外の世界
ジャックは前方の景色を見て息を呑むと同時に、頭に痛みが走った。
地下の灰色の壁とは違う、緑と青空が映える街の外に言い知れぬ感動を覚えたのは確かだが、それを上回る、内側から何かが飛び出すような頭痛が唐突にジャックを襲った。
「ジャック?大丈夫?!」
激しい痛みではっきりとしない意識の中でも、親友の呼び掛けにジャックは手で応じた。
「おい!さっさと乗らないか」
その声にビクリとしたブルーノは後ろを見ると、奴隷商人ホディッツが、用意していた幌馬車のそばで怒鳴っていた。
すでにブルーノとジャック以外の奴隷は、おとなしく馬車に乗りこんでいる。
「い、いえ何でもありません、ホディッツ様。すぐに乗ります」
何とか息絶え絶えのジャックはそう返すと、ホディッツはふんと鼻息を吐いてから馬車の横にいる馬に乗った。
幌の中に入ると、すぐに出発して馬車が揺れ始めたが、中はとにかく狭くランプもないので暗くてしょうがなかった。
なにせ4人で定員になる馬車にもかかわらず、小柄な少年少女とはいえ8人の人間が詰め込まれている。
ブルーノはぎゅうぎゅう詰めになっている馬車内でも自分の体を壁にするようにして、頭を押さえるジャックに一定の場所を作ってくれていた。
「急に痛みだしたの?本当に大丈夫?」
「ああ、さっきより楽にはなったけど。それよりブルーノ、お前こそ俺のためにそんなことしなくてもいいんだぞ」
「僕が勝手にやってることだから心配しなくてもいいよ。ゆっくり休んで、ね?」
それから馬車が副都サクルースを出発して2時間、ジャックは頭の痛みはようやく落ち着いてきた。
馬車は険しい山道を走っている。揺れは激しかったが出発時よりもジャックは余裕が出てきたようで、ブルーノも壁の役目をやめて体を丸めながらも普通に座って話していた。
「もう大分、悪くないから大丈夫だよ、ブルーノ」
「そうかい?それならいいんだけど」
「それはそうと、この馬車はどこに向かって走っているのかな」
「う~ん、ここ西方大陸にはファルス王国とディーセント帝国、それと南のピルカ国の3つが主要な国なんだけど、東に向かっているから……ピルカ国には行かないかな。ファルス王国の東には帝国があるけど、国外まで奴隷を運ぶなら、もっとしっかりした長旅の準備をするだろうし」
「そのディーセント帝国ってどんな国なんだ?」
「僕も小さい時に聞いたことだから、詳しいことはわからないけど、昔はファルス王国とディーセント帝国は仲が良くなかったらしいんだ。僕が生まれる前はたくさん戦争もあったみたい。帝国はファルスよりも領土を持ってて兵器もすごくて、魔物を倒せる魔法使いや戦士を大事にしているんだ。
冒険者っていう強い人たちだ。だから昔、ファルス王国がディーセントとまた戦えば負けるかもしれないって近所のおじいさんが言ってた……けど、今はどうなんだろう」
「外の世界ってその3つの国だけなのか?」
「そんなわけないよ。えっと、北の果てにはレイゼルっていうおっかない国があって、他にも南国ピルカから海にずっと出ると南国諸島もあるよ。」
奴隷の一人、歯の抜けているポールという少年が、幌の布をあげて馬車の後ろの様子を見た。
前歯が無いせいで聞き取りづらかったが、もう真っ暗だよと言ったようだった。
「ブルーノは物知りだな。これを機にもっと色々教えてくれよ。もしかしたら今回の売りで、離ればなれになるかもしれないし」
離ればなれという言葉に現実を感じたブルーノは、ちょっと涙ぐんだようで顔を背けた。二人の間に変な時間が流れた。
少ししてからブルーノは気を取り直して目元をこすると、また外の世界のことを話してくれた。
「うん、わかった。ごめんね。さっき言ったレイゼルって国は、北のとても寒い所にあるんだ。ディーセントもおっかない国だけど、ファルス王国のお金持ちが旅行先にすることもあるくらいだし、今は戦争しているわけじゃないからね。万が一、ディーセントに売られたとしても僕たちは大丈夫だと思う」
「じゃあレイゼルはディーセントより戦争する、怖い国なのか?」
「いや、戦争を一番するのはディーセントだ。そもそもレイゼルには、王国と帝国の北にある大山脈を越えないと行き来できないから、直接戦争したりはできないんだ。本当に恐ろしいのは寒さと魔物なんだって。雨とは違う、雪っていう白いのがたくさん降って、家より高く積もるから、今の僕たちが着ているボロで外を歩いたらすぐに凍って死ぬんだって。あと、僕が言ってた龍や巨人がレイゼル周辺に出るんだ」
「そんな厳しいところに本当に人が住んでいるのか?」
「そう、そんな国で住んでいる人が一番怖いんだ。魔物の多いディーセント帝国には、ファルス王国より魔法とか剣とかを使える冒険者がいっぱいいるって言ったよね。だからレイゼルにはもっと強い戦士がたくさんいる」
「そうか、そこまで厳しい環境で生活している人なら強くて当たり前か。大人から子供までもが戦士なのか?」
「そこまでではないと思うけど……あ、そういえばレイゼルの最初の王様は元々冒険者で、お伽噺では双頭の龍を一人で退治したって謂われてるんだ」
ブルーノの話はそれからもしばらく続いた。お互いに、もしもこれが友達と過ごす最後の日かもしれないと考えているのか、話す方も聞く方も真剣だった。
夜の山林の静寂の中、ジャックたちを乗せた馬車とホディッツの馬が走る。
ひどく狭い幌の中は快適ではない。普段ならとても眠れる場所ではないが、疲れには逆らえず奴隷の少年少女たちは1人、また1人と眠りに沈んでいった。
馬車が木々の隙間にある小道を、速度を落として進んでいるときだった。
「かかれぇ!!」
太い、猛獣の咆哮のような声が辺りに響き、馬車の幌にいる奴隷たちの目を覚まさせた。
それとほぼ同時に、馬の叫び声とホディッツの絶叫が聞こえた。
後ろの方にいた歯抜けのポール、ブルーノ、ジャックの3人が、慌てて外を見る。奴隷商人ホディッツと彼の乗っていた馬が、夜の暗がりの中のずっと向こうに、捨てられた人形のように転がっていた。
「何が起こったんだ?!」
ジャックが叫ぶと、ブルーノは振り向いて青ざめた顔を見せた。
「やばいよジャック、山賊か何かかもしれない!」
いつも穏やかなブルーノの声は恐怖で甲高く震えていた。