続ける決意
都市ロメオの朝方は全体が澄んだ空気に包まれ寝入っている。空は東のすそから染まり、柔らかな熱を街の家屋と石畳におろしていく。陽光を跳ね返すレン教会のステンドグラスは荘厳に映え、重厚な煉瓦造りの領主館は光を吸い込んで悠とそびえる。
盆地にうずくまるように存在するこの街の東南に、冒険者御用達の宿『蒼き駿馬亭』がある。
木造2階建てと別棟がある『蒼き駿馬亭』は1階が食事処、2階と別棟が宿泊部屋となっている。
陽もまだ昇りきらないこの時間に、通りから本宿の横を歩いて裏の別棟に向かう一人の男がいた。
男は洒落た狩人帽を被り口笛を吹く、クラスD冒険者のマーシュだった。
彼が手にぶら下げているのは果物の入った籠で、どことなく機嫌が良いのは、彼の好物の果物をパートナーが買ってきてくれるようにわざわざ銀貨まで渡してくれたからだった。
「フフ、俺の分も良いなんてどういう風の吹きまわしなんだろう、まあ願ってもないけどな」
ひとりごとを言いながら別棟宿舎の玄関をそろりと開ける。気分が高揚してはいるが静かに扉を開けたのは、泊まっているほぼ全員がまだ寝ているのを考えていたからだ。
玄関に入って正面には廊下が伸び、右手には二階への階段がある。マーシュは二階に上って一番奥左の部屋に入った。
「やっ、ちょっと!」
マーシュがドアを開けた瞬間に、そんな声とともに枕が彼の顔に直撃した。
「ぶはっ!何すん」
「ノックくらいしてって前にもいったでしょ!すぐ私の言ったこと忘れるんだから」
枕が床に落ちるとクレアが着替えをしている最中で、彼女の引き締まった肉体は派手さのない質素な黒い下着を身につけていた。枕をぶつけられ、反論はしたマーシュだがすぐ口を止めてじろじろと眼を凝らした。
「こうしてみると……うん、やっぱ成長率あるわ」
「何バカなこと言ってるの?今度という今度は目を……」
「待て待て待て!すぐ出るから、な!終わったら言えよ」
さすがに投げナイフをちらつかされたらおとなしく退散するしかなく、廊下に出たマーシュは隅にある丸椅子に腰を下ろした。
「あいつ……今頃着替えてたってことは看病しっぱなしだったってことか」
呟いたマーシュの顔つきはついさっき見せた締まりのないものではなかった。
マーシュとクレアは山賊の棲み家での出来事の後、切腹したジャックを必死に手当てしてから山を下ってこの街に戻ってきた。山賊の頭目の首と大鉈、さらにオーガの耳を足された荷物を運んだのはマーシュ。何とか止血は済ませたジャック(寂 主水)を背負ってくれたのはクレアだった。
ロメオの都市に着いたのは午前の1時。
街に入る際、警備兵が時間外だとごねたが「依頼を成功させた冒険者を通さなければ後々大変だぞ」と半ば強引に通してもらおうとした。
大怪我の少年を助けて戻ってきたのも効いたのだろう、最後に警備隊長が応対して、特別に通してくれた時にはホッとした。
街に入ってからは二人が部屋をとっていた『蒼き駿馬亭』に直行した。所持金が無いわけでもないが、医者にかからせたり回復魔法を使えるレン教の関係者に頼むのは、マーシュとクレアにとって高額だったからだ。
「は〜あ……ジャックの腹の傷を塞ぐのに、持ってたポーション5本使いきったのは痛かったな。出血自体は止まってるし、続いてひどかったのは発熱と衰弱だけか」
『蒼き駿馬亭』で取っていた部屋は中央にはタンス、両脇にベッドという二人部屋であったので、1つはジャックを寝かせてもう1つのベッドでマーシュとクレアが交代して休んだ。なので看病も交代制だったが、段々居眠りしだしたマーシュを見てクレアが率先して看病したのだ。
栄養がつくもの、というわけでマーシュが買い出しに行かされたが、どこもかしこも店は閉店していたので銀貨と手紙だけ店先に置いて青果店から果物を頂戴してきた。
ようやく帰ってきたらクレアは着替えの途中で、しかも目にはかなり疲れが溜まった様子があった。
体をねめまわしていたのは否定しないが、顔全体はそろそろ限界といったの状態を、ちゃんとマーシュは見て理解していた。
「…もういいわよ」
「おーう」
扉が開いてクレアが顔を出す。
部屋のベッドには半裸のジャックが静かな寝息をたてている。下は穿いているが上半身は腹に巻かれた包帯のみである。
夜中はずっとうなされたり熱が下がらなかったがようやく落ち着いたようで、クレアも安心したように一息つき、残ったベッドに体を投げ出した。
「ごめん……ちょっと、いや大分休ませて」
「そうだな、ぐっすり寝とけばいいさ。ギルドに行くのは慌てなくても問題ないしな」
マーシュの労った言葉に笑顔だけ返してクレアは眠った。
部屋の椅子に座ったマーシュは何かやることがあるわけではなく、そのため、必然的に昨夜のことを思い出してしまう。
ギルドの依頼に『山賊の討伐』を見つけて受注し、都市ロメオを出発したのは夕方だった。
ちなみに余談で、もう少し早めに出発する予定ではあったが、集合時間に遅れたマーシュの言い分としては娼婦の引き止め方の巧さに聞いてくれと言いたい。
依頼の内容は文字通りの山賊討伐であり、ランクDに位置づけられていた。
だが、山賊討伐とはあまり旨味のないもので、モンスター討伐ならそのモンスター特有の素材を報酬の代わりに手に入る。それに比べて山賊の貯めていた略奪品を報酬として受け取れはするが割合は低く、大部分はギルドか街の産業に。
さらに面倒な事に、依頼の成功条件に賊の頭目を討ち取った証が必要なのと、略奪品を持って逃げられたり破損させたりしないこと……つまりは他人から感謝されるが危険も多く細かい事を要求される仕事なのである。
そんな誰も受けていなかった依頼を受けたのは、半年ほど組んでいるクレアが運良く爆弾を持っていたからだった。
彼女の話によれば略奪者の隠れ家の倉庫とは、飲み食いする場所とは別に設けられるのが普通である。
よって、爆弾を投げ入れるなら、飲み食いして酔っている場だけを狙えば、労せず依頼が完了できる、とマーシュはクレアに力説された。
それも終わってみれば第三の眼球に殺されそうになったりと、予想だにしない目に遭った。
だが当初の目的、頭目の首に加えて、レアモンスター『第三の眼球』の死骸を得たのはマーシュとクレアにとって嬉しいハプニングだ。
穏やかに眠る黒髪の少年を再度見てマーシュが思い出すのは、『第三の眼球』を大鉈で叩き斬った時の膂力と技量。そして、腹の傷を手当てするために奴隷服を脱がせた時のことで、驚いたことに痩せ細っている体の血を拭うと腹の傷以外に全く傷はなかったことだ。
ジャックの全身にこびりついていた魔物の褐色の血と人間の血は、ことごとく返り血だったのをその時点で理解した。
今、マーシュが目を閉じ頭で想像しているのは一種の惨殺もとい斬殺現場だ。
20人はいた大の男である山賊らが、三つ眼にとり憑かれたオーガが、たった一人の少年に次々とやられていく光景。
とても現実味のなく、それでいて本能をぞわりとさせる自分の想像を中断させて目を開けると、体を起こしてこちらを見ているジャックと目が合った。
「あの、ここは?」
ぽつりと問うジャックに、さっきの想像も相まってマーシュは少し焦ったように答えた。
「え、あ、おう。ここはロメオって街の『蒼き駿馬亭』って宿屋だ。昨日の夜中にここに到着した」
その言葉を聞いてジャックは腹に巻かれている包帯をさする。
「手当てしたのですか」
「うん、まあ…な」
マーシュはジャックがどう出るか固唾を飲んだ。
自ら命を断とうとしたジャックは、手当てしてここまで運んだ自分やクレアを恨むのだろうか、それともうわべだけの感謝をこの場で済ませて、また一人になったら自殺をするのか……どちらにせよ、あまり自分たちが心から感謝されるとは思わなかった。
「感謝を申し上げまする」
この言葉を言ったジャックの顔は、正直な感謝の気持ちを示した。マーシュは意外そうな表情を悟られないようにそっぽを向いたが、ジャックはすぐに察して微笑んだ。
「別に恨みはありません。死に急いだ俺をわざわざ助けてくれたのでしょう」
「まあな、そりゃ大変だったぜ。特にクレアはほぼ夜通し看病してたから、礼ならクレアに言ってやんな」
頷いてからジャックは窓からの景色を眺めて遠い目をしていた。
沈黙は続いた。
一点を見つめたまま石像みたいに動かないジャックを見て、なんともいたたまれなくなってきたマーシュは思いきって色々と聞いてみることにした。もしもクレアが起きていたら、そっとしておこうと言って止めるかもしれないからだ。
「なあ、ジャック」
「何か?」
「あんなに思い切り良く、腹を切ったのはどうしてだ?」
視線を落としたジャックは少し考え、答えた。
「よく、わかりませぬ」
「ッ!……じゃあ何で」
「ただ無常を感じて…意味のない人生を終わらせようとしたまで」
腹を切ったことをわからないと言われてマーシュは思わず立ち上がったが、最後のジャックの言葉は深く冷たい響きを残し、文句を言おうとしても踏ん切りがつかなかった。
マーシュは質問の方向を変えた。
「お前はこれからどうすんだよ」
「別段、何も」
「じゃあ」
マーシュはそこまで言って言葉を止める。次の瞬間に口から出たのは、彼が頭の片隅で考えていたことだった。
「冒険者にならねえか?」
「……冒険者?」
「そうだ。お前の口振りから俺が考えるに、大事な友達を失って生きる意味がない……そうだろ? なら冒険者になれよ」
「話があまり繋がってないように思えますが」
この時点でマーシュの内で大事な何かが切れてしまった。
「あ~~……だからな、辛いことや苦しいことがあって、やりがいもあって死にやすい冒険者になって、精一杯人のために働けば良いんじゃねえかって言ってんだよ! 15、6のガキが変なもん感じて死に急ぐな、な!」
後に退けなくなったマーシュは自分でも驚く声量でまくし立てた。
ぜいぜいと息をついてジャックを見ると、驚いた顔をしていた。
「ふう……まあ、詳しくは知らねえけど、お前の剣の腕はとんでもないものだってのはもう分かってるんだ。なら宝の持ち腐れはやめとけ。どうしても助かった命を捨てたいなら、俺たちにポーション5本よこしてからにしろ」
いつの間にか立ち上がっていたことに気づいたマーシュは疲れたように椅子に腰を落とした。
ジャックは腕を組んで目を閉じ上を仰いでいる。
隣の部屋の人間が文句を言いに来たのだろう。乱暴なノックが続いたが、もう騒がねえよとマーシュが言ってノックは止んだ。
その間、ジャックは微動だにしなかった。やがて口を開いた。
「どのような仕事でしょうか」
先程の冷えきった声ではなく、決意のある声でジャックは尋ねてきた。
「どんなって……何でも屋と変わらねえよ? 冒険をする、モンスターを討伐するってのが主な仕事だがな。戦闘して生き残る力も必要だが、そのほかにも色んな力が要求される。とにかく死にやすい、まあ危険と隣り合わせだから、それは当たり前か」
ジャックの顔はほとんど変わらないように見えるが、既に彼の中で冒険者として生きる心は決していた。
もちろんマーシュに説得されて本心から冒険者に憧れたのではない。
前世では真剣に52年間生きた。
この世界ではほんの一日前、「寂 主水」としての転生を自覚した。
ここで主水が立てた仮説は、今すぐ死んでもまた同じく転生して苦い思いをするかもしれないといったものだ。
マーシュは主水を15ほどと言った。ならば、まずは52歳まであと37年苦しい旅を続けてみても良い。 その時になって、旅を続けるか取り止めるか決めても遅くはない。そう感じた。
『冒険者として生きて、運悪く死ぬならそれで良い。天寿を全うするつもりはさらさらないがな』
ジャック、寂 主水は自分に対して真剣な説得をしてくれたマーシュに頭を下げた。
「冒険者として、精一杯生きてみます、マーシュ殿」
「お、おお!そうかい、よろしくな!……ってか殿…なんて、その呼び方おかしくねえか?」
「しっくりとしますが」
元葉笠藩士「寂 主水」改め、
冒険者ジャック。
彼がこの世界で生きていく決心をした日だった。




