文通ダイアリーⅠ
本編「第65話 背の低い男」以降に読むことをお勧めします。
これは命から手紙を受け取った親友、玖馬の人知れぬ奮闘記。
人生、何が起こるかわからない。
何の間違いか、あるいは道を誤るほどに親友に追い込まれたせいか、俺は県内でも屈指の進学校『松陽高校』に受かってしまった。
元不良の俺がだ。嘘みたいな話である。
まあ、嘘みたいな話であることは認めるが、それが作り話でないことだけは先に断っておこう。そうでなくては話が進まない。
松陽高校に入学したその日から、俺の生活は一変した。
喧嘩に明け暮れていた日々と比べたら、月とすっぽんと言っても過言ないだろう。が、人間というのは得てして変化に慣れる生き物である。
初めは物珍しかった進学校も、今や日常風景。
日々は劇的でなく、かといって平凡というわけでもなく、山奥の湖のように穏やかだ。ときに風吹けば水面も揺れるが、直ぐに変化は収まってしまう。
初めこそクラス連中にも怖がられていたが、その悪印象も薄れつつある。高校全体はどうだろう……三年経っても改善しないかもしれない。
まあ、そんな些細な悩みしか抱えていない時点で、日々は順調なのだろう。
ときに入学式で隣だったバカに絡まれたり、コンビニでクレーマーに絡まれたりもするが、穏やかな生活を送っていた。
「あのう……手紙の件だよね」
そんな日常にも変化は訪れる。
それは大きな一石。湖が干上がるほどの質量を持った一石が投じられた。いや、この場合は"一石"というより"一通"というのが正しいだろうか。
「初めはその……怖い人かなって思ってたけど」
校舎裏。
若葉混じりの桜木は嬉しそうに風に揺れている。バカ曰く、この桜は伝説の樹と呼ばれているらしい。いや……ただのソメイヨシノだろ。
「意外と優しい人だなって、ある日気づいて」
同級生はモジモジと身を揺する。
見ているこっちが恥ずかしくなるほど、彼女の顔は真っ赤だった。
「それからさ……ずっと気になっちゃって。授業中もずっと横瀬くんのこと目で追っちゃってさ。あはは……気づいてた?」
口に出すのも憚られて、曖昧な笑みでごまかした。鏡がなくてもわかる。俺は今、ものすごく気持ち悪い顔をしている。
『うわあ……その顔はちょっと』
……黙れ。
今はこいつに構ってる暇などなかった。
「もし良かったら、私と付き合って欲しい……かな?」
恐ろしく曖昧な日本語だ。
進学校の生徒の発言だとは、とても思えない。
だがそれでも、痛いほど伝わってくるものがあった。今にも泣き出しそうなほどに瞳は濡れていて、小さな肩は小刻みに震えていて。
だから、可哀想だと思ってしまった。
「ごめんなさい」
だから、断るのは辛かった。
罪悪感から目を逸らそうと、頭を下げるので精一杯だった。
「あはは……だよね。何となくわかってた。ごめんね、急に変なこと言い出しちゃって。そりゃ困るよね」
「あのさ」
「あっ、大丈夫だから! フラれるかも、とは思ってたし。ちゃんとダメージ受けないように、玉砕したときのことも考えてたから」
そりゃ、たいそう立派な心構えだ。
でもそれって、必死に頬を持ち上げてる奴の言うことか?
「うん……これでおしまい! 明日からは、いつも通りのクラスメイトってことで、ひとつよろしく!」
潤んだ瞳を恥じたように、クラスメイトが背を向ける。気の利いた台詞ひとつすらかけられぬ内に、彼女は走り去ってしまった。
『あーあ。酷いことしますねえ』
「るせえな」
親友の分身ともいえる幽波紋……もとい、サードマン現象の成れの果てか、人工精霊なのか、わけのわからん浮遊体が苦言を呈してきた。
こいつが何なのかは説明しづらいが、160GBの肉声が詰まった"愛"podを延々と聞かされると顕現する妖精とだけ言っておこう。
『付き合ってあげれば良かったのに』
「俺よかよっぽど人のことフってる奴に言われたかねえよ」
『私の場合、相手が全員男でしたから』
ふふふっ、とドス黒い笑みをこぼす妖精。
……何も言えねえ。
美少女然とした容姿が祟り、同姓からモテモテだった命の苦労が偲ばれる。あいつの大変さが、一欠片ぐらいは理解できた。
「しゃあねえだろ」
でも、それとこれとは話が別だ。
ダメなものはダメなのだ。
「同情で付き合っても、何にもなりゃしねえよ」
胸が昂ぶらなかったのだ。
これで付き合っても、互いのためにはなるまい。
四月下旬。
俺は悪くない毎日を送っている。
高校生活は順調。施設のおばさんとの仲も良好だし(時折ガキ共が本気で憎たらしいことはあるが)それなりに青春もしている。
……なのに何故だろうか。
物足りないと思ってしまうのは、俺がワガママなのだろうか。
残り少ない桜の花びらが風に舞う。
希望に満ちた春も終わりに近づき、日常は少しだけ色褪せてきた。
命の手紙が届いたのは、そんなときのことだった。
◆
拝啓
春の日差しが心地よくなりましたが、貴方はいかがお過ごしでしょうか。
春眠暁を覚えずなどと言いますが、私は今にも永眠しそうな勢いです。さて、前置きが長くなりましたが、単刀直入に要件を申し上げましょう。……助けて下さい。貴方の協力が不可欠です。
《中略》
最後に、貴方の厚い友情に期待しております。
敬具
距離は離れていても、心は側に。
貴方のずっ友 八坂命
◆
「ダメだ。さっぱり意味がわからん」
人目を気にせず、独り言が捗ってしまう程度には意味不明だった。仲の良い者同士で賑わう朝の教室で、俺は謎の手紙を読み返していた。
『この冗談めかしながらも、真剣味を感じさせる文章。オリジナルはかなり切羽詰まった状況だと推測されますねえ』
……何なんだ、このレプリカ気取りは。
肩ごし(というか肩の上)から手紙をのぞき込む妖精は『あるいは、オリジナルが○ねば、私がヒロインを張れる?』などと物騒な発言をしていた。
こいつのスタンスは不明だが、その推測には概ね同意できる。
命は大事なことほど、冗談めかしてしまう癖がある。人に頼られるのは得意なのに、人を頼るのは妙に下手くそなんだよな、あいつ。
『そんなところも、私のひとつの萌え要素』
うぜえのは、ひとまず置いといて。
改めて目を落とす。やはりこの手紙は妙である。
『この部分も、なーんか噛み合いませんよねえ』
妖精が指差す先。
春の日差しが心地よくなりましたが――の記述が、そこにはある。春も終わりに差し掛かっているというのに、あいつは何を言ってるんだ?
『過去に生きているのか、あるいは頭が沸いているのか』
そう、春の陽気にやられて。
――などと、この妖精ほど黒いことを考えていたわけではない。それにしても、こいつは本当に口が悪い。マジ切れした命を彷彿させるものがある。
『冗談はさておき、この手紙はおかしすぎます。消印の日付けは合っているのに、文面がズレていますし。しかも送り先の住所が……』
京都聖華女学院。
住所をググったときは、さすがに我が目を疑った。おまけに神道系の学校でも全くないときた。
『ついに竿と玉をとってしまったのでしょうか』
「…………」
『それでも、ずっ友ですよね? ですよね?』
「…………」
偏見がない、と言い切れば嘘になるだろう。今後どう八坂さんとお付き合いしようか、頭を悩ましていたときだった。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ~」
羽鳥がいつものように教室に突入してきた。
別にいつも奇声を発しながら、エリマキトカゲ走りで入室してくるわけではないが、まあいつも通りである。
冗談のわかる男子連中は面白がって笑い、遠巻きに眺める女子連中は嫌悪感を露わにし、そして残りの連中は関わり合おうともしない。
それが、羽鳥圭佑という男である。
俺としては、最後のグループに加わりたいのだが、
「よう玖馬! お前、聞いたぞ。昨日、佐藤から告白されたのに、こっぴどく振ったらしいじゃん!」
……これである。
入学式の席が隣であったというのが運の尽き。命という共通の知り合いを通じて、俺たちは知り合ってしまった。
それからというもの、俺はこの羽鳥に日々うざ絡みをかけられている。こいつが馴れ馴れしく話しかけてくるおかげで、元不良というレッテルが剥がれつつあることには感謝するが、およそそれ以外に感謝するところが見つからない男だ。
「やっぱ不良ってブランドに、バカな女は惹かれるのかね。社会に出たら、何の役にも立たないクズみてえな称号なのにな」
重ねていうが……これである。
この発言に裏も悪意もないのだから驚きだ。
羽鳥は、めっちゃ爽やかに笑っている。
「あ~あ、なんでコイツがモテて、俺がモテねえのかな」
その理由は俺じゃなくて、涙ぐんでる佐藤さんか、もしくは殺気立っている女性陣にでも聞いた方が参考になると思います。
「うっ……うっ」
あっ、佐藤さんが泣き崩れた。
数秒後、大方の予想を裏切ることなく、女性陣の怒りが爆発した。
「クズ」「カス」「KY」「最低男」「ドラ息子」「能なし穀潰し」など、的確この上ない罵詈雑言を「クソパーマ」に浴びせかけた。
「ああん? なに妬んでんだよ、スーパー貧乏人どもがあああああ――ッ! テメエらの顔が悪いのも、家が貧しいのも、俺のせいじゃねーよ!」
羽鳥は負けじと一人がなり立てる。
味方? いるわけないだろ。面白がって羽鳥を笑っていた男連中なら、白々しく目を逸らしてるよ。本当に道化だな……こいつ。
かくして、一対二〇の口喧嘩が開戦した。
要塞のごときメンタルを持つ男と、徒党を組んで集中砲火を浴びせる女性陣の戦いは、HRに担任が到着するまで続いた。
「っしゃあ! ざまあみろ」
勝ち名乗りとともに、羽鳥の中指が天を突く。
勝敗は……まあ、羽鳥の判定勝ちだろう。
女生徒二〇名の集中砲火に耐え切るどころか、この短時間に三人の女生徒を泣かせてみたのだから。
『あれ絶対に、後で女子の間に禍根を残しますよ』
オマケにこいつ、クラスメイト一同を前にして、女生徒の格付けまで始めやがったからな。この内部分裂を誘う手腕には、妖精もいたく感心していた。
「イエッ! 玖馬イエーイ!」
羽鳥は頻りにハイタッチを求めてきたが、するわけがなかった。そんなことしたら、クラスに俺の居場所が無くなるだろうが。
「……羽鳥、お前は放課後になったら職員室に来い」
「チョリース、美奈ちゃん了解でぃーす☆」
その横ピースが、ウザさに拍車をかける。
美奈ちゃんこと三十路手前の独身教師、美奈川先生は眉間にシワを寄せていたが、羽鳥は気にも留めていなかった。
ああ、可哀想に。
どれだけ胃を痛めようが、どれだけの正当性をもっていようが、美奈川先生はこの問題児を怒れないのだろう。
鏑木、厳島に続く第三位。
羽鳥圭佑は、日本人なら誰もが知っている旧財閥のひとつ、羽鳥直系のドラ息子なのである。
なんでも、創業者の母校が松陽高校なのだとか。税金対策も兼ねて、それはそれは目ん玉が飛び出そうな額の寄付金を毎年送っていると聞いた。
誰に聞いたかって? 羽鳥本人にである。
――でなけりゃあ、俺みたいなバカが入学できるわけないじゃん。
そのときもやはりというべきか。
羽鳥は悪びれもせずに笑っていた。
……神よ、なぜこんな男を優遇したのだ。
『まあ所詮、この世は金ということですかねえ』
ひどい真理が肩口から聞こえた。
夢がねえなあ、この世も、この妖精も。
◆
窓から差し込む西日は、希望の光だ。
ゆとり教育は終わりだといわんばかりの詰め込みを強いられた学生どもは、放課後になると、ようやく息を吹き返し始めた。
……やべえな進学校。
どんどん勉強に付いていけなくなる。
『帰ったら、しっかり復習しましょうね』
ニッコリ。
天使のような悪魔の笑顔。
……誰か守護霊をお持ちの方がいたら、真夜中の内にウチの妖精とシャッフルしてくれないだろうか。
「ええ嘘ぉ。話盛りすぎっしょ!」
と、毎度の小言なら聞き流せるが、女性陣のひそひそ話は気にかかる。掃除が終わった後も寄り集まって、ガールズトークに花を咲かせていた。
「ありえんてぃって、思うじゃん。でもガチバナだから」
「やばたん。それが本当だったら、エモいなんて話じゃないよ。佐藤さん……喪家の狗になっちゃうよ」
さすがは進学校。
ハイレヴェルな会話を読み解くのは難しいが、どうやら会話の中心にいるのは俺のようだった。
羽鳥VS女性陣。
長く残るかと思われたその戦いのほとぼりは、放課後になるころには冷めつつあった。羽鳥のメンタルが要塞すぎるというのもあるが、女性陣の攻撃の矛先……いや、話題が俺にシフトしたのが大きい。
――何だよ、今度はラブレターかよ。お前、モテモテアピールも大概に……うほおおおおお! 八坂命からの手紙じゃん!
どこぞの馬鹿が、俺の手紙を引ったくった上に、差出人の名前を大声で読み上げたせいである。
「八坂命って、あの第三中学校の天使じゃ」
「横瀬くんが逃げられたっていう元カノでしょ」
「うわあ……過去の男を引きずってたか」
おい、ちょっと待て。
などと口を挟む間もなく、根も葉もない噂が拡散された。今やどこまで情報が出回ったかなど考えたくもなかった。
『いやあ、有名人は困りますねえ』
妖精がまんざらでもない顔をしていた。
誰かこいつを消す方法を教えてくれ。ググッても出てこなかった。
『もう諦めましょうよ。どうせ訂正したところで、面白い噂の方が広まるに決まってますから。ほら、人の噂も七十五日って言うじゃないですか』
もうやだ。
七十五日もホモ疑惑をかけられるのかよ。今や、佐藤さんがフラれたのは、横瀬玖馬がホモだったせいという風潮がクラスに広がりつつあるんだぞ。
『ふむ、その風潮一理ある』
一理どころか、理屈そのものが虚飾に満ちてるじゃねえか。俺はホモじゃねえと声を大にして叫びたかったが、まあ無駄なんだろうな。
『大衆は面白きに流れるものです、人に降りかかる不幸なんて考えもせずにね。面白がって情報を流して……勝手に嫉妬した女子からは牛乳かけられるわ、男友達との友情は崩壊するわ……本当にあいつらは』
怨嗟の声が、耳元で響いている。
本体の闇が垣間見えた気がするが、徹底して無視するつもりだ。怨嗟の声には耳を貸さないし、深淵ものぞかない。
……でないと、俺のほうが闇に飲まれそうだ。
『まあ、三位と十七位と十八位のことなんて放っておきましょう』
いちいち羽鳥ランキングで呼ぶなよ。
もうこいつ妖精じゃなくて、ただのまっくろクロスケだろ。
『ふん。コミュニティ崩壊を起こすまで、せいぜい羽鳥の格付けに踊らされているがよい……井の中の蛙どもが』
そろそろ止めとこうな?
一番可愛い私が入っていないランキングに何の意味があるの、とか言うのも無しな。オリジナルの人格が疑われかねない。
色々な意味で胃が痛い。
陰口が漏れ聞こえてくるのも、後ろ指を指されるのも、もう勘弁である。ハトラン三位の喪家の狗子さんの無事を祈りつつ、教室を後にすることにした。
『おや、いつも通りGHQですか?』
無理に対抗して若者言葉を使わなくて、いいから。
GHQとは、Go Home Quickly(早く家に帰る)の略語らしい。
――んだよ、今日もGHQかよ。付き合い悪ぃな!
といった具合に、羽鳥が良く使っている。
あいつ仮にも旧財閥系の子孫のくせに、喜々としてGHQなんて略語を使うなよと思わないこともない。
そのバカはというと、職員室に出頭していた。
『まあ、出頭するだけの茶番でしょうけどね。警察のお偉いさんの息子、知人がよく無罪放免されるのとよく似ていますね。三億円事』
あーあー、何も聞こえない。
手当たり次第に教科書をカバンにぶち込み、早歩きで教室の外に向かう。こんな息苦しい空間にこれ以上いられるか。
「あっ」
わき目もふらずに外に出れば良かったものの、つい視線を衝突させてしまった。扉側の席に座る佐藤さんが、ポカンと口を開けていた。
「…………」
「…………」
しばしの間、無言が続いた。
ぬかった。せめて反対側から廊下に出るべきだった。しかし、こうしてお見合いを続けているわけにもいかない。何か話さないと。
せめて、佐藤さんの前ではホモ疑惑が払拭しておくべきか? でなければ、彼女は男に負けた女になってしまう。
「あ、あの」
先に佐藤さんが重い口を開いた。
「み、みんな好き勝手言ってるけどさ……あんまり気にしない方がいいよ。私はちゃんとわかってるから」
「……佐藤さん」
あはは、と佐藤さんはいつものように控えめに笑った。
「命×玖馬のカップリング、私は応援してるよ」
佐藤さん……全然わかってないよね?
机の上に広げた自由帳にフリーダム過ぎる絵を描くの止めてくれねえかな。性差って、そんな簡単に越えちゃいけないボーダーだと思うんだけどな。
『どうやら玖馬が受けらしいですね』
男の友情が著しく曲解されているようだったが、何も言わずに立ち去った。佐藤さんが幸せそうなら、それで良いか。
後腐れなく別れたとは言いがたいが、これでこの"一通"は片付いたことにしよう。さて、もう"一通"にとりかかるとしようか。




