表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/30

アシュロンの憂鬱Ⅱ

 アシュロンの一番目につく特徴は、赤ぶちメガネである。

 セントフィリア女学院で生徒会長を務めていたときも、"王宮騎士団(ロイヤルナイツ)"の下っ端として働く今も、どうやらその印象が他人の頭に残りやすいようだった。


 第一印象がメガネというのも、なんともまあ……とは思うものの、やはり第一印象というのは馬鹿にできない。


「あら、何の用かしら野犬」


 豪奢な金髪を流す少女は、見た目を裏切らない性格だった。

 フィロソフィアを名乗る少女は、仲裁に入ったアシュロンに掴みかからんとする勢いで詰め寄ってきた。アジア料理のダイニングキッチンを謳うお店がざわついた。


「おい、あれ誰だ」

「"王宮騎士団"の正装ですし、正規の魔法少女(レギュラー)では」

「あんな方いましたっけ」


 恒例の外野の声を無視して、彼女はフィロソフィアと向き合った。


「"王宮騎士団"のアシュロン=ヴェルです。貴方がたが無銭飲食をしているとの通報を受けまして、この場に参りました」

「"王宮騎士団"? こんなメガネが正規の魔法少女なわけ。フィロソフィア家の悲願というのも、大したことありませんわね」

「お嬢さま。野犬なのか、メガネなのかわかりません」


「うるさいわね」と、お嬢さまは小声で隣にいる銀髪の少女を牽制した。一歩控えた立ち位置と言葉遣いから、アシュロンにも彼女が従者であることが窺えた。


 お嬢さまと従者。

 二人の間柄は騙りというには、あまりにしっくりとしていた。


「貴方……、本当にフィロソフィア家の者なんですか」

「だ・か・ら、何度も言っているでしょう。それとも私がフィロソフィア家の者だと、なにか不都合があるのかしら」


 フィロソフィアが、下からアシュロンを睨めあげる。

 内心は怯えながらも、アシュロンは平静を装う。"王宮騎士団"なんて呼ばれても、怖いものは怖いのだ。彼女は威圧的な人間が大の苦手だった。


「あの、アシュロンさま」


 そっと横から店長が手渡した紙を、アシュロンは受け取った。

 各テーブルに備えつけられたアンケート用紙のようだ。表面は何の変哲もない用紙だが、重要なのは裏面。ひっくり返すと裏書きがみえた。


『日を改めて倍返しします。 フィロソフィア=フィフィー』


 思わず絶句しそうな裏書だった。

 こほんと咳払いしてから、アシュロンはペースを取り戻す。


「わかりました。貴方がフィロソフィア家の者だというのは信じましょう」

「信じるも何も、元より私はフィロソフィアですわ」

「では、フィロソフィア嬢。貴方は無銭飲食を働きましたか?」


 無銭飲食。

 その言葉の響きに一瞬目を丸くした後、フィロソフィアはすぐに激高した。


「高貴なこの私を捕まえて、こともあろうに無銭飲食ですって。フィロソフィア家を馬鹿にするにもほどがありますわ」


 目が泳いでいたのを見逃さず、アシュロンは角度を変えて斬りこむ。


「これは失礼しました。では、お持ち合わせはありますか?」

「……書いてあるでしょう、日を改めて倍返しすると」


 フィロソフィアの視線は、完全にアシュロンから外れた。

 強気な金髪少女が沈黙した瞬間。店内からは火がついたようにドっと笑い声が上がった。面白い見世物だと思われたようだ。


「これは傑作ね。わざわざフィロソフィア家の名前を騙って、無銭飲食を働くなんて」

「よう、嬢ちゃん。お前、あの没落貴族に恨みでもあるのか」


 うつむいたフィロソフィアは、フローリングの床に視線を落としていた。そこに映る歯を食いしばる顔を見れば、彼女が耐えているのがアシュロンにもわかる。

 従者は気遣わしげに、主人の手を握っていた。


 店内に充満する雰囲気にアシュロンが嫌気を覚えたとき、それは床を跳ねた。


 チャリン――と、一枚の500イェン硬貨が床を叩いた。

 それは、上流階級者からの気まぐれと哀れみが込められた賽銭だった。


「タダ見はいけませんわ、皆さん。この面白い見世物に恵んであげましょう。この哀れな御三家を騙る――落ちこぼれのフィロソフィアの娘に」


 硬貨が、紙幣が、店内を舞った。

 その瞬間、アシュロンは初めて聞いた。

 ぶちりと、人の血管がブチ切れる音を。


「舐めるんじゃ」


 ごうごうと唸りを上げる風の音がする。

 不味いとアシュロンが思うも、一歩遅かった。


「ないですわ――ッ!」


 フィロソフィアが吹かせた風は賽銭を吹き飛ばすだけに留まらず、周辺のテーブルを豪快にひっくり返してみせた。うさぎが怒るがごとく、彼女は床を踏み鳴らす。


「ええそうよ、私の名前はフィロソフィア=フィフィー。正真正銘、誉れ高きフィロソフィア家の娘ですわ。笑わば笑いなさい。近い未来、野犬どもはきっとこの名を笑えなくなる日が来ますわ」


 真正面から吠える狂犬。その迫力に店内の客は言葉を失っていた。

 右から左までたっぷりと睨みつけてから、彼女は身勝手に言う。


「帰るわよ、エメロット」

「はい、お嬢さま」


 銀髪の従者の手を引いて、お嬢さまは堂々と表玄関をくぐっていった。

 後にも先にも、アシュロンはここまで堂々とした無銭飲食を見たことがない。


「ちょっと待て! 飲食代と店内の修繕費を置いてけ」


 店長が叫ぶのが遅れたのも無理からぬ話だったのかもしれない。

 クスリと。誰にも気づかれないようにアシュロンは笑った。


「ひとまず"王宮騎士団"が補填しますので、ここは一つ」


 小切手を置くと、続いてアシュロンも外へと向かう。店内の誰もが無銭飲食者を捕まえに走ったのだと勘違いしていたが構わない。


 素知らぬ顔で扉を閉めてから、数秒後。


「あはははっ!」


 アシュロンは、ようやく大口開けて笑うことができた。散々威張り散らしていた客の顔こそおかしくておかしくて、今にも吹き出しそうだったのだ。


 彼女たちに比べて、あのお嬢さまは実に堂々としていた。無銭飲食など頭の片隅にもないのか、胸を張って前を歩いていく。アシュロンは人混みをかきわけて、その背中を追った。


「待ってください!」

「あら、まだ何か用があるのかしら」


 面倒そうに振り返るフィロソフィアに、アシュロンは言ってやった。


「飲食代とお店の修繕費は、ひとまず私が個人で持ちましょう」


 ですから――と、彼女は目一杯唇の端を持ち上げる。


「倍返し、楽しみに待っていますよ」

「なによ、わかっているじゃない」


 釣られるように、フィロソフィアも笑みを浮かべた。

 この奇妙な関係に、一人従者のエメロットだけが理解に苦しむ。借金を踏み倒せたのは願ったり叶ったりなのだが、なぜ貸し手が喜んでいるのか。


「お嬢さま。あの方、ドブに金を突っ込む趣味をお持ちなのでしょうか」

「エメロット。あんまり面白いこと言っていると、ドブに沈めるわよ」


 その会話はバッチリ聞こえていたが、アシュロンは苦笑いで済ませた。ドブとは言わないまでも、万馬券に注ぎ込んだに近い感覚である。期待せずに待つことにした。


「お嬢さま、お嬢さま」

「今度はなんなのよ、エメロット」

「いえ、面白いものを見つけたので」


 エメロットが指し示す、西の空。

 そこには空を泳ぐ一羽のカラスがいた。群れからはぐれたのだろうか。初めこそ不思議そうに見ていたフィロソフィアだが、みるみるうちに瞳孔が開いていく。


 上空を偵察するように大きな円を描く不自然な動き。

 そして何よりカラスとは思えぬ飛行速度には覚えがあった。


「あれは、まさか」


 ――あの野犬の【(からす)


 そう断定するよりも早く、異変は起きた。

 上空を泳いでいた【烏】は唐突に翼を焼かれ、地上へ落ちていく。落下地点は5区と8区の境目あたりだった。


「ふう。上手くいって良かった」


 誰がやったのかは、その安堵の声が教えてくれた。

 ほのかに香る火属性の魔力。フィロソフィアの直ぐ側で、アシュロンは赤ぶちメガネのブリッジを指で押さえていた。

 

 【定点着火(イグニッション)

 

 特定座標を燃やすアシュロンの魔法を、ヴォルフはそう名付けた。ここ一年でアシュロンがやらされたことといえば、雑用を除けば【定点着火】の特訓ばかりだった。


「貴方……今、何をしましたの」

「やだなあ。目算で距離を測って、火を飛ばしただけだよ」


 さも当たり前のように答えるので、フィロソフィアはエメロットの顔を窺う。意図を察した従者は、頭を横に振って答える。普通の真似ではないと。


 ――ああ、また変な顔されてしまった。


 昨日見た夢もあって、アシュロンの顔は苦くなる。

 あの飲み会の席で、特にマグリアと噛み合わなかったのが【定点着火】の話題だった。怪訝な顔をされるだけならまだしも、あの愛嬌の良いマグリアが明らかにムッとしていた。


「っと、いけませんわ」


 しばし呆然としていたフィロソフィアは、【小袋(ポケット)】から杖を取り出すと同時に跨った。アシュロンの魔法も気になるが、何よりも気になることがひとつある。5区の南側付近に、あのいけ好かない黒髪の乙女がいることだ。


「待ってなさいよ、あの黒髪の野犬」


 金髪お嬢さまには、黒髪の乙女にも倍返しするものがある。

 ペットショップでの、あの人を小馬鹿にした微笑み。忘れていた屈辱の炎はメラメラと燃え上がっていった。


「ああ、待ってください! お嬢さま」

「ちょっと。春祭りの間は、飛行魔法は禁止よ」


 二人の止める声も聞かず、フィロソフィアはフルスロットルで空を駆け出す。最大時速60kmの弾丸お嬢さまは、瞬く間に点になった。


「アシュロンさん。『アレ』も撃ち落としてくれませんか」

「さすがに『アレ』を撃ち落とすのは、ちょっと」

「はあ」


 これみよがしにため息をつかれても、アシュロンも困る。


「全くお嬢さまは。そこに黒髪の乙女がいるとは、限らないでしょうが」

「え――ッ!」


 聞き捨てならない言葉を、アシュロンはすかさずキャッチする。

 それが釣り餌であるとは露知らず、まんまとハマったようだった。


「いや、そんなに驚かれても。式神の術者が落下地点にいるとは限らないでしょう。これって、結構普通のお話かと思いますが」

「そこじゃなくて、黒髪の乙女の部分」

「そこがどうかしましたか?」


 フィッシングの成功を確信すると、エメロットは誘導された体で黒髪の乙女の偽情報を流した。初めは求められるがままに、最後に話題が春祭りに及ぶと、淡々と決定打を叩き込んだ。


「なんでも彼女、2区にある魔法石の高級店に興味があるみたいで。春祭りとはいえ、制服を着ていれば魔法石も3割引になるんですかね」

「それで十分です。ありがとうございます」


 結論を導き出したアシュロンは、会話を打ち切る。

 春祭りの混雑に紛れて盗みを働く者は例年現れる。5区上空に飛ばした【烏】の式神はブラフ。本命は北部の魔法石店にあると、彼女は狙いをつけた。


「緊急連絡になります。展開をお願いします。物盗りの黒髪の乙女ですが、北部の魔法石店が本命のようです。この際7区の警備は構いません。2区の応援に向かって下さい」


「それでは」と一礼してから、アシュロンも北上していく。

 一人の間抜けな乙女を見送ってから、エメロットは独りごちた。


「全く。貸し一つですからね」


 フィロソフィアが飛んだ方角に向けて、エメロットも歩き始めた。

 騒動の匂いがする場所にいけば会える。それだけは間違いなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ