汚れた血統種(下)
入学五日目。曇り。今日は従者の機嫌が悪い。
エメロットの私を見る目が不味い。
ゴミを見るような目つきでは済まされないわ。
「生ゴミと、性犯罪者、あとは親の敵を混ぜてマイルドにしたものを見る目です」
昼食時に丁寧に説明してくれたが、どこをとってもマイルドな要素がない。
マイナスな要素を集めただけですわ。
彼女の不機嫌は、目つきに留まらない。
隙あらば毒を塗った短刀みたいな小言で私をチクチクしてくる。
エメロット暴言集はバリエーションに富んでいますわ。
「お嬢様って猫アレルギーなんですね。全く触れないですしね」
「さて、今日も森林浴に行きますか」
「今日も精が出ますね。成果出ませんけど」
「身体測定なんて必要ありませんでしたね。お嬢様は伸びしろありませんから」
「今日はカード交付日ですね。普通の人は」
「はあ。従者に勝る主人なんていないのですね」
……思い出すと少し胃が痛くなりますわ。
しかも、これは数ある暴言の一部だ。
部屋を猫が住む仕様にするという、言外のアクションも起こしている。
今度失敗したら、私の夕飯がペットフードになる可能性も否めないわ。
エメロットは別段猫好きではないのに。
ならば、何がここまで彼女の保護欲を駆り立てるのか、私にはさっぱり理解できない。あの汚れた妖精猫の一体どこが良いのかしら。
ただわかるのは、昨日から私たちの関係が険悪だということだ。
元もと良好な関係ではありませんが、今日は輪をかけてひどい。
妖精猫の住処に向かう途中ですが、一切の会話はない。
先ほどなんて、滑空してきたアカサビをチョップで迎撃するだけでは飽きたらず、空中で5Comboぐらい入れる姿を目撃した。最後は飛び回し蹴りの大盤振る舞いですわ。
なんて恐ろしい従者なのかしら。
「あっ」
ぽつりと雨粒が落ちた。曇り模様だったので、怪しいとは思っていましたが、傘を持ってくるべきでしたわ。
ふと横を見ると実習で会得した収納魔法【小袋】から、エメロットが傘を取り出していた。一人分ですわ。
「すいません。一本忘れました」
「そんな日もありますわ。頭が冷えて丁度いいわ」
先行する私の手をエメロットが掴み、身体を引き寄せた。
だから急なんですよ、貴方は。
「バカなこと言わないで下さい。風邪引いたらどうするつもりですか」
「一本ですわよね」
「一人用とは限りませんよ」
こうして強引に傘の中へ連れ込まれた。
エメロットは目を背けながら小さくつぶやく。本当に一本忘れてしまったのだと。主人より有能な従者にしては珍しいポカですこと。
二人で身を縮こまらせても傘は小さい。お互いに外側の肩が濡れた。
決して快適ではありませんが、主人想いの従者に免じて許してあげますわ。
少なくとも私は悪い気分でなかった。
ここ一日離れていた距離が、少し縮んだ気がした。
相合傘で猫妖精の住処を訪れる。
そこにいたのは、もはや妖精猫などと呼べるシロモノではなかった。
あれは、ただのずぶ濡れの野良猫ですわ。
「魔力が薄いのでしょうね」
雨音に消されなそうな声で、エメロットが言う。
妖精猫やテオタイガーが美しい毛並みを持つのは、魔力で艶やかな毛並みを保持しているからだ。その毛並みがボロボロなのは、魔力が枯渇寸前な証拠だと。
思えばあの妖精猫はいつも枝の上にいた。
誰かを待っていたのか、あるいは自然の掟に負けたのか。
情けない。弱いからいけないのよ。
妖精猫は逃げる分には優秀でしたが、獲物を狩るとなるとまた別ですわ。
本来アウロイ高地に生息しない生き物。ましてや、ほとんど養殖の魔物が、この過酷な環境で生きるのは難しいのでしょうね。
あの猫はただ霞を食べる仙人のように、アウロイ高地に漂う微量な魔力を食べるだけ。
そういえば何度も見かけましたが、あの猫が何かを食べるところは見たことがないわ。餌で釣ろうとしたときも、一口たりとも手を付けませんでしたし。
ボロでみすぼらしい毛並みでも、野生の妖精猫はただ気高い目をして、枝の上にいた。それが辛いと思ったことはないのでしょうか。
生き辛いと訴えればいいものを。この強情者が。
「エメロット、今日こそ連れて帰りますわ」
「ええ。いつだって期待してますよ、お嬢様」
今日のために恥を忍んで教えを乞うた、新しい魔法もある。それが虚をつけば効果的な魔法だということは、他でもない私が何より知っているわ。
「お嬢様!」
早速新魔法の行使にかかり始めると、エメロットが小さく悲鳴を上げた。
虎だ。またあの忌々しいテオタイガーが現れた。
ただ今回の標的は私たちではなかった。
テオタイガーは一心不乱に妖精猫のいる木を揺らしている。体当たりを繰り返すと、前脚をかけて体重をかける。
貧相とはいえ、魔力のある妖精猫は美味しい獲物に見えるのだろうか。だが無駄な話だ。あの猫が落ちるわけがないわ。
そう私は、あの妖精猫を過大評価していた。
――妖精猫が雨で足を滑らせた。
「バッ――あの子!」
何よこの野犬、土壇場で何をやらかしているのよ。
妖精猫は、虎の口まで真っ逆さまに落下していく。
何よ早く風を吹かせないよ。まさかできないの。落下して動揺してるの。本当にもうこの猫は。
「させなわよ――この野犬が!」
風の魔法【浮遊】を発動し、猫を引き寄せる。あの黒髪の野犬ができて、私にできないことなんて何一つないわよ。
だけど覚えたての魔法は習熟度が低く、私の手元まで寄せるには届かない。
「任せて下さい、お嬢様!」
即座に走り寄ったエメロットが妖精猫を捕獲すると、私たちは逃走態勢に移行する。雨空のなか飛ぶのは嫌だが、これで終わりだ。
そう思っていましたのに。
「エメロット――ッ!」
エメロットの高度がなかなか上がらない。
手元の妖精猫が暴れている様子が見えた。
飛行魔法に集中し切れていないのだ。あのクソ猫。
足元のテオタイガーが、エメロットをどうにか降ろそうと、二足歩行に近い形で、前脚を宙に投げ出している。
「……ガルル」
アウロイ高地の王者が唸る。狩りの邪魔をするなと警告しているようだけど、関係ありませんわ。私が掲げる家名は"フィロソフィア"。気高き魔法少女を前にして礼儀がなっていないのよ。この野犬が――ッ!
黙詠唱に移る。
頭に思い描くのは渦巻く【風の槍】だ。
思考から遅れること五秒強でそれは発現した。
「野犬が、エメロットから離れなさい!」
斜め上空から投擲した【風の槍】は見事に虎のどてっ腹に命中した。さすが私ですわ。
しかし、相手もただの虎ではない。魔物であり高地の王者。風穴が空くことはなく体勢を崩しただけだ。悔しいけれど、私の魔力では足りない。
この分では他の魔法も効果は薄いと判断し、空から降下する。
エメロットが一人で飛べないなら、私が上から引きずり上げるまでですわ。私の者を虎にやるつもりなどなくってよ。
「しっかりしなさい。普段みたいに」
「でも、この子が」
無理やり持ち上げて高度を上げるも、依然エメロットの飛行は安定しない。何かの拍子に落ちてしまいそうだ。
エメロットの手元を見れば原因は明らかだ。妖精猫はこの期に及んでまだ暴れていて、従者の両手には無数の引っかき傷があった。
ったく、面倒かけるんじゃないわよ。
「大人しくなさい。みっともない!」
妖精猫の頭を鷲掴みにして、無理やり魔力を注ぎ込む。相手が妖精猫ならば、拒絶されなければいける。属性が合えば、理論上はぶち込める筈なのだ。
そう書いてありましたわ『妖精猫と生きる』に。
「死にたければ今すぐ落としてやるわ。でも生きたければ、現実を受け入れさない。貴方は一人じゃ生きられないのよ」
空に霧散していた魔力が流れなくなる。この妖精猫が私の魔力を受け入れた証拠だ。心なしか毛並みが良くなり、大人しくなった。現金なものね。
「ついてきなさい。私が貴方のご主人様よ」
空中で主従関係を叩き込んでから、私たちは雨降るアウロイ高地を抜けだした。手元の妖精猫を慈しみながら、エメロットが優しく言い聞かせた。
「もう大丈夫だよ」
ふん。私は世話しませんわよ。
◆
第二女子寮303号室に住人が増えた。
たんまり私の魔力を吸い取り、綺麗な毛並みを取り戻した妖精猫がいる。
人の教科書を噛んだり、壁を引っ掻いたり、挙句の果てには私のベッドを占領したりと。……まだまだ教育が必要な子ですわ。
勉強中の私の膝元に乗るのも、懐いているからではない。ときおり擦り寄って私の魔力をかすめ取るのだ。
実に鬱陶しいことこのうえ無い。私は充電器じゃありませんわ。
「おいで、フィー。ご飯の時間だよ」
食事とわかった途端に膝を離れる。
実に主人に愛がない猫だこと。
魔力をくれないエメロットにはよく懐くのに。
それにしても、やはりどうにも慣れない。
「その名前、やっぱり変えてくれない」
「良いんですよ。ねっ、フィー」
キャットフードの皿に頭を突っ込む妖精猫は、今食事中だから邪魔すんなと言っている。所詮は畜生ね。
だが、この畜生は私の名前『フィフィー』とよく似た名前である。
偉大な主人の名前をとるのは良いが、自分の名前を呼ばれているようだ。
私は『ヤケン』と『ノラネコ』という名前を押したのだが、あえなく却下された。それで付いた名前が『フィー』である。
名付け親は当然エメロットなのだが、一体彼女が何を思ってこの名をつけたのか。怪訝な顔をする私に、勘の良い彼女は答えた。
「この子、お嬢様に似ていますから」
「この薄汚れた猫がですか」
シャーと、毛を逆立てたフィーに威嚇された。
この野犬じみた妖精猫に似ているというのは、エメロットなりの毒舌なのだろう。この汚れた血統種のどこが私に似ているのか、皆目見当もつかないわ。
どちらにしろ迷惑な話だ。
この野犬もどきが名前を呼ばれる度に、私は錯覚に陥るのだから。
「自分の名前を呼ばれた気になるわ」
「大丈夫です、お嬢様」
能面みたいな従者は、胸を張って答える。
何が大丈夫なのか、その理由も彼女が教えてくれた。
「だって、お嬢様の名前はフィフィーだから」
呆気にとられた。そのくだらない理由もだが、エメロットが何年かぶりに、私の名前を呼んだ理由にもだ。
気まぐれな従者は「おっといけない」と口元を手で上品に押さえた。
その手の下にある唇の動きを私は知らない。たが、願わくば無邪気な口元であって欲しいものね。
セントフィリア女学院に入学してからの私の長い五日間が幕を閉じた。
土日は寝かせてほしいものですわ。
妖精猫との仁義なき戦いの記録
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2日午後:○妖精猫―✕お嬢様
3日午前:○妖精猫―✕お嬢様(安定の連敗)
3日午後:○妖精猫―✕お嬢様(残念すぎる)
4日午前:○妖精猫―✕お嬢様(胸が小さい)
4日午後:○妖精猫―✕お嬢様(従者に劣る)
5日午前:○妖精猫―✕お嬢様(落ちこぼれ)
5日午後:✕妖精猫―○お嬢様(私の自慢♪)
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記録者:主を慕う従者エメロット
PS.猫飼いました