模擬戦
訓練場の隅で素振りを始めたジャックは、しばらくすると靴を履いているむずむずとした違和感が気になった。
素振りとは、その場で立ち止まってやるものではない。前後に素早く足を運んで移動しながら、間断なく剣を振らなければならない。
ならば、今履いている靴がとても邪魔くさいというわけだ。宿の庭で素振りをしていた時も、大きさの合わないマーシュの靴を脱いで裸足になることで、より鍛錬に没頭できた。
ジャックは素振りを止めて周りを見て、誰もこちらを見ていないのを確認してから靴を脱ぐ。
訓練場の床は外の固い地面と変わらないので、土や砂のザラついた感触が足裏で直接感じられた。足を動かすだけでも、さりさりと皮膚が砂と擦りあわされ、なんとも爽快だった。
脱いだ靴を邪魔にならない所に置いてから、もう一度構えをしっかりと作って素振りを再開する。すると足がスムーズに運ばれ、先ほどよりも断然、速度もキレも良くなった。
そして当然、周囲に居た冒険者たちが1人また1人と、素振りをしているジャックの方に興味を持ち始めた。当のジャックは気にせずにいるが、冒険者たちは互いに顔を見合わせたりひそひそと話したりする。
言うまでもない。マーシュとクレアがジャックの『自主的な稽古』を初めて宿の庭で見て感じたように、その場に居る冒険者たちもまた、ただの少年じゃないと気づいたのだ。
絶え間なく繰り返される素振りの風切り音は鋭く、それでいて上半身は大木のように泰然と『ブレない』。さらには前後に移動する足を、しっかりと注目した数人の冒険者たちは驚いた。
「おい…あれって」
「裸足だ、よな……? 何考えてんだあの少年、痛くないのか?」
冒険者たちの言葉通り、まったく痛くはないといえば嘘になる。いくらジャックでも、裸足で固い土の地面を動き回れば、痛いモノは痛い。だが奴隷生活をしていたときも裸足だったおかげか、これくらいは慣れたものだ。
そもそも前世では、稽古によって足裏の皮が幾度と無く擦り切れ、ひび割れて、固い皮が生み出されて痛くなくなる―――――というのが、誰でも通る道だった。これくらいは大したことではなく、何なら今の内に皮を剥いでおこうという考えだ。
しばらくしてから素振りを終えて、ジャックはふうと一息つく。そして体が冷えたりしない内に、仮想の相手と闘う稽古をしようとしたが、後ろから声をかけられた。
「ねえ、君も冒険者なの?」
話しかけてきたのは、ジャックとは同い年くらいの少年だった。背もジャックと同じくらいで、茶革の鎧を身につけ、腰には体格と不釣り合いな、刃引きされた両手剣を装備している。髪の色は栗毛で、マーシュのように長髪でさらさらとしているわけではなく、すこしばかり癖が強くクリクリとしている。
顔立ちはそのいっぱしの剣士の出で立ちに似合わず、幼さが残っている。ジャックに声をかけたときの表情も、緊張した固い笑顔だった。
ちなみに周りにいた冒険者たちは、ジャックとその少年の会話に好奇心半分で耳を傾けていた。よく声をかける勇気があるな、と呟く者もいた。
「そうだが…君もか?」
「え、ああうん!そうだよ…あ、名前も名乗らないのは失礼だったね。僕の名前は、ラスク」
「これはご丁寧に。俺の名前はジャック」
「よ、よるしく!ジャック、君て呼んでも大丈夫?」
「お好きなように」
「ありがとう。えっと、素振りをしているときから見てたんだけどジャック君は1人で冒険者をしてるの?」
「いや、ほかに2人の冒険者とパーティを組んでいる。と言ってもまだ日は浅いが」
「日は浅いって…じゃあそれまでは1人でずっとやってたってこと?」
「そうではない。ついこの間、冒険者になったばかりでな。2人の冒険者の人たちとは、その時点でパーティを組み始めた」
その話を聞いてラスクは、そしてその話に先ほどから耳だけ傾けていた冒険者たちも驚いていた。
「ついこの前って……すごいね」
「何を?」
「いやさ、僕みたいな駆け出しからすれば、ジャック君の素振りを見てると、同年代とは思えない凄みがあるんだ。こう、何ていうか、剣の達人? みたいな。びっくりしたよ! 遠くからでも木剣が風を切る音が聞こえたんだから」
ここまであけっぴろげに褒められては、さすがのジャックも恥ずかしさで顔に熱を感じたほどだ。
「そ…そこまでのものではない。ほら、ここにいる人たちの方が、よほど俺より経験を積んでいるだろう」
手を振って謙遜したジャックだったが、それでもラスクはジャックに興味深々といった様子だ。周囲の冒険者たちも、ジャックとラスクのやり取りをちらちら見ている。
「そう? でも凄かったからなぁ…あっ、そうだ!」
ジャックが取り敢えず、この場から離れて注目を逸らそうとしたが、ラスクが思いついたように手をポンと叩いて言った。
「もし、良かったらなんだけどさ、僕と一度、模擬戦
(もぎせん)をしてくれない、かな?」
「模擬戦?」
そのまま聞き返したジャックは頭の中で考える。この訓練場についてよく知らないが、模擬戦というからには、おそらくこの少年は、自分との手合わせを願っているのだろうと分かった。
「君と勝負すればよいのか」
「えっ、いいの?!」
ジャックが確認をとると、ラスクは半分期待していた表情から、嬉しさいっぱいの笑顔になる。それと同時に、ドキドキとした緊張と高揚を持ったようである。
「君から誘っただろう。しかし良いのか? このような場所で勝手に試合をするのは」
「うん、模擬戦をすることを、ギルド員の人に申し出れば良いんだよ。そしたら少しの時間は、ここを使っている人たちが場所を空けてくれるんだ。もちろんクラスの低い僕が申し出ても制限時間は短いけどね」
「ふむ、高いクラスの者が申し出れば、長い時間ここを存分に使えると。さてラスク君、君が駆け出し冒険者でで俺も駆け出し冒険者。ならば、どちらもクラスはEクラスだろう?」
「まあそうだね」
「ギルド員に申し込んで、模擬戦のために場所を開けてくれるのはどれくらいだ?」
「えっと、クラスEなら…3分くらいかな」
3分、それを聞いてジャックは意外にも長く感じた。
よしやろう、とジャックは靴を履かないままギルド員の居るところに向かい、ラスクもそれについていった。先ほどジャックに木剣を渡してくれた寡黙そうなギルド員に、模擬戦をしたい旨を伝えると、壁に掛かっているボードに名前とクラスを書くように促してきた。
「よし、クラスEのジャックとラスクだな。制限時間は3分、今から場所を開けさせるから少し待て」
ボードに記入事項を書き終わり、ギルド員がそう告げてから良く通る声で冒険者たちに、模擬戦をやるから場所を開けるようにと告げた。
冒険者たちは渋々と訓練場の中心を開け始めたが、模擬戦をやるのがさっきの『裸足の素振り少年だ』と分かると、その模擬戦に興味が湧いたのか、ささっと中央を開けてくれた。
「ジャック君、君はその木剣でいいの? 僕と同じ鉄の武器の方がいいんじゃないの?」
「これで良い。素振りでだいぶ使いやすさが分かってきたからな。それよりもほら……」
「何をしている2人とも、もう制限時間は始まってるぞ」
ギルド員の男がそう言うと、ラスクも武器のことについてとやかく言うのを諦めて、すぐに訓練場中央の場所で2人は向き合った。
ラスクは緊張した手つきで両手剣を抜こうとしたが、ジャックはすっと一礼をしたのを見て、慌ててそれに倣った。
慌てるラスクを見た冒険者の中から、ぷっと吹き出す音が聞こえた。
両者が剣を抜くと辺りは静まった。息を一つ吸って吐いて、ジャックは木剣を正眼に構える。
それに対してラスクは、剣を傾けて右の肩で担ぐように構えた。剣を持つ手は、右手が上で左手が下なのを見るに、右利きだろう。
ラスクの構えは、体格の貧しさを少しでも補うための構えだとジャックは判断する。それに加えて、実戦の経験はまだ少ないが、構えたときの迷いのなさから、鍛錬はそれなりに積んでいるのだとわかった。
相手の情報を油断無く読みとりながら、じりじりとジャックが間合いを詰めていくと、ラスクが攻撃距離と判断して仕掛けた。
一歩踏み込んで間合いに達したラスクは、肩に担いだ両手剣を、素直できれいな軌道で振り下ろしてきた。
ラスクの攻撃に特に悪い点があるわけではない。思い切りの良さも、足の出方や腕の振りも間違ってはいないが、いかんせんジャックが退治してきたウーゴやエイドスと比べると、そもそも速度が足りない。ジャックはほんの後ろに体をずらして鼻先で回避した。
「くっ、やあッ!」
苦もなく避けられたことに、ラスクは一瞬悔しそうな顔をしてからすぐさま二撃目を振る。体をひねって少しタメて左下から斬り上げようとした。
今度の間合いは、ちゃんとジャックの胴体に届き、退いても少なくとも剣先は当たる。
「―――ふッ」
捉えた、とラスクが確信した直前、ラスクにも聞こえないような小ささでジャックは息を吐いた。
ラスクの両手剣がジャックの胴に達する前に、木剣に下から弾かれて、その衝撃でラスクの手から両手剣がすっぽ抜けた。剣は空中にはね飛ばされ、ガラァンガァンと派手な音をたてて落ちる。
ラスクの額には、ジャックの木剣がピタリと当てられている。
「ううん…参りました」
気落ちしたように言ってから、ラスクは剣を拾いに行こうとしたその時、ジャックはまだ終わってないとばかりに剣を振り上げて、追い打ちをかけてきた。
背中に殺気を感じたのか、ラスクは剣を拾い上げる直前に、振り下ろされる木剣を避けた。
「えっ?!どうしたの?」
「いやいや、悪さをしようというわけではない。モンスターが相手なら、実戦なら、武器を拾いに行った冒険者にも迷わず食って掛かるであろうと考えてな……そら、時間も限られている。ならばできるだけ『実』のある想定で、だッ!」
言っている意味を理解したラスクが両手剣を拾うと、またもやジャックは追撃をかける。
その攻撃で終わらせるつもりはないため、緩めに振った。ラスクは結果的に避けて距離をとって構え治す。
「なんか、ちょっとジャック君は恐いね。でも真剣だ……ありがとう」
「なに、当然のことだ。―――しぃッ!」
ジャックが瞬時に距離を詰め、面にめがけて打突する。ラスクはその一撃をギリギリで受けて、木剣をはね除けようと力を込めた。
だがしかし、受けきられたと悟るや、ジャックはすぐさま左に体と手首を切り替えて、ラスクの体の横を抜ける。抜けると共に、ジャックは鋭く胴切りを見舞ったが、強くは打たず革鎧の表面を滑らせるように打った。
ピシュンッ
すり抜けざまに胴を打たれたラスクは、一瞬痛みが走ると覚悟したが、痛みは無いことに気づいて鎧の脇腹の部分を見る。擦れたような跡が付いていたので、今のもジャックの勝ちだろう。
だがラスクも諦めるつもりはない。再びラスクは後ろを振り返って、ジャックに対して構える。ジャックは最初から、剣尖をピタリとラスクの喉に当てるような、気の抜けない構えをしている。
じり、ざり、と両者は構えを崩さないまま進んだり退いたりを繰り返していたが、
「1分を切ったぞ」
ギルド員がそう告げると、ラスクが動いた。
「ヤアアァァッ!」
従来通りの両手剣を構えての突撃。だがジャックはラスクの体勢を観察していて、ほんの少しばかり姿勢が低いことに気づいた。何かを狙っていると感づいた。
突っ込んでくるラスクは間合いに入る直前、剣を振り下ろすかと思いきや、いきなり左の足で急ブレーキをかけた。さらにその反動で、体をさらに前傾させてひねり、右から大きく薙ぎ払ってきた。
「むッ!」
渾身の薙払いがジャックに迫り、一瞬ジャックは迷った。迷ってしまってから、後方に退がりながら跳躍する。
ジャックは直撃は避けたが、爪先に剣がかすって痛みが走った。それでもジャックは空中で体勢を立て直した。真後ろで見物していた冒険者のすぐ目の前に着地する。
驚いた冒険者が尻もちをついたが、目もくれずジャックは全力で踏み込んだ。
「ちぃいやっ!」
薙払いが当たらず体勢を崩していたラスクは、ジャックの諸手突きを胸でまともに受けた。
ぐぅっとラスクは息を吐き出し、後ろへ倒れる。急所ははずしたジャックだったが、寸止めるまでの余裕が無かった、いや失わされたと言ったほうが確かだ。
最後の最後で、ラスクはジャックに一太刀だけ当てたのだ。
ジャックは痛みと息苦しさにうめくラスクのもとに駆け寄り、しゃがみ込んで介抱しようとした。
「大丈夫か?…済まなかった」
「いや、いいんだ」
介抱しようとしたジャックの腕をのけて、ラスクは立ち上がろうとした。手を貸そうかとも考えたジャックだったが、ラスクの訴えるような目を見て、手を出さなかった。
ゴホゴホと咳をしながらでも、ラスクは時間をかけて一人で立ち上がった。
「僕からやろうって言ったんだよ? 自分からやろうとした行ったことで、相手に寸止めしてもらおうって考えてない。僕は弱虫じゃないよ、ジャック君」
強い口調だった。しかもそれはただの怒りや強がりといったものではなく、自分の意志を持った一種の宣言めいていた。
どことなく幼げで、甘い環境で育ってきたような雰囲気をこの少年に感じていたが、色眼鏡は自分の方だったとジャックは思い知った。
「ふむ、そうか。ならばそんな覚悟をけなしてはいけなかったな…すまなかった。でも、そろそろこの場を開けなくてはいけないから、そのために手は貸そうか……今度は労りの気持ちではないぞ」
そう言って体を屈ませ、ジャックはラスクの腕の下に潜り込み、肩を支えて歩いた。
二人が訓練場の中央から離れようとすると、いつの間にか円になって模擬戦を観戦していた冒険者のうち誰かが拍手し始めた。それから次第に拍手が広がっていき、ジャックとラスクはキョロキョロとしたり、それとなく頭を下げたりした。
やがて円の一部からマーシュの顔を見つけたジャックは、ラスクをしっかりと支えながらマーシュのもとに向かった。避けてくれた冒険者たちに頭を下げつつ、ジャックはマーシュのもとに着いた。
「なんの騒ぎだと思って降りてきたらよ、やっぱりジャックだったか」
「はい。できればこいつを介抱してあげたいのですがよろしいでしょうか」
「この子か? おいおい、ずいぶん辛そうだぞ。何したんだよ。おーい、大丈夫か?」
「は、はい…いや、でも介抱は…」
ラスクは自分は大丈夫だと言おうとしたが、ジャックとマーシュから見て、とても辛そうだった。
「いーいー、別にいーからな。いや本当に何したんだよジャック」
「その、木剣で胸を思い切り突いたのです」
それを聞いたマーシュが突然、ジャックに向かって愕然とした表情をした。信じられない、といった目でマーシュは見てくるので、ジャックは慌てて手を振った。
「いやいや余裕が無かったのです。寸止めれば一番良かったのですが、つい、このように…」
弁明しようとしたジャックだったが、マーシュはさらに呆れたような顔をした。その後はマーシュがラスクを抱えて訓練場を出て、3人はギルド2階にある医務室に向かった。
ギルドの建物の2階には医務室や会議室、さらに図書室等があって、ギルドに所属している冒険者ならば、ある程度自由に使えるのだ。医務室に運んでも特別な手当てができるというわけではないが、ベッドを借りて寝かせるだけでも悪いことではないため運び込んだ。
医務室にいた女のギルド員がマーシュに応対し、それからベッドを使わせてくれるようになって、ラスクをベッドに寝かせた。
ジャックとマーシュはベッドの側に立った。ラスクはくるまるように寝て、突かれた右胸を押さえて苦しそうに呻いている。
幼げな顔をきつくしかめているところから、ジャックはよほど自分の突きが効いたこと、そして一瞬でもムキになって、いらぬ怪我をさせた自分を恨めしく思った。
「…むう、ひとまず冷やさなければなりませぬな。かなり強く突きを見舞ったので、このまま放っておいては痛みが増すでしょう」
ラスクが苦しむ様子を見て耐えかね、ジャックはすぐそこの棚にあった氷袋をつかむと、もう一方の手をラスクの革鎧にかける。
ラスクがジャックに何か訴えようとしたが、ジャックはすばやく革鎧の肩部分にある留め具を見つける。そしてそれをパチンッとはずして鎧を引き剥がした。
「な……は?」
革鎧を脱がせて、いざ氷を当てようとしたジャックは、ラスクの胸部を見ておかしな声が出た。
ジャックが見たのは、自分が突きを喰らわせた箇所ではなく、もっと全体的な、ラスクの胸全体を見て固まった。
そもそもラスクは茶革の鎧を身につけ、丈夫でありながら動きやすそうなズボンを穿いていて、腰には両手剣を差していた。
若干の巻き癖がある栗毛の髪は短く、さらに幼さの残る顔に人懐っこそうな話し方から、自然とジャックはラスクのことを『田舎から出てきた、駆け出しの少年剣士』と決めつけていたのだ。
だが、それは違った。
ラスクは革鎧の下にズボンと同じ材質のシャツを着ていたのだが、ジャックが驚いたのは、男には決してない2つのふくらみがラスクにあった。胸の膨らみは意外と大きく、シャツを押し上げていた。
「お前、そんな」
驚きから言葉がうまく出ないジャックは、マーシュの方を見た。マーシュはやれやれといったように顔を手で押さえていた。いつの間にか白い服を上から羽織っている女性のギルド員も、どことなく生暖かい目でジャックを見ていた。
「おいおいおいおいおいおい、いきなり脱がすとはジャックも意外とやりやがるな」
「と、いうと」
「俺はこの子を抱えて運ぼうとした時からわかったぜ? 俺は鼻が良いからな、『あ、こいつ女の子か』ってな」
「それを何故、教えてくれなかったのですか!」
責めるような口調でジャックがそう言うが、マーシュはいつものいたずらっ子のような笑顔でごまかしながら、ジャックの肩を叩いて誤魔化してきた。
はあ、とため息を吐いて、ジャックはラスクの方をちらりと見ると、ラスクと目が合った。
ラスクはあわてて寝返って、顔を隠すために背中を向けてきた。ラスクが顔を背けたのは恥ずかしさからかなのか、それとも、女だと知られてしまったバツの悪さからなのかは分からない。
そのまま突っ立っているのも落ち着かないので、ジャックはギルド員に任せて部屋から出ようかとマーシュに訊いたが、
「お前はここに残れ」
という答えが返ってきた。理由を訊くと、ギルドの決まりでは訓練中の怪我があった場合に医務室を使うならば、原則、付き添う人間が居なくてはならないのだ。
そんな決まりを知らなかったジャックが、さらにそのルールのわけを質問すると、昔のギルドでは、怪我をした方が治療代を取られるか、怪我をさせた方が治療代を取られるのかで、冒険者同士が争うといったことが頻発したために出来たルールだという。
今ではそんなことはほとんどないと言っても良いが、それでも形式上は、訓練中怪我をした冒険者を1人にさせてはいけない決まりがある。
「まあ、つーわけでラスク『ちゃん』…だな、うん、ラスクちゃんを1人にさせるのはダメだから、ジャックはここに残れ」
「しかしまだ会ったばかりで、治療が終わった後も治療費について話し合えと言われてもどうすれば…」
「ああそうだな、すっかり忘れてたぜ。――――そら」
マーシュが投げ渡してきた袋をジャックが受け取る。ジャラついた感覚から、中に入っているのは銭であることが分かった。開けて見てみると多くの古い銅貨が入っていた。
「それは小遣いだ。全部合わせても特に高いってわけじゃねえから、量が多いからって過信するなよ?」
そう告げてマーシュは手を振って部屋から出た。ドアに隠れる寸前の彼の表情が、楽しそうににやついていたように見えた。
女性ギルド員がさて、と言うのを聞いてジャックは邪魔にならないように部屋の隅にある椅子に座った。ギルド員は様々な器具を取り出したり、変わった色の袋に入れた氷を取り出したりしてラスクの胸の内出血の治療を始めた。
ジャックは椅子に座ってそのギルド員の仕事を見ながら、寝かされているラスクを見ていた。




