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はかなしのディグダグ

これは運命に翻弄される騎士団長の物語。

本編「第98話 カウントダウン」以降に読むことをお勧めします。

 彼女は言った。

 生きるとは穴を掘ることだ、と。

 私は言った。

 つまり掘って掘って掘りまくって最期はそこで眠るのかい、と。

 もう、と彼女は困ったように微笑む。いつだって乙女然とした彼女は、その笑みで何でも優しく包んでしまう達人だった。

 人の弱さも、私のずるさも、何もかも包んで許してくれる。

 私はそんな優しい彼女のことが好きだった。


 なあ……鷹匠(たかじょう)


 私は、十分掘れただろうか。


「グルウゥアアアア――ッ!」


 獣の咆哮が、石の広間を震撼させる。

 小山のような巨体を揺らし、六つの首を持つ化け物が迫っていた。


 少し目を閉じていれば……彼女と同じところに逝けるだろうか。


 ああ、最期なんてあっけないものだ。

 私に踊りかかった化け物は、狼の群れに強襲されていた。

 狼を(かたど)った水の塊は衝突するたびに、ばしゃんばしゃんと水音を立てて弾ける。

 弾けた水滴は六ツ首の毛皮にまとわりつくと同時に凍てついた。

 次第に鈍する化け物は氷の彫像と化し、


氷砕(ブレイク)


 ついには宙にきらめく無数の欠片になった。

 綺麗だな、と思った。

 化け物の最期にしては上等である。


 私はほんの少し、砕け散る化け物のことが羨ましかった。




     ◆




 世には、運命の交通事故というものがある。

 私がそれを信じるようになったのは三年前、鷹匠が不運の死を遂げ、マグナが魔法少女として不能になった年のことだ。

 世のなかというのは全く動いていないように見えて粛々と準備を進めていて、ある日突然、運命の交通事故を起こすのである。

 三年前、私は大いに迷惑をこうむったので、人一倍運命の交通事故に敏感だった。

 その私に言わせると、運命はそろそろ交通事故を起こすに違いない。


 春祭りの騒動に【階層工事(フロアシャッフル)】と、春から続く面倒なイベント。

 これこそが予兆に思えてならない。

 一体この国は春風にのせて何を招き入れてしまったのだ。大いなる厄災でも招き入れてしまったのではなかろうか。


 そう遠くない未来――それが明日のことか、来年のことか、はたまた数年先のことかは定かでないが――私はきっと事故に遭うだろう。


 悲劇である。

 長期的に見ても、そして短期的に見てもだ。


 運命が下準備を進める度に、私はいつだって面倒ごとを抱えてきた。先月の春祭りのときもそう、そして今回もそうだった。


「それじゃあ諸君、今日も張り切って潜ろうじゃないか」


 私は部下に向かって熱のない指示を出す。やる気がないと言われればそれまでだが、別にあってもなくても変わりはしまい。

 部下(一名を除く)は私と違ってやる気に満ち溢れてるし、何より私の言うことなんて聞いてやしない。


 大いに結構。勝手に働いてくれ。


 私たち"王宮騎士団(ロイヤルナイツ)"は、朝から陰気くさい洞窟の前に集結していた。

 それが何故かと問われれば、答えは一つしかない。


 仕事だから、だ。



 大規模質量転移魔法――【階層工事】が発動したのが、4月2週の金曜日のこと。あれから早一月が経とうとしてるが、未だに事態は収束していない。魔物の生息図は乱れに乱れ、入洞して直ぐに凶悪な魔物と遭遇することも珍しくなかった。


 いきなり転移された魔物もさぞ迷惑だろうが、あえて言わせてもらおう。

 私たちはもっと迷惑である、と。


「おらぁ! 来いよおらぁ!」


 隣を歩く副団長――ライラ=ヴォルフが、コーヒー色のパンダに殴る蹴るの暴行を加えていた。

 憐憫の情を抱いてはいけない。

 あれは動物ではなく、限りなく動物に近いモンスターなのだ。


「メェェー」


 コーヒーパンダが弱々しく鳴いた。へえ、パンダってヤギみたいな声で鳴くんだ。私は特に知りたくもなかった知識を得た。

 程なくして事切れたコーヒーパンダはうつ伏せに倒れる。キラキラ輝く欠片になると、母なる迷宮に還っていった。

 いつ見ても美しい光景である……過程はともかくとして。


「そのさ、魔法でひと思いに還してあげない?」

「わーってるよ。でも体あっためとかないと、いざってとき困るだろ」


 ヴォルフは何の感慨もなさそうに屈伸してる。

 あれ、準備運動だったのか……。

 私が知ってる準備運動とは大分違うが、まあいい。部下と上司の間にギャップはつきものである。


 私は口を閉ざしヴォルフの後ろを歩いた。前を行く副団長のなんと頼もしいこと。この調子で目につく魔物をすべて虐殺……もとい迷宮に還して欲しいところだ。そうすれば、次は回ってこないかもしれない。


 【階層工事】が起きてから、四大組織(スクウェアー)は週替りで魔物討伐の任についていた。私たちに順番が回ってくるのはこれで二度目のことだ。


 二度目ともなれば危険は減るし遠足気分で探索できるかな……なんて思ってたのだが、どうやら私と上では物の見方が違ったようだ。

 私が危険度(リスク)を見ていたのに対して、上は討伐数(スコア)を見ていた。

 やれ他と比べて数字が悪いとか、やれお前らには"王宮騎士団"としての誇りがないのかとか、成果主義と懐古主義をこじらせた連中が喚く喚く。


 私は「はいはいワロスワロス」と上からの意見を真摯に受け止め、討伐数を伸ばすとした。


 差し当たって私がしたことといえば、部下(一名を除く)への激励である。

 東にローズがいれば「小卒にしちゃ悪くない数字だよ」と言い、西にヴォルフがいれば「君は悪くない悪いの数字だけだよ」と言い、南にワルウがいれば「目に見えぬ愛より目に見える数字が欲しい」と言い、北にアシュロンがいれば「ええい君はとにかく数字をあげたまえ」と言った。


 その甲斐あってか"王宮騎士団"は燃えに燃えていた。団員たちが自発的に競争を起こし、討伐数を争う流れができたのだから儲けものである。

 私たちの討伐数はうなぎ登り。

 きっと私の評価もうなぎ登りに違いない!


 ……まあ、そこまで欲しくもないんだけどね、評価。

 数字に限りはない。自分の首が絞まるとわかってるのに、終わりがないものを求めて何になる。

 アンニュイな気分である。こんなことを考えてしまうのも、きっと果ての見えない迷宮をさまよってるせいだろう。


 私は(よわい)アラサーにしてまだ天命を知らないが、つくづく思う。人生と迷宮はよく似てる、と。


 淡い青光(ひかり)だけを頼りにして、ヴォルフがずんずんと歩いていく。どんな化け物と出くわすかもわからないのに豪胆なことだ。

 私は手元の【鬼灯(ランプ)】だけは絶やさぬようにして、ヴォルフの後を追った。


 私とヴォルフは上司と部下という間柄だが、その関係性をなくしてしまえばどうだろう?

 私たちの関係は一言では説明しがたいが、あえて説明するのであれば……。

 全く口を利かない日もあれば、ふとしたきっかけでずっと喋ってる日もある。が、プライベートでは全く交友がない関係だ。


 今日はどちらかといえば沈黙の傾向が強く、コーヒーパンダと遭遇して以来、話をしていない。

 どこかで話を切り出す必要があるのだが、どうしたものか。

 昼休みという好機も逃し、午後の探索を再開して二時間が経過したころ。


「おっ」


 狩りに集中していたヴォルフが、久々に口を開いた。


「これはまたデケェのが来たな」


 全長は三メートルを超え、優に一トンはありそうな小山。

 六つの首を持つ巨大な狼が私たちの行く手に現れた。




     ◆




 魔物の名はダイヤウルフ。

 地下80階層に生息する凶悪な狼であったが、ウチのオオカミさんはもっと凶悪であった。

 あっという間に氷漬けにして、粉砕。

 六ツ首の化け物は跡形なく砕け散ると、忘れ形見のように魔法石をドロップしていった。


 噂には聞いていたが、綺麗な魔法石である。前に手にした地下40階層の魔法石は琥珀のようだったが、これは海色(みいろ)の宝石のようだった。


「で、どうする? 欲しければあげるけど」

「いらね。一応仕事中だし」


 公務中のドロップは受け取れない、か。売れば数百万イェンは下らないというのに……。

 ヴォルフは粗野だが根は真面目というか、妙な性格をしてる。


「そうか、なら私が失敬しておこう」


 私はそっと袖の下に海色の魔法石を隠した。


「あんたがパクんのかよ! うっそだろ、私より給料たけぇーのに!」

「こういうのはお偉いさんと取引するときに使うのさ」

「取引ってあんたな……別にいいけど」


 ヴォルフは藍鼠色(あいねずいろ)の頭をがしがし搔いたが、特に私の行いを咎めなかった。さすがは副団長、愛してるぜ。


「あんたが怪しいのは今に始まったことじゃないしな。前の探索のときだって、途中でバックレやがって」

「むっ、失敬な。あれは健康診断だよ健康診断」


 嘘はついてない。ついでに情報収集もしてたけど、それはそれとして。


「そういえば、それもあったな」

「なんだよ急に」

「なに、君に話すことが増えただけだよ」


 手のひらを地面に向ける。湿った土から椅子二脚とテーブル一台を成形すると、ヴォルフが「おおっ」と感嘆の声を発した。


「こういうとき、地属性の魔法少女は便利だよな」

「まあね。土色なのは仕方ないにしても、形はなかなかのものだろう? さあ、ティーブレイクと洒落込もうじゃないか」


 私に続いて、ヴォルフも椅子に腰を下ろした。

 ちゃんとハンカチを敷いてから座るのは、私的にポイント高い。実にグーである。


「でもいいのか? 数字わりぃと、また上に詰められんじゃねーの」

「大丈夫さ。むしろ良すぎると次のノルマがキツくなる。それにほら、君が頑張りすぎると下がかわいそうだろ」

「まあな」


 魔物討伐ランキング堂々の一位を誇るヴォルフが不敵に笑った。

 うん、実に大人げない。

 君が本気出したら、若手が勝てるわけないだろうに。


「今ごろローズとワルウは顔真っ赤にして頑張ってるんだろうね。アシュロンは……真っ青な顔してそうだけど」

「はっ! 赤ぶちメガネが映えて、ちょうどいいんじゃねえの」


 鬼だな、この女。

 アシュロンには同情するが、これも良い経験か。

 若者よ、勝手に苦労して勝手に成長するが良い!

 私たちは優雅にお茶してるから。


「そうそう。先日、ユメリアから良い茶葉をもらってね」

「ユメリア? ああー」ヴォルフは岩天井を見上げながら言う「エクセリア家のか。相変わらず如才ねえというか、可愛げがねえというか」

「そう嫌ってやるな。私は意外と好きだよ」


 ユメリアの手作り茶葉とアルマイト製の水筒、それにガラスのティーポッドと花模様のティーカップを二つ、【小袋(ポケット)】から取り出す。


「あっためるか?」と申し出を受けたので、「95℃で頼む」と水筒を投げ渡した。

 十分後。ヴォルフはオーダー通りに加熱した水筒を投げ返してきた。


「こういうとき、水属性の魔法少女は便利だよね」

「私ぐらい有能なら、だろ?」

「そうだね」


 間違ってはないかな。熱を加えるのは、どちらかと言えば火属性の領分である。それを沸点までとはいえ1℃刻みで調整できるのは、ヴォルフが魔法少女としていかに優れてるかの証といえた。


「訂正しよう。ヴォルフは便利な女だよね」

「おい、いきなりダメ女臭が漂ったじゃねーか!」

「そうかい? 私は本気で褒めてるつもりなんだけどな」


 ポッドに茶葉、次いでくつくつと泡を立てるお湯を投入する。土の匂いしかしなかった迷宮に紅茶の香ばしい香りが漂いだした。ユメリアの献上品だけあって実に良い香りだ。私はこの紅茶を蒸らしてる時間というのが嫌いではない。


「プレイヤーとしては言うことなしだし、最近は部下の育成にも熱心じゃないか。私としては大助かりだよ」

「そういうのいいからミルクと砂糖くれ」


 ヴォルフは怪訝そうな顔をしながら、ミルクピッチャーとシュガーポットを要求する。蒸らしを終えティーカップに注いだ紅茶に角砂糖を六個も投入すると、これでもかとミルクを垂らした。ヴォルフはこれを「英国式」と言って憚らないが、単に彼女が子供舌であることは周知の事実である。


「熱っ!」


 加えて彼女は猫舌でもある。舌を火傷したのか、紅茶をふーふーと冷ましていた。

 かわいい……先ほど褒められて動揺したのだろう。


「おい」


 おっと! 睨まれてしまったよ。これでは話もままならないので、私は素知らぬ顔で紅茶を一口嚥下し、【小袋】のなかを漁った。


「そうだ。話をしながら、一つゲームでもしないかい。紅茶によく合うものを持ってきたんだ」


 明色と暗色。市松模様(チェッカー)のボードをテーブルの上に置くと、不機嫌だったヴォルフが目を丸くした。


「チェス盤……買ったのか?」

「ああ、買ったとも」


 一週間前、君に負かされたその日の内に、その足で職人街(7区)に買いに行ったさ。


「あんた、意外と根に持つタイプだよな」

「そうかい? 人並みだと思うけど」


 少なくとも経験者だということを隠し、私に圧勝した君ほどではない。

 その勝利に食らいつく牙、真面目さの裏にある狡猾さ。

 人狼(ウェアウルフ)と呼ばれるだけのことはある。


「君は経験者だからね。私が先手(しろ)でいいだろ?」

「わーったよ。それでいい」


 【小袋】から落とした駒を二人で並べる。一週間前のあの日と違い、配置に時間はかからなかった。

 あの日、私はずぶの素人だったので並べ方を知らなかった。そして君は素人のフリをして、わざとまごついていた。私はそのことを一生忘れないだろう。


「それと、一つ賭けをしないかい」

「賭け?」

「なに、そんな身構えることはない。負けた方が勝った方の言うことを一つ聞く。シンプルでいいだろ?」

「そいつはまた強気に出たな……いいね、のった」


 犬歯をみせて笑うヴォルフに、私も笑みを返した。


「言ったな。二言はなしだぞ」


 仕事という仕事をすべて部下に押し付けチェスの勉強をしてきた、この一週間の成果を見せてやろう!

 初手。クイーン(セントフィリアのチェスではキングの代わりを担う駒)の前にあるポーンを動かす。

 すると、ヴォルフはわずかに顔色を変えた。

 ヴォルフは、鏡写しのようにクイーンの前のポーンを進めた。

 私が迷うことなく次の手を指すと、ヴォルフは確信したようだった。


「どうやら少しは勉強してきたみたいだな」

「当たり前だろ。私は勉強熱心なんだ」


 チェスの序盤には、オープニングと呼ばれる様々な定跡がある。全部を覚えるのはさすがに無理だが、先手を取ることである程度パターンを絞ることはできる。私が選んだのはルイ・ロペスというメジャーな手だった。


「そうそう、言い忘れてたね。私が勝ったら、君にはちゃんとローズの面倒も見てもらおうか」

「ぐ……っ!」


 そんなに嫌か……まあ、わからんでもないが。

 昔に比べて確かにヴォルフは面倒見が良くなった。しかし、それはアシュロンにだけである。


「未来のエースのことも、ちゃんと育ててもらわないと困る」

「あんたが育てればいいだろ!」

「そうしたいのは山々だけど、私も忙しい身でね」


 無論、嘘だ。

 能力が高くて性格が悪い部下とか手に負えない。ゲームにかこつけて爆弾を押し付けるのも私の狙いだった。

 ヴォルフの動揺を誘うべく、さらに話を振る。


「そういえば、春祭りの事件あったろ。あれ調べてる内に面白いことがわかってね」

「…………」


 ヴォルフは無言で三手目を打とうしたが、私は構わず続けた。


「あの事件は【階層工事】と繋がってる――」

「……っ!」

「かもしれない」

「おい、テキトーなこと言って動揺させるの禁止!」


 ちっ、間違えなかったか。ちょっと残念だが話を進めるとしよう。ゲームに勝ちたいのは山々だが、優先順位を間違えてはいけない。


「テキトーなもんか。【階層工事】の被害者は、春祭りの容疑者候補でもあるんだぜ。疑ってしかるべきだ」

「それ、ホントか」

「本当だとも。君は八坂楓という魔法少女を知ってるかい?」

「そりゃ知ってるよ。私、あの人の選定会(セレクション)、生で見たもん。何つーの、やっぱ華があるよな。どんなピンチも笑って乗り越えちゃう感じ」


 さすが直撃世代だけあって詳しい。では、これはどうだろう?


「そのレジェンドの娘が春から入国したってことは?」

「知らん! マジか!」

「春祭りのとき、ローズが怪我させた子がいたろ? あれが、娘の八坂命ちゃんだよ」

「あー」


 ヴォルフは間延びした声を出した。


「相手がローズじゃな。それに一流の子どもが一流とは限らねえか」

「さらに運の悪いことに、この子【階層工事】の被害者でもあってね」

「……運が悪いにも程があるだろ」


 当たり前といえば当たり前の反応である。私も八坂命ちゃんのことは単に運の悪い子だと思っていた……ここまでは。


「でもこの子、単独で三ツ首を倒してるんだよね」

「なっ!」


 ヴォルフが驚声を放つのも無理はない。ダイヤウルフを狩れるというのは、魔法少女にとって一種のステータスである。ヴォルフがどうかは知らないが、少なくとも私は八坂命ちゃんと同じ年のころに三ツ首は狩れなかった。


「嘘だろ。三ツ首ってことは40階層だろ。ヴァネッサが狩ったんじゃねーの?」

「私もそう思ってたんだけど」


 引率のヴァネッサが虚偽の報告をしたという線は、私も真っ先に疑ったが。


「どうも嘘をついてる風じゃないんだよね」

「なるほど。あんたが言うと説得力があるな」


 むっ、嘘つきオオカミさんが人のことを嘘つき呼ばわりするのは感心しないな。


「あっ!」


 私が駒を掴もうとすると、ヴォルフがまた驚声を放った。

 ようやく自分が手を誤ったことに気付いたらしい。


「待っ」

「待ったはなしだ」


 私は気にせず駒を動かした。ヴォルフは恨みがましい視線を向けてきたが、無駄を悟ったらしい。直ぐに切り替えて次の手を指してきた。


「でっ、三ツ首が狩れるなら何なんだよ。確かに珍しいが、まさかそれだけで犯人呼ばわりしないよな?」

「まさか」


 ヴォルフの言うことは正しい。八坂命ちゃんの代には難なく三ツ首を狩れそうな子が、ざっと五、六人はいる。さすがにこの代の強さは異常だと思うけど……。


「少なくとも主犯じゃない……けど、全く無関係とも思えないんだよね」

「どうして?」

「【階層工事】のときさ、あの子は地下40階層まで落とされたのに、ヴァネッサはあまり下に落ちてないんだ。妙だと思わない?」

「そりゃ、迷宮がグルメだって話か」

「そういうこと」


 過去のサイクルから考えて【階層工事】が起きること自体はおかしくない。おかしいのは、ヴァネッサが深い階層まで落ちてないことだ。


「迷宮ってのはさ、魔力さえあれば維持できる構造なのに人を喰らう。たぶんそれは、私たちがケーキを食べる感覚と同じなのさ」


 私はヴォルフが指し間違えた駒を取りに行った。


「魔力を喰らう迷宮はどうして正規の魔法少女(レギュラー)じゃなくて、一女学生を選んだのかな」


 相当の実力者なのか、あるいは特異体質の持ち主なのか……いずれにせよ、八坂命ちゃんには裏がありそうな気がしてならない。

 第三中学校の天使(と呼ばれていたらしい)八坂命ちゃん。ただの美少女じゃないのかもしれない。


 ヴォルフが止めていた手を動かす。

 盤面は中盤。

 中央に展開した駒たちが、乱戦を前にざわついていた。


「……考えすぎだろ。迷宮の生態なんて諸説ある」


 考えすぎだろうか、あるいは考えが足りないのだろうか。

 中盤を迎え、私の手は鈍りだした。


「それに【階層工事】に巻き込まれた女生徒は、三人いたんだろ」

「そう、三人いたんだよ」


 それが事態に輪をかけてややこしくする。


「その三人さ、友達同士なんだよね。春祭りのときも途中まで一緒に回ってたんだって」

「途中まで?」

「あの人波だからね。事件当日ははぐれてしまったんだって」


 当然、足取りも掴めないときた。


「…………」


 ヴォルフが黙考する。盤上の駒は入り乱れ、無限にも思える可能性を示してくる。

 ここからは定跡から外れて、手を考える必要があった。


 ケットシー(セントフィリアのチェス特有の駒)を動かしたのを契機に、ヴォルフが会話を再開した。


「他二人の情報は?」

「多少なら。どちらかといえば情報が多いのは、那須照子ちゃん」

「那須?」


 ヴォルフが眉をひそめた。


「知っているのか雷」

「ライ?」

「じゃなくて、ヴォルフ!?」


 危ないなあ。つい油断してると日常会話でも口をつきそうになる。相当毒されてるな……、私は紅茶で口を湿らせヴォルフの答えを待った。


「那須ってのは、高名な陰陽師の庶家だよ。珍しい苗字だからよく覚えてる」

「珍しい? 歴代の正規の魔法少女に那須なんて苗字はなかったと思うけど」


 はて、魔法少女名鑑は洗い直したつもりだけど、見落としてたのだろうか?


「あー、違う違う」と、ヴォルフは手を振った。


「もっと昔の……盟友戦争時代の魔法少女だ」


 約六百年前なら古代と言っても差し支えない。セレナさまとリッシュが衝突したこの国唯一の戦争であり、今は劇や書物でしか知ることができない時代のことだ。

 私もある程度の知識は持ち合わせてるつもりだったが、那須という苗字については初耳だった。


「そんな昔のことよく知ってるね」

「図書館の本を漁りゃあ、このぐらいの情報は出てくるよ。まあ、那須なんてのはマイナーな家系だけどな」

「敵方だから?」

「そういうこった。勝者が正義だって言うなら、さしづめ那須は悪の手先ってところだな」


 道理で。十二英傑よりマイナーで、それでいてリッシュに肩入れした魔法少女の一族か。歴史好きなんかは知ってそうだけど、一般人なんかは知らないラインである。

 ……って、あれ? 敗軍でそれなりに名が通ってるってことは。


「それって入国禁止指定の家系じゃない?」

「正確には、禁止指定の家系だった、だな。二百年は食らったと思うけど、よく家が途絶えなかったもんだ」


 ヴォルフはあっさり言うけど、これは地味に凄いことである。過去に入国禁止指定を受けた家系の大多数は断絶してる。

 セントフィリアの地を踏めないということは、体内の毒を摘出できないことに他ならないからだ。

 毒抜きしなかった魔法少女の平均寿命は二十年ちょい。

 それを考えれば二百年という時を繋ぐのは並大抵のことではなかっただろう。それこそ一族を追放した王国を恨んでいたっておかしくはない。

 現にそういった連中は、国の内外問わずどの時代にも一定数はいる。


「……参ったな」


 私のなかでは八坂命ちゃんが最右翼だったのに、また怪しい人物が増えてしまった。


「つーか那須に関する情報って、それ以外にあんのか?」

「私が入手した情報は彼女個人についてだけど」


 地元ではちょっとした有名人だったらしく、那須照子ちゃん個人の情報は意外と簡単に集まった。


「たとえば、体にたくさん風船を結び付けて空を飛んだとか、学校の一室を爆破したとか」

「ガチでやべー奴じゃねえか――ッ!」

「そんな彼女のことを、周囲の人は畏敬の念を込めて、エロと狂気の伝道師と呼んだらしい」

「しかもエロいのかよ。とんだエロテロリストだな」


 ヴォルフはウィッチ(やはりセントフィリアのチェス特有の駒)をひょいと持ち上げた。

 ついに戦術核を投入してきたか。

 いやらしい……実にいやらしい配置である。「エロテロリストは君の方じゃないか」と罵りたい気持ちをぐっと抑えて、ナイトを前に出した。


「あっ、言っとくけど待ったはなしな」


 意趣返しのつもりか、ヴォルフが犬歯を見せて笑った。


「……ああ、わかってる。わかってるとも」

「なら良いけど、あんまナイトのことを雑に扱うなよ」


 ほう、なかなかに皮肉の効いた上司批判じゃないか。

 私は冷えた紅茶を一口飲み、負けじとウィッチを投入する。

 互いに戦術核を投入したことで中央の争いは一気に加熱した。

 殴ったら殴り返し、撃たれたら撃ち返すという盟友戦争さながらの光景が展開された。盤の上には無限の選択肢があり、そして無数のドラマがある。

 私が望んだ展開とはいえ悲しいものである。

 亡くしたものは返ってこない。それでも残ったものは戦い続けなければいけないのだ。


「私は齢アラサーにしてまだ天命を知らないが、つくづく思うよ。人生とチェスはよく似てる、と」

「あ? 先週は迷宮じゃなかったか?」

「まだアラサーだからね、言うことがコロコロ変わるのさ」


 ヴォルフは呆れたようにため息をつく。


「しっかりしてくれよ。あんたがフラフラしてたら、私たちは誰に付いてきゃいいんだよ」

「ふふっ。嬉しいこと言ってくれるじゃないか」


 それと勝負(これ)とは別だけどね。中央でさんざん暴れ回ったウィッチを仕留める。私のウィッチも先立ってしまったが、これで大分挽回することができた。

 勝負は終盤。

 多角的な攻めが展開された中盤から、いかに相手のクイーンを追い詰めるかの勝負に移った。終盤は機械のように指せ、だっけか。

 私のチェスの師匠がそう言っていた。


「そういや」


 中盤以降、めっきり口数を減らしていたヴォルフが口を開いた。


「三人ってことはもう一人、容疑者候補がいるんだろ」

「根木茜ちゃん、だね。聞き覚えない?」

「そっちはさっぱりだな」

「そっか。あまり特筆すべき点がない子だしね」


 それはそれで怪しい気もするんだけど。……ダメだな、全てが疑わしく思えてきた。


「強いて言うなら、担任が私の親友ってことぐらいかな」

「うわっ、婚活おばさんかよ」


 本人が聞いたら、ヴォルフを八つ裂きにしそうな台詞である。間違ってはないんだけどね……うん。私が紹介した街コンで、いい男を捕まえてきて欲しいものである。


「八坂と那須って子の担任は?」

「その二人はマグナだね」

「そうか……リュカ坊の奴、センコーだったか。全然似合わねーのな」

「似合わないどころか、あいつ生徒に手を上げて謹慎中らしい」

「なははははっ! アホだ、あいつマジモンのアホだ!」


 全くだ。よりにもよってヴァイオリッヒ家のご令嬢に手を上げるなんて、何考えてんだか。救いようのないアホである。

 余ほどツボに入ったのか、ヴォルフは手番も忘れて笑っていた。一頻り笑うと笑い涙を拭った。


「まあ、そこがリュカ坊の良いとこでもあるんだけどな」

「どこかだ。単にアホなだけだよ、あいつは」

「何だ、まだ根に持ってんのか」

「そりゃそうだよ」


 三年の前のことならいざしれず、【階層工事】の一件で責められる覚えは一切ない。何が『あんたを信じたあたしが馬鹿だった』だよ。

 馬鹿を見たのはこっちの方だ。珍しく頼ってきたから、無理してワルウを貸してやったのに。あの恩知らずめ!


「そういや、私が勝ったときのお願い決めてなかったな」

「へえ、欲しいものなんてあるのかい?」


 無欲のオオカミさんが何を欲しがるのか。私が興味本位で聞くと、ヴォルフはとんでもないことを言った。


「私が勝ったら、マグナに謝って過去のことは水に流すってのはどうだ」


 危うく手から駒を滑らせそうになる。向かいのヴォルフはにたりと笑っていた。


「揺さぶりをかけるのが上手くなったじゃないか」

「そりゃ、あんたの下にいりゃな。でも……私は本気だぜ?」


 ヴォルフのナイトが、私のポーンを切って捨てた。


「さっきの三人のことだってマグナに調べてもらえばいいじゃんか。だから私が勝ったら、ちゃんと謝れよ?」


 謝る……か。そんな選択肢があることすら、私は忘れていた。

 あの子と険悪な関係になってからもう三年も経つのか。


「……そうだな」


 ちょうどいい頃合いなのかもしれない。ヴォルフ立会いのもと、私がマグナに謝って、すべては無理でも幾らか水に流してもらう。そうして、私たちはほんの少し昔の関係に近づく。そんな選択肢が――あるわけないだろう。


「御免こうむるね!」


 私の怒れるケットシーが、ヴォルフのナイトを引っ掻いた。

 謝る? 誰が誰にだ。


「できもしないことを口にするもんじゃあない」

「へえ。私が、あんたに勝てないって?」


 そうさ。遊びならまだしも勝負ごとで私に勝てるとでも? それに負けたところで、私はマグナに謝ることなんてできないのさ。

 何を謝ればいいのかもわからないのに、何を謝れと言うのだ。

 私は是が非でも勝たねばならなくなった。


「勝つとも。私は勝ち続けてきたからこそ騎士団長なんだ」


 そして負け続けてきたからこそ、このクソみたいな人生を投げ出せない。

 シュガーポットを手元に引き寄せる。角砂糖を三個ほど口に放ると噛み砕き、紅茶で流し込んだ。


「覚悟しろよ……英国式だ」

「英国に謝れ」

「むっ、英国にまで謝れだと。というか英国には君が謝りたまえ!」

「やなこった。私の頭は下げるためにあるんじゃねえ!」


 この女……人には謝ることを勧めておきながら、自分は下げる頭を持ち合わせてないだと。


「それは下げられないの間違いだろ。頭が空っぽ(エアヘッド)だと大変だな。さすがは頭がオオカミさんと呼ばれるだけのことはある」

「そりゃ髪型の話だろーが! それ言ったら、あんたはチビだから頭重そうじゃねーか。ガキみてーな意地はってないでさっさと頭下げろよ、ちびっ子!」

「言ったな! 身体的特徴をあげつらったな! それは喧嘩で一番やっちゃいけないやつだぞ。君なんて舌を噛んでしまえ、その無駄に尖った犬歯で!」

「舌の根も乾かねえ内に矛盾しやがった――ッ!」


 かくして謝れない大人の喧嘩が勃発した。子供の喧嘩は微笑ましいのに、どうして大人の喧嘩というのはこうも醜いのだろう。

 私たちは相手の駒を親の敵を見るような目で睨み合い、接敵してはそいつを盤上から弾き飛ばしていった。勢い余って地面に落ちた駒もちらほら。


「おらあ、ルークさまのお通りだあ!」

「ポーンどーん!」

「止まるかよ。ナイト行けええええええ!」

「ケットシーふしゃああああああああああ!」


 この知性あふれるやり取りだけでもわかるだろうが、私とヴォルフの戦いは熾烈を極めた。殲滅戦の様相を呈してきたが、やはり盤上には経験の差が出た。私の手駒が討たれる回数が増え、次第に互いの戦力に開きが出てきた。


 やはり、こうなるか。


「約束は約束だからな。しっかり守っ」


 本当に……最初に仕掛けておいて良かった。


「――ッ!」


 ヴォルフの手が止まる。そうだ、そこから先に踏み込めるわけがないのだ。


「誤解してるようだから言っておくけど」


 機能停止に陥っていた死兵が蘇る。ウィッチ? ルーク? ケットシー? 違うね。私が頼る駒はいつだって決まってる。


「私は一度だって騎士(きみ)たちのことは雑に扱ったことはない」


 ヴォルフが信じられないものを見るような目を盤に向けていた。疑念を打ち消せそうと何度も頭のなかでシミュレートしてるようだが無駄だ。私のナイトは無敵である。

 事実、ヴォルフは私のナイトを突破できなかった。途中で投了しなかった意気は買うが、ここまで来たらひっくり返らない。


「チェックメイトだ。ていっ!」


 私は思いっきりクイーンの駒を弾き飛ばしてやった。ふふっ……いい気分である。あいつ、いっつも私のことをこき使うからな。これこそチェスの醍醐味である。


「どうして……ナイトが」


 ヴォルフは唖然たる面持ちでチェス盤を見つめていた。

 ふむ。いつもなら企業秘密なので教えてあげないが、ヴォルフは私のかわいい部下である。どれ、先輩として一つ教えを説いてやろう。


「不思議だろ。君が悪手だと思った手が終盤でひっくり返った。どうしてだと思う?」

「……最後まで読んでたのかよ」


 ふっ、と私は勝者の笑みをこぼし、言ってやった。


「読めるわけないだろ」


 一週間そこらで読み尽くせるほど人生(チェス)は甘くない。


「たまたま悪手が好手に化けただけさ。恐れ入ったろ。これが私の強運さ」

「は?」


 人を死に至らしめる眼光であった。なにこの部下、超こわい。


「いやね、言っとくけど運だけじゃないからね」

「ほう……他に勝因があるってんならぜひ教えてもらいたいもんだな」

「だからそれは私が悪手打ったからで」


「あ?」とヴォルフが凄む。心底納得してない様子なので、強い言葉で殴るとした。


「遊びがないから脆いんだよ、君は」

「……っ!」

「君はオオカミさんだからね。獲物を追い詰める術をよく知ってる」


 牙を剝くことだけが狩りではない。吠えること、待ち伏せすること、罠を仕掛けること、ときに身を隠すことだって狩りである。

 ヴォルフは本能的にそれを理解してる。

 だからこそ彼女は魔物討伐ランキングの一位に君臨できるのだ。


「でも、それだけじゃ足りない」


 上に登れば嫌というほど思い知らされる。この世界には、狼には狩れない化け物が山ほどいるのだと。


「裏をかいたり、誘導したり、相手を意のままに動かそうなんてのは二流のやり口さ。化かしてるつもりが馬鹿してるなんてのはよくある話だ」


 だから。


「本気の本気で勝ちたいときは、愚かな手を混ぜるんだよ。正規の魔法少女(レギュラー)にだって読めないイレギュラーな手をね」


 愚かであれ――これこそ私が人生で培った一番の教訓である。


「あっ、勘違いしないように言っとくけど、別に徹頭徹尾愚かであれなんて言わないよ。そんなのはただのアホだからね」


 不断の努力によって優秀であることは望ましい。しかし、優秀なだけではいつかは行き詰まる。

 壁を壊すのはいつだって愚者なのだ。

 変態でなければ道は究められない。

 狂っていなければ常識(じだい)は変えられない。


 石の広間に静寂が満ちる。どれだけの言葉が伝わったか不安だったが、無用の心配であった。


「あー、負けだ負け。約束だからな、ちゃんと面倒見てやるよ」


 ヴォルフはがしがしと髪を掻いて負けを認めた。やはりウチの副団長は頼もしい。私がこういう話をしようと思える相手は、"王宮騎士団"にはまだヴォルフしかいない。


「あれ? でも愚かな手ってことは、やっぱナイトのこと雑に扱ってたんじゃ……」

「はははっ、何を言う」


 ひゅう! 勘の鋭いオオカミさんめ。全くもってその通りだぜ。でもねほら、部下って雑に扱わないと成長しないみたいなところあるじゃない?

 さて、不審の目を向けるヴォルフの追及をどうかわすか。

 私がとっさに口にした言い訳は、


「――ッ!」


 すさまじい破壊音に飲まれた。


 一瞬でスイッチが切り替わる。私とヴォルフは間髪入れずに立ち上がり、土煙のなかにいるであろう闖入者(ちんにゅうしゃ)に目を向けた。

 ……土煙が立つ? おいおい、おかしいだろ。

 ここは狭い通路を除けば、四方が壁に囲まれた石の広間だ。

 その広間の壁からどうして土煙が上がるのか?


 ……決まってる。化け物がダイナミックエントリーをかましてきたのだ。


 低い唸り声。時間の経過とともに鮮明になっていく四足の化け物の巨体。一つ、二つと増えていく首は……土煙が晴れるころには七つあることが見て取れた。


「グルウゥアアアアアアグルウゥアアアアアアアア――ッ!」


 思い思いの方向に向けた七つの頭が、狂ったように吠える。声量もさることながら、タイミングもてんでバラバラな吠え声が反響して耳が痛い。

 赤い果実を彷彿とさせる柘榴色の宝石。

 それを首に巻いた巨狼は、地獄から這い出た化け物さながら。

 六ツ首よりもさらに一回り大きい七ツ首のダイヤウルフ、か。


 20の階層に基づく法則から逆算すると、恐らく彼の化け物の生息域は地下100階層だと思われるが……確証はない。だって公式に地下100階層に到達した魔法少女など、この国には一人もいないのだから。


「おいおい、今日はオオカミ日和だな」


 衝撃も冷めやらぬ内に、未知の脅威(アンノウン)が動き出す。

 七ツ首が地面を蹴ると同時、私たちも左右に跳んだ。

 ダイヤウルフの弱点は、複数の首があるのに対して体が一つしかないこと。多方向から攻撃を仕掛けるのが定跡だ。首が増えたからといって基本的な対処は変わらない。


 視界が揺れる。岩天井から砂礫が落ちる。

 迷宮の壁すら突き破る七ツ首が、獣の弾丸と化した。


雌牛の壁画(アル・バカラ)


 相手の突進に合わせて地面から壁を生成する。しかし、七ツ首はこれを苦にもせず迂回する。信じがたい速度で標的をヴォルフに変えたが……それでいい。


水狼の群れ(ウルフパック)


 狼を象る水の塊が空を駆けた。その数、実に十五匹。

 曲がりで速度をわずかに落とした隙を、ヴォルフが見逃すものか。

 示し合わせたわけではない。

 ただ彼女が合わせてくると知っていた。


 宙空を疾走する【水狼の群れ】は七ツ首の喉笛を噛み切りにかかり、


「な……っ!」


 我が目を疑う。七ツ首は肉薄する水狼を払うことすらしなかった。


 溶けた。


 分厚い【皮衣(ファー)】に触れただけで、水狼は次々と蒸発していった。七ツ首の巨体に傷はおろか水滴一つすら付かなかった。


 ヴォルフは舌打ちを一つ落とす。さすがにこの硬さは想定外であった。


「ヴォ――」


 ――衝突。


 名前を呼ぶ間もなくヴォルフの姿が掻き消えた。

 目で追うことすら叶わない。

 岩壁が砕ける音。破壊の跡を覆い隠さんとする土煙が流れてきた。


「この」


 化け物が……っ!

 人の気も知らずに吠えやがって。

 私が何年かけてヴォルフを育てたと思ってんだ。


 歓喜か狂喜か。七ツ首はやたらめったら地面を踏み鳴らし、あちこちに吠えている。

 ヴォルフの生死は気になるが、部下の心配ばかりしていられない。

 正味な話、私の切り札は迷宮と相性が悪い。

 あれだけ硬いとなると単独での突破は絶望的……どころか返り討ちに合う公算が高い。


 退くか攻めるか。

 逡巡する私と、猛り狂う七ツ首。

 奇妙な硬直状態が続くなか、先に動き出したのはそのどちらでもなかった。


「……ってぇーな」


 後方。土煙のなかから魔力の塊がゆっくりと歩いてきた。

 七ツ首と遭遇したときの衝撃に勝るとも劣らない。

 あそこから直撃を避けたのか……。


「首が六ツだと思ったら、次は七ツだあ?」


 背なかに感じる魔力の塊が膨れ上がる。


「首が多けりゃ……(えれ)えのかああああああああぁぁぁぁぁ――ッ!」


 咆哮。ヴォルフの怒りが私の横を駆け抜けた。


氷切歯(アイスバイト)


 ごとり、と首から先が一つ落ちる。

 飛来した氷の牙が、七ツ首の強さの象徴を一つ噛み切った。

 チャンス!


「そいやっさ!」


 もう一丁と突き立てた【石の聖槍(レガリア)】が、六つある首の一つを貫通した。

 よし通る。ヴォルフが首を落としたことで魔力が弱まったと見える。

 これはパターンに入ったかもしれない。げへへ……その綺麗な首輪を剥がしてやるぜ。


 と、意気込んだのも束の間。


 ……うそん。

 背後にあった魔力反応があっという間に弱まっていく。

 ヴォルフお前、大丈夫か?


「グルゥグルゥグルアアアアア――ッ!」


 痛みでのたうち回っていた巨狼が、【石の聖槍】が刺さった首を食いちぎった。

 なんてワイルドな共食い!

 トカゲが尻尾を切るのとはワケが違うんだぞ。狂気すら感じる。

 一体何がそこまであの化け物を駆り立てるのか。初めに遭ったときから、この七ツ首は狂犬病にかかったかのように落ち着きがなかった。


 一体何が……ああ。


 輝板(タペータム)の瞳と視線がぶつかる。十の瞳が残らず私を見つめていた。うん、全会一致で決まりのようだ。狂った化け物が飛びかかってきた。


「団長おおおおおおおおお――ッ!」


 ヴォルフが悲痛な叫びを上げる。満身創痍なのに健気なこった。やめてくれよ、こんなときに団長だなんて。……死ぬのも悪くないって思っちゃうじゃないか。


「なんてね」


 嘘ぴょん。

 我先にと私に突っ込んだ五つの首を、爆炎が包む。

 毛と肉が焦げる匂い。ダイヤウルフの突撃が止まった。


「悪いな、化け物」


 死のうにも墓穴が浅くてね。


「まだ掘り足りないんだよ」


 そうらお出ましだ。未知の化け物(アンノウン)が恐慌をきたして逃げ出すほどの怪物が、破れた壁穴から戦車に乗ってやってきた。


猛き風の戦車(リルギム)


 三つ編み混じりの桃色の長髪を風に流しながら、稀代の魔法少女が突撃してきた。再開の喜びを噛みしめるように、凶悪な笑みを浮かべながら。


「見つけたぞ……七ツ首いいいぃぃ――ッ!」


 いや二つ首減ってますよ、なんて突っ込む間もなく突っ込んだ。二トンはあろう巨狼を軽々と撥ね飛ばすもまだまだ止まらない。風の戦車を乗り捨て、跳躍。


海神の三叉槍(トリアイナ)


 神話級の魔槍を投擲。獲物を串刺しにし、


不壊金剛の大鎌(アダマント)


 これまた神話級の大鎌で五つの首を刈り取り、


灼熱の錫杖(レーヴァテイン)


 紅玉から放った灼熱で首なし狼を焼き尽くす。

 以上、全ての離れ業を空中で済ませて着地。ローズはいつものように相手を見下した。


「はっ、この程度か!」


 四属性持ち(クアッド)の特性を最大限活用したフルバーストとか、オーバーキルにもほどがある。呆れるほどに強すぎる問題児だ。

 そういえば彼女が"王宮騎士団"に加入したのも三年前だったか。


「とにかく助かったよ。サンキュー、アシュロン」


「恐縮です」と赤ぶちメガネをかけたアシュロンが会釈する。破れた壁穴から突入する姿は見えてたけど、いかんせん地味だからね彼女。いや、ローズが派手すぎるだけか。


「なぜそっちに礼を言う!」


 ローズが不服そうに叫んだが、そりゃねえ。


「君はやりすぎ。危うく私も轢かれるところだったし。それに引き換えアシュロンは見事だったね。あの距離からピンポイントで爆炎を浴びせるなんて腕を上げたね」

「あ、ありがとうございます!」


 喜びを露わにするアシュロン。対照的にローズは不満を露わにしていた。


「ふん、何がやりすぎだ。あの程度で死ぬぐらいなら、元より私の上に立つ資格などないということだ」


 すごい理論ぶちあげたな、こいつ。これで使い物にならなかったら燃えないゴミの日にポイしてるところだ。

 頑張れヴォルフ。こいつの性根を叩き直してやってくれ。

 骨の二、三本なら業務中の事故で片付けておくから。


「あの……先輩は?」

「そうだ、ヴォルフ!」


 アシュロンの問いかけでハッとする。

 崩れた壁のそばで横たわるヴォルフの元に急ぐ。直属の部下であるアシュロンの動きは特に早かった。私を追い越し、ヴォルフを抱え起こしていた。


「せせせ、せんぱ~い! 生きてますか!?」

「……生きてるっての。一人で立てっから心配すんな」

「あの、本当に大丈夫ですか。アメ食べます?」

「この赤ぶちメガネ、私を何だと思ってやがる。食べっけど」


 食べるのかよ。まあ、この分なら生命(いのち)に別状はなさそうだ。額から血がダラダラ流れているが、額は割れやすいので見た目よりは軽傷だろう。


「ひとまずは生きてるようで何よりだ」

「はっ、こんなんかすり傷だよ、かすり傷」


 かすり傷ね。強がりもあると思うけど嘘でもなさそうだ。


「そうかい。かすった程度で良かったね」

「……だな。少し舐めてた」


 かすった程度でヴォルフの生命(いのち)を脅かすとは。未到達域の魔物のことを甘く見てたのは否めない。こんな化け物どもが深階ではうごめいているわけか。


「ふん。何が舐めていただ。単に貴様が弱かっただけだろう。討伐ランキング一位が聞いて呆れるな」

「あ?」


 遅れて到着するなり、ローズがヴォルフを罵った。どうしてこの子は……。


「言うじゃねえか。人の獲物を横からかっさらっただけの奴が」

「かっさらった? 助けてもらったの間違いだろ」

「はああああああ? こっちは死んだフリしてただけだっての!」


 あれ死んだふりだったのか。いきなり私の教えを試すのはいいけど、味方まで騙すのは勘弁して欲しい。


「死に損ないのド低能が。なら引導を渡してやろう」

「埋める! テメーはぜってぇーに埋める!」


 やれやれ。放っておくと本当に死人が出かねない。迷宮は殺しにはうってつけの場所なのだ。


「はいはい、そこまで」


 目配せするとヴォルフが素直に退いた。ローズの面倒を見ると約束した手前、退かざるを得なかったのだろう。となると問題はこっちだな。


「ふん。尻尾を巻いたか負け犬が」

「あ?」

「煽るな。お前だって偉そうなこと言える立場じゃないだろ」

「うるさい。偉そうなことを言うだけの奴が」


 狂犬かこいつは。今度は私に噛み付いてきやがった。


「あっそっ。じゃあいつも通り偉そうに言うけど、七ツ首を一度取り逃がした件について何か言う事ないの?」

「……っ!」

「す、すみません」


 ローズとペアを組んでいたアシュロンが反射的に頭を下げた。余計なことを言うなとローズはアシュロンを睨んでいたが、アホか。とうにネタは割れている。

 あの七ツ首は出遭ったときから様子がおかしかった。生みの親を傷つけてまで通路を作るなんて、怪物にでも追われてないと説明がつかない奇行だ。


「あの七ツ首は硬かったからな。一発目で仕留め損なって、ムキになって火力あげただろ。でっ、ビビった七ツ首に逃げられた。大方そんなところじゃないか?」

「……だったらどうした?」

「天才魔法少女が聞いて呆れるね。だから君はヴォルフに勝てないんだ」

「七ツ首を狩ったのは私だぞ――ッ!」

「手柄を主張する前に想像力を働かせろよ。もしも君が逃した化け物が一般人を襲ったらどうなる? 死人が出るぞ」


 そして責任を取って私が罷免されると。

 現在、カーチェの迷宮への入洞は制限されているので万が一にもそんなことは起きないだろうけど、こういう子は少し脅しておいた方がいい。


「オマケに跡形もなく焼き尽くしてくれちゃってさ。七ツ首の魔法石なんて、売れば一生生活に困らないであろう代物なのに」

「い、一生ですか!」


 驚声を放ったアシュロンの頭を、ヴォルフが軽く叩いた。


「反省文十枚……と言いたいところだけど」


 罰が悪そうに目を逸らすローズに詰め寄る。本当なら叩いてやりたいところだが、


「助けられたのは事実だからね。三枚にまけてあげよう。助かったよローズ……ありがとう」


 ローズの頭を優しく撫でる。

 加虐趣味の持ち主にして承認欲求の塊。どうしようもない子ではあるが、どうしようもないと言って見捨てるわけにもいかない。

 誰かが優しさを分け与えてあげなければ、きっとこの子は救われないのだから。


「……触るな」


 でも、簡単に優しさを受け入れてくれるような子でもないんだよね。私の手を払うと、ローズは背を向けて大股で遠ざかっていく。


「お、おい。どこに行くんだい?」

「帰る。今日はどうせもう終わりだろ。さっさと帰って反省文を書く」


 相変わらずの自分勝手。けれど少しだけ反省の色が見えたので許すとした。


「あ、あの」


 と、ヴォルフの手当をしていたアシュロンが声をかけてきた。


「ローズさんが七ツ首を取り逃がしたのは、きっと私が足を引っ張ったからで」

「だから甘く見て欲しいって? ローズは君のことを足手まといだと言ったのかい」

「……ええ。この一週間で三十六回、ド低能とは百五十二回言われました」


 数えてたのかよ。


「……君は意外と根に持つタイプだな」

「やだな。人並みですよ?」


 いいや嘘だね。こういう子は死ぬほど根に持つ。ソースは私。

 絶句する上司二人の前にして気まずさを覚えたのか、アシュロンはわざとらしく咳払いした。


「こほん。私のことはともかく、ローズさん文句を言いながらも私の訓練にも付き合ってくれて。団長が褒めてくれた【定点着火(イグニッション)】も、おかげでパワーアップしたんですよ」

「へえ、あのローズがね」


 無理やりペアを組ませたのは正解だったようだ。一ヶ月はこのネタでローズのことをイジれそうである。


「うんうん仲が良くてよろしい。じゃあ連帯責任ってことで、君も反省文ね」

「ひいいいぃぃぃ、ですよねえええ――ッ!?」


 たりめーだろ、と手厳しい教育担当が念押しした。


「あの程度でパワーアップだ? 火力が足りねえんだよ、火力が!」


 尻を叩きながら立ち上がるヴォルフ。その額にはうさちゃん柄のハンカチが巻いてあった。


「反対にローズのバカは火力ばっかで大味だし。お前らは本当に……」


 ヴォルフは深くためいきをついた。


「土日はしっかり休んどけよ。来週は地獄見せてやっから」

「は、はい!」


 鬼軍曹に敬礼! 

 心なしか引きつったアシュロンの顔が、いかにヴォルフの訓練が厳しいかを物語っていた。


「その地獄とやらには、当然ローズも連れてってくれるんだよね?」

「たりめーだろ。あいつも鍛えてやる」


 ヴォルフは鼻息荒く言った。相手が未知の化け物だったとはいえ、ヴォルフが不覚をとったのは確かだ。人一倍負けん気が強い彼女がこれで終われるわけがない。


「頼もしいね。でもその前に、ちゃんと医者には診てもらってよ」


 一応釘を刺しておく。ヴォルフは「わーってる」なんて口では言うが、絶対にわかってない顔をしていた。

 風邪じゃないんだからさ、土日寝てれば治るとかないから。

 後で絶対に診療所に連れていこう……、そう固く心に誓った。

 っと、時間もそろそろか。ずっと暗がりにいると感覚が狂いそうになるが、外では日が暮れているころだろう。


「それじゃあ諸君、今日も気を付けて帰ろうじゃないか」


「おう」「はい」とヴォルフとアシュロンが応える。


 最後にひと波乱あったけど、それなりに収穫のある一週間だったかな。これで()()()を炙り出せていれば、言うことなしだったんだけどね。


 メルフィ、ワルウ、ローズ、アシュロン、ヴォルフ……。この五日間で全員とペアを組んだが、怪しい動きをする人物はついぞ現れなかった。


 いると思ったんだけどなあ、内通者……。

 まっ、今日のところは誰も埋めずに済んで良かったとしよう。

◆オマケ:月曜日の鬼軍曹◆


「……おい。私言ったよな? 八時から朝練だって」

「言いました」

「お前ローズにちゃんと伝えたよな?」

「伝えました」

「じゃあ、なんでいねえんだよ?」

「あっ、今コール来ました。ローズさん起きてる? えっ、ちょっと待って……あっ」

「寝坊か?」

「いや、その……仕事は九時からだろって」

「あいつ、やっぱ埋める」

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