命と玖馬の"愛"pod(上)
2万アクセス記念作品その2。
これは命と不良――玖馬の一ヶ月に渡る血で血を洗う喧嘩が終結した後の物語。
とある田舎町にあるファミレスチェーン店。
ヴァストの一卓には二人の奇妙な客がいた。
美少女と野獣の組み合わせだ。
一人は中学生とは思えぬ大柄な少年。先日銀髪だった髪を黒に染め直したのだが、それで強面な印象が払拭されることはない。
もう一人は肩口で黒髪を切り揃えた美少女――と、先ほども間違えられたばかりの少年。
外見が女性寄りの少年、命は先ほどヴァストのバイトを上がったばかりだ。
なぜ中学生の命が働いているのか。その経緯を語ると長くなるため割愛するが、原因と理由だけ簡単に説明するならばこうだ。
命が背負投げで対面の玖馬を投げ飛ばし、ヴァストの窓硝子をぶち破ったのが原因。その窓硝子を弁償するのが理由である。
「はあ……なんで、こんなことに」
「自業自得だろうが」
眉間に皺を寄せながらも玖馬は労るようにコップを差し出した。命はテーブルに寝そべりながらそれを受け取る。
「うう、あの計画さえ上手く走っていれば」
「悪いことは言わねえ。あれは止めて正解だ」
山ぶどうジュース片手に命が嘆くのは、途中で頓挫したとある計画だった。その名を『八坂命のIT神社革命』という。
現地に来られない参拝客のためというお題目で、命が考案した新たなスマホアプリだった。要は神社の賽銭箱に電話料金をぶち込むという神をも恐れぬ借金返済計画であった。
初めはこの計画を鼻で笑っていた玖馬だが、それが笑えなくなったのは先日の話であった。
――ちょっとモニターしてくれませんか。
命の何気ない一言で試作品を触った玖馬は、そのあまりの出来栄えに言葉を失った。プレイヤー視点での神社移動から始まり、おみくじ、お守り、破魔矢に手形も購入可能。賽銭機能どころの話ではなかった。
玖馬は唖然としながらも賽銭機能を実行した。画面を弾いて賽銭箱へ硬貨を飛ばすところから、麻縄を揺らす動作までギミック豊富だった。本当に画面上で参拝している気分に陥る。
音ゲーの要領で二礼二拍手一礼。流れてくるバーを適切な位置でタッチすると、可、良などの文字表示が画面に踊った。
思いのほか楽しい参拝機能だったが、玖馬が本当に驚いたのはその直後だ。賽銭箱から一枚のカードが飛び上がり、クルクル回ってから、それは正体を表した。
『SR 木花咲耶姫神』入手――ッ!
萌え絵で擬人化された女神が出た。
これは不味いと玖馬は嫌な汗をかいた。その嫌な期待を裏切ることなく悪霊退治の物語が開始された。
オート操作で動くカードゲームは、神力ゲージが続く限りプレイ可能だ。神様が顕現できる時間には限りがあるともっともらしい説明をしているが、電子マネーで神力を買えるという現金さ。
参拝額が異なる銀の賽銭箱と金の賽銭箱にお参りすると強力なカードが手に入るという、どこかで見覚えのある仕様もバッチリだった。
これはいけると命は会心の手応えを覚える。神社×ソーシャルの新たなフロンティア。いざ新天地へと命が足を踏み入れる前日。
「――この罰当たりがあああああああああああああ」
灼熱より熱い父親の逆鱗に触れ、この計画は凍結どころか焼却灰となった。
「あの計画、絶対に行けたのになあ」
「……まだそんな口を叩けるお前が怖えよ」
玖馬は命に呆れよりも尊敬の念さえ抱く。あの温厚な男の下に眠る熱量と風格を見れば、たとえ家族間でも、こうは軽口を叩けない。
「……あれはやべえよ」
「ただの信心深い宮司ですよ」
その信仰深い宮司が刀で虎を狩るなど、当時の命は夢にも思わなかった。
「しかし、確かに父さんは難敵ですねえ」
いかに見つからずに金策を企てるか。ぼそりと聞こえた声に玖馬は青褪める
「本気で止めろ。俺はまだ死にたかねえ!」
真っ当に稼ぐべきだと叫ぶ元不良に、命は意地悪く返答する。
「たとえば恐喝ですか」
「……うっ」
過去の悪事を突かれて押し黙る玖馬に、命は厭らしい笑みでもう一突きする。
「この件だって、全部私のせいですかねえ」
本当は10:0で命が加害者側なのだが、先の一件もあって玖馬は反論ができない。一度舌打ちをしてから降参した。
「わあーったよ。俺も手伝えば良いんだろ」
「えっ本当ですか。なんだか強制したみたいで、心苦しさを感じますねえ」
……殺してえと玖馬は殺意の波動を放つも、命はその威圧もどこ吹く風と微笑んでいた。暖簾に腕押しだと、玖馬は溜息一つで諦める。
「っで、俺は何を手伝えば良い」
「勉強して下さい」
「わかった勉強すれば……はっ?」
コップを溶けた氷が落ちるなか。
玖馬は迂闊な自分の返答を呪った。
◆
翌日、宣言通りに命は現れた。
「えへへっ、来ちゃった」
日曜早朝から現れた来訪者を見ると、玖馬は無言で引き戸をシャットアウト。悪い夢を見たと現実を葬り去って、もう一眠りしに戻ろうとした時だった。
ガチャリと錠が落ちる音に、ガラガラと戸が開く音が続く。
「逃がしませんよ」
事前に合鍵を複製した命の前では、藁の家に篭もる行為に意味は無い。
玖馬は背中を向けたまま固まった。
「あー、命が来てるぞ」
代わりに命を迎え入れたのは、この家に住む坊主頭の少年だった。小学一年生の彼が突撃を敢行すると、命はさらりとそれをいなした。
「相変わらず元気ですねえ」
「お前も相変わらず男らしくないな」
「……そりゃどうも」
そうして玄関口で騒いでいると、声に釣られて数名の子供が顔を出した。
「何の用だよオカマ!」
「玖馬に嫁入りしたのか」
「……命お姉ちゃん」
子供は純粋で残酷だった。
命が少し心を痛めている最中、玖馬は腹を抱えて震えていた。
「なに笑っているのですか、貴方は」
「わっ、ちょっと待て」
命は腹いせに後ろ襟首を掴んで玖馬を大部屋に引きずって行く。簡素な構造なこの施設は、もはや勝手知ったる場所だった。
「なあなあ命、遊ぼうぜ」
「玖馬の勉強が終わったらね」
小さな歩幅で並ぶ少年と約束を交わし、命は隣の口下手な少女の頭を撫でた。
「貴方も後で一緒に遊びましょうね」
「……うん」
顔馴染みとなった子供たちを引き連れながら命はこの施設の中心にある大部屋へと入った。五十名は集客可能な部屋からは声が上がる。命の名前を呼ぶと、子供が瞬く間に彼を囲んだ。
子供には男女問わず人気があるようで、命は困ったように微笑み佇んだ。
「こらこら皆、邪魔しちゃダメよ」
優しい声とともに駆け寄ってきたのは、この施設を切り盛りするおばさんだった。エプロン姿の彼女は苦労が祟ってか、少し皺が多いが温かみのある面持ちだ。
「わざわざ日曜日にごめんねえ、命ちゃん」
「いえ私から持ちだした話ですから」
命が家庭教師の話を持ちかけると、おばさんは一も二もなく飛び付いた。優等生として知られる命ならば一安心と、契約は秘密裏に結ばれた。
「なんで、こいつが教師なんだよ」
欠伸混じりに文句を言う玖馬だったが、背中を叩かれて背筋を伸ばした。
「命ちゃんがあんたの何倍も頭が良いからでしょ。こんな優等生に教えられて光栄に思いなさい」
「……これが優等生ねえ」
――闇夜に木刀で奇襲する男が。
その言葉が零れ落ちることはなかった。密集地帯を利用した命の足踏みが炸裂すると、玖馬は痛みで口を噤んだ。
「それじゃあ命ちゃん頼むわね」
「ええおばさん、任せて下さい」
片足立ちで跳ねる大男を無視して、命は右拳を握っておばさんに宣言する。
「私が必ず玖馬を松陽高校に入れてみせます」
――松陽高校。
その名前を聞いた玖馬は痛みも忘れて、「ちょっと待て」と命に噛み付く。
「松陽って、県立で二番目じゃねえか」
「四六時中しごけば余裕ですよ、おばさん」
「あらー、本当に命ちゃんは頼もしいわねえ」
「その頼もしいは軍隊用語か!」
和やかに物騒な会話を済ませると、おばさんは奥の部屋へと去っていた。命は振り返って開始の合図を出す。
「さあ、やりますよ玖馬」
「お前真面目にマジで本気なの?」
玖馬の頭の悪さが伺える返し言葉だが、命は一瞬の躊躇もなく言い切った。
「本気です」
黒水晶の瞳は揺らぐことはない。
「だって前金で成果報酬受け取っていますから」
「テメエ、俺を出汁にしやがったな――ッ!」
あわや死闘を再開させる寸前だったが、命の味方の子供が玖馬をポカポカ殴った。これにはさしもの元不良も手が出せない。
「命をイジめてんじゃねえ!」
「このスカポンタン!」
「待てお前ら、こいつを庇うな」
「……玖馬にいちゃん、嫌い」
地の利は我に有りと命はほくそ笑む。この施設に差し入れたお菓子の数は、すべて命を支える信頼となっていた。
「既にケーキは冷蔵庫のなかにあります」
「こいつ、すでに買収してやがる――ッ!」
多数決の暴力で淵へと追い遣ることで、玖馬は堪らず後ろの船へと後退した。松陽高校行きの長く険しい船が出立する。
「さあ楽しい楽しい勉強タイム」
命の鞄から無数の教材が雪崩落ちると、玖馬の低い悲鳴が施設を貫いた。
◆
鬼軍曹のしごきは熾烈を極めた。
『ありをりはべりいまそかり』
学校の休憩時間は勉強時間に早変わり。授業の時間が恋しくなる濃厚な10分間。
『すいへーりーべーぼくのふね』
家に帰れば毎日が勉強会の日々。プレゼントという名の宿題が積もる。
『くたばって仕舞え』
浮雲の著者名の由来が殺し文句に思える。それほどに玖馬は鬱屈とした心情だった。
「……人には向き不向きがあるんだよ」
『向き不向きは努力してから言いましょう』
見られている――ッ!
その悪寒に駆られて周囲を伺うも、当然命が施設の大部屋にいるはずもない。気味が悪くなってイヤホンに手を掛ければ。
『ねえ……まだ勉強中ですよ』
血も凍る鬼軍曹の美声が聞こえて、玖馬は拷問器具を外すことを断念した。
――八坂命の"愛"pod。
そう名付けられた呪いの装備を入手したことを玖馬は心底後悔したがもう遅い。一度装着した以上は外す術がなかった。
切っ掛けは玖馬の不用意な一言だった。
施設は子供がうるくて勉強できない。その逃げの一言を逆手に作られたのが八坂命の"愛"pod(商標登録出願中)だ。
全音声ファイル命の肉声という豪華仕様で、実に160GBが愛で埋め尽くされている。その作り自体が背筋を寒くするのだが、"愛"podの怖さはそれだけではない。
『今電源切ろうとしましたよね』
『なんで聞き流すのですか』
『ねえ聞いていますよね、ねえ』
気が緩んだ瞬間に差し込まれる言葉は、神経を刺激して止まないものだった。リアルタイム監視すら疑う恐怖ワードに玖馬は気が休まる暇もなかった。
「なぜだ。あいつが居ないのに気が休まらん」
『休憩までは後三十分ありますよー』
背筋の寒さも肌の感触も麻痺している。ただ純粋に恐怖が刷り込まれるだけだった。もはや何かが宿っているとしか思えない。
寝ても覚めても命の声が聞こえてくる。最近では参考書を読むだけで命が解説を入れてくる錯覚に陥るほどだった。
「ああああああああああああああああああああああ」
――もう耐えられねえ。
その日、玖馬の溜まりに溜まった鬱憤が爆発した。床の参考書をありったけ空に舞い上げると、奇声を上げたまま施設から逃走した。
奇声を上げたまま夜の川沿いをひた走る。いっそうバイクでも盗んで地の果てまで疾走してやろうか。そう考えた玖馬だったが。
『いけませんよ。刑法235条窃盗罪にあたり、0年以下の懲役または50万円以上の罰金に処されますよ』
何か得体の知れない警告が聞こえた。
「理詰めか畜生!」
川沿いに乗り捨てられたバイクに蹴りを入れて、それから玖馬は律儀に倒れた機体を起こした。自然とそうしなければいけない気がしたのだ。
「っくそ。馬鹿らしい」
奇声ダッシュをするほどの熱は冷めたが、冷めたら唐突に全てが馬鹿らしくなった。玖馬は何もかも忘れて人気のない川沿いを歩き、気ままに何度か道を曲がって大通りに入る。
やがて気が付けばヴァスト前にいた。不良時代に仲間と屯した思い出の場所。薄暗い田舎町を照らすファミレスは、その光量よりも玖馬には眩しく見えた。
――あの時は毎日が楽しかった。
玖馬は鷹にも似た鋭い眼光を細めた。
見えない何かに苛つき暴れ回る日々だったが、あの過ぎ去った時間は輝いて見えた。たとえ自分を慕っていた全てに裏切られても、あの時は煌めいたのではないかと思えてしまう。妖しく煌めく過去の魔力に引きずられるように、ふらりと玖馬はファミレスに足を踏み入れた。
自動ドアを越えて直ぐ目に付く客待ち名簿。
一人の今は書き込む必要もない。待つことなく直ぐに客席に案内を受けた。
メニュー表に食べたことのない料理はない。意地になって仲間と注文した料理群が並ぶ。
「いや、食ったことねえのもあるな」
『ファミレスは入れ替わりが激しいですからね』
「……そうか」
誰かの声が聞こえたが構わない。
自分が知るメニューが消えたことが、ただ玖馬の心に寂しさを募らせた。
――祇園精舎の鐘の声……か。
いつかは流行りも廃れる。
あのとき馬鹿みたいに食べた料理も、栄えたら枯れるのが定めだった。
「俺だってわかってる」
『なにがですか』
「このままじゃいけないってこと」
『なんでですか』
「いつまでも不良じゃいられねえ」
過去の全てを精算したわけではない。それでも幾多の過去を飲み込んで足を前に向けなければいけない時期が差し迫っている。
玖馬の中学校生活はもう終盤だった。
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