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文通ダイアリーⅢ

 神社の裏手に回ると、八坂家が見えた。

 八坂夫婦は俺たちを笑顔で迎え入れると、客間へと案内してくれた。総檜造りのこの家は、純和風という言葉がこの上なく似合う。


「へえ。ずいぶんとボロい家だな」


 羽鳥が素直すぎて怖い。

 速攻で頭を下げさせ、こいつがいかに世間知らずのボンボンか必死に説明した。楓さんが笑って済ませてくれたのが唯一の救いだ。


「あっ、掘りごたつにしたんですね」


 以前この部屋に通されたときは、ちゃぶ台を使っていた覚えがある。


「そうなのよ。命が掘りごたつが良いって言うものだからね」

「良いですね。俺も好きですよ、掘りごたつ」


 楓さんは花のように笑っていた。


 相変わらずの親バカぶりであるが、今はその深い愛情に感謝していた。この人たちの前では気安く胡座もかけないので、とても助かった。


「それでどうする、ド○ポンやる?」


 しつけえな、ド○ポン押し。

 そんなにやりたきゃオンラインでやれよと思ったけど、オンラインはサービス終了していましたね、済みません。俺は丁重にお断りした。


「ところで、神社の方はいいんですか。見た感じ、アルバイトの人とかいないようでしたけど」

「あら大丈夫よ。平日の夕時に参拝客なんて一人も来ないから。薄情なものよね、もう少し神さまを敬っても罰は当たらないのに」


 あんたも大概罰当たりだからな。


『玖馬、声を大にして言ってやって下さい』


 そう言えば、命はいつも家計の心配してたな。いくら宗教法人とはいえ、これだけ呑気な経営しているのなら無理からぬ話だろう。


 だが、声を大にしては言わぬ。

 第一に保身を考えるというのは、命に習った大事なことだ。事実、こいつも潜め声で耳打ちをするに留めている。


 ……そんなに怖いのだろうか、楓さん。


「でも大丈夫っすか、それ?」


 思うところがあったのか、羽鳥が口を挟んできた。いいぞ馬鹿、こういうときこそ空気を読まないスキルを活用して欲しい。


「営業時間中なのに、急に上がりこんで悪かったっすね。後で賽銭箱に、何枚か諭吉つっこんどきますよ」

「あらまあ、助かるわ。なら今日は胸を張って休めるわね」


 あれ、神社って年中無休だよね?

 フレックス勤務で半休制度とか導入されてるの?


『……さあ。素戔鳴尊スサノオノミコトと、櫛稲田姫命クシイナダヒメノミコトと、八柱御子神ヤハシラノミコカミは休暇とって、草津温泉に行ったのじゃないですかねえ』


 目ぇ逸らしてんじゃねえぞ、拝金主義者。


「そういや、神社って税金かかんないんすよね。こう寄付金とか上手くやり繰りして、上手く脱税できないんすか? 代わりに謝礼金収めるんで」

「うふふ、はーちゃんって面白い子ね……後でじっくり話し合いましょうか」


 楓さん、目を輝かさないで下さい。

 あわや神域が汚されるところで、宮司の士郎さんが戻ってきた。


「おや、随分と楽しそうな顔をしてるじゃないか。何を話していたんだい?」

「んーん、何でもないわ」


 人知れず脱税工作の相談はたち消える。特に気にした風でもなく、士郎さんはお盆から湯のみを置いた。

 

 ……普通逆じゃねえかな、お茶出しの係。

 

 それからは、士郎さんも交えての雑談が続いた。物怖じしない羽鳥がグイグイ引っ張ってくれたおかげで、思いのほか盛り上がった。


 身振り手振りを交えて、大げさに。そしてたまには話を盛りつつも、羽鳥は高校生活を面白おかしく語ってくれた。


 このときばかりは、こいつを連れて来て良かったと感謝した。何だかんだ言っても、羽鳥は俺にはないものをたくさん持っている。金とか。


「聞いてくださいよ、楓さん。こいつマジあり得ないんすよ。俺の見立てでクラスで四番目に可愛い子から告られたのに、あっさり振ったんすよ!」

「あら、玖ちゃんモテるのねえ」


 四番目とは、腐女子の佐藤さんのことである。

 要らんこと言いやがって。褒めて損したぜ。


『たまには、声に出して褒めてあげましょうよ』


 嫌だね。男同士で褒め合ってたら、気持ち悪くて仕方ないだろ。男ってのは、心のなかで互いのことを認め合っていたら、それで十分なのだ。


『……玖馬って、変な美学にこだわりますよね』


 この後、楓さんには告白のことを根掘り葉掘り聞かれた……勘弁してくれよ。


「さて、そろそろ本題に入ろうか」


 ようやく恋バナから解放されたかと思ったのも束の間。士郎さんのその言葉だけで、身震いした。


「君たちは何か用があって来たのだろう?」

「あれ? そういや俺たち、何しに来たんだっけ?」


 こいつ凄えな、一瞬で台無しにしたよ。

 三歩歩いたら忘れてしまうのか。確かに頭が鳥の巣(パーマ)ではあるが。


『いや、羽鳥君に目的伝えてないでしょ、貴方』


 あっ、言われてみればそうだった。

 最近の妖精はリマインダー機能も備えているので助かる。


「きゅ……玖ちゃんは……何か用事があったから……ウチまで……来てくれたのよね……ぶふぅ!」


 楓さん、笑いすぎです。

 たまには自慢の旦那を庇ってやって下さい。


 士郎さんは咳払いをしてから、仕切り直した。心なしか顔が赤い。この人にも人並みの恥じらいがあるのかと思うと、少しだけ冷静になれた。


「実は、命から妙な手紙が届きまして」


 カバンから例の手紙を広げると、俺は洗いざらい打ち明け始めた。羽鳥にも筒抜けになるが、まあいい。どうせこいつは、あのとき全部読んだのだろう。


『本当に……全部話しちゃって良いのですか?』


 今更である。

 命が敢えて俺宛てに手紙を送ってきた理由が、俺にはよくわかる。親に心配掛けたくなかったのだろう。


 だが悪い、その望みだけは叶えられない。

 一つに、この夫婦相手に隠しごとが通用するとは思えないからだ。


 石段を登り切ったときには、疑惑は確信に変わった。お茶出しの一つもしない楓さんが、境内の掃除をしてる時点で妙ではあった。


 それもまあ、ご丁寧に巫女服まで着て。

 夫婦揃っての出待ちともなれば、わかりやすい。

 

 これは警告だ。

 私たちは既に知っている、嘘をついてくれるなよという脅しである。


 なに、取り立てて驚くことでもない。

 天狗なら、千里眼の一つや二つ持っていてもおかしくない。


『すみません、尻ぬぐいをさせてしまって』


 謝るなよ、妖精(しんゆう)

 もう一つの理由は、至って個人的なもんなんだから。俺は今、好き好んで全部打ち明けているのだ。


 あまり臭いことは言いたかねえが、心配してくれる親がいるのなら、心配させてやるべきだ。お前の悩みは贅沢なんだよ、バカ野郎。


「とまあ、こんな内容でして」


 そう長い手紙でもない。

 命の手紙の内容を説明するのは、三分もかからなかった。


 友人の生き別れの妹を探して欲しい。要約すれば、この一行で済む……一筋縄でいくかどうかは別だが。


「そうか……済まなかったね。命のワガママで迷惑をかけてしまって」


 士郎さんは、狗子さんにも見習って欲しいほど綺麗に、済まなそう顔をつくっていた。ざけんな、全部知ってた癖に。

 

『玖馬、言葉遣い悪くなってますよ』


 心のなかの言葉遣いぐらい見逃してくれよ。

 強がってでもいないと、この先やってられないのだ。


「悪かったね。この一件は忘れて貰って――」


 ほらな――来た。


「待てよ」


 手紙を回収しようと伸びた手を、言葉で制す。

 俺は手紙に書かれていない願いごとまで叶えてやれるほど器用じゃねえが、


()()は俺の手紙だぞ」


 手紙に書かれた願いごとぐらいは叶えてやれる。


「……気持ちはわかるけど、君まで面倒事に巻き込むのは忍びない。()()は、引き取っても構わないだろう」


 ぴきり、と団欒の場に亀裂が走る音がした。

 悪いな羽鳥、せっかくお前がいい雰囲気にしてくれたのに。


「断る。報告するまでは俺の良心だが、()()をやる気はねえ」


 今日俺は、このおっかない宮司と喧嘩しに来たのだ。


「……そうか」


 時間にすれば二、三秒ほど。

 天井を見上げ、士郎さんは頭を下ろした。

 そこにいつものえびす顔はなかった。阿修羅で言うなら、祈りを捧げる穏やかな面が憤怒の相に切り替わったようなものだ。


 いや、そもそも神社で仏像の例えを出すのが間違いかもしれない。


『……そういう問題じゃないと思いますよ』


 わずかな時間ぐらい現実逃避させてくれよ。

 パチパチと肌が焼けていくかのような錯覚を覚える。静かに、それでいて激しく、怒りの炎が空気を燃やし尽くす。


「そうか」


 おい命、お前の親父さん……怖すぎやしないか?


『信心深い、普通の宮司ですよ』


 こんな宮司が普通にいて堪るか。

 本当に掘りごたつで良かった。膝が笑っても隠せる。


 士郎さんの視線は鋭く、灼けつくほどに熱い。

 本当は一瞬たりとも目を逸らしたくなかったが、チラリと羽鳥に目配せをする。頼むぜ、いざとなったら骨だけでも拾ってくれよ。


「チッ、当ったんねえな。まーた石買わなきゃいけねえじゃん」


 そのとき羽鳥は、スマホゲーに勤しんでいた。

 ……大体わかってたよ、お前に期待したって無駄なことは。でもさ夢みたくなるじゃん、そのガチャの当たり確率ぐらいはさ。


『この手の射幸心を煽るゲームには、あまりのめり込まない方が良いと思いますけどねえ』


 本体(じぶん)のことを棚に上げて、よく言う妖精である。『やわらか八坂神社!』なるアプリを開発して、一山当てようとしてた癖に。

 思えば士郎さんに本気で怒られるのは、あのとき以来か。あのときはこちらに否があったから黙って叱られていたが、今日は違う。


 毅然とした態度で立ち向かうのだ――と、覚悟を決めてきた筈なのだが。


「…………」

「…………」


 沈黙が重い。

 どれだけの時間が流れただろうか。

 五分、十分……いや、体感では優に一時間を超える。そう勘違いしてしまいそうなほど沈黙は重かった。


 士郎さんは何も言わない。

 ただ黙って、射るような眼差しを向けていた。


 正直、これはかなりキツい。

 それなりに齢を重ねたおっさんと、高校に上がりたてのガキでは、醸し出す空気の重さが比べものにならなかった。


 分の悪い我慢比べである。

 この状況が延々と続くかもしれないと考えると、気が滅入る。頭が空気の重みで垂れそうになる。


『……玖馬、あまり無理しない方が』


 だまらっしゃい。

 一緒にサウナ室に入っといて、オッサンより先に出るわけにはいかないだろ。これは漢同士の意地くらべなのだ。


 そんな不毛な勝負を、楓さんは楽しそうに眺めていた。私は女湯でひとっ風呂浴びてきたので、どうぞご自由にと言わんばかりだ。


 ……上等だ。

 こうなったら、何十、何百時間でも居座ってやる。

 と、意気込んだ矢先のことだった。


「しゃあっ、赤王キタ――ッ!」


 ガッツポーズとともに羽鳥が立ち上がる。

 空気の読まなさ加減も、ここまで来れば才能だ。場の沈黙どころか、張り詰めた空気まで粉々に砕いてしまうのだから。


「あー、これでやっと心置きなく小便しに行ける。ずっと我慢してたんすよ。可愛い奥さん、トイレってどこっすか?」

「……部屋を出て、右に曲がれば直ぐよ」

「あざーす」


 人の目などものともしない。

 平然と立ち上がると、羽鳥はスマホの画面をこちらに向けてきた。


「見ろよこれ、玖馬イエー」


 ハイタッチを求める手に、今度ばかりは応えてやった。トイレに行った後の手で求められてもかなわんしな。


 八坂夫妻が唖然した表情で見送るなか、羽鳥は鼻歌交じりに障子戸を潜った。


 ありがとうSR羽鳥。

 お前のおかげで、今この場の空気は完全に死んだ。


「……凄いね、君の友達」

「でしょう、あいつ超大物なんで」


 対面の宮司は、いつものえびす顔に戻っていた。

 どうやら我慢比べを再開する気にはなれなかったようだ。


「どうあっても、この件から降りる気はないのかい?」

「ええ、全くないですね」

「君も言うようになったじゃないか」


 苦笑した後、士郎さんは顔を引き締めた。


「でも駄目だよ。君は、命に感じている負い目を無くしたいだけだろう。自己満足のために、僕の息子を利用しないでくれ」


 道を説く宮司の言葉が突き刺さる。

 どこまでも深く、心の奥底まで抉ってくる。


「僕は、これでも君のことも想って忠告しているつもりだ。頼む……手を引いてくれ。ここで大人に預けることは、決して恥ずべきことではない」


 両膝に手をつき、士郎さんが頭を下げた。


 心が揺れる。

 今ここで、命の手紙を手放してしまってもいいのではないかと。


 元より手に余る依頼であった。

 頼りとなるのは"七華"という名前と、十五歳の中学生であるということのみ。それだけの情報を元に人を捜せなんて、馬鹿げた話である。


 できっこない。

 無理に決まっている。

 心の弱い部分が、こぞって声を上げている。


 落とすことが明らかな重荷を背負ってどうするのだ。渡せ、目の前の男ならば、余ほど上手く荷物を運んでくれる筈だと。


 いつの間にか、喉が干上がっていた。

 手を伸ばせば届く距離にある筈の湯のみが、果てしなく遠い。


 言ってしまえ、楽になってしまえ、と漠然とした不安が心を責め立てる。


「……ありがとうございます」


 それでも、


 ――大丈夫、玖馬ならできますよ。


 都合の良い幻聴が聞こえた気がした。

 いつもは意地が悪いのに、根は甘い誰かの声が。


「それでも、それでも……俺は退けません。負い目があることも否定しません。けど……嬉しかったんです。命が俺を頼ってくれたことが」


 頼み方も、頼みごとも無茶苦茶ではあるが。

 人に頼られることは得意でも、人に頼ることが下手なあいつが、俺を頼ってくれたことが心の底から嬉しかった。


「だから、俺にやらせて下さい」


 ここで退いたら、あいつを……面と向かって親友と呼べなくなるから。

 頭を下げる。なりふり構わずに。


「……もういい、頭を上げたまえ」


 頑迷な若者をどう諭したものか。

 眉間を揉む宮司からは、そんな困惑がみてとれた。


「君にとって辛い……後悔するようなことになるかもしれないよ」

「今、後悔するよりかはマシです」

「……っ! 近所の迷い猫を探すのとは訳が違うんだよ。この県内にも、どころか関東、日本圏にもいるかわからないんだよ」


 不思議と、そのときのことはよく覚えている。


「そのときは、どこまでも探してやりますよ」


 意地を張ったつもりも虚勢を張ったつもりもない。頭に降りてきた言葉が、すっと喉を滑り落ちていた。


「そうか」


 それは一瞬、ほんの一瞬のこと。

 瞬きでもすれば見逃してしまいそうなほど、ほんのわずかな時間。士郎さんが目を見開いて驚いていた気がした。


 話がまとまったのは、それから直ぐのことだ。

 男二人の話し合いは一旦の決着をみた。


「……ありがとうございます」


 お茶を飲み干し、士郎さんは静かに湯のみを戻した。

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