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人の持つ牙  作者: 赤胴貫介
ジャックとして
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流れ落ちて思い出す

 起き上がった三つ目オーガは完全に立ち上がらないまま前のめりに突っ込んで捕まえようとしてきた。

 咄嗟に横に跳んだことで突進を避けたのはジャックとブルーノ。

 二人が他の皆が大丈夫かオーガの方を向くと、オーガはうつ伏せて滑り込んだ格好だったが、茶髪のジンバが巨大な手のひらの中で握られ、オーガの巨体と牢の間でケニーは潰されていた。


「ケニィー!」


 叫んだのは意外にもフォーンで、挟み潰されて血を吐くケニーを助けようと向かっていった。


「よせ、無茶だ!」


 ブルーノが引き留めようと手を伸ばしたが届かず、フォーンはケニーを引き剥がそうと行ってしまった。

 だがすぐにオーガが直立したことで、押し潰されていたケニーは解放され、一方で、3m半はありそうな目線の高さに持っていかれたジンバは必死にもがく。


 人間の抵抗に嫌がる素振りも無く、オーガは嬉しそうに三つの目玉を歪ませると、大口を開けてそのままジンバの頭から膝下まで丸かじった。

 残った両足首は床に落ちたが、オーガは血を口からこぼしてもごもごとさせながら膝をついてそれを拾い、無理矢理口へ押し込んだ。


 ぐちぱき、とぞっとするような咀嚼音はジャックたち奴隷にも、牢の外で見ている山賊たちにも聞こえてきた。

 しかし、眼を見開いて呆然としているみんなを余所に、周囲の確認に努めたジャックは、おかげでその隙に完全にオーガの背後に回った。

 目の前にいるのは食事に夢中な無防備の背中。


「『まあ、待てや。焦るな急くなって常を忘れたか?丸腰で懸かるなんざやっぱり阿呆だな』……え?」


 馬車から飛び出た時と似た、何故かぶり返す自分の底冷えた判断、途端に視界がうっすらと霧がかかってきた。煩わしいと思ったら、次の瞬間にはブルーノの叫び声が耳に届いて咄嗟に右へ跳んだ。

 頭を振ってもやを取り払って見ると、つい先に自分が立っていた場所にはオーガが頭から突っ込み倒れている。その衝撃で牢がたわみ、ぐわんぐわんと音がジャックの頭に鮮明に響く。


 側に駆け寄ってくれたブルーノの声もどこか遠くにあって、むくりと起き上がるオーガも何やら小さく見えてしまう。


 この呆けた有り様でも、彼の耳と足だけは寝ぼけておらず、オーガにひとり狙われて後退りながらも、頭目ドルザと部下の話の内容を捉えた。


『なるほど、な……実はホディッツと山賊は、前持って奴隷の売り買いを約束していて、ホディッツを殺して奴隷を奪った分、金が浮いた、と』


 二度も牢に頭をぶつけて慎重にジャックを追い詰める三つ目オーガは、野卑なばらつき歯を剥き出して舌舐めずりをしている。

 今度こそ目の前で人が捕食される光景を見たいのか、ドルザと部下は牢から10㎝と離れていないところに、にやついて立っている。


『三つ目オーガはディーセント帝国に売る商品で、ホディッツが持ってきた旨い話……』


 聞き取れるドルザの言葉には耳が腐りそうで、歯をぎらつかせて近寄る三つ目のこの獣に対しては、本能に従うその様に哀しみと羨ましさを抱いて、不思議とジャックは涙を流していた。


 唸りをあげてオーガが飛び掛かり、山賊たちも色めきだつ。奴隷たちが息を飲んだと同時に、茶けた血飛沫が盛大に舞った。


 腕をとられ、仲間に止められていた青髪の少年はどうにもできない悔しさと親友を失った哀しさで、血を見た瞬間泣き吼えた。


 奴隷の少年少女たちは、またもやあのオーガが立ち上がってぬっと振り返り、襲われるのは次に自分かもしれない。イメージされる光景に青ざめながらも逃げるために身構えていた。

 ---だが、いつまで経っても、オーガは立って向かってくることもなくその場でうずくまって動かない。

 ブルーノは牢の外に目を向けると、山賊たちもいつのまにか囃し立てたり笑いあっている者はおらず、場の空気は凍りついていた。


 咀嚼の嫌な音がしていない。それに気づいたブルーノはオーガにまた目線を移すと、赤い巨体の影からゆらりとジャックが出てきた。


 ジャックは身体中が褐色の血液で濡れていて、右手に握る薄刃の曲剣もそのオーガの血を滴らせている。

 ブルーノはたまらず寄ってきたが、まだ実感もなく震えがあった。


「ほ、本当にジャック、生きてるんだよね?」


「ああ。ちゃんと生きてるし、怪我も肘が擦りむいたくらいだから大丈夫。臭いしねとついてて気持ち悪いけど」


 ジャックが視線を送った先には、同じように血が盛大にかかったドルザと部下たち、そしてその一人の腰には曲剣がそっくりなかった。


「お、俺の剣を、あんのクソガキ!」


 剣をジャックに奪われた男が激昂すると、吊られて山賊たちが騒ぎ立てた。

 唖然としているのは奴隷たちとドルザくらいで、ブルーノは興奮した調子で聞いてきた。


「ね、ねえどうやったの?ジャックは剣とか使えるって話したことないけど、実は強かったの?」


「いや、そんな訳ではないと思う。今のは兎に角、必死で動いたらなんとかなった感覚だから。それよりも」


 ヒュッヒヒュッ


 風切った音がジャックの耳元で鳴り、すぐさま後ろを向くと、ラッピドとカウン、ドルザの手には弓があった。


 肩に一気に重みが掛かる。ブルーノの手が自分にしがみついていて、彼の脇腹には矢が深々と刺さっていた。


「ジャ………クゥッ」


 膝が揺れ、次第に肩に掛かる手が震えとともに力が弱くなっていく。ブルーノの後ろにいた者には、矢は当たらなかったらしい。他に山賊の矢の餌食になったのはポールで、仰向けに倒れている彼の鳩尾には矢が生えていた。


 オーガが倒れて安心したのもつかの間、牢の外から山賊が矢を放ったことで、余興が打ち切られた合図が上がった。


 山賊の頭目ドルザは、珍しい魔物を密輸することで莫大な金を受け取ろうとした。

 奴隷の少年少女らを餌にしたのは、少しでも状態の良い三つ目オーガをディーセント帝国に売り込めば値がつり上がるかもしれなかったからだ。

 しかし、右手首の腱が斬られ出血過多で動かないオーガなど誰が買うはずもない。


 野蛮な山賊たちの頭脳では、自分たちに不利益を負わせたジャックと奴隷たちをせめて始末することで、この怒りと損害を帳消しにしようとすることしか思いつかなかった。


 幸いにも狙われなかった奴隷たちは、瞬く間に二人の少年を殺されたことで、散り散りに逃げ惑った。

 ケニーを抱き抱えるフォーンは矢を少しでもやり過ごそうと牢の奥へ走り出す。他の皆も自らが生き残ろうと押し合いへし合いを繰り返した。


「おい……おい!ブルーノ大丈夫か?待ってろ気をしっかり持て、すぐ血を止めるから……」


 親友のブルーノが射られたことで逃げる選択肢は頭にないジャックは、混乱しかけた頭をなんとか立て直し、応急処置を試みた。


 周囲に布が都合良く落ちているわけもない。自分の着ている奴隷服では細菌が入るかもしれないが、何もしないよりはと考えてジャックは服の裾をちぎって出血部分を押さえようとした。


 だが山賊が応急処置を待つこともあらず。次々に飛んでくる矢を曲剣で弾いて防ぐことですぐに精一杯になる。

 背中から聞こえる悲鳴、この断末魔は丸腰の皆のものだろう。


 ジャックは後ろで倒れているブルーノを助けられず、そのままにせざるをえなくなっている自分に歯噛みし、山賊には言葉に尽くせぬ怒りを覚えた。


 一人また一人と、後ろにいた皆の声が聞こえなくなっていった。

 今や山賊たちが一斉に狙い定めるのは歯こぼれした曲剣を握るジャックで、牢の中でたった一人立っている少年が歯ぎしりしたのを見て、無数の矢が射たれた。


 沸騰した感情も逆に冷め、ここまでかとジャックは目を閉じた。少なくとも倒れている親友は庇って死のうと仁王立ちし、両腕を広げた。


 だがジャックに向かってきたのは、10を越える矢が貫く痛みではなく、土壁が平衡を無くしてのしかかるような重い衝撃だった。

 そのまま後ろに倒れて潰されてしまったジャックは、倒れがかってきたのはあのオーガで、自分には一本も矢は刺さっていないことに気づいた。


 非常に重いその体重は容易に抜け出せるものではない。体の位置を何とか入れ換えようとしたが、ふと気づくと、自分も何かを下敷きにしていた。

 言うまでもなくブルーノの体が自分の下にあり、手を這わせて触れるともう脈動は感じられなかった。


「うそ、だ……ブルーノ、そんなそんな……っ」


 圧迫された空間では呼吸もままならない。肺に残っている空気を絞りだして名前を呼んでも、返事も何も返ってこない。

 濡れたような感じは間違いなく親友の血で、怪物とは違う、指の間を通り抜けてしまうするりとした感触だ。


「の、痴れも、んがぁ……」


 流れる血と我が身に降りかかってきた不条理が、曖昧な意識の中で交わっては流れて消える。

 その時思ったのは、本能のまま自分たちに食らいつこうとして、勢い良く立ち上がって、背に矢を受けた三つ目オーガの哀れな必死さと正直さ。


 さらに思えばブルーノも、他人のはずの自分のために必死に体を張り、知識を教え、別れてしまうことを考えて情けなく涙ぐんだりしていた。


 山賊の笑い声が脳髄に響く。ざまあみろ、手間どらせるな、カエルみたいに潰れたか……。

 思い返せばあの時も似た気分で死んでいった。なにって、そう、自分。ひどい篠突き雨が間断なく自らに降りかかって、大切な自分の想いとか矜持とかを嘲笑いながら押し流すのだ。

 やんぬるかな、そのように死んだ。またここでそうなるとジャックは諦観した。


「………おい、お前ら。オーガを引きずって持ってこい」


「え、でも頭目……」


「さっさとやらねえか!いいか、あの小僧に手首をほとんど斬られてあんだけ血を川みてえに流していたのに、それでも生きていて、小僧を食おうと起き上がったんだぞ?運悪く俺らの矢を受けて針ネズミみたいだが、手当て次第じゃ間に合うかもしれねんだぞ!」


 あれだけ血を流していたのに生きていた。ドルザのこの言葉は部下に一縷の希望と恐怖を抱かせた。


 もしも息があれば、また自分たちが三つ目オーガを使って大儲けをすることができる。単純な山賊たちにも理解できるが、それ以前に、近づいて生死を確認したり手当てを行わなければならないというのは、今度は自分たちが頭を生きたまま食われるかもしれないからだ。


 煮え切らない部下に痺れをきらしたドルザが、部下から鍵をぶん取って、牢を開けて中に入った。頭目の行動に部下は続き、数人の下っ端もようやく部屋の中に入ってこれた。


「とりあえず生きてるかどうかは、ツラを見ねえことには始まらねえ。おい、そっちの右肩持て、そうだ、よし、ひっくり返すぞ。いちっ、にのっ……」






「俺の、名前は寂 主水…」



 名乗りと共に二つの首がはね飛んだ。


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