文通ダイアリーⅣ
外は、すっかり暗くなっていた。
澄んだ夜空に満点の星が瞬いている。これも田舎の名物である。
「いいのかい、せっかくだから食べていけばいいのに」
八坂夫婦は夕食を勧めてくれたが、丁重にお断りした。
今日はもう一杯いっぱいである。
一緒に食事をするなんて、とてもじゃないが無理だ。胃に空いた穴から夕食がこぼれ落ちるに決まっている。
「残念ねえ。せっかくドカ○ンができると思ったのに」
楓さんは少しむくれていた。
だからあんたら、どんだけドカ○ンやりてえんだよ。
「今度やりましょう、今度」
「本当に? 約束だからね、玖ちゃん」
無邪気に指を絡み合わせ、楓さんは指きりげんまんしてきた。色々な意味で勘弁して下さい。旦那が射殺しそうな目で見ています。
「嘘ついたら……針千本だから、ね」
今日一番の寒気が、背筋を走った。
『気をつけた方がいいですよ。その女は、本当にやりますから』
ドカ○ンだよね? ドカ○ンの話だよね?
社交辞令は……通用しそうにないな。
あきらめて面子を集めるとするか。できれば、俺を含めずに二名。あの闇のゲームに混ざるのは御免こうむる。
誰か身近にドカ○ン勢はいないものか。
と、面子の算段を付けていたときだった。
「約束したからには、来ないとダメだぞ☆」
小首を傾げ、楓さんがウィンクを決めた。
これに懲りずに遊びに来て欲しいと解釈すべきだろう。
『恥ずかしい。年考えて下さいよ』
妖精が身内を恥じるのと、
「んんっ?」
楓さんが薄目で虚空を睨むのは、ほぼ同時だった。ビクリと全身を震わせてから、妖精は俺の背中へと回りこんだ。……まさか、ね。
「ま、まあ、命はいないけれど、気が向いたらいつでも来てくれて構わないよ。たまには若い人の顔も見たいからね」
「つまり、ピチピチの女子高生を連れて来いってことですね」
「ちょ、ちょっと玖馬君!」
冗談のつもりだったのだが、楓さんがウォーミングアップを開始するには足る理由だったようだ。士郎さんの脂汗の量がやばい。
「あらあら、お父さんたら……ふふふっ。これでも私、まだまだ若いつもりなのですけどねえ」
おい命、お前の母さん……怖すぎやしないか?
『そうですね。議論の余地がありません』
くわばらくわばら。
こんな地獄の番犬だって喰いやしない夫婦喧嘩に付き合ってられるか。
「さてと……失礼させていただきますか」
「ちょっと待って、玖馬君!」
宮司は必死に叫び、手を伸ばしてきた。
「最後に、君に伝えたいことがあったんだよ!」
苦し紛れの言い訳めいていたが、付き合うことにした。これが士郎さんの最期の言葉になったら、さすがに良心の呵責に耐えかねる。
息を整え、汗を拭い、そして宮司は口を開いた。
「君は、運命の相手を探すと良い」
……何言ってんだ、このおっさん?
思わず眉をひそめてしまうほどに、アレな発言だった。
「その人は身近にいるかもしれないし、もしかしたら空から箒で降りてくるのかもしれない」
「えっと……急にどうしたんですか、士郎さん?」
『頭おかしいのですか、お父さん?』
箒で空から降りてくるって、魔法少女じゃあるまいし。妖精でなくとも頭の具合が心配になる発言だが、当の本人は至って普通であった。
「君は僕によく似ている」
ガシっと俺の両肩を掴み、士郎さんは続ける。
「だから、早いところ良い嫁さんを捕まえた方が良い。かくいう僕も、母さんと出逢って人生が変わった。幸せになる一番の近道は、良妻を得ることさ」
あっ、楓さんの怒りが薄れていく。
どうやら出汁に使われただけのようだ。
「考えときますよ」
士郎さんの顔を立てて、そう返すに留めておいた。
いくらここが縁結びの神社とはいえね。
身近な女子が『腐女子の佐藤さん』と『喪家の狗子さん』しか浮かばない時点で、芽がなさそうである。
士郎さんには悪いが、こっちから躍起になって探すつもりはない。まあ、ロマンスとやらが空から降ってきたら考えるとしようか。
『ロマンスが空から……ぶふぅ。玖馬ったら、ロマンチスト!』
あまり調子に乗るなよ、妖精。
人捜しなんぞいつ投げ出してもいいんだぞ?
『はいはい、わかりました。早く行きましょう。きっと羽鳥君が待ちくたびれていますよ』
憎らしいほどの信頼感だ。
幻想とやりあったところで何の得もない。ただ虚しさが募るばかりである。俺は妖精から目を切り、八坂夫婦を見た。
「それでは今度こそ、お邪魔しました」
「あっ、玖ちゃん、ちょっと待って」
背を向ける直前、今度は楓さんが引き止めてきた。
「背中のそれ……悪さをするようなら、いつでも祓うからね」
乾いた笑いしか返せねえ。
怯える妖精に背を押され、俺は歩き出した。
「悪いな、だいぶ待たせちまったな」
八坂家からぐるりと回り、神社の敷地内に戻る。
拝殿前には、難しそう顔で願を掛ける羽鳥がいた。
「何を願掛けしてたんだ、お前?」
「あーん? 健全な男子高校生の願いつったら、一つしかないだろ。彼女ができますように、だよ」
神さまよ、言ってやってくれ。
世のなかには金を積んでも解決できねえ問題があるってよ。
「……んだよ、その顔は。ドブに金を突っ込んだとでも言いたげだな」
「よくわかってんじゃん」
「ちくしょう、不良くずれが。今に見てろよ、羽鳥さまがモテモテ王国を築く時代が今に来るのだ!」
倍プッシュだ――ッ!
羽鳥がさらに万札を突っ込んだ。
こいつ、完全に参拝のシステムを間違えてやがる。投入額に応じて、願いが成就する確率が上がるシステムじゃねえからな、これ。
『玖馬煽って、もっと煽って!』
投入額に応じて、出自不明の妖精がホクホク顔になるだけである。
「キエー! 神さんよ、俺に可愛い彼女をくれええええ――ッ!」
大枚とともに踊るバカ。
神に捧げる踊りにしても、酷すぎる。
明日あたり神罰が下るのではないかと、心配になる。
まあ正味な話、その金を使えば彼女の一人や二人余裕で作れそうだが、そういうことをやらないのが、この男の美学である。
『……羽鳥くんって、変な美学にこだわりますよね』
馬鹿だからな。
だが、そのこだわりは嫌いじゃない。
二拝二拍手一拝。
俺も人捜しの前途を祈るとした。
『こら、ちゃんと手を清めなさい!』
……それぐらい見逃せよ。
手水舎まで戻って洗うの面倒なんだから。
「そういや、ずいぶんと長い小便だったな」
「せっかくだから大きい方もしてきたんだよ。神社にあるトイレなんて縁起がいいだろ。運が付きそうだったからな」
下らねえ。
あまりの下らなさに言葉を失いかけたが、
「助かったよ。あんがとな」
一応、感謝の言葉だけは伝えておいた。
「そりゃどうも」
顔も向けず、羽鳥は簡単に済ませた。
「それでどうする? ロードローラー作戦でもやっちゃっちゃう?」
すっ、とブラックカードを財布から引き抜く。
手を貸すというのが、規定事項かのような口ぶりだ。成金特有の嫌味な笑いを浮かべる、そんな親友はやけに生き生きとしていた。
「お前、その内マジで勘当されんぞ」
「わはは! 使えるものは親の金でも使えというのが、この羽鳥さまの信条よ――ッ!」
単なる脛かじりとも云う。
あんな啖呵切った手前、羽鳥の財力に頼るというのも何かなあ。代案を考えるにしても、今日も頭が働きそうになかった。
「まっ、明日考えるか。けーるぞ」
「あいよ」
俺の横を歩くのは、背丈以外は命にも似ても似つかぬ男だ。頭は鳥の巣だし、ソース顔。致命的に空気も読めない……振りをする。
だがまあ、なかなかに頼れる男である。
『あら、私だっていますよ』
はいはい、頼りにしていますよ。
ヤンキーとボンボンと妖精。
不安を挙げれば切りがない。そんな微妙極まりない面子で人捜しをしなければいけないようである。
新月を背負い、二人と一匹で石畳を歩いた。
「あっ! そういやさ、待ってる間にこれ引いたんだけどさ」
石段を下る途中、羽鳥がポケットからおみくじを出した。
「これなんて書いてあんの? 全然読めねえんだけど。マジ日本語でオケって感じなんだけど」
古文なだけであって日本語だよ馬鹿。
仮にも進学校に通っているのだから、このぐらいは読んで欲しかった。
『へえ、どれどれ』
興味が有るのか、妖精も横からのぞいてきた。
「待ち人来たらず、失せ物出ず」
『……ついでに縁談にも恵まれませんねえ』
いらねえ落ち付けやがって。
俺たちの幸先は、すこぶる悪そうであった。
◆
「ふふっ、お疲れ様でした」
「そう思うなら、手伝ってくれても良かったのに」
「あら、男同士の話に口を出すなんて野暮でしょう」
「夫を立ててくれる妻を持てて、僕は幸せだなあ。まあ君が加勢してきたら……誰も勝てないだろうしね」
「何か言ったかしら?」
「男は女に勝てないっていう、つまらない話だよ」
「そう、ならいいわ……それにしても、随分とあっさりと許しましたね。私はてっきり、あきらめさせるものとばかり思っていたのだけど」
「うん。僕もそのつもりだったんだけど」
――そのときは、どこまでも探してやりますよ。
「少しばかし……馬鹿な男のことを思い出してね。肩入れしてあげたくなったのさ。そいつは、最後まで親から理解を得られなかったみたいでね」
「ああ、いましたね。恋した魔法少女のことが忘れられないなんて言って、一日で高校を中退して旅に出た人が」
「……君さ、わかってて言ってるよね?」
「さあ? 何のことやら。随分とカッコいい人だなとは思いますけど」
「ずるいなあ、君はいつだってずるい」
「ありがとう、最高の褒め言葉よ。それで、その誰かさんと被って見えたから、応援してあげたくなっちゃったの?」
「まあ、そうではあるんだけど」
「どうしたの? 歯切れが悪いじゃない」
「本当にこれで良かったのかなって、不安になるんだよ。聖職者の僕が言うのもあれだけど……人の縁というのは、本当に不思議なものだね」
「……そうね。でも私はこれで良かったと思うの。子供を危ないところから遠ざけるばかりが、大人の務めじゃないでしょう」
「不安なくらいで丁度いい、か。まだまだ僕たちの庇護下にいるものだと思っていたのに、あの子たちもいつかは大人になるのか……ううっ」
「ちょっと、泣かないでよ」
「ごめん。いつか命もお嫁にいくのかと思ったら、つい」
「命は男でしょ――ッ!」
「ごめん、ごめんってば、ちょっとした冗談じゃないか。だからその冷奴しまわないでよ……お願い」
「もう、仕方ないわね」
「何をともあれ、命の無事が確認できて良かったじゃないか。僕が毎日お祈りしているから、きっと神さまが良きに計らって下さったんだよ」
「あれが、日々を平穏に送っている子の出す手紙かしら。貴方の祈祷って、本当に効果あるの?」
「うーん……どうかな。宮司になる前は、かなり罰当たりなことしてたからね。それに神さまっていうのは、聞いてくれるだけの存在だからなあ」
「なら後者ということにしておきましょうか」
「何のかんの言っても、君は優しいから好きだよ」
「……私はいつでも優しいでしょ?」
「仰るとおり。わかりきったなことを言ってしまったね。まあ、たよりがないのは元気な証拠なんて言うけど、こうして手紙が来ると嬉しいものだね」
「ふーん、私たち宛てじゃなかったけどね」
「拗ねるなよ、これ以上可愛くなったら僕が困る。本当は他人宛ての手紙を覗き見るのだって反則なんだから」
「わかってるわよ……でも気になるじゃない」
「それこそ、過保護なんじゃないかな?」
「杞憂なら良いんだけどね。あの手紙ね……理事長を経由して届いてないのよ」
「理事長って、君の言っていた恩人の?」
「そう。セントフィリア王国って情報統制が厳しいから、正規のルートを経由すると手紙が検閲されちゃうのよ」
「……君たち、非合法な方法で遣り取りしてたのかい」
「当たり前でしょう。でなきゃ、魔法使いを入学させて下さいなんて遣り取りできるわけないでしょう」
「なるほどね。言われてみれば、その通りだ」
「だから、理事長じゃない誰かが介入しているのは間違いないのだけど……大丈夫なのかなって心配になるの。悪い大人に誑かされてなければ良いけど」
「悪い方に考えすぎだよ。命の面倒を見てくれる人なら、少なくとも悪い人じゃないんじゃないかなあ」
「貴方が楽天的すぎるのよ。魔法使いっていうのはね――」
「っていうのは?」
「……言えない。禁則事項だから」
「君はいつだってそうだ。大事なことは僕に何にも教えてくれない」
「仕方ないじゃないの、そういう決まりなんだから!」
「…………」
「…………」
「ごめん、聞かないって約束だったのに」
「いいのよ、私も悪かったから」
「……リっちゃんはさ」
「え」
「リっちゃんは、元気でやっているかなって思ってさ。この手紙は恐らくあの子絡みの物だろう?」
「さあ、どうかしら。引っ込み思案な子だったからねえ。ナナちゃんのことでショックを受けて、塞ぎこんでないと良いのだけど」
「実の子供が苦しんでいるのかもしれないというのに……あの莫迦は。僕が一番荒くれていたころなら、斬り捨てているところだよ」
「……貴方の場合、本当にやりかねないところが怖いわね」
「それはさすがに失礼じゃないかな。僕だって大人だから抑えるさ。その分、玖馬君がやってくれると信じているしね」
「あの子は……やりそうね」
「やるさ。あの子は僕に似ているからね。どれ、明日にでも僕の愛刀でも託してくるとするか」
「や・め・な・さ・い・よ?」
「冗談だから、そんな怖い目しないでよ」
「全く。貴方が言うと、冗談に聞こえないのよ」
「ははは、わかったよ――それで正直な話、彼らがナナちゃんのことを見つけられると思うかい?」
「……言ったでしょう、セントフィリア王国の情報統制は厳しいのよ。簡単には見つからないわよ、たとえそれが元魔法少女だとしてもね」
「でも抜け道はあるんでしょ? 命の手紙が検閲をパスできるくらいなんだから、やり方はある……と、僕は思うけど」
「貴方って、嫌な方向に勘が鋭いから困りものだわ」
「不可能と言われたセントフィリア王国上陸を成し遂げた、前代未聞のバカ野郎の通り名は伊達じゃないのさ」
「まさか、子供まで上陸するとは思わなかったけどね」
「血は争えないね」
「……血が絶えなきゃいいのだけど」
「大丈夫だよ、君と僕の子だから」
「……貴方の子だから心配なんじゃないの」
「なあに、君の子でもあるから大丈夫さ」




