文通ダイアリーⅡ
電車に揺られること小一時間。
流れる景色から灰色ビルは姿を消し、夕日に染まる山並みがそびえ立つ。
山を除けば、見渡す限りの田んぼに、畑。
これこそ由緒正しき田舎の風景である。
『ふう。やはり故郷の空気が一番ですねえ』
空気が名産とかいう田舎は、まず廃れるけどな。
どうして田舎の人は、ここの一番のごちそうはこの空気だ、とか言ってしまうのか。素直に何もないと言えよ。そんなに集落の限界に挑戦したいのかよ。
『なっ! これだから地元愛のないヤンキーは。探せばこの田舎にだって良いところが沢山あるでしょう』
「ないんだな、それが」
強いて言うなら、中途半端な米どころであるところとか、無人の野菜販売所が置けるほど長閑なところとか?
「もう、もっとあるでしょ!」
ぷりぷり怒る妖精。ボウフラみたいに湧いてきた割には、ずいぶんと地元愛あふれる妖精である。
『お土産なら、地名を刻んだ金属のキーホルダーに、ペナント。食べ物だったら、何と合わせても無難に収まるパイとクッキーがオススメ! 後は二、三年周期で入れ替わってるB級グルメとか、ゆるキャラとか。この前だってロケハン部隊が来て……いや、あれは企画がお流れになったからダメでしたね』
「お前今、トドメ刺したよな?」
前言撤回。
こいつはどうあがいても土地神になれない類の妖怪であった。
そんな他愛のない会話をかわしながら畦道を歩いていると、さも今思い出したといった風に妖精が口を開いた。
『あっ、そう言えばありましたねえ。この冴えない田舎にも、押しも押されもせぬ観光名所が』
へー。気になるその観光名所の名前は?
『私の実家にして、祇園祭で有名なあの神社の分社……八坂神社があるじゃないですか!』
「あー、押しも押されもせぬどころか、例大祭のときも正月のときも、人が押し合いへし合いもしない八坂神社のことな」
もう前振りの時点でわかっていたので、何の驚きもない。適当にあしらわれたのが気に食わなかったようで、妖精は唇を尖らせていた。
『玖馬ぁ……腐っても八坂神社ですよ』
「腐らせるなよ。つーか、あれだろ。神社ってのは、全国津々浦々に分社があるんだろ? 全然ありがたみねえよな」
「たかし。八坂神社の分社は五千以上あるけど……でも、荒れ寺になったら、つらたん。千古不易とまでいかずとも、古き良き伝統は残って欲しいよ」
『ほらみなさい。最近のJKもこう言ってますよ!』
「っていうか、狗子さんっ!?」
思わず背筋が伸びる。
いつの間にか、古きも新しきを一緒くたにするJKが紛れていた。
「狗子……狗子仏性? それは私に仏性がないということを暗に示しているのかな。たかし、ガチ無宗派勢だけど」
いっけね、つい心のなかの愛称が口をついて出てしまった。喪家の狗子さんはぶつぶつと独り言を漏らしていたが、自己解決したようである。
「とりま、ういうい」
「うい……うい?」
「あっ、友情破壊ゲーに出てくるマスコットキャラクターじゃないよ。『こんにちは』ぐらいのニュアンスでオケ」
その補足は助かるが、前半部の説明は必要か? それは暗に、人のことを勝手に狗子と呼ぶヤンキーとは友情が成り立たないことを示しているのか。
『ういうい☆』
爽やかに挨拶を返す妖精を、横目で見流す。
このウィ○ィ使いとは二度とド○ポンはやらない、そう心に決めていた。
「私も人のこと言えないけど、横瀬くんってバリ独り言多いよね」
「あれだよ……癖になってんだよ」
狗子さんの鋭い指摘を、頬をかいてやり過ごす。危ない人と勘違いされないよう、普段は脳内会話で済ませているのだが、気を抜くとこうである。
「ところで、そっちこそどうしたんだよ。参拝しに来たのか?」
「私? 参拝じゃないんだけど――ちょい待ち」
そう言うと、狗子さんは携帯を取り出した。どんなデコ電を使っているのか思ったら、二つ折りのガラケーにお札が貼ってあった。
相変わらずの口調で、狗子さんは電話口の相手と話す。会話の節々から待ち合わせではないかと窺えたが、自信はない。だって狗子さんの会話だもの。
「ゴメンディー。一刻ぐらい待ってもらえる。あっ、一〇〇刻法で言うところの、一刻だから。そこ重要」
『一〇〇刻法なら、十五分以内ですね』
……そこは分単位でいいだろ。
独特の価値観を持つ狗子さんとの会話は、当然のごとく噛み合わず。待ち時間はあっという間になくなり、彼女の待ち人が姿をみせた。
「おくごめ。待ったぁ~?」
擬音で表すならば、きゃるるん☆
しなをつくり、大きく手を振る。内股開きで駆け寄ってきた羽鳥を、俺はウエスタン・ラリアットでお出迎えした。ウィー!
「ドゥッフ――ッ!?」
空中で半回転した羽鳥が、むせ返っていた。当然の末路である。その遣り取りがツボに嵌まったのか、狗子さんは大笑いしていた。
「ちょっ、テキサスの暴れん坊! それに……ドゥッフって……ドゥッフって。ヤギ皮の太鼓じゃないんだから」
狗子さんのツボはいまいちわからん。
とりま彼女は放置して……いや、とりあえずな。いかんな、狗子さん時空に巻き込まれると、どうも日本語が乱れる。
「ごっほ……ごほ……痛えな! 出会い頭にラリアットはねーだろ!」
呼吸を整えた羽鳥が、不貞腐れ気味に吠えた。
やまかしい。田んぼにダイブさせなかっただけ、ありがたく思え。
あっ、今の時期の田んぼはまだ田植えしてないから、水張ってるだけです。なので、田んぼのことなら大丈夫です。
『そうじゃないでしょ! すぐに暴力ふるうなって、どれだけ口酸っぱく言えばわかるのですか!』
キーキーと妖精が喚き立てたが、取り合わずにバカを睥睨した。
「で、お前は何しに来たんだよ」
「ははっ。そりゃあ、参拝しに来たんだよ」
尻もちをついても、羽鳥は爽やかに笑っていた。
……ちくしょう、こいつの尾行にだけは気を払っていたのに。
どうやら馬鹿は、一杯食わされた俺のようだった。
◆
案の定というべきか。
狗子さんは羽鳥が送り込んだ間者だった。
隙をみて教室を出たつもりが、全ては奴の目論見通り。羽鳥は敢えて隙をみせることで、俺を泳がせていたのだ。
『偶にこういうことするから侮れないですよねえ、あの人』
……クッソ。
馬鹿に踊らされていたかと思うと、無性に腹が立ってきた。
「それでは、私はここで」
羽鳥から報酬を引ったくると、別れの挨拶もそこそこに、狗子さんは駅の方向に向き直った。うーむ、見た目の割に仕事人である。
「えっ、もう帰っちゃうの? 縁結びのお参り行こうぜ」
「すみません。イツメンとオケの約束があるので」
……もう少し済まなそう顔してやれよ。
ナチュナルにナンパする羽鳥を軽くあしらい、狗子さんは綺羅びやかな夜の街へと帰っていった。
うん。仕事人じゃなくて遊び人だな、アレ。
「あ~あ、フラレちったよ」
大して堪えた素振りも見せず、羽鳥がこちらに目を向けた。
「しゃあねえ。野郎だけで寂しく行くとしよーぜ」
「なんで、お前が付いてくる前提なんだよ」
「へへっ、ダチだからな」
キメ顔で鼻の下をこする羽鳥。
やべえ、手近に鈍器みたいなもんねえかな。
『あきらめなさい。言って聞くような人じゃないですから。それにここまで付いて来られた時点で、玖馬の負けですよ』
癪だが妖精の言う通りである。
舌打ちを落とし、先を急ぐことにした。田舎道を曲がり、木々を分け入るように建てられた石鳥居を潜る。
「もう知らん、勝手にしろ」
「さっすが玖馬、話がわかる~」
指パッチン&無駄に華麗なターン。
媚びへつらいながら、羽鳥が後を追ってきた。どうしてこいつは、こうも人を苛立たせる術に長けているのだろうか。
「言っとくけど、真ん中は歩くなよ。神さまの通り道だからな」
「オケオケ。神さまには頭上がらねえから、ちゃーんと避けて歩くっての。なんたって俺、神さまに愛されてるからな。やべえ相思相愛かも!」
こいつ、人生舐めてんな。
あの妖精ですら呆れ顔で固まってんぞ。
「はしゃぐのは良いけど気をつけろよ。この神社、危ねえから」
「神社が危ないって何だよ。山道の途中で熊でも出んのか?」
「……熊で済んだら良かったんだが」
いるのだ。
この生い茂った森の社には、夫婦の化物が。
それは熊というよりも天狗の類に近い。命絡みの面倒事でなければ、こうも気も進まない参拝などするものか。
「せいぜい気をつけるこったな」
人の気持ちを知らずにカラスが啼く。
苔むした石段の続く先は暗くて見えない。夕暮れの強い日差しすらも飲み込む天蓋のせいか、この森はやけにおどろおどろしかった。
「なあ玖馬、お前と八坂命ってどうやって知りあったんだ?」
石段を登る途中、羽鳥が唐突に話を振ってきた。化物云々の話は、どうも冗談と受け取られたようだ。
「んだよ藪から棒に」
「むしろこの機会だからだろ。だってお前って、頑なに八坂命の話だけはしてくれないじゃん。何なのその秘密主義、二人だけの思い出なの?」
「……大した話じゃねえよ」
肩の上の妖精、ニヤニヤしてんじゃねえ。
改まって話す話でもないので、俺は石段を登りながら続ける。わざわざ後ろを振り返ったりなどしなかった。
「カツアゲに遭ってる男がいてな、命がそいつを助けようとしてたんだ」
「超いい子じゃん! さすがは第三中学校の天使!」
『べ、別に天使なんかじゃないのですからね!』
オリジナル曰く「生徒会長として仕方なく事に当たった」とのことだが、それもどこまで本当なのやら。あいつは天邪鬼だからな。
「その場に、たまたま俺も通りすがってな」
「あ~、なーる。大体その後の展開は読めたわ。どうせお前が颯爽と不良を殴り倒して、八坂命を助けてやったんだろ」
「いや、不良に加勢して命を袋にした」
「悪魔かテメエは――ッ!」
『ねー、信じらないでしょうこの男』
うるせえ。どうせ俺は第三中学校の悪魔だよ。
もっとも、不良なんてのは低級悪魔どまりであることは、とうの昔に思い知らされている。真の悪魔とは、天使の皮を被っているのだ。
「……あんなに後悔したことはねえ」
「きゅ、玖馬? どうしたんだよ急に」
自然と背筋は震え、肌が粟立つ。
「初めは、単なる偶然だと思ってたんだよ」
素行不良のバカ共だ。どこかで恨みを買って報復に遭うこともあるだろう。無免許で単車を乗り回すような連中だ、事故を起こすこともあるだろう。
――それでもだ。
立て続けに何人も病院に運ばれたら、偶然じゃ片付けられない。
「けどさ、普通思うか? あんな成りした奴が、俺たちに立ち向かってくるなんて」
俺たちは鈍かった。
なまじガタイが良くて、幅を利かせられたから。
足元から這い寄る恐怖になんて、丸で気づいてやしなかった。天使が落とす悪魔の影は、とうに俺たちを呑み込んでいたというのに。
一人また一人と……不良の姿が学校から消える。
誰のものともわからぬ悪意は、一片の容赦なく、一切の手心なく、俺たちをすり潰していった。
悪魔は、夜に棲む生き物だ。
灯りも乏しい、この田舎道で一人になった途端に襲い来るのだ。夜の闇より昏い髪をした、ともすれば美少女にも見紛いそうな悪魔が。
不安にかられて後ろを振り向くと、誰もいない。
でも聞こえるのだ。くけけけ……と嗤う悪魔の声が。
そして誰もいなくなった。
悪魔の声を聞いた者は、ただ一人の例外なく病院に送られた。
夜が明けて、眩しい朝が訪れるころには、悪魔は着替えを終えている。学生服に身を包み、素知らぬ顔で優雅に微笑むのだ。
「あいつは、断じて天使なんかじゃねえ」
「悪かった……気軽に聞いた俺が悪かった」
百段近い石段も終わりに差し掛かったとき、羽鳥は平謝りしていた。この男が空気を読むなんて、珍しいこともあったものだ。
『ひどいなあ、被害者面して私を悪者扱いするのですか? 先に仕掛けてきたのは貴方たちだというのに……へえ』
重い。肩こりにしては右肩が重すぎた。
『まあ別にいいですけどね、済んだ話ですし。私なんて天使のように優しいと思いますけどねえ――ほら、あの人に比べたら』
石段を登り切った先には、一人の巫女がいた。
長い黒髪を揺らし、甲斐甲斐しく竹箒を掃く。
妙齢の女性と勘違いするほどに若々しいが、高校生の子供を持つ一児の母だ。どんなに若く見積もっても、三十代後半だろう。
『年は聞かない方がいいですよ。いくつに見える、って返してきますから』
そんなこと聞かれた日には、息が詰まって死ねる自信がある。機嫌を損ねない程度に逆鯖を読めとか、どんなロシアンルーレットだ。
「あら玖ちゃん! 久しぶりじゃないの」
竹藪で生まれたお化けじゃあるまいし、玖ちゃんは止めて欲しい……とは思うものの、強く出られる筈もなく。
「ご、ご無沙汰しています」
悪魔大元帥であらせられる――楓さんは、陽だまりのような笑みを浮かべていた。逆光を背負っているので異様に怖いです。
「お、おい!」
羽鳥が興奮気味に肘で小突いてきた。
「美人すぎる巫女さんがいるぞ。誰? 誰なの? 知り合いだったらマッハで紹介してくれ!」
「……命の母親だよ」
「嘘おおおっ! 人妻の可愛さパねえ!」
思い立ったが吉日とばかりに、羽鳥が楓さんに突撃した。
おい、馬鹿よせ! 今日がお前の命日になるぞ。
「横瀬君の親友の羽鳥と言います。いやあ、それにしても奥さん可愛いですね。あまりに美人なんで、目が潰れるかと思っちゃいました」
「あらあら、お上手ねえ。おばさん嬉しいわあ」
「お世辞なんてトンデモない。何ならこれから一緒にディナーでもどうです? この前フレンチの美味しいお店見つけた……ん、ですよ」
羽鳥後ろ! と、叫ぶまでもなかった。
ノータイムで人妻を口説きに行く行為は褒められたものでないが、それでも俺は羽鳥を評価したい。
森がざわめいている。
野鳥の群れは一斉に飛び立ち、森の奥に隠れ住む小動物たちはもっと奥へと潜りこむ。野生動物が尻尾を巻くほどの濃厚な殺気が垂れ込めるなか、羽鳥は最後まで言い切ったのだ。
あいつは……なんて根性のある馬鹿だろうか。
「僕は根っからの和食党だよ」
羽鳥の背後には、宮司が立っていた。
……何だ今の動き。草履で地面を滑りやがった。
「世界を放浪していたときは何でも口に入れてみたものだけど、やっぱり和食が口に合う。これで母さんの手作りだったら言うことなしだね」
「あらやだ、貴方ったら」
青ざめる羽鳥をよそに、オシドリ夫婦が惚気けていた。いや、あれは天狗の夫妻だな。人にて人ならず、鳥にて鳥ならずだったか。
「おっと、悪かったね少年。母さんとのデートは認められないけど、君とは女性の趣味が合いそうだ。なんならウチで夕食でも食べていくかい?」
「……ははっ、遠慮しときます」
羽鳥は乾いた笑いをこぼした。ジリジリと楓さんから距離をとると、俺の斜め後ろまで逃げてきた。おい止めろ、俺まで巻き込むな。
「おお、玖馬君も来てたのかい」
「……っす! ご無沙汰しています」
「何だい何だい、大男が畏まっちゃって。今日はどうしたんだい、ド○ポンでもやりに来たのかい?」
「いえ、今日は遠慮させて貰います」
「え~、せっかく四人いるのに」
嫌に決まってるだろ。
八坂家に混ざってプレイしたとき、地獄絵図と化したじゃねえか。友情どころか家庭が崩壊する一歩手前までいっただろうが。
『あれはね……遊びじゃないのですよ』
闇から舞い降りた賭博師みてえな面してやがる。そろそろ妖精という呼称は改めるべきかもしれない。アイルランド神話に失礼である。
「まあ立ち話もなんだし、上がっていきなよ」
宮司が背を向けると、巫女が一歩後ろを歩いた。
「あたた……ちょっとはしゃぎすぎたかな」
「もう恥ずかしい。足腰悪いのに無理しないでよ」
付いて来いってことだよな。
二人が遠ざかるなか、俺は羽鳥と顔を見合わせていた。
「あのさ、玖馬……やっぱ俺も帰っていい?」
「釣れないこと言うなよ、親友」
死なばもろとも。
道連れを引きずり、いざ天狗夫妻の愛の巣へ。
……俺、生きて帰れるのだろうか。
今更ともいえる後悔が、腹を並々と満たしていた。




