人形師とその人形たちの日常
1
私はある田舎町に住む人形師、杏里。
今までに私は、普通の人形の他に、特別な人形を四体作った。その四体は、人形でありながら、人の心を持っていて、それが特別たる所以だ。
特別な人形を作る人形師は私を含め、世界に何人といるが、この田舎町では私ひとりだ。
一体目は試作品として作った人形で、造形は私の少女時代を模して造られている。
この子はローリーという名前で、寡黙な私と同じく、とても寡黙だ。
私の身の回りの世話をすることを自身の目的としているようで、家事全般を専らこなしている。
今やローリーなしで私は生きられない。ローリーの居なかった時代の私は今より酷く貧相であっただろう。
二体目は、ただの阿呆(他に特記することはない)
三体目は成人の形をした人形で、私とローリーが寡黙な分、よく喋る。それはもう喋る。口から生まれてきたのではと言われるが、断じて私は口から作ったりなどしない。
名前は珀彦。まだ自身の目的を定めておらず、ただ喋る。喋り続けている。
社交性はあるようで、特に子供に気に入られてる(社交性と無縁だと言われ続けている私が、どうしてこんな子を作れたのか、ただただ不思議だ)
四体目は人形らしく、見目麗しい女性の人形を作った。
やはり見目が良いというのはいつの時代も良いものの様だが、この子は名前をつけるのがとても遅かった。なんと、完成してからふた月も後だったのだから。というのも、私は人形を完成させてから人形に話しかけ、自我が目覚めたとき、人形に名前を与える。
完成したばかりの人形はどの子も、なんだかぼうっとしていて、まどろみの中にいるようだが、人の自我が覚醒するように、人形もその瞬間がある。
ローリーの様に、私が世の中の説明をしている内に目覚める子や、二体目の阿呆の様に完成した途端に目覚める子もいる。目覚めの遅かった珀彦は突然喋りはじめ、私を酷く怯えさせた。
そうだな、目覚めたばかりで記憶も新しいことだし、まずは四体目の子の目覚めた時の話でもしようか。
2
その子は翡翠の瞳に何も映さなかった。この事は特に私の中では問題ではなく、私は作り上げたばかりの子に一通りの説明をした。
世の中の事、自分の立場(人形であり、他人に一日に一度ネジを巻かれる必要があるということ)など、寡黙で一日に一度も口を開かないことも多々ある私だが、この時ばかりは、とつとつと人形に話しかけた。
人形は特に反応もせず、ただ虚空を見つめていた。
珀彦も目覚めは遅い方であったし、前述の通り、私はこの事を問題にしていなかった。
それからふた月、、自我が目覚めることはなく、私は失敗してしまったのかと危惧をし始めたが、考えるのが面倒になったのと、貴族からの注文が重なったのとで、人形は放っておくことになった。
「杏里、貴女の作る人形はとても素敵だね」
珀彦は自身も私が作った人形であるにも関わらず、目覚める気配のない人形を見てそう言った。
「彼女はいつになったら目覚めるのだろう。早く話してみたいな。だって、杏里もローリーも、僕の相手を全くしてくれやしない」
今か今かと、彼は人形が目覚める時を心待ちにしている。
睡眠を必要としない彼は、人形に飽きるほど話しかけ続けている。その様子は、珀彦を見かける時は必ずといってなので、きっと彼は深夜昼夜問わず、人形のそばで話しかけ続けている筈だ。
待ちわびている珀彦とは対称に、ローリーは埃を積のらせる人形をそのままにしておくことを疎ましく思っているようだった(気に入らなくとも律儀に埃を払ってくれるローリーはとても良い子だ)
「ローリー! そんなに強く払ったら人形を傷めてしまうよ!」
「このくらいで丁度良いのです。珀彦、ぼくの邪魔をするのならあっちへ行ってて下さい」
人形たちの他愛のない言葉を聞きながら、私は黙々と人形を作り続ける。貴族から催促されていることもあり、私は眠る暇もないくらい働いている。もっとも、私には仕事以外にすることがないので、苦痛には感じないが、生活を疎かにして、ローリーの小言が始まりやしないかと、それだけが私の気がかりである。
完成間近というところで、工房のドアベルが鳴った。
「……誰かしら?」
あまり声を発することの無い所為か、その一言を呟くのに時間を要した私よりも先に、珀彦がドアを開ける。
「いらっしゃい。杏里の工房へようこそ!」
にこにこと、珀彦は工房へ訪れた客に向かって話しかける。他人に問われる前に自ら言葉を発することは、私とローリーには出来ない事だ。
「どのような御用向きですか? あれ、貴女は……ああ、やはり、以前ご注文して頂いたエイミーお嬢様ですね」
(なに? エイミー嬢だと?)
この町の地方領主の娘、エイミー嬢は、今まさに作っていた人形の注文主である。
「ごきげんよう、珀彦。私の人形は如何かしら?」
人形の完成具合を確かめに来たのだろう、
「あら、この人形はどうしたの? とても綺麗な子ね」
エイミー嬢は工房の隅に座らせてある四体目の特別な人形に目を止めたらしい。
「ふた月前に完成した、僕たちの兄弟ですよ」
珀彦は楽しげにエイミー嬢に説明をする。
私は、ローリーや珀彦のことを町の人に隠してはいない。それに、私は彼らが目的を見つけ、それが私の元を去る事になったとしても良いと思っているし、現に一体は手元を離れている(ただ、これに関しては物申したいことがあるが)
エイミー嬢は四体目の人形に興味を持ったようだった。
「どうして珀彦の様に彼女は動かないのかしら? これは売り物ではないの?」
「まだ目覚めていないのです。それに、彼女は売り物ではありません」
珀彦は柔らかい言葉の中に、微かな怯えを見せた。
彼は、彼らの仲間である四体目の子が目覚めるのを何よりも楽しみにしていた。
「本当に綺麗な子ね。私、この子が欲しいわ」
「それは駄目です!」
「杏里、どこにいるの? 私、この人形が欲しいの」
私は作業台を離れ、エイミー嬢達のいる部屋へ向かう。
「エイミー嬢、貴女の人形はもうすぐ完成しますが……」
「ええ、もちろん、それも頂くわ。でもこの子も欲しいのよ」
私は四体目の特別な人形を一瞥する。
「まだ目覚めていないというのであれば、私がこの子を目覚めさせれば、一番初めの主人になれるということでしょう」
「……そうですね」
「ね、良いでしょう? 貴女にはもう二体もいるじゃない。聞けば貴女、完成した人形に興味がないらしいわね。だったら、私はこの子を貴女以上の愛情を持って、とても大切にするわ」
確かに私は完成した人形にあまり手を掛けることはない。
(だからどうだというのだ)
私は人形作りに全てを捧げている。彼ら彼女らと向き合い、ただひたすらに作り上げる。
(私は、心血を注ぎ、人形たちを完成させるのだ。他の何であれ、それ以上などありえない)
「……承知しました」
心中でエイミー嬢を罵るが、悲しいかな、私は一介の村人に過ぎず、地方領主に目をつけられてはここで生きていくことができない。
「ありがとう。大切にするわ」
そう言って、エイミー嬢は四体目の特別な人形を連れて行き、珀彦は悲痛な面持ちでそれをいつまでも見送っていた。
「このような非道が許されて良いはずがない!」
珀彦は不満を隠さない。
「ただの人形よ。おかしくはないわ。いつも新しい主人へと送られている人形を何度も見ているでしょう?」
私自身、心にもないことを言っている自覚はあるが、連れて行かれてしまったものは仕様がない。
(さて、作業の続きに戻るか)
私に出来ることは限られている。ただ、ひたすらに人形を作り続けること、それだけだ。
(それに、いずれ戻される)
特別な人形が他人に委ねられる確率はとても低い。彼ら彼女らは、人ではない。それ故に、不完全な存在であるのだ。
3
翌日、私は慌てた様子の足音で目が覚めた。
「杏里! 帰ってきた!」
「どこに言っていたのかは知りませんが、ただいまはもう少し静かに言って下さい」
私が何かを言うよりも先に、ローリーが珀彦を嗜める。
「ちがう、ちがうよ! 人形が、僕らの妹が帰ってきたんだ!」
珀彦は興奮した様子で、私とローリーを部屋から連れ出す。
(返品か? 案外早かったな)
はねた髪を押さえながら、珀彦に手を引っ張られて店先へと出る。
「ほら、帰ってきたんだ!」
嬉々として、珀彦は関節の目立つ指先を地面へと向ける。そう、指先は地面に向いていた。
(これは、どういうことだ?)
エイミー嬢の姿は見当たらない。あるのは、地面に突っ伏した、四体目の人形のみだった。
まだ早朝、陽も登り始めたころ、工房の前でうつ伏せに倒れている人形。
(不自然を通り越して不気味だ)
「とりあえず、中へ入れましょう。珀彦手伝って頂戴」
人目が付く前に人形を運び入れる。人形はされるまま、始めにあった場所、店にある椅子へ座らせられた。
人形の顔を覗き込む。翡翠の瞳は相変わらず何も映していない。
(目覚めたわけではない?)
なぜ、こんな風に不自然に返品されたのか、私は人形全体を確かめる。
(靴の裏が土で汚れている。目覚めていない人形が、歩いてここまで来たというのか?)
こんな事は初めてで、私は眉を潜めたが、珀彦は人形が帰ってきたことを、ただ喜んでいる。
どうしたものかと考えたが、とりあえず時に流れを任せることにして、土で汚れた人形をすぐさまローリーがはたいているのを横目に、私は着替えるべく部屋へ戻った。
特別な人形は往々にして、不完全な存在である。それはどの人形師が作っても同じことで、人形たちはある条件の元でしか、動くことが出来ない。一日に一度ネジを巻くのも条件の一つだが、もっと根本的な、目覚めるという部分についての条件だ。
特別な人形が他人の手に渡る事がほとんどないのは、この条件を満たすのが極わずかな環境であるからだった。
「杏里!」
着替え終えた頃、今度は珀彦ではなく、エイミー嬢が工房へ飛び込んできた。
「人形がいなくなってしまったの!」
流れに任せた時は、やってきたようだ。
エイミー嬢の訪問に、姿をくらましたい衝動に駆られたが、今の珀彦と彼女を一緒にするわけにはいかない。
「彼女は帰ってきたんだ!」
「何を言っているの? 杏里は私にこの人形を売ったのよ!」
人形を守ろうとしている珀彦は、もう連れて行かれまいとエイミー嬢に対抗している。
普段は温厚な彼が、ここまでムキになっているのは、ひとえに仲間を失いたくないという感情からだろう。
「杏里! これはどういうこと? どうして彼女がここにいるの?」
私が店に出ていくと、エイミー嬢の強い叱責が飛ぶ。
「私にもよく解りません。朝方、人形が店先に倒れていました」事実をままに伝える。
「では、貴女は人形が、ひとりでここへ帰ったというの?」
「それも解りません。エイミー嬢、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、質問を許すわ」
「人形は、目覚めたのでしょうか?」
私はエイミー嬢の艶やかな瞳を見つめながら、質問を投げかけた。
「いいえ、持ち帰った後も、人形は微動だにしなかったわ」
その答えを聞き、靴の裏が汚れていたことは伏せておくことに決める。
「そうですか。人形は貴女の言うように既にお譲りしたものです。持って帰って頂いて構いません」
そう言った私の後ろで珀彦が批難の声を上げたが、構わないことにする。
昨日と同じようにエイミー嬢が人形を連れて帰るのを、今度は私も見送る。
「どうして、人形は自分で帰ってきたのに」
「珀彦、何度も言っているでしょう。貴族に睨まれれば暮らしていけないの」
私はそう言い捨てて、工房へ戻る。
工房ではローリーが既に日常を取り戻し、食事の用意をしていた。紅茶を差し出すローリーは、私と同じく、その顔になんの感情を浮かべていない。けれど、その目は何か言いたそうにしている。
ローリーの視線に返すものは、紅茶と一緒に飲み込んだ。
次の日、店先に同じように人形が倒れているのを、ローリーが発見した。
「やはり彼女は自分で帰ってきたんだ! 杏里、彼女はここを出るのを嫌がってる」
珀彦は喜んでいるが、彼は根本的なことを忘れているようだった。
人形はすでに売られたのだ。
「エイミー嬢がここへきたら人形は返しておいて」
私は人形の翡翠の瞳を覗き込みながら、珀彦とローリーにそう告げた。
4
人形が戻ってくるという事実は、一週間を過ぎても変わらなかった。
「杏里、どういうことなの?」
エイミー嬢は人形を椅子へ縛りつけたりとしていたようだが、戻ってくるのは相変わらずで、その愛らしい顔には、怒りよりも怯えの方が勝っていた。
「私にも解りません」
「いくら特別な人形といってもこれはおかしいわ。貴女何かしているのでしょう?」
「私は何もしていません」
ここ数日、同じやり取りを繰り返している。
「それよりもエイミー嬢、貴女の人形が完成しました」
私は完成したばかりの人形をエイミー嬢へ渡す。
エイミー嬢は短い悲鳴を上げて、私が差し出した人形を払いのけた。
「気味が悪い! 人形はもうたくさんだわ!」
連日の不可解な出来事に、エイミー嬢はすっかり私の人形に不信を抱いたようだった。慌ただしく工房を後にする。
「本当は解っているんだよね。杏里。なぜ人形が戻ってくるのか」
珀彦はエイミー嬢を撃退できた嬉しさからか、声が明るい。反対に、結局のところ工房の評判を落としてしまう結果になってしまったことに頭を痛める私は、珀彦の問いに答えた。
「なぜ戻ってくるのかは解らないけれど、どうやって戻ってくるのかは大体解ったわ」
私は人形の翡翠の瞳を覗いた。
「この人形は、目覚めと眠りを繰り返しているの。そして、目覚めの条件が特殊なのよ」
朝方眠りの状態で見つけるということは、四体目の特別な人形が動くのは、宵の闇から日の出までの時刻だ。
その時刻なら、街灯もない田舎町の夜、漆黒の闇の中で人目に触れず戻る事も出来る。
エイミー嬢は椅子に縛りつけたと言っていたが、結局のところ人形だ。痛みも、力の限界というものもない。縄を千切る事など容易い。
「え、でも、僕は宵の闇にも一緒にいたけれど、彼女が目覚めたことは一度もないよ」
珀彦は戸惑いながら人形を見る。
「憶測だけれど、人形は他にも、自分に掛けられる声に対して眠りに作用すると、私は考えるわ」
珀彦は昼夜問わず人形に話しかけ続けていた。
昼間に眠る上、自己に掛けられる声は全て、子守唄のごとく人形を眠らせてしまうのだ。
口から生まれてきたと揶揄される珀彦も、これには流石に口をつぐんだ。
知らないとはいえ、目覚めを楽しみにしていた珀彦は、自身でその目覚めを邪魔していたのだ。
5
「目覚めたこと、なぜエイミー嬢に伝えなかったのです?」そう問いかけるローリーは私と同じ目をしていた。
この場にいない珀彦は、すっかりしょげてしまった様子だったが、忘れっぽい彼の事だ。また同じことを繰り返すだろう。
「説明しなくても、ローリーには解ると思うのだけれど?」
私は人形が好きだ。きっと人間よりも。人形がエイミー嬢を選ぶのならばそれはそれでいたしかたないと諦めるが、戻ってくるような健気な子は、何においても守らないわけにはいかない。
「目覚めたからには名前をつけなくてはね。そうね、なんという名前にしようかしら」
私は翡翠の瞳を覗き込みながら彼女に名前を告げた。
人形が戻ってきた次の日の朝、私は一枚の紙を工房で見つける。そこには走り書きの様な文字で、『マスター杏里、よろしくお願いいたします。 ネフライト』とだけ書かれていた。
きっと声を交わし合うことは出来ないだろう。けれど、私と人形はそれを嘆くことはない。
声を交わさずとも、心を通わせることは出来るのだ(珀彦はきっと残念がるだろうけれど)
私は翡翠の瞳を覗きこみ、何も映さない瞳の先を見た。
「おかえりなさい、ネフ」
了