奴隷ジャック
天井の低く薄暗い正四方形の部屋には、汚ならしく痩せぎすな少年少女たちが、座ったままぶつぶつと口走ったり死んだように寝転んでいた。
この部屋はある奴隷商人の拠点として地下に設けられているその一部分だった。
身寄りもない浮浪孤児、また身寄りがあったとしても口べらしのために家族に売られたり人拐いにあったりした子供を、労働人足として売り買いする。
奴隷商人とはそういうものだが、その中でも地下の大きな空間に拠点を持つほど裕福な奴隷商人は稀だった。
その部屋の奥の壁に寄りかかって座る2人の少年がいた。
1人はくすんだ青色をした髪をしていて、たれ気味の目と目尻のほくろが、優しさのある印象を出していた。
一方の少年はこの世界では珍しく、インクをこぼしたような黒髪と、これまた黒く深い穴のような瞳を持っている。強制労働などによる疲れはあるが、何か達観した意志を宿す表情だった。
青髪の少年はブルーノ、黒髪の少年はジャックといい、ブルーノは15歳でジャックはその1つ下だった。
今、2人が話しているのは、今回この施設からどこかに連れていかれると何処に行き着くのかということだった。
奴隷は世の中で最も低い身分であり、物と同じく売り買いするもので、いつまでも同じ場所で労働するわけではない。
つまり、今度奴隷商人に連れていかれる者は、外の世界を知ることになり、何もかもが変わる。雇い主が変われば環境も変わり、待遇も変わるということだ。
「ねえ、ジャック。今度外に売られる時に僕たちは外の世界をまた見るのかな」
1つ歳上のブルーノの言葉にジャックは疑問を持った。
「またってどういうことだ?」
「僕はね、ここに来る前は洋裁店の息子だった。ここの外の街がどのような所か知っているんだ。ジャックは外がどうなっているか、まだちゃんと見たことがないんだろ?」
「うん、口では何回もブルーノが教えてくれたけど。覚えてるのは龍がいたり一つ眼巨人がいるっておかしな冗談くらいかな」
ジャックがそう言うと、ブルーノは困ったように、ちゃんと信じてもらえるように見せられたらいいな、と呟いた。
ジャックはブルーノのことを、お節介だがいつも年下の面倒を見てくれる優しい人だと思っている。どんなに厳しい労働の後でも笑顔を絶やさない彼を、少々不気味に感じることもあるが、それでもジャックは隣に座っているこの青髪の少年のことを大事な友達だと思っている。
「まあ、もし外へ売られるとして、それでここよりももっとお金がもらえて、鞭で打たれることも少ない所に買われるんなら、願ったり叶ったりだよな」
ブルーノはそのジャックの言葉に小さく吹き出してから、ジャックの頭をコツンと叩いた。
「いきなりなんだよ?」
煤けた顔を朗らかに笑わせているブルーノは、なおも頭や背中を叩いてくるので、ジャックは少々不機嫌になってきた。
「いやいや、小馬鹿にしたわけじゃないよ、ジャック。僕が可笑しかったのは、君がときどき僕よりも度胸のあることを言うからね」
「なんだ、そんなことか。そりゃあずっとここに居たら人が突然死んでもどうも思わなくなったり、どうなろうと死にさえしなければこっちのものだって考えられるようになる」
ため息を吐いてそう言い切ったジャックは、急に顔が強張り、部屋のただ1つの頑丈な扉の方に顔を鋭く向けた。
「どうしたの?」
「お迎えが来たようだ」
それから10秒ほどすると扉は開いた。
入ってきたのはたっぷり肥えたここの施設の主、奴隷商人ホディッツと、その護衛2人だった。
護衛の2人は紛れもなく、ブルーノから聞いた「傭兵」という狂暴なやつらだろう。血と傷のある皮鎧と背負う剣は、少年たちに変な気を起こさせなくするには十分だろう。
奴隷商人は顔をしかめて鼻を摘まみながら、部屋の中に散らばっている奴隷たちを見回し、奴隷1人1人を呼び出していく。
「そこの隅で寝転んでる茶髪、歯抜けのお前、デカブツ、それとそこの泣いているお前、耳無し、金髪のお前、奥にいる青いのと黒いの。今呼ばれたやつらは、今日ここから出ていくからついてこい」
言い終えた奴隷商人が右手に持っている鞭を床に打つと、ほとんどの奴隷たちがビクリとした。
そそくさと主のもとに奴隷は集まり、人数が確認された。
青いのと黒いのというのは、ジャックとブルーノの髪のことだ。2人は奴隷商人に聞こえない程度に小声で話した。
「おい、本当に俺たち2人とも出られるみたいだぞ」
「どうやらそのようだね。これでようやくジャックに、龍や一つ眼巨人が本当にいることを教えられる」
そして一行は施設の暗い廊下を進んでいく。
先頭は奴隷商人ホディッツと護衛、その後ろに少年少女の奴隷たちが歩いていき、最後尾には護衛の片割れが目を光らせていた。
少しすると、壁にある照明で明るく灯されている広場についた。奥には上への階段が伸びているので、地下施設の出入口はもうすぐだろう。
「こんな場所初めてだ」
ジャックのこの呟きにブルーノが応じた。
「ジャックはここに連れて来られた時のこと、ほんとに覚えてないの?」
「うん、まったくわからないんだ。物心ついた時にはここで働かされていたのかな……いやでも、10歳よりも前のこと……なぜか思い出せないな」
階段を上りきると、樫に鉄を組み込ませた、ジャックが今まで見た中で一番頑丈そうな扉が目の前に現れた。
奴隷商人の隣にいた護衛が壁のレバーを引くと、扉が上へ開いていき、それとともにまばゆい光が差し込む。その太陽の光は暗さが常だった奴隷たちの目を眩ませた。
一行が出たのはどこかの大きな街の貧民街と平民街を区切る広場だった。
石畳が敷き詰められている円形の広場はがらんとしていて、隅で浮浪者の老人が鳥に餌をやっている。
空で輝いている太陽は、奴隷たちにとって懐かしいような、それでいて畏れ多いような存在に見えていた。
奴隷商人は外へ出られた奴隷たちが、外の世界をじっくり観られるように待つことはない。ぼさっとしていないでついてこい、と舌打ちまじりに言った。
一行は貧民街を進んでいき、しばらくすると堀のある街壁が目の前にそびえ立っていた。
そこから左に曲がって進むと、昼間なのに日陰が多かったさっきの貧民街よりも、明るい場所に出た。
その場所はこの街の出入口であった。
立派な壁に見劣りすることのない大きな門は、あの地下施設の出入口に作りが似ていたが規模は比べものにならなかった。
街門のある広場は露店商の多い市場で賑わっていた。
だがこちらに気づくと、ある程度の人数が嫌な顔をしたり鼻を摘まんだりといった反応をした。貧しい平民たちが唯一見下せる、最下層の奴隷という存在が集団で歩いているためだ。
「こんなに人がいるんだな」
「それはそうだよ、だってここはファルス王国の第二都市サクルースなんだから」
「ファルス王国?」
「王都ベルガモットの次に、大きくて栄えててすごい街なんだよ、ここは。色んな友達がいたり、お菓子の露店が好きだったなぁ。でも、僕たちはこの街とお別れみたいだ」
ブルーノが言っている間に、奴隷商人が一行から少し離れて門の衛兵と話していた。
事務的な話しあいをしているような雰囲気はジャックにも分かり、話が終わると衛兵は門の側にある綱を巻き付けてある装置を回した。
綱が巻き込まれ、ゆっくりと重々しい音をたてて街門が左右に開いていく。
見えてきたのは草原と山々が織り成す、本当の外の世界。ジャックが初めて目にする自然の世界だった。
セリフとセリフの間に1行置きました。