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人の持つ牙  作者: 赤胴貫介
ディーセント帝国・騎士団編
100/105

水の都へ至る決戦の朝

お待たせしました!

連続投稿1話目です!

 今日、帝国騎士選考大会は1つの山場を迎えることになる。


 黒い曇天の空が重苦しい緊張感を醸し出す中、港湾都市ヴェルティアを目指す出場者は、朝もやを切り抜けながら東へと馬を駆る。昼食を呑気に楽しむ者はいないだろう。1分1秒でも早くヴェルティアに到達することで、未来の騎士としての評価が上がるのだから。


 ちなみに、帝都からモルト公爵領まで続く総距離は5000kmにも及ぶ。その道中にはチェックポイントとなる場所が10ヶ所ある。チェックポイント間の道のりは多少の差があるが、スタート地点の帝都からヴェルティアまでの距離は比較的長い。距離が長い理由としては、道中の交通が楽だということに尽きる。超えなければいけない山地も少なく、街と街を結ぶ道も整備が行き届いている。


 そんな街道を高みから見下ろしながら、帝国貴族の乗る飛行船はヴェルティアへ向かっていた。馬よりもはるかに速い飛行船でヴェルティアまで先回りして、最も見晴らしの良い位置でトップ出場者を観るためである。


 帝国の科学技術は数々の国が乱立する大陸の中でも随一だ。大陸の2大国家と呼ばれるファルス王国とディーセント帝国の間でも、兵器などの技術力は7年の差があると言われている。


 魔石の産出量や魔道具の普及率は魔導国家イアティスなどに劣るものの、大陸一の領土と人口を活かすことで、帝国は魔導兵器の開発も先進させている。


 飛行船もその誇るべき技術力の一端でしかない。特殊加工された魔石を魔導具と科学技術を複合させて、無駄のない魔力供給率を確保する燃料機関を造り、それを用いて巨大な飛行船を浮上させることに成功した。


 浮力と推進力を得た巨大な船は、さらに高度を上げて飛行することが可能になり、現在は山よりも高い高度を維持して飛ぶことができる。


 その飛行船は空を飛びたいという人の夢を叶えた。一部の優れた騎士が竜に乗って戦うことはあったが、どんな人間でも乗れば空へ往ける乗り物は、大陸中を探してもディーセント帝国にしかないだろう。


「おおーーっ! すんげぇ見晴らしだぜ、おい!」


 南チェルスク領の男爵ホルザードが甲板の際に立ち、飛行船の直下の景色に感嘆の声を上げた。南の海で軍船を乗り回すホルザードにとって、帝都の技師たちが造った空飛ぶ船は新鮮だった。


 他の地方諸侯たちはホルザードを遠巻きに見ている。大抵はホルザードの奔放さに眉をしかめているが、そんな彼らも飛行船に乗った高揚感を必死に抑えているのだ。諸侯はほとんどが貴族位を得ている人間なので、公の場で恥をかきそうな行動を嫌っているだけだ。


 もしも立場の無い人間になれたならば、それこそホルザードと一緒になって騒いでいる者もいただろう。


 ちなみに飛行船は馬より速く飛んでいるので、甲板に立つだけでも強い風圧が襲いかかる。高さに恐れて船室に閉じこもっていると思われたくないため、大部分の諸侯たちは意を決して甲板に出ているが、彼らは立っているだけで精一杯だった。


 この強風の中で好き勝手に動き回るホルザードの体力が、諸侯たちよりはるかに強靭なのだ。


「お前らも早く来いよ! ほら、ほら! 大洋で軍船をかっ飛ばすより心地いいぜ!」


 そんな周りの葛藤を無視してホルザードは叫ぶ。あろうことか面識の少ない諸侯たちを無遠慮に手招きして、自分と同じように景色を眺めさせようとする。


 男爵でしかないホルザードのこの言動に、1人の伯爵が苛立ちを感じて前に出る。いくら珍しい飛行船のせいで興奮しているとしても、はるかに貴族位が下のホルザードは、格上の貴族に対する言葉を気をつけなければならない。


 子どものようにはしゃぐホルザードに、その伯爵が文句を言おうと近づくが、背後から現れた峻烈な雰囲気がその伯爵の歩みを止めた。


「ふふ、楽しんでもらえたかしら」


 船室の扉から甲板に出てきたのはシャルロット・モルトだった。今のシャルロットは開会式の時のような甲冑姿ではなく、高級な旅装束の上に豪奢なローブを羽織っている。貴族が私有地で狩りをする時と同じ服装だが、シャルロットが着るだけで服飾自体が数段階も優美に映える。


 しかし絶対強者である彼女が纏う鋭利な空気は、甲冑を着て武装している時と変わらない。シャルロットが近くを通るだけで、甲板に集まっていた諸侯たちの背筋が伸びるほどだ。風でたなびくローブの裾すらも、諸侯たちにとっては決して触れえない次元の物に思える。


「おう、将軍殿!」


 シャルロットが船室から出てきたことに気づいて、ホルザードが大きく手を振る。帝国の高みにいる将軍に対する態度ではないが、シャルロットは気にせず微笑みながらホルザードに歩み寄る。


「ほんとに凄いぞ、こんなもの造る帝都の力に恐れ入ったぜ。あんたみてぇな人がいてくれるから、この国は安泰なんだろーな」


 厳しい風貌に似合わずホルザードはキラキラと目を輝かかせ、この飛行船を造る技術力を手放しに賞賛した。素直な賞賛にシャルロットは微笑んで軽く頭を下げる。


 こういった魔導技術を開発するのは、シャルロット・モルトが統括している部署であり、すなわちこの飛行船もシャルロットの手柄なのだ。


「気に入っていただけたようで何よりです。この飛行船は3番目に造ったものですが、機能面ではほとんど完成形といっあところです。あとはこれを量産すれば、ゆくゆくは帝国の領地全てで配備できるでしょう」


「マジかよ!? じゃあ俺の領地でもこの飛行船に乗れるかもしれないってのか?」


「ええ、いずれ遠くない未来ですよ。10年以内には実現するので」


 自信に満ちたシャルロットの一言に大勢が驚いた。


 少し離れたところで固まる諸侯たちはもちろんのこと、さっきまで物怖じしなかったホルザードすらも言葉を失っていた。冷たい向かい風の音だけが流れていく。


 当然のことだが将軍シャルロットは公人である。帝国三将の1人としての立場があり、その口から出た言葉ひとつだけで国政に影響が及ぶため、話す言葉には責任を負わねばならなくなる。これはどんな貴族も騎士も知っている暗黙のルールなのだ。


 それゆえに爵位ある貴族や騎士たちは『具体的に明言する』ということを恐れる。もし不用意な言葉を社交場で口にしてしまい、その言葉を耳にした他の貴族が責任を追及してきたら、どんな貴族でも相応の対応を払わねばならなくなるからだ。


 この飛行船の甲板には大勢の貴族たちが集まっている。強い向かい風が吹きつける中でも、今のシャルロットが発した一言は全員の耳に届いた。


『じゅ、10年で……帝国全域にこの飛行船を? 本気で言っているのか?』


『あれほどまでハッキリとおっしゃるとは、な』


『なんという自信なのだ。これほどの一大兵器を量産して帝国中に配備するとなると、10隻や20隻では足りないというのに』


『ふ、ふふふ、新参の女将軍と呼ばれて焦っているのでは? 他の将軍2人に負けない手柄を欲するのは分かりますが……』


 まさにシャルロットの一言は大言壮語。そう思った諸侯たちの声を落とした会話は、当のシャルロットには些事でしかない。たとえ陰口全てが聞こえていたとしても、シャルロットは意に介さないだろう。


 地を這う凡人と天上に立つ天才は同じ人間ではない。己の才を十二分に伸ばしてきたシャルロット・モルトにとって、自らに可能性を見出さない愚物は虫けら同然なのだ。有象無象の凡人が未来を諦めている間も、自分は余りある才を起爆剤にして高みへ昇り続けている。


 今の自分の隆盛を止められる者は誰一人として存在しない。同じ将軍のケルル・ファローザとオルセウス・ヴァルサックスだろうと、さらには現皇帝であろうと止められようか。


 シャルロット・モルトの目指すべき頂きとは、常人では夢見ることすら叶わぬものだ。その野望とはディーセント帝国で至強の存在となり、この大陸全てを我が覇道で支配するという一点に尽きる。


 しかも業火の大望を胸の内で燃やしながら、シャルロット・モルトは穏やかな笑みを絶やさない。言いたいものには言わせておけばいい。


「ここに集まられた諸侯の方々、刮目しましょう」


 パンッと手を打ったシャルロットに全員が注目し、目の色が一斉に変わる。


「今日こそ出場者の真価が問われます。出発の時点で目立っていただけならば、所詮はイロモノに過ぎない。ゆえに第1チェックポイントに最速で着いた者こそ、この選考大会の台風の目となるにふさわしい」


 そしてシャルロットは飛行船の甲板を真っ直ぐ進む。暗雲に覆われた空は冷たい風を吹きつけるが、シャルロットは全く意に介さず船首に足をかけて、さらに舳先(へさき)へと進んでいく。


 この危険極まりない行為に一同が息を飲んだ。飛行船の部屋の中から甲板の様子を見ていた貴族たちも、シャルロットが船首の先端に立ったことに、驚いて言葉を失っていた。


 わずかでも足を踏み外せば落下する場所に立ち、シャルロットは前方の空を見据えている。落ちたら死ぬ、という根源的な恐怖を感じていない。


 誰かが叫んでシャルロットを呼び戻そうとした。しかし、それと同時にシャルロットが指先を前に向けて魔力を込めた。


 パチッ! バチチチィッ! バジジジジィッ!!


 途端に至るところで雷光が(ほとばし)る。甲板にいた貴族たちも、周囲がいきなり放電し始めたことに慌て出した。


 シャルロットの人差し指に込められた雷の魔力が膨大な力の奔流を生み出すことで、周囲にある微かな電磁波すらも吸引しているのだ。


「『サジタリウスの明星(あけぼし)』」


 その呼び名を唱えるとともに白き雷玉が撃ち放たれる。雷雲すらも貫いて消滅させるのではと思うほど、シャルロットの撃った雷玉は暴れ狂って飛んでいく。


 この中で最も屈強なホルザードですら、渦巻く放電の余波で体が震えたほどだ。突き進む飛行船の甲板で浴びた風圧を物ともしなかったホルザードだが、シャルロットが撃った雷玉の衝撃はその何倍も(こた)えた。


 雷の塊はいくつも山を越えた先にある空の上で炸裂した。しかし炸裂しても完全に霧散することなく、細かい雷光の粒子が夜の星々のように浮かび続け、空中で嬉しそうに漂っている。


「あ、あれは……?」


 シャルロットが雷光を放った意図が読めず、周りの者たちは困惑していたが、当のシャルロットは素知らぬ顔で舳先を渡って、甲板まで戻ってきた。


「将軍殿、今のは一体なんのつもりだったんだ?」


 唖然としている貴族たちが声をかける前に、ホルザードがシャルロットに質問を投げかけた。シャルロットは快く答えた。


「なに、祝砲のようなものですよ」


「祝砲?」


「ええ。あの雷魔術は人を傷つけるために撃ったものではなく、水の都ヴェルティアを指し示すためのものです。あの光の真下には水の都があります。出場者も、都市の住民も、飛行船で観覧している皆様にも分かりやすいように、あの雷光の目印を作りました。あの光の星々は丸1日消えないでしょう」


 さらりと言ってのけるシャルロットだが、やってのけたことは並大抵ではない。あの規模の魔術を撃つ人間は世界でも中々いない。また、そんな魔術をただの目印にするために撃つのも、普通ではありえない発想だ。


 しかし雷の粒子がヴェルティアの上空を輝かせたことで、今日の勝負の注目度は高まるだろう。


 現に都市にいた平民たちは美しい雷光の星々の出現を目にしたことで、熱狂と歓喜の坩堝(るつぼ)と化した。


 これまで帝都に集中していた選考大会の利潤を、シャルロットは大会システムをレース形式に変更することで、様々な地方都市にその利潤を分け与えた。俄然と高まっていたシャルロットの人気は、この雷光のパフォーマンスにより絶頂を迎えていた。


「ウォォオオーーーッ!! 将軍ッ! 将軍ッ!」

「将軍閣下、万歳! 万歳! 万歳!」

「シャルロット・モルト様ーッ! 最高だぁあ!!」


 街中の人間が空を見上げて叫ぶ。喉が枯れるまで女将軍の力を讃え続ける。


 選考大会のチェックポイントとして選ばれた都市ということで、大会が始まった時から住民の関心は高かったが、このシャルロットの贈り物は住民全員の心を掴んだ。


 もちろんヴェルティアに配備していた大会関係者は、シャルロットが行うことを住民に知らせていた。そして関係者たちも光が散りばめられた空を見上げて、シャルロットの強大な影響力を改めて感じていた。


 シャルロット・モルトは目を閉じてその光景を思い浮かべ、人知れず口角を上げる。ここまでは順調である。この大会は己の権勢を高める素晴らしい足がかりであり、失敗は絶対に許されない。


 飛行船の甲板の先頭に立ち、前方の光へ視線を向けて号令をかけた。逆風が吹き荒ぶ中でも、その威厳ある怜悧な声は飛行船に乗る者全てに届く。


「全速前進ッ! 我らは天空から未来ある闘士たちの価値を見定める者なり! 水の都ヴェルティアは登竜門である! 我らこそが門の監視者となり、帝国の未来を輝かせる一助となるのだ!!」


 偉大なる指導者の声や仕草というものは、あらゆる者を大なり小なり惹きつける。所作ひとつをとっても価値が生まれ、下々の存在の意識を強烈に変化させる。


 シャルロット・テスカトリ・モルトという女は、まさにそれを体現した人間だ。ひとたび指令を発する彼女の声により諸侯たちの背筋は伸び、その胸の内に感動をもたらす。


 飛行船の個室でそれぞれ余暇を楽しんでいた将軍2人も、甲板から届く魔力と威圧感を敏感に感じ取っていた。シャルロットの気勢はそれほど鋭く大きく伝わるのだ。


『あの女の支配力……内心どう考えているのかはともかく、周りの者に与える影響は侮れないな』


 最高級の調度品に囲まれた一等客室で、仮面の将軍ケルル・ファローザがそう呟く。座っているファローザは手の中でワイングラスを弄び、今後の計画を脳内で練っていた。


 シャルロットが人狼エイドスから配合された魔物を買い取り、怪しげな研究を行っているのではと疑っているファローザにとって、シャルロットの権力が強まるのは困る。


 ファローザは帝国三将の中で最も目立たず、影ながら実力を発揮してきた男だ。誰よりも裏から帝国の脅威を取り除き、帝国の表舞台を守ってきたのはファローザだ。この男ほど帝国に忠誠を誓っている者はいない。


 それゆえにファローザは他の将軍と比べて権力が小さい。皇帝や宰相からは絶大な信頼を勝ち取っているが、味方の数はシャルロットに完全に負けている。


『いざとなれば、多少強引な手を使ってでもシャルロットを消すしかない』


 ファローザの心は騎士に叙任された時から、帝国のために命を賭すと決まっている。抜き差しならない有事の際には、ファローザが率いる隠された部隊が皇帝の命令を遂行するのだ。どれほど困難な汚れ仕事であろうとも、その裏部隊は狂信的な忠誠を胸に秘めて任務を達成してきた。


 同列の将軍シャルロットですら、ファローザから見れば監視すべき存在であり、もしものことがあれば即座に粛清する対象でしかない。いつでもファローザの目は帝国にとって良からぬ輩を見張っているのだ。


『あくまでも私は帝国と陛下を守る。現在の帝国の国力は、ファルス王国をはじめとした周辺国家が全て手を組めば、十中八九は敗北してしまうだろう。今は他の国々に攻め込まれる理由があってはならない。そして、何より配合生物によって国自体が自滅する恐れがある。配合生物を危険視されて周辺の国に睨まれるより、その方がかなり危険だ』


 人狼エイドスが作り上げた魔物や人間を配合させる技術は、とても強力で恐ろしい。それはただ兵力になるだけではなく、生態系すらも乱し、この世界の文明すらも揺るがしてしまうものだ。


 さらに別々の種を配合して新たな種を生み出しているということは、理論上はどんな生物でも掛け合わせることが可能ということになる。


 もちろん使いようによっては帝国を大陸最強に、もっと上手くいけば世界最大の武力国家にすることも可能になるだろう。


 だが、その理想はあまりに甘くて危うい。冷静に考えれば配合生物が帝国で手に負えなくなり、人間社会の根底を覆して乱世になる可能性のほうが高い。


 そして大抵の人間は頭で分かっていても誘惑に弱く、都合のいい未来を思い描いてしまう。ファローザが危惧しているのはそこだった。


『だからこそ、別種族の配合技術は禁忌でなければならない。帝国のためにどんな小さな芽でも摘み取る』


 今回の選考大会はシャルロットの故郷、モルト公爵領に入る最大のチャンスである。


 配合生物の密輸と研究は後暗い行いであり、まだまだ公にできるものではない。ファローザの監視下に置かれている帝都で行っているとは考えにくいため、おそらく研究所はモルト公爵領にあるとファローザは推察していた。


『予定より準備を早めるか。公爵領に潜入して配合研究を調査するためには並の準備では足りない。シャルロットの子飼いとぶつかる可能性も視野に入れなければ……』


 思索するファローザの表情はいつでも仮面の内にある。絹糸も及ばぬ滑らかな白髪と色白な素肌から、人々は仮面の内にあるファローザの容貌を美しいものだと想像する。


 しかしその本性は誰も知らない。一説によれば人間ではないと言われているファローザの正体は、長い間隠されている。帝国三将の中で最も謎多き存在であり、その力と能力と人間性は未知なのだ。


 人知れず帝国の影を操る彼の表情は、一体どれほど酷薄なのであろうか。



 ***



 シャルロットが『サジタリウスの明星』をヴェルティアの上空に発生させたことを、チェックポイントの1位通過を狙う出場者たちは一斉に気づいた。


 自分たちの目指す水の都の方角に、突然に絢爛と輝く星々が確認できた。ほとんどの出場者はシャルロットの意図を理解し、さらに闘志を燃やす。


 あれほど光り輝く目印が出現したということは、大会関係者と都市の住民の注目度が格段に上がるのは間違いない。1位で到達した者には惜しみない賞賛と期待が寄せられ、大陸最大の国家ディーセントの正統騎士になる未来が、一気に現実味を帯びてくるだろう。


 そう、誰もが都市ヴェルティアを1位で通過することを狙っている。虎視眈々と機会を伺い、隙あるものの背中を引きずり下ろし、あるいは何か犠牲を払ってでも、自分だけが這い上がっていこうとする者たちばかりだ。


 魔導一族の令嬢ルイーネ・マリアクラスタと、強力な魔馬を従える少女ラスク。この2人もまた、誰にも負けずトップ通過することを目指す。


 朝方に街を出発した2人は現在、他の出場者を大きく突き放すペースで都市ヴェルティアに向かっていた。森の中にできている街道を一気に突き抜けている最中だ。


 普通であればヴェルティアまで馬の脚が持たない速度だ。だが、体力が有り余っているラスクの魔馬が先導しながら、ルイーネの馬の風避けになることで速度を維持している。


 ラスクの魔馬シュプリンガーはその馬鹿げた体力を生かして突き進み、ルイーネの愛馬ウンディーネは、そのすぐ後ろで向かい風をやり過ごしている。こうして体力を温存させながら、ウンディーネはシュプリンガーについてきている。


「あの光の下にヴェルティアがあるのかな?」


 後ろに首を傾けたラスクの質問にルイーネが頷く。


「そうね! おそらく将軍のシャルロット様が作ったのよ」


「へぇ、あんな凄い魔術を撃てるなんて驚きだ! やっぱり帝国は広いな!」


「まあ、さすがは歴代最年少の将軍ってところかしら。いずれは私もあんな魔術を扱ってみたいわ……それはそれとして、ラスク! 後ろにいるやつらも詰めてきたわよ!」


 ルイーネの注意を聞いてラスクが後方を確認する。40m後方にいた出場者たちが、馬に鞭を入れてラスクとルイーネに迫ろうとしていた。


「応戦して蹴散らすかい?」


 そう言って背負っている大剣の柄に手を掛けたラスクだったが、ルイーネが手を上げて制止させる。


「それには及ばないわ。無理に戦ってこっちがペースを乱す必要はないでしょう。そもそも、戦わずに足止めできる方法はいくらでもあるのよ! それっ!」


 そしてルイーネは道の左右に立つ木々を風魔術の刃で切り倒して、相手の走行を妨げるようにした。細い山道は2本の倒木で完全に見えなくなった。


 だがこのルイーネの妨害行動を見て、追っている出場者たちは思わず失笑した。特に先頭を走っていた男が高笑いして嘲った。


「ははっ、何をやるかと思えば木を倒しただけかよ! この程度の障害物なんざ楽に飛び越えるのになっ!」


 そう叫んで男は馬に激を飛ばす。男の愛馬は倒木を楽々と飛び越えたが、着地した瞬間に馬体が沈んだ。


「うわっ……げぶぁあっ!」


 着地した地面はルイーネの土魔術によって、泥沼のようにぬかるんでいた。そのぬかるみに馬が脚を取られて急ブレーキがかかったせいで、男の体だけが前に吹っ飛ばされて転がった。


 全身を強く打ちつけられた男は、高笑いしていた数秒前の自分を恨みながら気絶した。


 その男の様子を見た他の出場者が慌てて馬を止める。ルイーネが倒した木々の向こう側には、ぬかるみに沈んでもがいている馬と、手足が不自然な方向に曲がって白目を剥く男の姿がある。


「くっ、くそぉ! 迂回するぞ!」


 後続していた出場者は木々を飛び越えることを諦め、安全な迂回ルートを探すことにした。すでにルイーネとラスクの後ろ姿は見えなくなっていて、女に一杯食わされたことに何人も歯ぎしりした。


 追ってきていた出場者たちが確認できなくなったところで、ルイーネは得意げに笑ってラスクに声をかけた。


「どう? 中々良い足止めだったでしょう?」


「確かに即興にしては上出来な策だったね。倒木が泥沼を隠すから大抵の人間は引っかかるんじゃないかな、うん」


「なによ、ちょっと含みのある言い方して」


「だって倒木自体を魔術か何かで破壊されてたら、あの泥沼は完全に丸見えになっていたじゃないか。泥沼があるって分かっていたら突破できるし」


 このラスクの返しにルイーネは苦笑いする。


「うっわ、あなたも結構言うようになったわね。出会った当初はまだ可愛げがあったのに」


「いーや! そんなことはないね、元から僕はこんな感じだったから。むしろルイーネが丸くなったんじゃないか?」


「ほ、ほんとに口が達者になったわね。じゃあせめて! せめてさっきの足止めが何点だったか聞かせなさいよ」


「うーむ……76点ってところかな!」


「喜んで良いのか微妙な点数ね……」


 いつものような調子で言い合う2人に恐れや不安はない。かといって油断や増長もない。


 このように戦うことを忘れているような振る舞いであっても、2人の感覚は周囲の状態に気を配り、もしも何か危険が迫れば即座に対応するようになっている。


 魔馬を従えているラスクの単純且つ強力な戦闘力に、5属性の魔力を操る稀有な才を持つルイーネの知恵。そして互いに相棒の強みを理解して助け合い、ここまで大した負傷も無くレースを走り続けてきた。


 今やこの2人と張り合って勝てる者はごくわずかだろう。何の捻りもなく2人を追い越そうとしても、先ほどの出場者たちの二の舞となる可能性が高い。


 ゆえにこの2人より先んじる者は充分な知恵と力を有し、確かな計画性を持って行動できる者である。


「ーーーふん、こんな便利な抜け道があったなんてな。あの猟師には多めに金を渡して正解だった」


 一方、ラスクとルイーネより先に山小屋を出発していたアドルフ・ゲーグナーは、他の出場者に発見されることなく東へ進んでいた。


 意外にもヴェルティアから最も近い位置を走っているトップ走者は、このアドルフ・ゲーグナーである。誰もいない抜け道を通って独走状態だった。


 大多数の出場者が通る山の街道を進むことで、戦闘に巻き込まれたり妨害を受ける可能性がある。もちろん整備された道は馬も走りやすく、魔物に遭遇する危険も少ないが、アドルフは他の出場者と争うリスクを避けた。


 さらにアドルフは1晩泊めてくれた猟師に謝礼を多めに渡して、馬でも比較的走りやすい山道を教えてもらっていた。


「今の俺のペースなら午後5時にはヴェルティアに着く。最寄りの街に泊まっていた奴らは朝方に出発したはずだ。俺が夜明け前に山小屋を発った時点で、やつらが俺より早く着くわけがない」


 アドルフは前方に伸びている道を軽快に進みながら笑う。ここまで計画通りに上手くいっていることで、自信家のアドルフの機嫌は上々だった。


「くくくっ、うははははっ!……いやいや、落ち着け。ここで詰めを誤るわけにはいかない。侮れない邪魔者はまだまだいるんだ。やつらを完全に出し抜いて勝つ為に、細心の注意を払ってヴェルティアに向かわなければな……!」


 そんなアドルフの脳裏に浮かぶのは限られた人間だ。


 まずはカミーユ・モルト。このシャルロットの甥っ子である鬼才は、アドルフが大会関係者から違法に入手した情報が正しければ、ラスクたちと同じくヴェルティア最寄りの街に泊まっていた。


『俺の次にヴェルティアに近い場所に泊まっていた出場者の中で、最も危険なのはカミーユだ。逆に言えばカミーユより先行できていたなら、俺がトップ通過できると言い切っても良い』


 次に浮かんだのはラスクとルイーネのコンビだ。この2人も昨晩はヴェルティア最寄りの街に泊まっていて、カミーユを除けば1番の脅威になる2人組だ。


『士官学校でルイーネと俺は馬術成績がほとんど同列だった。俺がルイーネに走り勝てる可能性は6割くらいだ。そうなったら遠距離から魔術で奇襲を仕掛けたいが……無理だな。5属性使えるアイツと魔術勝負なんてやってられるか。しかも、あのラスクとかいう女が魔馬を従えているのが厄介だ。下手に手を出せばこっちの馬が噛み殺されることになる』


 まだまだアドルフの懸念材料は残っている。カミーユやラスクたちは昨晩泊まっていた場所も把握していたので、まだ対策の仕方はある。だが、ジャックとハル・イブリッツの2人だけは居場所すら掴めていないため、場合によってはすでに先を越されている恐れがあった。


『そしてジャックとハル……あいつらだけどこにいるのか不明のままだ。大会関係者が居場所を捕捉できていないということは、集団から相当遅れているか、もしくは全く別のルートを通っているかのどちらかだ』


 いつの間にかアドルフの眉間には皺が寄っていた。普段から態度が大きいアドルフでも、今日の大一番には緊張が生まれている。


 チェックポイントである都市ヴェルティアにトップで到達するということは、それほど大きなことだった。


「……ん?」


 険しい顔で思索するアドルフの頬に水滴が当たった。水滴に気づいたアドルフは水を手の甲で拭い、それから曇り空を仰ぎ見た。


 今日は朝から空全体が厚い雲で覆われていて、雲の色も暗い鈍色だ。そして今にも雨がこぼれ落ちてきそうな不穏な曇天からは、時おりくぐもった雷の唸りが響いている。


「どうやら荒れるな、今日は」


 馬の手綱を握るアドルフは天空を睨みながらそう呟いた。


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