気した頰は魅力的に映った。
それでも未知のものである。ラスクは恐る恐る足先から浴槽に浸かっていった。
ラスクの爪先からふくらはぎ、それから腰が沈んで肩まで浸かり切った。
ジェルに全身包まれたラスクは、肌に馴染む感触と不思議な温かみを感じて、緊張していた顔も次第にほぐれてきた。
そしてラスクはようやく、この不思議な体験を率直に喜んだ。
「うわわ、何これすごいね!」
「でしょう? このジェルアロマを含んだ湯は体の細かい汚れを落とし、皮膚に潤いと香りを与えるのよ」
ルイーネは湯の効能を説明をしつつ髪を紐で束ね、両手でジェルを掬ってラスクに見せた。
「こういうこともできるわ……ふっ!」
手の上に溜めたジェルをルイーネが吹きかけると、勢いよくジェルが飛んでラスクの顔にかかった。
「わっ?!ぷはっ、いきなりなにするのさ?」
派手にジェルが顔にかかったラスクだが、ルイーネも自分でジェルを顔に擦り付けた。
ラスクが黙って見ていると、ルイーネがジェルまみれになった顔を手拭いで拭った。ジェルを拭き取ったルイーネの顔は、赤ん坊のような弾力と艶が出ていた。
「ふうっ、と……このジェルは顔や髪だって洗えるくらい万能なのよ。ラスクも色々試してみたら?」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
頷いたラスクはジェルを手で掬い、おずおずと自分の髪に擦り付けてみた。
髪なんかに付けてしまって、このとろみが取れるのか心配だったが、布で髪を拭くとジェルは取れて艶とハリが残った。
「ほんとだ、こんなに違うんだ」
冒険者だったラスクに、髪を念入りに手入れできる時はあまり無かった。そのため、特徴的な栗色のショートヘアもパサついて傷んでいた。
だがジェルで洗ってやったとたんに、手で梳けば透き通るような質感に変わって可憐さが増した。
『へぇ、髪だけでこんなにイメージが変わるのね。こうして見ると意外とかわいいじゃない』
ラスクの変わり様はルイーネが感心するほどだった。
さっきまでのラスクは悪く言えば、野暮ったい田舎少年もどきと表現してもおかしくなかった。しかし今は花も恥じらう乙女の雰囲気すら感じられる。
それからもルイーネとラスクは、ジェルの湯の効能を心ゆくまで楽しんで入浴を終えた。
脱衣所に2人が戻ると、召し物を持った6人の使用人が待ち受けていた。
ルイーネとラスクの1人ずつに使用人は3人担当するようで、使用人たちは慣れた動作でルイーネとラスクの着替えを進めていく。
ラスクは他人に着替えを任せることに初めは戸惑ったが、ルイーネが平然と着替えさせてもらっている様を横目で見て、それに倣って大人しくしていた。
そして2人の着替えが終わった。
ルイーネのドレスは白を基調として、襟元にワンポイントの藍スカーフがついている。
ドレスから出ている白いレースの袖は腕にぴったりと張り付き、ドレスの腰元もキュッとしたスマートなつくりになっていて、ルイーネの引き締まった体つきを強調させているのだ。
ラスクが着替えたのもドレスだったが、ルイーネとは全然違うイメージのドレスだった。
赤と黒の細かい柄が大人びた魅力を引き出していて、横向きにつく腰元の大きな漆黒リボンが可憐さと艶やかさを両立させている。
それ以前にドレスの全体像からして、肩も腕も曝け出されていて、肌の露出もルイーネより多めなのだ。
そのため、大人の女性の直前と言えるラスクの『女』の部分を、そのドレスが強く押し出していた。
「あの……変じゃないかな?」
「全然、変じゃないわ。とっても素敵よ」
やはり馴染みきれていないラスクの頰に、ルイーネは手をピタリと当てて賛辞を送る。
まさに今のラスクは美しい少女に様変わりしていた。
そもそも身だしなみに気を遣っていない外見だったので、その変わり様は劇的だった。
「ありがとう、ルイーネ」
ラスクは照れ臭そうにはにかんでお礼を言った。
ルイーネは手を振ってこう言った。
「別に、感謝されるほどのことではないわよ。さあ、そろそろ夕食の時間だから行きましょう」
ルイーネが歩き出して、ラスクがそれについていく。
入浴を終えて裸の付き合いをしてから、2人の距離はそれなりに縮まったようだ。特にラスクの、ルイーネに対するぎこちなさが消えた。
こうしてラスクは、マリアクラスタ家の人間が揃う夕食会に赴くのであった。




