魔法少女の登校風景
本編より少し未来のお話。
街路樹の輝かしい緑は少し落ち着いて、黄色づきはじめた葉が、未だ熱気を含む風に揺れる。
学院前通りを歩く、黒髪の乙女。
彼女と周囲の風景を切り抜けば、まさしく絵となる。
黒髪の乙女――八坂命が通学路を歩く。
ただそれだけのことが、同学院の女生徒のまなざしを釘付けにする。
その視線に慣れっことまではいかないものの、仕方ないと、本人は開き直りつつある。
「おはようございます」
木漏れ日のような温和な笑みを携え、通学路を歩く女生徒に挨拶をする。
「命様、おはようございます」
「おはようございます。ああ、今日もお美しい」
「あっ、命ちゃんおはよう。また部室来てよ」
隣クラスの命を心酔する女生徒や、ダンジョン探検部の先輩といった様々な面々が、命に一気に挨拶を返してくる。まさに赤絨毯を歩く女優のような扱いだ。
(恐ろしい反響ですねえ)
八坂命の学院内での知名度は高い。本人の知らぬ間に、評判は日に日に上昇し、秋ごろには確固たる地位を築いていた。
(はあ。もう秋になるのですねえ)
見上げた秋の空は、あの春の日の空とは違う。透き通る青空は高く、羽毛のような雲が漂っている。
その秋空に線を引くように、魔法少女が空をかける。箒に、あるいは杖にまたがった女生徒が、後ろ髪を風になびかせる光景も見慣れたものだ。
命はあまり上を覗かぬよう気をつける。プリーツスカートが風になびく光景は、精神衛生上良くないからだ。空には魅惑のチラリズムがあふれている。
(ああ、もう……不用心だな)
魔法少女にも否があるのかもしれないが、命には文句を言う資格などない。魔法少女育成施設"セントフィリア女学院"に女装潜入している彼こそが、この学院の誰よりももっとも罪ぶかき存在だからだ。
正体がバレれば火あぶり、首うちが待ち受けている。その過酷な基本設定を振り返ると、命は背筋が寒くなった気がした。今のところは幸いにも、まだ頭と胴体がおさらばしていないが、未来はわからない。
「ピンポンパンポーン。マイ・スイート妹、命ちゃんが姉から迷子です。お見かけの方は、姉までご一報下さい」
空から魔法石を拡声器代わりにした、姉の声が響く。
命が見上げると、上空には箒にまたがった姉がいた。
一気に現実へ思考を戻された命は、すかさず【隠形術】を行使して、存在感を薄める。女優登校していた命は、周囲の女生徒に紛れはじめ、やがて完全に存在感を失った。
命はつくづく思う。
この東洋魔法を選択したのは正解だったと。
習った相手が姉だというのがまた罪悪感を誘うが、そこには目をつぶることにした。
(ごめんなさい、お姉ちゃん)
夏休み最終日もデートで一日中振り回されたので、二学期初日ぐらいは静かに過ごしたいというのが、命の隠さざる本音である。姉は悪い人物ではないが、ときに妹愛が重すぎた。
(姿勢を正して、早歩き……早歩きっと)
【隠形術】を使用し、命は歩行速度を上げる。通学する女生徒の群れをすり抜け、女学院へ続く通り道をすいすいと歩く。この魔法を取得した当初は、毎日のように使用していたのだが、今は使用を控えている。というのも命が学院から消えた事案『黒髪の乙女神隠し事件』が発生したからだ。
(まあ、でもたまには良いでしょう)
キビキビと歩く命だったが、不意にその足が止まった。
前を歩く女生徒のプリーツスカートが、からっ風に吹かれ、ふわりと持ち上がる。薄桃色の下着が見えたことに気づくと、女生徒は慌ててスカートを押さえて、周囲を見渡した。
(……あっ)
精神と魔力は連動する。
精神が乱れ【隠形術】が解けた命はまる見えだ。
視線が合うと、女生徒は頬を赤らめて早歩きで去った。
(うー、今のは不味かったかもしれない)
前髪を弄る仕草で、命は赤くなった頬を隠した。その所作ひとつで、黄色い声援があがるのだから、命自身も、もう何をすれば正解かわからない。
ともかくボロが出るのは不味いと判断し、早歩きで校舎へ急ぐと、今度は肩を叩かれた。
「よーす。朝から人気者だな」
肩を叩いたのは、緑色のナチュラルヘアが特徴的なスレンダーな女生徒だった。普段は鷹のような鋭い目つきをしているが、朝方のせいか少し眠たげで緩い。
長い両足を前後に動かすだけで、優雅さを感じさせるウォーキング。彼女もまた命に負けず劣らず、多くの乙女のまなざしを集めていた。
「リッカ、貴方には言われたくありませんよ」
緑髪の女生徒――ウルシ=リッカは、命の皮肉めいた言葉を軽く流す。
多少なりとも人目を気にする命とは違い、リッカは自然体の姿で飄々としている。朝の眠気で大あくびをしているのが、なんとも彼女の人となりを表していた。
「翠の風見鶏様と、黒髪の乙女のツーショットですわ」
「朝からごちそうさまです。これで朝食はいりません」
「誰か魔法石を、映像を写せる魔法石をください」
学院内でも知名度の高い二人の登校姿を女生徒は眼福とばかりに眺めている。集中する視線に悪気がなくとも、多少なりとも辟易する。
「貴方と一緒だと人目について仕方ありませんね」
「そんなつれないこと言うな――よ」
後方からしなだれるようにリッカが抱きつくと、周囲からはひときわ高い黄色い声援が上がった。乙女のアナログな脳内フィルムがフル稼働である。
命は驚きの声を上げかけたが、喉元まで登ったそれをグッと抑えた。一呼吸おいてから平静を装う。乙女はスキンシップ程度で狼狽えないと、心中で呪文のように唱える。
「リッカ。女性同士とはいえ、あまり度が過ぎると、お行儀が良くないですよ」
「気にするなよ。女の子同士なんだから」
女の子同士。
その言葉をことさら強調する悪意に、命は眉をひそめた。
(わざとだ。絶対にわざとだ。というか単なる嫌がらせです)
耳元へかかる艶っぽい吐息。
背中に当たる柔らかな双丘の感触。
その甘い刺激は、命にとって毒が強過ぎる。
そうして怯んでいる命の耳元へリッカはそっと囁いた。
「女の子のおぱんちゅに見惚れるようじゃ、まだまだ先が、思いやられるな」
「離れてください――ッ!」
カッと頬を染めた命は、背中に張り付いたリッカを振りほどく。
甘い睦言を交わしたように見えたのか、二人を取り巻く一部の女生徒が歓喜していた。この手のからみは、一部女生徒に需要があるようだ。
(多少慣れてきたと思ったのですがねえ)
命は心のなかでため息をつく。
セントフィリア女学院とは、やはり命にとって、まだ未知の領域である。
「もう知りません。先に登校しますよ」
「あはは、悪かったって。怒るなよ」
追いすがる友人と潜り慣れた正門を抜けると、二人は新たな区切りに立った。
長い夏休みが開け――二学期が始まる。