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命と玖馬の"愛"pod(下)

「いらっしゃいませ」

 

 玖馬が無気力に項垂れていると、自動ドアから見知った顔が見えた。施設を切り盛りするおばさんだった。

 

(俺を探しに来たって感じじゃねえな)

 

 反射的に玖馬は身を隠す。衝立を盾に様子を伺っていると、もう一人見知った顔が現れた。

 

「すいません。少し長引きまして」

 

 仕事の熱で頬を桜色に染めた命だ。揺れる黒髪は珍しく少し乱れていた。

 

「良いのよ。私も今着いたところだから」

「なんだか恋人の待ち合わせみたいですね」

 

 二人は上品に笑いながら談笑する。会話の内容も気になるところだが、玖馬がまず気にかけた点は違った。

 

(なんで、あいつまた働いてんだ)

 

 家庭教師業を始めたことを契機に、命はヴァストのアルバイトを辞めた。確かに玖馬はそう聞かされていた。

 

「ねえ命ちゃんは仕事を辞めないの」

 

 玖馬の気持ちを代弁するようにおばさんが問いかけると、命は宙に視線を迷わせてから答える。

 

「えっと、海外サーバーの契約料金が」

「……海外サーバー?」

「IT技術のお勉強代ですかね」

「なんだか難しそうねえ」

 

 疎いおばさんが流される後方で、玖馬は額に手を当てたまま苦笑する。まだあの時の漬けが残っているようだ。

 

「まあ、おばさん難しいことはわからないけど」

 

 そう言って栗色のハンドバッグに手を入れると、おばさんは中から茶封筒を取り出した。

 

「お金が必要なら尚の事、受け取って欲しいわ」

 

 茶封筒の厚さに玖馬は瞠目した。縦に立つほどでなくても二、三枚ではない。少なくとも十枚程度の厚みがあった。

 

「いえ、お気持ちだけで十分です」

 

 玖馬の動揺が冷めやる間もなく、命は微笑を湛えて断りを入れた。

 

「あれは私が好きでやっていることですから」

「あれはね……好きでやっているの範疇じゃないのよ命ちゃん」

 

 再度おばさんが茶封筒を差し出すも、微笑む命が応えることがない。物腰が柔らかでも意志は鉄よりも固い。

 

「好きでやっているだけですから」

 

 玖馬はおばさんに同情する。

 ああなった命は梃子でも動かないのだ。

 周りが思うほど命は聖人君子ではない。意外と見栄っ張りで頑固、俗っぽさもある。それを玖馬はよく知っていた。

 

『よく知ってますね』

「るせえな」

 

 出処のわからない揶揄を聞き流す。

 明日一で精神科にでも駆け込むべきなのか。そんな下らない思考に耽っていた玖馬は、不意に頬を引っぱたかれた思いだった。

 

「命ちゃん。おばさんのお願いだから、家庭教師代を受け取ってちょうだい」

 

 遅れてきた衝撃を理解するには時間を要した。いや遠回りして現実を遠ざけたかっただけだ。

 

 ――だって前金で成果報酬受け取っていますから。

 

 大嘘だった。

 命は一円足りとも受け取っていないし、ヴァストのアルバイトも続けていた。厨房側に回ることで身を隠しながらも、玖馬の家庭教師業を続けていた。

 

「そのお金で、皆で食事に来て下さいね」

 

「ご来店お待ちしております」と店員スマイルで、命は戯けて断りを入れた。

 

「……命ちゃんには敵わないなあ」

 

 名残惜し気に、おばさんは茶封筒を仕舞う。

 これ以上は野暮になると彼女は引いた。

 

 命は少し照れた様子で前髪を弄りつつ、用意していた言い分を恥ずかし気に言う。

 

「いやあ。でも好きでやっている範疇に思われないのは、きっと私のせいでして」

 

 おばさんは小首を傾げて尋ねた。

 

「どういうことかしら」

「私はどうにも世話焼きの加減が下手で」

「きっとそれは貴方が優しいからよ」

「……そう思われていれば良いのですが」

 

 その後、一頻り二人は話し合う。話題は共通する玖馬のことばかりで、終始二人は頬を緩ませていた。

 

「玖馬にも言ってやろうかしら。命ちゃんは無給で働いているのよ、って」

「大丈夫ですよ、おばさん。私は人知れず苦労を背負う子ですから」

「なんだか甲斐甲斐しい女の子みたいね」

「……おばさん、それは無しです」

 

 去り際の二人の会話の間抜け具合に、玖馬はゴンと頭をテーブルに打ち付けた。命は意外と詰めが甘い。それも玖馬は知っていた。

 

「丸聞こえなんだよ、阿呆が」

 

 突っ伏していると謎の声が聞こえる。

 

『阿呆、馬鹿、間抜けにトンチンカン』

 

 踊るような貶し言葉は心地良い。ちょうど誰かに馬鹿にされたい気分だった。

 

「ありがとよ」

『どういたしまして』

 

 誰が一番この場において間抜けなど、語るだけ玖馬が落ちるだけだった。

 

「やったらあ」

 

 玖馬は決意を新たにする。

 今までだって必死だったのは確かだが、死に物狂いというほどの切迫感はなかった。ありったけだ、と全身全霊に言い聞かせる。


 心を奮い立たせて男は立ち上がる。 

 でも会計前で払うのは25%引き券。

 

『……人間ちっさ』

「るせえな。第一これくれたの」

 

 ――テメエじゃねえか。

 

 そう言いかけて玖馬は止まった。

 従業員特典の割引券をくれたのは命だった。だったら何故『テメエ』という言葉が出たのか。姿も形も見えない声の主に対して。

 

 嫌な予感ごと頭を振るっていると、店員の笑みが崩れかけていた。その場から逃げ出したい心とは裏腹に支払いをする手は上手く動かない。

 

『……奇行に走る10代』

 

 今度は暴言を吐きたい衝動を抑えたが、苛つくほどに硬貨が滑り落ちていく。玖馬が落ち着きを取り戻したのは、後ろの声が聞こえてからだった。

 

「八坂なんて畳み込めば楽勝だっての」

 

 急に血液の温度が下がった気がした。入店した団体の聞き覚えのある声。誰がいるのか振り返らずともわかる。

 

「推薦状なんぞ白紙にしてやるよ」

 

 その声が聞こえたときには、もう面倒臭えと玖馬は万札を叩き付けた。慌てる会計を無視して玖馬は動く。釣りなど要らなかった。

 

「誰が、誰を畳むって」

 

 鬼の形相で、玖馬は最後の精算を始めた。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 結果は見るも無残だった。

 

「まじで勝てるとでも思ったのか」

 

 嘲笑とともに叩きこまれた蹴りが腹に刺さる。土に塗れた巨体は苦悶の声を殺しながら転がった。

 

 多勢に無勢の状態ではあまりに無謀だった。初撃の勢いで三人は寝かし付けたが、そこから先は多勢に押される一方的な展開だ。

 

 腰に抱き着かれ、腕も脚も取られた。身体を奮う勢いさえ奪われた玖馬に一撃が入るとそれが契機だった。一方的な巨人狩りが展開されていき、立て続けに鈍い痛みに晒されるだけだ。

 

 ヴァストから10分ほど離れた駐車場。

 月が見下ろすだけの場所で玖馬は蹲る。髪を掴まれて、頭だけが起き上がった。

 

「お前、自分のこと格好良いとか思ってたろ」

 

 口元をマスクで隠す男の言葉に、玖馬は正直返す言葉がなかった。友達のために立ち上がる自分に自惚れていなかったといえば嘘になる。

 彼らの頭だったという奢りもある。正直勝てると楽観視していたのも事実だ

 

「だから頭が悪いんだよお前は」

 

 何度もアスファルトに叩き付けられて、薄い皮膚が破れて血が滴り落ちた。

そうして意識を手放しかけるなか。玖馬は確かにその声を聞いた。

 

『日和りましたねえ、貴方』

「……んだとこら」

 

 上品で少し意地の悪い声が聞こえた。誰でもない声が色を纏っていく。声だけでない。輪郭を帯びて顕現する。

 

 純白の衣装に身を包む勝利の女神――に似た命の天使が脳内に降臨した。

 その瞬間。沸騰する身体が起き上がる。

 

「んだとこらあああああああああああああああああ」

 

 顔が持ち上がる瞬間にヘッドバット叩き込む。マスクは顎を打ち上げられて、たたらを踏んだ。マスクの頭が上から戻ると、彼はすぐ様、夜空を眺めた。

 火を噴くようなアッパーカットが炸裂し、マスクの身体がふわりと地上から離れた。人の身体が浮く瞬間に集団は愕然とする。

 

『右上段からの叩き落とし』

 

 天使の助言に沿うように玖馬は動く。

 

「オマケだコラ――ッ!」

 

 マスクの面に右拳をめり込ませて、鬱憤ごとアスファルトに叩き落とす。

 痛烈な一撃に周囲が言葉を失うなか。玖馬は獰猛な笑みを浮かべていた。

 

(なるほどな……そういうこと考えてたのか)

 

 命の思考が頭に流れて来る気分だった。多数対一に追い込まれる状況が続くなか。一体あの男が何を考えていたのか。その思考の一端に玖馬は触れていた。

 

 ギロリと睨みを利かすと集団が止まった。先ほどの猛襲が頭に焼き付いているのか、集団の足並みは揃わない。

 

『更に死体蹴り』

「いや、さすがにそれは」

 

 残虐極まりない天使の追撃命令には、さすがの元不良も戸惑いを隠せない。玖馬の思考が混じっているためなのか、脳内天使は本人よりえげつない。

 

『なら、さっさと逃げなさい』

「あいよ」

 

 身体の悲鳴に耳を閉ざし、玖馬は駆け出した。唐突に逃げに転じた彼に呆気に取られたのか、不良集団は一歩遅れて声を上げた。

 

「逃すんじゃねえ、追い詰めろ――ッ!」

 

 六人の不良が駐車場を走り始めた。先行する玖馬は間抜けを笑って走る。

 

『さて、これからどうしますか』

 

 横を浮遊する天使が問いかける。

 これからの玖馬には二通りの道があると。

 一つは大通りに出て騒ぎを収束させるコース。

 もう一つは命の得意コースだった。

 

「当然、後者に決ってるだろ」

 

 闇夜で不意打ち殲滅コースを選ぶと、玖馬は薄暗い住宅街へと潜り込んでいく。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 植え込みから「ばあ」と強面が飛び出し、不良の股間を強襲して逃げ去った。

 

『人を一撃で沈めたいなら正中線を狙いなさい』

 

 物騒なことを言う脳内天使を引き連れて、知恵を付けた悪童の快進撃は止まらない。苦し紛れにマンション階段を昇ったと思えば上段飛び蹴りからの人間ドミノを敢行。

 

 崩れた集団を蹴り潰して鬼ごっこは続く。普段は住宅街の子供が集う公園に入ると、遊具アクションで不良を削りにかかる。

 

 ジャングルジムローリングクラッシュ。

 無人ブランコの地獄の宅急便。

 そして鉄棒からの三角飛び蹴り。

 

『使える物は何でも武器にしなさい』

 

 嫌というほど耳に叩きこまれた言葉に玖馬は自然と白い歯を見せていた。まさかこれほど嵌るとは思わなかった。

 

 八坂命の"愛"podに眠るボーナストラック、

 ――楽しい喧嘩講座が脳裏に蘇る。

 

 勉強に飽きぬよう命が凝らした趣向は、思わぬ形で玖馬の血となり肉となる

 

 今なら玖馬にだってわかる。横に浮遊するのは天使などでなく、"愛"podで作り上げた仮想人格だと。

 

『考えなさい。足と思考を止めてはいけません』

 

 ――あの男ならばどう動くのか。

 ――あの男ならばどう考えるのか。

 

 世界と視野が拓けていく。

 喧嘩の熱と相まって昂ぶる感情は、天井知らずで留まるところを知らない。玖馬は今なら誰にも負ける気がしなかった。

 

 公園から飛び出した悪童は熱に浮かされ、痛みも忘れて走り抜けていった。心臓が騒がしくて堪らなく気持ちが良い。

 

『これ、喧嘩の最中ですよ』

 

 天使の忠告で、十字路を直角に曲がって反転。勢い込んで来る長髪をいらっしゃい。顔面に右拳を突き刺すカウンターを放る。

 

「しゃあっ、後一人」

 

 十対一の劣勢が嘘のようだった。

 残りの金髪を殴り飛ばせばゲームセット。

 近付く勝利の足音に旨を高鳴らせ、玖馬は最後の一人を見落とした。

 

『玖馬――ッ!』

 

 天使の悲鳴で勘付くも遅かった。

 後方から半狂乱で襲い来る金髪。

 誘い込んだつもりが、裏回りで玖馬は挟み撃ちを受けていた。

 

 金髪が持つ凶器に玖馬の筋肉が強張る。

 透き通るそれは、先端が割れた硝子瓶。

 嫌な想像に現実が追い付いていくなか。

 

 ――黒髪をなびかせて影が落ちた。

 

 月光に照らされた白磁の肌を光らせ、屋根から躍り出たその姿は美しかった。玖馬はただ息を飲み、終わりを見守った。

 

 どさりと金髪の身体が沈む音。

 玖馬の時計の針が再び動き出した。

 十人目。ゲームセットだった。

 

「何持ってんだよ、テメエは」

「ちょうど修学旅行帰りだったもので」

 

 二度目となるその冗談には不思議と笑いが込み上げてきた。木刀でとんとん肩を叩きながら、命も玖馬と顔を見合わせて笑った。

 

「全く……心配になって来てみれば」

「どうしてここがわかった」

「佐藤さんから電話があったのですよ」

 

 佐藤って誰だと考えてから数秒。ファミレス会計のネームプレートが佐藤だったと玖馬は思い出した。

 

「大丈夫ですか」

「大丈夫だっての」

 

 命が差し出す手を玖馬は払う。

 どこまで格好悪くても意地がある。男だと認めた相手だからこそ、玖馬は命と対等の場所に立ちたかった。

 

「そういう時はこうだろうが」

 

 だから不器用に掌を開いて待つ。

 少し低い位置に置いた掌が鳴り響き、心地よい痺れが手のなかに残った。

 

「帰りますよ、玖馬」

「おう」

 

 短く応えて、月光が照らす夜道を歩く。

 この日、玖馬は命と親友になった。

「なあ、なんでお前二台持ちなわけ?」


 玖馬の隣を歩く羽鳥が問いかけた。

 松陽高校の入学式で隣り合ったのが縁で、日常に溶け込んだ御曹司である。

 携帯音楽プレイヤーを2台持つ玖馬を、羽鳥は訝しげな顔で見詰めていた。


「まさか、萌えーな音楽詰まってる」

 

 無言で肘打ちを入れると羽鳥がむせた。


「一台は私用だ、阿呆が」


 言葉通り一台は玖馬の趣味が反映され、見た目を裏切らないロックが溢れている。息を整えて羽鳥は会話を再開する。


「ああ、あの馬鹿みたいに叫んでるやつな」

 

 絶叫してヘッドバンギングする羽鳥は、人目を憚ることない誉れ高き馬鹿だった。玖馬は目を覆い隠したくなる。


「二台目は何だうおおお、二台目は何だうおおお」

 

 ノンストップ馬鹿にうんざりして、玖馬は二台目について言及した。本来他人に聞かせる話ではないので――ただ一言だけ。

 

「お守りだよ」

 

 そう言って薄い笑みを浮かべた。

 春風に吹かれて桜が舞い上がる道を、玖馬は馬鹿と一緒に歩いて行く。

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