鍛冶工房ドンドーロにて2
一寸先すら見えない真っ暗闇の中、ジャックは目の前数歩の所にいる『敵』と相対している。すぐ後ろにはラスクがいて、ちょうどジャックが庇う格好だ。
ジャックの持つ曲剣は折られてしまったが、今のところ、敵がここぞとばかりに襲い来る様子はない。まだ武器を持っている可能性を警戒しているのか、とジャックは推測した。もしそうならば、ジャックとラスクに打つ手が無いと知られた場合、即座にためらいなく仕掛けてくるに違いない。
『さて、どうするか』
一言で言ってしまえばこの状況、絶体絶命に変わりない。ジャックは冷静さを失っていないものの、この状況を甘く見るほど呑気してはいなかった。
後ろにいるラスクは怯えているようで、ジャックの上着の裾をぐっと掴んでいる。普通ならば、一目散に逃げ出すか、両手剣を抜いて抵抗するかの二つだが、ラスクなりに考えて、慌てて逃げ出してやられるリスクと、取り回しの利きづらい両手剣をここで抜くリスクを避けていた。
『信頼されているな』
さらに、ジャックがもう折れた曲剣しか持っていないことを、ラスクは知っている。それでもラスクは、自分の腕とジャックの腕を天秤に合わせて、この状況下の中うろたえずに、じっと我慢してくれている。
敵は距離を詰めてくる。足音からそれがわかるが、呼吸は聞こえない。
この暗い静寂の中、どんな小さな音でも良く聞こえていて、それを頼りにジャックは敵の動向を探っている・・・が。
『やつも同じ条件のはずだ。だのに、なぜ、呼吸の音がまったく聞こえない?』
耳の良さには自信があり、どんなに緊張していても、目の前にいる人間の呼吸音は聞こえないはずがない。ほんの些細なことだったが、不自然なことには変わりなく、ジャックはこの敵に言い知れぬ『力』を感じていた。
謎と不可解さが残ったままだったが、この状況を打破するためジャックは行動に移すことにした。後ろにいるラスクを引き寄せて、自分の顔の真横にまでラスクの顔を近づける。ラスクは驚いているようだが、構わずジャックは、曲剣を持っていない手をラスクの頬に当てた。
『奥の扉を探せ・・・刀を探せ・・・ここは任せろ』
ジャックはラスクの頬に指先を当てて、文字をなぞった。
ゆっくりと一定の間隔を維持して、伝えたいことをラスクの頬に指で書いていく。苦しい方法だったが、敵に何も悟らせないためであり、次第にラスクも落ち着いてその内容を理解してくれた。そしてラスクは、一度小さく頷いてから抜き足差し足で、扉の無い部屋に向かって進んでいった。
敵がラスクの動きに気づいたのか、即座に追いかけてジャックの横を走り抜けようとする。が、ジャックがその方向に曲剣を投げつける。曲剣は敵に命中せず、壁に当たって派手な音をたてた。
だが、それで十分だった。
敵はその音に反応してわずかに硬直し、ジャックはすかさず足払いをかけた。足下を掬われた敵は、したたかに床に転んだ。
すでに距離をとったジャックは、確かな手応えを感じていたが、かなり勢いよく体を石床に打ち付けたのに、敵は苦悶の声一つも出さない。それどころか、わずかな呼吸の乱れすら無く、ゆらりと亡霊の如く立ち上がる音しか聞こえなかった。
『くっ、やはり何か仕掛けがあるのか?』
敵に足払いをかけてラスクを守ったのは良いが、もはや武器も無く、敵もそろそろジャックが丸腰であることを察する頃である。もはや、なりふりかまっていられないだろう、とジャックは作業場にあった物を投げつけ始めた。
やけっぱちだと判断したのか、飛来する物を無視して敵が猛然とこちらに駆け出す。
体を屈めて横に飛んで、ジャックは敵の攻撃を避けたが、避けた先にすぐさま二撃目がまっすぐ飛んできた。
ドビシィィッ
首をずらして、間一髪で『何か』を避けた。
ジャックはその破壊音から、石壁をやすやすと貫いた音だと理解する。そして自分の髪が、その石壁を貫いた『何か』によって、今もなぜか、パタパタと吹き揺れていることに気づいた。
『・・・風?』
そんな単語がジャックの頭に浮かんだが、息つく間もなく敵は攻撃を再開する。何度目かの攻撃から逃げて、十分な距離をとった。両者は再び構え直す。
敵の得物は一つだけではないようだ。石壁に得物が刺さったままでも、ジャックの頭を狙ってきたのだから、まず間違いない。両手に得体の知れない刃物を持っている構図が、ジャックの頭に浮かぶ。
『このままでは、遠からず殺されるな』
自分の心中で、この場所を冷静に眺める自分が、そう語りかけてくる。
くすり、とジャックは笑いをもらす。
集中力も闘争心も失ってはいない。肌にはぴりぴりとした適度な緊張感が走り、渇きかけの喉を潤そうと唾が通る。視界不能の闇の中に、居るのは自分と敵だけであり、ジャックは見えざる相手の、まさに一挙手一投足を感じ取ろうとしていた。武器を持たない無手にも関わらず、自然と体は刀を構えるような体勢をとっていた。
『だが、追いつめられているのとは、またひと味違う』
仮にジャックが、今までの場面で気が引けたことがあったならば、たちどころに敵にやられていただろう。気が引ければ迷いが出る。焦りも恐怖も出る。そしてそれが命取りになる、とジャックは前世で何度も教わっていた言葉を、念仏のように口ずさんでいた。
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ジャックに指で頬をなぞられて、『奥に行って刀を取ってこい』という旨の指示を受け、ラスクは奥に進んでいた。自分が奥に進み出した瞬間、派手に戦闘が始まったことに驚いたものの、ジャックの力量を信じて、その『かたな』というものを探すことにした。
ラスクはまるで老婆のように体を前傾させ、床や壁をぺたぺたと触って確かめながら、暗闇を進んでいく。とは言っても、最初にこの鍛冶屋に入った際、入り口扉から差し込む光で大体の間取りは目にしているのだ。ようするにラスクは、自分の見た記憶と照らし合わせながら、この鍛冶屋の奥へと進んでいる。
『この部屋が・・・テーブルのあった部屋?』
ごつごつとした木のテーブルの感触を確認すると、ラスクはそこであることを思い当たる。この部屋をちらっと見たとき、テーブルと絨毯、そして壁には様々な武器が掛けられていたのだ。
ここになら、ジャックの武器となる『かたな』があるかもしれない。
向こうの作業場からは時々派手な音が鳴り、その度にラスクはジャックの身を案じる。しかし、ラスクがジャックの代わりをつとめることは出来ない。一緒に戦うことも出来ない。ジャックだからまだ生き残っているのであって、ラスクはそれに比べるとまだ力を持たない者だった。
『くそっダメだ、やっぱりっ!』
もちろんのことだが、助太刀するだけならいくらでも可能なのだ。ラスクの背には、愛用の頑丈な両手剣が健在していて、それでなくとも、この部屋の壁にある、無数の武器を適当に取っていっても良い。もしくはこの部屋の中の武器を、ジャックに寄越してあげれば、少なくとも対抗することは出来る。が、それでも不利は不利。敵はラスクよりも遙かに手練れで、天井に張り付いたり、闇の中で正確に武器をへし折ることができるのだ。
『僕に出来ることは・・・ちょっぴりでも早く、ジャック君の武器を持ってくることだけだ』
ジャックの危機に自分の責任、そして暗闇。これらに困惑しそうにな思考を、どうにか抑えてラスクは『かたな』を手探りで探す。
『かたな』という武器がどんな形状なのか、ということはすでに知っている。5分ほど前にジャックがちゃんと言っていた。細身で片刃、ゆるやかな反りに、両手で持てる長い柄、と。
『大丈夫、すぐ見つかる。触って確かめて、そうじゃなければ、また次の武器を触っていけば・・・』
壁に左手をついて、ラスクは右手で適当に探らせる。運悪く武器の刃が手に当たって、怪我をするかもしれなかったが、今は気にしていられない。
まず一つ目、触った感触で柄が長すぎることが分かる。柄がそれほど長いなら、長斧かヤリしかないので、カニ歩きで壁と平行して体を進ませて、次の武器を確かめる。二つ目は分厚い刃の感触で即座に大剣だと分かる。
そうやって探していく中で、ラスクの右手が木製の感触をとらえた。石壁でもなく、壁に飾られている武器でもない。手をさらに伸ばすと、細い鉄の『取っ手』があると確認した。
『木の・・・扉?』
ラスクはこの扉があると初めて知った。ジャックもたぶん知らないだろう。最初の、入り口扉を開け放しにした光があっても、今居るこの部屋がぼんやりと見えただけだったのだから。
取っ手を引いてみると、ゆっくりとドアは開いてくれた。依然として明かりはなく、この扉がどこにつながっているかは分からないが、ラスクは「もしや」と小さく呟いてから、この先に入ってみた。
足を踏み入れたラスクは、何も見えなくても、この部屋は狭い場所だと理解できた。壁に手をついて探れば、すぐに突き当たりを見つけ、ちょっと歩いてしまえば足に何かしら物がぶつかって、いやな鈍痛がする。
『埃くさいし、狭いし・・・物置なのかな・・・?』
顔の前を手で振って仰ぎ、埃くささを紛らしながら物を漁る。普通、物置に新品の武器を置くことは考えられないが、自分の「もしや」という勘を捨てずに手を動かす。
ラスクが物置の棚の横を通ったその時、鉄や木ではない大きな『何か』につまずきそうになった。何とか棚に掴まって踏みとどまったが、自分がつまずいたものが気になったラスクは、片膝をついて触ってみる。そして触って、すぐに驚いてしゃくり声をあげた。
物ではなく生き物だ。いや、さらに言えば背中と腕と首の感触と、異様な冷たさを知ったラスクは、これが死んでいる人間だと分かってしまった。小柄でがっしりとした体つき、耐火性の強い作業用の服。おそらくこの死んでいる人は、ジャックやロイが言っていた、ここの親方のフルブライトだろう。
「もう手遅れだった・・・」
首や頭を触ったり揺すったりしても反応はない。体の熱もなく、人形のように冷たく丸まって親方は死んでいる。
うめくように手遅れと呟いたラスクは、フルブライトの体を触って調べているうちに、妙なことに気づいた。
『殺された・・・んじゃないの?血も出てないし、首も絞められていないし・・・』
ジャックと戦っている敵は、刃物を扱っていたはずだ。鈍器でも絞殺する紐でもなく、鋭く闇の中を切り裂こうとしてきたヤツだった。しかし、この親方の死に様にそんな痕跡はない。まるで、突然の病に倒れたように無傷なのだ。
ラスクはこの有様に、あの敵はまだ『何か』を隠し持っているのでは、という漠然とした不安感を覚えたが、ふと、丸まった親方の内側にあった物を掴んだ。
「これ・・・はッ!」
ラスクは、親方が物を抱えていたことをようやく理解した。ただ丸まっていたのではない。大切なそれを守るために、盗られたりしないために、こんな体勢になっていたのだ。
ラスクの手の中には、細い棒状の物が握られている。この感触から、今触っているのは堅い木で作られた『鞘』で、さらに上端の方を探れば、手が滑って刃に当たらないようにするための『鍔』と、両手でも構えがとれる『柄』も確認できた。
『これが、かたな・・・でしょ?』
フルブライト親方の腕から、慎重にそれを引き抜いて持ってみる。それなりの重さがあり、柄と鞘の境目を抜いて指で触れると、鋭い刃があると確認がとれた。反りに片刃、間違いないとラスクは心の中で叫んだ。
『やった!すぐにジャック君に渡せば・・・』
ほっと安堵して物置を出ようとしたその時、武器の飾られた部屋から、眩しい光と熱気が放出された。
驚きのあまり後ろにのけぞったラスクだったが、踏みとどまって物置の扉からおそるおそる顔を出す。すると、まさに扉の目の前にジャックが居た。ジャックは背中をラスクに向けて、片膝をついている。
部屋一面は火の海になっていた。
絨毯は燃え、テーブルもバラバラに破壊されている。油と布が容赦なく焼けるいやな臭いがたちこめ、そしてジャックとラスクの数歩前に、まだら模様の皮膚に黒い皮鎧を身につけた一人の『獣人』がいた。
背はジャックよりも高く、顔つきは豹、顔を隠すためであろう黒い布は首に垂れている。そして目を引くのは両手に装着された、かぎ爪型の手っ甲だ。爪は片方に3本で一本一本が30センチメートルほど、計6本の鋼鉄の爪が獣人の手から伸びていた。
敵は獣人だったことや、暗闇で見えなかった武器が、想像以上の凶悪さがあったことに、驚きづくしのラスクだったが、『かたな』さえ手に入れたならこっちのものだ、とジャックに声を掛ける。
「ねえジャック君!もう大丈夫、かたなを見つけ・・・」
ラスクは言い切ろうとした所で、こちらに背を向けているジャックの異変に気づいた。
ジャックは目と口を半開きにしたままで、ピクリとも動かず硬直している。目はうつろで口も全く動いていない。体温はあるが、人形のように呼吸もせず意識も無い。
「な、なんでっ?どうして!」
体を揺すって頬をたたいて、ジャックの意識を取り戻そうするラスクだったが、ジャックからは返答もなく、代わりに敵の獣人が口を開いた。
「ハッ、残念だがそいつは手遅れだ。一度俺の『球』を食らってしまえば、生物である限りじきに死ぬ」
炎の海の中、鉄のかぎ爪をこちらに向けて獣人はそう言い放った。
ラスクはぐっと歯を食いしばると、刀をひとまず傍らに置いてから一歩前に進み出て、背中の両手剣を抜剣し獣人に向かって叫んだ。
「何をした!ジャックに・・・ただじゃおかないからなッ!」
どんな手を使って、ジャックの意識を奪ったのかは分からない。
それでもラスクはこの余裕綽々な敵に対して、怒りを感じずにはいられなかった。この時点でラスクは、自分と敵の力量差関係なく、ジャックの仇を討つ気でいっぱいだった。
ジャックに教えられたように、ラスクは剣の切っ先をしっかり正面に構える。攻めるにしろ守るにしろ、正面に構えれば対処がしやすくなり、敵も攻めづらい。今にも突撃したい心を抑えて、ラスクは敵が向かってきたところを、体重を乗せて叩き斬るつもりだった。
『こいつは速そうだ。でも、一撃を思い切り打ち込めばこっちが勝つ。なまじこの部屋は広くないから、簡単に避けられる心配はない!』
周りの熱で全身が痛んだが、一度とった構えをラスクは崩さない。振り切った怒りがラスクの体から、火傷の痛みを忘れさせていた。
「来るなら来い・・・・・・ジャックにやったみたいに・・・来いよッ!」
「おっとそれまでだ。もうお前も終わりだ」
淡々と敵がラスクにそう言った。その時ラスクは、理解が追いつかず怪訝な顔を示した。
敵は特に動いていない。手っ甲をラスクに対して構えてはいたが、いまだ攻撃動作もせず、さらに言えば距離すら詰めてきていない。『何もせず』、炎のまっただ中に立っていただけだ。
「どういう、こ・・・か、かはっ・・・?!」
どういうことだ、というラスクの言葉が最後まで出てこなかった。そしてそこで、ラスクは自分の異変を明瞭に感じた。
息が吸えない。吐くこともできない。すなわち全く呼吸が出来ない。
気づいたときにはすでに、ラスクは両手剣を取り落として膝をつき、苦しさで体をよじらせた。
敵は動きを見せず、悠然と立っている。かすむ視界の中でラスクは、敵の不可解さを見つけた。
『よくよく考えれば・・・・・あんな所にずっと立っていて、熱そうにしていない・・・まるで、見えない何かに・・・守られているみたいに・・・』
ラスクの視界は完全に真っ暗になった。炎の熱も、ごうごうとした音も感じていたが、それもすぐに失われるだろう。
完全に意識がなくなる寸前に、敵の近づく足音と声が聞こえてきた。
「種明かししてやろうか?俺は風の魔術を使うことが出来る。いや、自在に使いこなすことが出来る。だからこそ、呼吸をいっさい誰にも聴かれず、天井に張り付いたり、炎の中でもしばらく平気でいられる。しかも最もお気に入りの使い方がある。・・・・・・なかなかこれが楽しくてなぁ、乱気流となった小さな風球をな・・・」
「相手の口に放り込むこと、だな?」
聞き慣れた声が突然獣人の言葉を遮った。その時ラスクは意識がふっと戻り、苦しかったが何とか顔を横に向ける。
ジャックが刀を抜き払って立っていた。刃には一筋の血が流れ、炎の光を飲んで場違いなほどの煌めきを発している。
意識は失っておらず無事だったと、ラスクがそう思った直後には、ドサリと音を立てて敵の右腕が床に落ちる。獣人の絶叫とともに、現実味がないほどの血が辺りに迸った。




