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人の持つ牙  作者: 赤胴貫介
ディーセント帝国・騎士団編
103/105

ジャックvsホルン・シンフォニア その2

「じゃあね、剣士ジャックと秀才イブリッツ」


 発射された音の砲弾の向こう側でホルンが笑っている。とてつもない音の振動波が、洞穴全体を震わせながらジャックとハル・イブリッツのもとへ迫ってくる。


 ジャックとハルに避けるという選択肢はない。そもそも2人の立つ足場は狭く、左側は壁になっていて、右側は人を飲み込む激流となっているので、逃げる場所は無い。仮に逃げ場があったとしても、馬を見捨てて逃げては本末転倒だ。


 ゆえに2人は音という比類なく困難な攻撃を、今この瞬間に(しの)がねばならない。


 ハルが叫ぶ。普段の彼からは想像できないような、必死の形相をしていた。


「とにかく相殺するんだ! 叫べ! 斬れ、斬るんだ!」


 そのハルの言葉を聞いて、ジャックも意図を理解する。腹の底から力を込め、喉が震えるほど激烈な怒号を前方に浴びせながら、刀を振り下ろした。


「かぁぁあああーーーッ!!」


 ホルンの放ったff(フォルティッシモ)の音波とジャックの声がぶつかり、音の波の中にわずかな歪みが生まれ、その歪みにジャックの刃がくい込んだ。


 腕の骨が軋むほどの振動がジャックに襲い掛かる。あわや音の波に飲み込まれるといったところで、ハルがジャックの脇から槍を突き出した。ジャックを助けるために槍から魔力波を放って音を迎え撃つ。


 バキィインッ!


 甲高い金属音が響く。無我夢中で叫んで武器を振るったおかげで、2人の体は粉々にならずに済んだが、その代わりにハルの槍先が砕けたのだ。


『僕の槍の方が耐え切れなかったか。けど、ジャックの刀が無事ならば戦える!』


 ずっと愛用していた槍が破壊されても、ハルは即座に次にやるべきことを決めていた。


「ジャック、音の性質は振動だ! 水だろうと風だろうと『何かを』介せば振動は伝わってしまう! それに魔術の質と量もホルンが上だ! 剣で勝負するんだ!」


「応ッ!」


 すでにホルンからハルに攻撃を仕掛けてきたので、ハルも遠慮なくジャックに助言する。戦いはもはや1対1の勝負ではなく、何でもありの殺し合いになっているので、ジャックもハルの口出しにとやかく言わず頷いた。


 ジャックが踏み込んで斬りかかる。魔術も刀も無効ならば、わずかに可能性があるのは刀による攻撃であり、ホルンの生み出す音の壁を意地でも突破しようと、ジャックは息つく間もなく刀を振り続けた。


「うりゃああああっ!」


 怒涛の如く打ち込むジャックに負けじと、ホルンも無数の音の壁を作りながら破壊音波を連射する。


プレスト(急速に)! 8連m・f(メッゾ・フォルテ)ッ!」


 何物も砕く破壊音波と、何物も斬裂する剛剣が幾度となく交錯する。今の両者の間に割って入れば、どんな怪物だろうと粉微塵にされてしまうだろう。


『音の動きはだんだん分かってきた! あとは音の弾幕を切り抜けるだけだ!』


 乱れ飛ぶ音波は振動を察知して避けて、行く手を遮る音の壁をすり抜けつつ剣を振るう。どんなに刀が音の壁に止められても決して諦めず、間髪入れず雨のような剣閃をホルンに浴びせる。


 音の速度はボウガンの矢よりもはるかに速く、簡単に人が回避できる魔術ではない。それでもジャックが避けながら攻撃できているのは、前世で長年培った無駄のない体捌(たいさば)きと、たぐいまれな勝負勘を余すことなく発揮しているためだ。


 ここまで音響魔術が避けられると思っていなかったホルンは、自分が圧倒的に有利な状況でも苛立ちが募り始める。ホルンの表情から少しずつ余裕が失われていく。


「しぶといわね! そろそろ終わりなさいッ!」


 いくらエルフが魔術に長けた種族といえども、魔力を込めて魔術を使用していることに変わりない。ホルンの魔力も無限ではないので、長期戦を避けるために大技を撃つ。


ピュウ・モッソ(今までより速く)、5連f(フォルテ)ッ!!」


 さらに大きく強い音波が発射される。音は見えない力の波動だが、この戦いで何度も避け続けたジャックは、うっすらと飛んでくる音の配置が見えるようだった。


『なっ…でかい! すり抜ける隙間がない!』


 ジャックは見えた音の弾幕に戦慄した。ひとつひとつの音波が大きく、それら全てが重なり合いながら迫っているのが分かったのだ。


 これまでのように身を躱しながら突撃できるものではない。ジャックは何発か音波を受けるのを覚悟して、強行突破を試みた。


 ジャックは愛刀『兎月』の特殊能力を発動させる。柄に埋め込まれたドワーフの宝玉に魔力が流れると、使い手に大跳躍をもたらす宝玉が輝き、瞬間的にジャックの足先が地面を弾いた。


「ちぇああッ!」


 とてつもない爆発力でジャックが前に跳ぶ。全身と刀に魔力を纏わせて、ホルンのみぞおちに目掛けて剣尖を突きつけた。


 ガギィインッ!!


 研ぎ澄まされた玉鋼の刃と破壊音波が正面衝突する。実体のない音に刃を突き立てた音は、洞窟の中をバリバリと震わせるほど凄まじいものだった。


 ハルにも剣と音の衝撃が伝わり、一瞬だけ顔を逸らさずにはいられなかった。


 だがハルはジャックの方にすぐ目を向けた。ジャックは刀を突き出した体勢のままピクリとも動かず、肝心の刃はホルンの鼻先で止まっていた。


「そんな、嘘だ……」


 呆然と立ち尽くしたままハルが呟く。ジャックは人形のように動かなかったが、ホルンが小突くと後ろにゆっくりと倒れた。呼びかけてもまぶたは開かない。両耳から鮮血が流れていて、まともに音波を受けてしまったことを物語っている。


「私の…勝ち、よ!」


 仰向けに倒れたジャックを見下ろして、ホルンが息を途切れさせながら勝利を宣言する。


 潤沢な魔力量を持つホルンも消費が激しかったようで、魔力を失ったことによる疲労が明らかだ。10人の騎士を殺した時も音響魔術を使ったが、ジャック1人にはその時の3倍以上の魔力を使わされた。


『かなり計算が狂わされたわ。ジャックとハルの戦闘力がどの程度か予想していたのに、ここまで手こずる羽目になるとは思ってなかった』


 勝ったホルンが悔しさで下唇を噛んだ。槍を破壊したおかげでハルを倒す難易度は下がったが、ここから洞穴から抜けてヴェルティアに向かっても、トップ争いに食い込めるまで体力が保つか微妙になってきた。


 次の戦いをホルンが思案していると、ハルが弓を構えて矢を引き絞った。槍を失ってもホルンに挑むようだ。


「ハル・イブリッツ、そろそろ、終わりにしない? 私もさすがに疲れたし、相棒を失ったあなたも、ここから1人でレースで勝ち残っても…嬉しくない、でしょう?ほら、来年だって選考大会はあるんだし、諦めてジャックの治療を急いだ方が、懸命よ」


「ふざけたことを言うなよ。レースの勝ち負けはともかく、ジャックの仇はとらせてもらうからな。次は僕が相手だ。ホルン・シンフォニア…!」


 鋭い目でハルはホルンを睨みつけ、矢の照準をホルンの脳天に定める。音攻撃による聴覚障害はまだ治りきっていないが、ハルはレックフリード卿を撃破した『竜の息吹』を使って一撃で仕留めるつもりだ。


「ふ、ふふ、もしかしたら諦めてくれると思った、けど、あくまでも戦う気なら、仕方ないわね! 喰らえ! 3連…」


 ハルに遅れまいとホルンが魔力を込める。主な武器を失ったハルならば残りの魔力で倒せると踏んで、音の障壁と破壊音波を生み出し始めた。


 しかしホルンはそこで妙な点に気づいた。生み出した音がどうにもボヤけて(・・・・)いるのだ。


『なんなの、これ、は?』


 感じ取った異常の原因を考えても答えに辿り着かない。むしろ思考が思うようにまとまらず、現実の視界すらも白い(もや)のようなものが映っていく。


「はぁっ……はぁっ……なん、で?」


 肩で息をしながらホルンは疑問を口にする。音のボヤけに対する疑問ももちろんだが、それよりも、急に呼吸が苦しくなってきていることに驚いていた。


『洞穴の中で戦い続けたから、空気が、薄くなった?』


 ホルンはこの洞穴内部の酸素が減ったのではと考えた。戦えるほど広いといっても、所詮は閉鎖空間である。いつまでも3人分の酸素が確保できるものではない。


 それでもこの息苦しさは不自然だ。かなり激しくジャックとホルンは戦っていたが、その時間は5分ほどでしかないので、酸素が欠乏したとは考えにくい。


「もしや……っ!!」


 ホルンの頭の片隅にあったわずかな危惧が警鐘を鳴らすと、ただちに倒れているジャックに目を向けた。


 完全に意識を失っていてもジャックは刀を手放していない。勝負に身命を賭けた闘志の凄まじさにより、再起不能になっても刀を右手で握ったままでいるのだと、ホルンもハルもそう思っていた。


 しかしそれは勘違いだった。ジャックの刀からは風が生まれていて、服の袖が静かに揺らめいていた。


「こいつ、まだっ、生きて…!」


 いきりたったホルンがレイピアでジャックを刺そうとしたが、突如生まれた疾風とともに、ジャックの体が宙を(ひるがえ)った。


「うっ?!」


 予兆もなく吹き抜けてきた風にホルンは思わず怯んだ。その強い風は意思を持った動きがあり、まるでホルンが扱う音響魔術のように自由で臨機応変なものだった。


 ふわりとジャックの体が舞い上がって着地する。何事も無かったかのように立ち、刀を握ったままだらりと両腕を下げている。


「…ジャック?」


 突然の復活を果たしたジャックの背中に、ハルが恐る恐る声をかけた。


 ジャックは静かに首を傾けてハルに振り返った。いつものジャックと同じ顔だったが、目の奥にはハルでは推し量れない深い『何か』が見えた。


「すまなかったな、ハル。もう大丈夫だ」


 淡々とした声だった。だがハルの背筋は一気に総毛立った。


 ぷしゅっ……ぴとんっ、ぴちょんっ……


 さらに不可解な現象が起こる。ジャックの首を1周した切り傷が浮かび上がり、その傷から生々しい鮮血が噴き出したのだ。てらてらとした赤い血の粒が首筋を流れ、ジャックの襟元を染め、ついには地面へと滴っていった。


 そして流血に比例してジャックから魔力がふつふつと湧き上がっていく。


 ハルもホルンも言葉が出ない。突然のジャックの復活、首からの謎の出血、得体の知れない魔力……状況判断の良い者たちでも理解が全く追いついていないのだ。


「エイドスとやり合って以来か……ふふふっ、やはりこの傷は世界を越えても俺につきまとうものらしい。まったく忌々しいものだ」


 ぶつぶつと語るジャックの視線は虚空を見つめていて上の空だ。先ほどのように刀を両手でしっかり構えることもせず、だらけきった状態で幽鬼のように立ちつくしている。


「……っ! 3連m・f(メッゾ・フォルテ)!」


 薄気味悪いジャックに戸惑っていたホルンだが、すぐに我に返って音波攻撃を仕掛ける。


「ふん」


 ジャックはホルンが音波を撃ってきても、避けようともしないで黙って立っていた。間違いなく破壊音波がジャックの体に当たると誰もが思った時、音波はジャックに当たる直前で霧散してしまった。


「えっ?!」


 どんな物質でも破壊する音波が消えてしまい、激しくホルンは動揺した。自分は嫌な夢でも見ているのではと、この現実を疑わずにはいられなかった。


 一方、ジャックは音波が消えたことに驚いてなかった。さも当たり前だと言わんばかりに平然としている。


「ホルン、もはや音は通じぬぞ。やめておけ」


「ふざけた、こと、言わないでッ!」


 なおもホルンは音を連射する。岩をも砕く音波が何発もジャックに襲いかかるが、どれもジャックの体にたどり着く前に、煙のようにボヤけて消し飛んだ。


『いったい何の手品?! 急に音波が、消えるなんて、ありえない!』


 必死に音波が通じなくなった原因を考えても、ホルンは答えがなかなか見つからない。それに伴って動揺が大きくなり、さらにホルンの呼吸が苦しくなっていき、ついには一息吸うことすら困難になってきた。


『呼吸苦、空気……いや、まさ、か…そんなことが有り得るの?!』


 ホルンがジャックの右手に注目する。依然としてジャックの右手と刀からは、奇妙な風の流れが発生している。


 ようやくホルンはそれがただの風ではないと理解した。


「あなた、この洞穴内にある空気を、吸い込んでいるの?! その風、は、吹きつけている風ではなくて、吸い込む風だとでも?」


 息も絶え絶えのホルンがジャックを問いただす。


 ジャックはホルンの問いに頷き、刀を自分の顔の前に掲げてみせた。


「気づいたか。その通り、この風は辺りの風を取り込む働きをしている。大気を運ぶ風すらも消え去れば、音といえども伝わるまい」


「そんな能力、どうして、今まで隠して、いた?!」


 ホルンが怒鳴りあげるのも無理がない。


 この状況をホルンの立場から見れば、これまで真剣に戦っていたジャックの態度が全てウソっぱちであり、今までわざと苦戦しているような一芝居をうっていたと考えてもおかしくない。


 もし真剣にホルンと戦うつもりだったなら、さっさと音を封じる風魔術を使っているはずだった。


 しかし当のジャックが首を傾げて、ホルンのことを不思議な者を見るような目をした。


「何を呆けておる。これはお前の述べたことだろう」


「……え?」


「魔術とは想像力が肝要で、自分の想い通りになるものだとお前は述べたではないか。俺もお前に習ったのだ……思えば、俺の魔術の師匠も想像力を大事にする方だった。近頃の俺は実戦を経ていくうちに、使いやすい技だけを編み出して、次第に想像という基本を疎かにしていたようだ……恥ずべきことだ。いつまで経っても『初心』というものは大事なことだな」


 ジャックは目をつぶって語り、記憶の先に魔術師ダリアの姿を思い浮かべる。


 ダリアは歳上とは思えないほど、無邪気で好奇心旺盛な女性だった。そしてエイドス襲撃の際にはとても世話になり、ジャックから見ても心強い師匠だった。


 想像力。魔術を創ることにおいて、それは基本であり奥義であるのだが、この世界の人間社会は時として効率化を目指すために、魔術の手助けである術式や理論の方を、ついつい重要視してしまう。


 逆にエルフ族は先祖代々、日常と魔術が密接に関係している。たいていのエルフは呼吸をするように魔力を発し、会話するように魔術を扱うので、魔術に対する意識が人間よりも真理を得ていると言える。


『こいつ、こんなにも早く、私たちエルフと、同じような水準(レベル)まで、魔術能力を高めたとでも言うの?!』


 常識外れな成長にホルンは困惑する。ジャックの最大の武器は刀剣を扱う技術であり、魔術は遠距離攻撃の一手段に過ぎないとホルンは分析していた。


 実際に水牙も空刃もホルンの命を脅かすものではなく、刀による攻撃の方がまだ怖かった。


 だが現実は恐ろしい進化をもたらした。


 今やジャックは想像力を克明に働かせ、魔力を繊細に扱うことができるだろう。風と水の魔術を自分の思い通りに応用して、ホルンと同じように、自由で多彩な魔術を生み出せるだろう。


 基本というものを再び深く見つめ直し、そこから真理を探り当てた者ほど恐ろしいものはない。


「さあ、吹き溜まる風は虚無となれ。斬られ、吸われ、塵も残さず消え去る(・・・・)がいい(・・・)


 そう言ってジャックが刀を緩やかに振るうと、刀から発する風の魔力が辺りの大気を容赦なく吸い込んでいく。禍々しい怪物が獲物たちを際限なく丸飲みするかの如く、特に刀を振った範囲内の空気を喰らい続ける。


「させ、ないぃっ! 2連f(フォルテ)ッ!!」


 先ほどよりも強烈な音波をホルンは放つが、ほとんど真空状態となったジャックの周囲に、破壊音波は全く伝わらなかった。


 真空状態に近づくにつれてお互いの声すら届きにくくなり、ジャックは唇の動きでホルンに意思を伝えようとする。


(もう、やめたほうがいい)


 そんなジャックの唇の動きを読んでも、ホルンに勝利を諦めるという選択肢は無かった。


『まだ、逆転する可能性はある! 魔術の構成力と想像力は私の方が数歩先を行っているのよ!』


 ホルンは最後の賭けに出た。今のジャックと純粋な魔術勝負で勝てる保証は無く、このまま負けるくらいなら、この洞穴ごと音波で破壊する方が良いと思いついた。


『ジャックとハル・イブリッツは、確実に、生き埋めになる! 私にも危険は及ぶけど、2、3回m・f(メッゾ・フォルテ)を使って、岩を崩せば、私だけは瓦礫から脱出できるわ!』


 この時のホルンが浮かべたイメージは『爆発』である。四方八方に等しく魔力が行き渡り、空気も水も岩も人間も、あらゆるものを爆砕して塵と化す光景を、人生で最もリアルにイメージした。


 悟られて阻止されるわけにはいかないので、ホルンは急速に魔力を集中させて、ただちに最大の破壊音波を全方位にバラまいた。


「ーーー崩れろ! エネルジコ(力強く)ff(フォルティシモ)ッ!!」


 ホルンを中心とした音の大爆発が生まれる。洞穴を完全に内部から崩してしまうほどの音波振動が発生する。


 ヒュォオウウッ!


 ただ、それも爆発が完全であればの話だ。


 ジャックは最後のホルンの企みを察して、少しだけ早く周囲の真空状態を完成させた。あと1秒でも遅れていたら間に合わなかったが、ホルンの音響爆発よりもジャックの刀の一閃の方が素早かった。


 結果として爆発は小規模なものに抑えられ、洞穴の天井は崩れなかった。


 そして事態はこれだけでは終わらない。


 真空の結界となったジャックとホルンの周りを、ぶくぶくと泡立つ水が旋回し始めたのだ。


 魔力をほとんど使い切ったホルンは膝をついた体勢で、真空の空間で羽虫のように飛び回る水滴に驚いていた。


『これは?!』


 もうすでにホルンの心と体はこの事態に追いついていない。何らかのジャックの働きによるものだと分かっていても、体は逃げようとしないし、脳もこの光景を適切に処理してくれない。


(お前の発した音を利用させてもらうぞ)


 空中に水の流れを生み出したジャックがそう呟く。


 水滴はジャックが水魔術で創ったものだが、空中を自在に飛び回って見えるのはジャックのせいではなく、実はホルンの音によるものである。


 真空状態の範囲内では音は消えてしまう。しかしその真空の中に音を伝える『水』があれば、音はその水がある場所だけを進んで、何度も回り続けることになる。


 いわば周囲を飛び回る水滴は、ジャックがあえて真空の空間に用意した音専用の(・・・・)モノレール(・・・・・)なのだ。


 キシュンッ! ピキキキィッ!


 そして真空中にある水は沸点が著しく低くなる。常温でも盛んに沸騰するようになり、ついには気化した熱喪失により、泡立っていた水滴は美しい氷の結晶となった。


(ふむ、大気が消え去れば水は氷になるのか。よく分からんが面白い現象だ)


 前世が武士のジャックに科学知識はない。しかし水から氷に凝固しても、音を伝える役割さえ果たしてもらえば充分なのだ。


 パキィン! バリィンッ! ビキキィンッ!


 ホルンが撃った破壊音波は止まることなく、空中に浮かんだ氷の道筋を砕きながら進んでいく。


(そら、お前に返すぞ)


 さらにジャックは水滴を追加して、ホルンの目の前に一直線の道を作った。音は路線を変更して、新しい水滴の道の中を嬉々として走り抜ける。


「あっ!?」


 こちらに向かってくる水を見て、ホルンはとっさに首を傾けた。


 ズドォオオンッ!


 使い手であるホルンに返却(・・)された音波が、直前までホルンの顔があった場所を通過して壁に着弾した。音が着弾した壁は、寒気が走るほど綺麗にくり抜かれていた。


 水と氷のレールの上を進んでいた音波は、元々はホルンが放った最大級の爆発音波である。その音波がレールによって直線の列となることで、一点に破壊力を集中させた弾丸となったのだ。


 ホルンの耳にあったオオトカゲのピアスが落ちた。音の弾丸はホルンの長い耳を掠っていたようで、ピアスとともにホルンの耳の肉片が地面に転がった。


 落ちた血染めのピアスに目を奪われたホルンが、ふと目の前を見上げた。


 見上げた先にはジャックが立っていた。すかさず距離を詰めたジャックは刀を上段に構えている。顔は影になっていて見えないが、計り知れない殺気と集中力が滲み出ている。


 それは火の構えと呼ばれている。機があれば渾身の一刀を振り下ろす備えである。


 ホルンは一度立ち上がろうとしたが、足に力が入らなかった。まさに蛇に睨まれた蛙というものだ。


「……」


 それでもジャックは刀を振ることなく黙っている。ホルンがレイピアを握り直して立ち上がるまで、辛抱強く見届けた。


(お前が手段を選ばない戦いを徹底したゆえ、俺も少々意地になったぞ。この後に及んで降参は認めぬ。その剣で打ちかかってこい、半端者め)


 呼吸すらままならない真空の中、ジャックは唇を動かしてホルンを挑発する。


 ふるふるとホルンの頬が怒りで震えだす。


 この時点で自慢の音響魔術は封じられ、呼吸すらまともにできず、すでにホルンは肉体も精神も限界だ。


 しかし一剣士としてこの戦いを降りるわけにはいかない。いくら勝利のために手段を問わないホルンであっても、ここで白旗を振って生き恥を晒すのは耐え難い。


 ゆらりとホルンは立ち上がって剣を構える。


『ただ一撃だけ!それだけさえ、あれば、勝てる!』


 ホルンにはまだ勝算が残っている。剣と剣の純粋な速度勝負なら、ジャックの刀よりホルンのレイピアの方が上だった。攻撃に出るタイミングさえ見誤らなければ、ホルンのレイピアが先にジャックの胸を貫ける。


 真空の暗闇で構えた両者が対峙する。


 泰然不動と刀を上段に構えるジャックと、体を半身にして膝を沈めた態勢から狙い定めるホルン。


「……」


「……」


 制するのは天から振り下ろされる刀か、それとも地から命を刺し貫く細剣か。


 ホルンが意を決したまさにその時、ジャックの一太刀がホルンの右腕を斬り飛ばした。


 ベシャッ! カランカランッ……


 右腕は血飛沫とともに地面に落ちる。右手で持っていたレイピアも腕と一緒に地面を2、3度跳ねてから、カラカラと金属音をたてて転がっていく。


 気がつけば勝負は決していた。どれだけ見ても右肩から先が無く、代わりに鮮血が湯水の如く噴き出している。


「……えっ?」


 おそらく今のホルンには理解できないだろう。いざ攻勢に転じようとした刹那、ジャックはその意志を読み取っていたのだ。さればこそ、剣の速さで勝負する以前に、呼吸の読み合いでジャックの勝ちが決まっていた。


 誰であろうと攻撃しようと考えつく時、意識がかすかに『無』となる瞬間が現れる。


 その一瞬にジャックはホルンの腕を斬り捨てたのだ。


「うぅ、あっ…」


 利き腕は切り落とされ、呼吸はできず、音響魔術も封殺された。ホルンが倒れながら顔を見上げた先には、刀を鞘に納めたジャックが立っている。


『強過ぎ、る……私、が…負けるなんて……』


 意識が真っ暗な闇に堕ちていく中で、ホルン・シンフォニアは完全なる敗北を受け入れざるをえなかった。


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