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日雇いメイドとお嬢様の半日(上)

2万アクセス記念作品その1。

これは命とフィロソフィアが、女学院に一大旋風を巻き起こした翌日の物語。

 エメロットは死の淵に立たされていた。

 

 直接矢面に立つにことはなくとも、裏で知略策謀を張り巡らせていた愚策師は、人知れず疲れを溜め込んでいた。

 

 従者は女子寮303号室のベッドに横たわる。

 高熱に侵されては本業もままならず、お嬢様の厚意に甘える他なかった。

 ――それが間違いだったのだとエメロットは嘆く。

 

「きゃあ、洗濯機がモコモコの羊になったわ!」

 

 主人の悲鳴に合わせて、優秀な見張り番である飼い猫フィーが甲高い鳴き声を上げた。「やばいって、このお嬢様何もできねえ」という猫語がエメロットには確かに聞こえた。

 

 水浸しのタオルを頭から退けて、エメロットは上半身を起こす。

 熱で視界が少しぼやけて見えるが、放っておくことはできなかった。視界は陽炎のようにゆらゆら揺れる。

 

「……わお」

 

 一言、驚嘆の声を上げた。

 熱のせいだけではなかった。

 天井まで届こうという炎が上がり、キッチンが炎上騒ぎ一歩手前だった。

 

「アルコールが引火しましたわ!」

 

 お嬢様絶叫、猫這いずり回る。唸りを上げるは風の音。

 轟々吹き荒ぶは消火の音で、ガラガラ落ちるは食器の音だ。

 

 エメロットは両手で顔を覆った。

 このままでは熱でなく、お嬢様に殺されると。

 

「フィー」

 

 真ご主人様の短い声に導かれて、忠猫フィーが駆け寄って来る。

 

「これをあの人の元へ」

 

 最後の力を振り絞り、エメロットは手紙を書く。

 小さく丸めた紙を首輪に仕込むと、フィーを送り出す。

 

「……気をつけてね」

「ふにゃあー」

 

 お前の意志は受け取ったと、猫は主人に応える。

 短い手足を急回転して猫まっしぐらの猛ダッシュ。廊下を駆け抜けると、翡翠の瞳を光らせる。風の魔法で玄関扉を器用に開放すると、勢いそのままに外へと飛び出していった。

 

 フィーを見送ると、エメロットは熱と疲労で深い眠りに落ちていく。

 重くなる瞼と薄れ行く意識のなかで聞こえたのはお嬢様の悲鳴だった。

 

「お風呂の水が溢れ……」

 

 何も聞こえなかった。

 そう言い聞かせて、今度こそエメロットは意識を断ち切った。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 第二女子寮402号室。

 そこは着せ替え人形にされた黒髪の乙女の逃走先だった。

 

(うう……酷い目に遭いました)

 

 慣れ親しんだ安息の地に戻ると、命は玄関前で小さな借金取りを見つける。

「そこにいるのはわかってる」と扉にタックルを繰り返す妖精猫がいた。

 

「あっ、百万円が落ちている」

「ふしゃあー!」

 

 命の本音が落ちると、猫は全力で威嚇した。

 全身の毛を逆立てるその威嚇行為は、飼い主を彷彿とさせる姿だった。

 

「冗談ですよ、フィー」

 

 命は両の掌を突き出して弁解する。

 

「しかし、なんでまた放し飼いを」

 

 しゃがみ込み、命はフィーを覆い隠す。

 原則女子寮はペット厳禁なので、見つかると寮母の制裁を喰らうからだ。

 

 どうやら同居人も不在なようなので、一度部屋に匿おうとした命だったが、玄関扉を開ける前に目印に気づいた。

 

(はて。何ですかね……これ)

 

 猫の首輪に仕込まれた小さな丸め紙を開くと、命は怪訝な顔を浮かべた。

 

『エメロット キトク スグカエレ』

 

 どこになど猫に問う必要はない。

 命は一応情報としては知っている。

 奴の住処が303号室にあるということを。

 

「えっと……行かないとダメですかねえ」

「うにゃあー」

 

 急かすように蹴りをくれるフィーに動かされ、命は重い足取りで女子寮303号室へと向かう。

 先日恩を売られた手前、無碍にはできなかった。

 


 

     ◆


 

 

 女子寮303号室は地獄絵図の様相を呈していた。

 あまりの悲惨ぶりに命は小さく呻き声を上げた。

 

「うわあ……これは酷い」

 

 割れた食器は散乱して、風呂場付近は水浸し。洗濯機からは泡がもくもくと溢れかえり、キッチン天井には焼け跡すら見えた。

 

 その中心で、部屋主はセントフィリア産の厄介なゴキブリ、クローチと逃げ腰で対峙していた。先日勇敢に戦っていたとは到底思えない、情けない金髪お嬢様の姿だった。

 

「何してるのですか、貴方は」

 

 命が【呪術弾】を飛ばすと魔力探知に優れたクローチが先んじて動く。滑空以外にホバリングを使いこなす虫が羽音を立てて飛びかかった。

 

「――ふっ」

 

 だがクローチも今の命の敵ではない。

 正確無比な【蝿叩き】が炸裂すると、息絶えたクローチは床に落下した。

 即座に虫の死骸を咥えたフィーが、玄関外へと放り出しに走る。


 そこでやっと緊張の糸の切れたのか、フィロソフィアは一度姿勢を改めて、招かれざる客を睨み付けた。

 

「なに不法侵入してるのよ、この――」

 

 喉を出る寸前で飲み込み、フィロソフィアは目を背けながら言い直す。

 

「なんの用かしら、命」

「私が聞きたいくらいですよ」

 

 命は期せずして得た手紙を広げて見せた。

 

「全く何が危篤ですか。主人がこれだけ家事をこなしてるのに」

「これが……家事」

 

 ――惨事の間違いではないのか。

 口に出さずとも、その命の心の声を聞き取ったのか、フィロソフィアは睨みを厳しくした。

 

「それで手伝いに来たのですか。その服装といい、随分と殊勝な心掛けですわね」

「そこは総スルーでお願いします」

「なら、貴方も何も見ていませんわよね?」

「……はい」

「よろしいですわ。それで手を打ちましょう」

 

 ふんとフィロソフィアは満足気に鼻を鳴らす。

 限りなくブルーな気分で命は303号室を観察した。

 

「……うわ」

 

 それがベッドで目を開けた召喚主の一声だった。


 上は波打つ白いカチューシャから始まり、白いフリルをあしらった濃紺のワンピース。腕にはレース模様のロング手袋をはめて、足元には白黒模様のニーソックスを履いた――メイド姿の命が立っていた。

 

「そこまで頼んだ覚えはないのですが」

「……貴方も忘れて下さい」

「まあ私は明日という日も無事迎えられるなら、個人の趣味に口を出す気はありませんが」

 

 趣味ではない。命がけなのだと言いたいが、口は割れない。

 

女装(コスプレ)は遊びじゃないのです)

 

 本気なのですと声高らかに言うわけにもいかず、命は死んだ笑顔で先ほどの発言を流した。

 

「なんなら貴方に差し上げましょうか」

「お嬢様に着せるのですか?」

「ちょっと待ちなさい、そこの従者」

 

 自分が着るという発想がない従者に、主人は主従関係を示したが。

 

「そうですね。こんなメイドは勘弁です」

 

 鋭い切り返しの前に主人は沈黙した。

 この有り様を見てはさすがに命も庇えない。

 

「というわけで。後は任せました」

 

 他人ごとのように言って布団を被る。

 あまりに無責任なメイド長に対して、命は皮肉を込めてぼそりと呟く。

 

「……投げっぱなしですか」

「別に良いですよ。お手伝いしても」


 耳聡く聞き取ったエメロットは反論する。

 

「私の体調が悪化するほど、貴方の子守期間が延長するだけですから」

「さあ片付けますよ、フィロソフィア!」

「そこでやる気出すんじゃないわよ!」

 

 無能お嬢様と日雇い女装メイド。

 二人の短い共同生活が幕を開けた。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 まずは布団のエメロットを転がし、命は主人と従者の布団を交換する。

 水浸しのタオルで濡れた布団では、寝心地が悪いだろうとの配慮だった。

 

「どうしたのよ、命」

「いえ……何でもありません」

 

 不思議そうに見守るフィロソフィアに、命はその事実を打ち明けられなかった。

 手触りでわかる確かな感覚がある。どちらのベッドの方が質が高いのか。


(これが二人の主従関係ですか)

 

 303号室の秘密をそっと胸にしまいながら、命は台所で濡れタオルをしっかりと絞る。ひょこひょこ後ろに付くお嬢様はその様子を見て、真面目な顔で尋ねる。

 

「なんで絞りますの? せっかく浸したのに」

「……貴方、それ本気で言ってますか」

「冷えていた方が気持ち良いですわ」

 

 あんまりな発言に命は大きく溜息を付く。

 お嬢様はむっとした顔をつくったが、命は気にせず濡れタオルを運ぶ。

 

「貴方も大変ですねえ」

「よくおわかりで、すぴー」

 

 寝言風に同意するエメロットの額に正しい濡れタオルをそっと置いた。

 これで寝かし付けは完了だ。

 

「さて次は」と、辺りを見渡した命が凍った。

 掃除機を取り出すお嬢様の姿が見えたからだ。

 

「ちょっと、貴方何やってるんですか――ッ!」

 

 掃除機を持つフィロソフィアの手が止まった。

 洗剤の泡と水で湿るフローリングに何の疑問も持たずに、今まさに掃除機をかける手前だった。

 

「食器の破片が散って危ないですわ」

「危ないのは貴方の行動です!」

「はあ? 私の何が間違っていますの」

「コンセント接続と同時に、感電死するつもりですか」

 

 反論できずとも、フィロソフィアは尊大な態度で言い返す。

 

「では、私にどうしろと」

「……モップと塵取り持って来て下さい」

 

 備え付け品の持ち出しを指示すると、部屋を一分ほどうろついてから、手ぶらでフィロソフィアが帰って来た。はじめてのおつかい失敗の図である。

 

「どこですの?」

「玄関脇の用具入れにあるでしょうに」

「……なんで、知ってますの。人の部屋なのに」

 

 気味悪げに一歩引くお嬢様は何も知らない。用具入れの配置場所はもちろんのこと、女子寮部屋が同じ間取りであることすらも。

 

(……これは骨が折れそうだ)

 

 適度に仕事を任せて満足感を与えるのが、ベストな手法だと命は判断する。

 モップを持って帰るフィロソフィアに対して、早速その方針を試みた。

 

「持ってきましたわ」

「おお偉い。さすがはフィロソフィア」

「……貴方、私のこと馬鹿にしてますの」

 

 匙加減が難しいと命は苦笑を浮かべつつ、フィロソフィアが持ってきたモップを握る。

 しかし、持ち主が離す気配は全くなかった。

 

「私がやりますわ」

 

 硝子片が刺さって、のたうち回るお嬢様の図が命には容易に想像できた。

 血に塗れた「一人でできるもん」は勘弁だった。

 

「いけません。貸しなさい」

「嫌ですわ。離しません」

 

 埒が明かないと命は顔を近づけた。

 

「貴方が怪我したら大変でしょう、お嬢様」

 

「ねっ」と念押しの一言とともに会心の微笑み。

 その仕草にフィロソフィアの手が緩んだ。

 

「ま、まあ。そこまで言うならやらせてあげるわ」

「ありがとうございます」

 

 すかさず命はモップと仕事を強奪した。

 王子様に憧れている節がある、お嬢様の心に漬け込んだ手口だ。

 

「貴方は濡れた布団を椅子に掛けて下さい

「椅子? 外ではないの」

「夜干しは大して効果ありませんから」

「そうなの。ふーん」

 

 お嬢様の自尊心を満たす適度な仕事を与えると、命はフルスロットルで掃除を開始する。

 四十八の乙女技の一つ、甲斐甲斐しい乙女の掃除術が炸裂する。

 水、泡、硝子も何のその。乙女のモップ捌きにかかれば敵ではない。

 

「何か要らない紙ありませんか」

「新聞紙であればありますわ」

「貴方、新聞とか読むんですね」

「失礼な。当たり前ですわ」

 

 女子寮入居時に新聞勧誘を断った命は、驚きを隠せない。

 

「それでは今日の一面は?」

「エメロットが知っていますわ」

「えっと、貴方は読まないのですか」

「エメロットが知っていれば、私が知っているも同然ですわ。貴方は何を言っていますの」


 胸を張って言われた以上、命は何も言えなかった。

 反論せずに受け取った新聞紙を床に広げる。

 

「今度は何をしていますの?」

「硝子の細かい破片をとっているのですよ。水で濡らすと小さな破片が絡むので」

「ふうん。庶民は変なこと知っていますわね」


 フィロソフィアは悪気なく言い放つと、布団を椅子に掛ける仕事に戻っていく。何度か椅子が倒れる音が響き渡ったが、命は聞かなかったことにした。

 硝子片をひと通り取り除いてから床を乾拭き。念のために掃除機をかけて命の掃除は完了だ。

 

「ああ、洗濯機もありましたか」

 

 洗濯機の水を抜いて、泡だらけの洗濯物をお風呂場に投げ込む作業に移行した命だったが、不意にその手は止まった。

 

「なんて……子供趣味なパンツ」

「いやああ。何見てるのですか――ッ!」

 

 【羽衣(ローブ)】で身体能力強化。風を用いた移動術式で更に移動力を強化したフィロソフィアが、洗濯機前まで【突撃(チャージ)】してきた。

 ちょうど命が縞模様のパンツを投げる手前だった。

 

「さすがにこれはいかがなものかと」

「放っておいてちょうだい! それにこれは……。そうよ、エメロットのですわ」

「では、適当に投げ捨てますね。てりゃ」

「なに私のパンツをぞんざいに扱ってますの!」


 語るに落ちるとはこのことだと、命は浅はかなお嬢様を鼻で笑う。

 羞恥で顔を染めるお嬢様は、ハンカチでも噛みそうな勢いで怒っていた。

 

「やっぱりムカつきますわ、この野犬――ッ!」

「その方が貴方らしくて落ち着きますねえ」

「もう良いですわ。ここは私がやりますわ!」

「ええ。それではお願いします」

 

 お嬢様の下着に触れるのに抵抗があった命は、あっさりと承諾した。


(では、次は――)

 

 命はキッチンへと向かい、天井を見上げる。焦げ跡はどうしたものかと考える。

 

(申告すると寮母のぼったくりに遭いますから、今度クロスで補修しますかねえ)

 

 幸いにも命が所属する1-Fには、手先が器用な太っちょな女生徒がいる。

 翌日にでも彼女へ頼むことにして、命は一旦この問題は先送りにした。


(後は夕食の準備ですか)

 

 時間も空いたのでキッチンに立つ命だったが、忠告の声が聞こえたことで一度手を止めた。

 

「止めた方がいいですよ」

 

 と、布団のなかから抑揚のない声がした。

 

「勝手に料理を作ったら、お嬢様が怒りますよ」

「……あー」

 

 フィロソフィアがいない間に料理を済ますと、何が起こるのか。想像に難くなかった。喚くお嬢様の姿が命には容易に想像できた。

 

「貴方まだ起きていたのですか」

「この有り様で寝られるとお思いで」

 

 命は乾いた声で誤魔化すと、ベッドに目を向けることなく問う。

 

「あのお嬢様、料理とかできるのですか」

「その答えは鍋のなかにあります」

 

 命は少し焦げた鍋の蓋を持ち上げて、固まること数秒。

 そっと蓋を戻した。

 

「何ですか……あの発ガン性物質の塊は」

「素材を無に返す、お嬢様の手腕による賜物です」

 

 当人が聞けば怒髪天間違いなしの会話だったが、水音が響く風呂場には聞こえない様子だった。

 

「残念ながらお嬢様は……いや、残念なお嬢様は」

「今の言い直し、何か意味ありましたか」

「一度も料理をしたことがありません」

「当たり前です。一度でも料理をしたことがある人に対して失礼です」

 

「ですが」とエメロットは一度溜めてから続ける。

 

「そんなお嬢様が、初めて料理をしてくれたのもまた事実です」

 

 普段抑揚のない銀髪の従者の声色が、わずかに弾んだ。

 

「それでは食べますかこれ?」

「地中深くに埋めて下さい」

「……地層処分をご所望ですか」

 

 料理と思しき物体を捨てる勇気もなく、命は一口だけ口元へ運ぶ。

 

(ああ……この味わいは)

 

 外観を裏切らないその味はどこまでも黒く。酸味、辛味、苦味、アルコールが口を汚染する。唇を噛んで朦朧とする意識を繋ぎ止めると、命は死に物狂いで洗い場の蛇口を捻った。

メイド服@八坂命のここが凄い!

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・炊事洗濯家事掃除の腕前が乙女級

・膝下とスカートの黄金比を完全に理解

・萌え萌えじゃんけんを心理戦に持ち込む

・借金の形として即座に身売り可能なスタイル

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