アシュロンの憂鬱Ⅰ
これは春祭りの裏にいた、一人の魔法少女の物語。
本編「第52話 7日間の砂時計」以降に読むことをお勧めします。
緋色に輝くワンレングスの髪色は、彼女が特別である証だ。
――ああ、これ? 髪の表面を魔力でコーティングしているの。
ある飲み会の席でのこと。鐘鳴りの乙女の一員であるマグリアは、アシュロンの質問になんとなしに答えた。火属性への耐性を活かして髪の表面部を低音の火で覆うのだと、そう簡単に。
「んー? それがどうかしたの」
愛嬌の良い顔でマグリアは首をひねる。その仕草だけで、アシュロンは気付かされてしまった。幅120cmにも満たない机の向こう側が遥か遠くに感じるほど、二人の間には大きな隔たりがあった。
――お前、才能ねえなあ。
教育担当がしきりに言っていた言葉の意味が、今になってアシュロンにも理解できた。正面に座る小柄な魔法少女は天才肌の持ち主であり、一般人の肌感覚など持ち合わせていなかったのだ。
燃える髪なんて、マグリアにとっては単なるお洒落で、彼女は爪にマニキュアを塗る程度にしか考えていなかった。
もはや年齢や感性の違いでは説明がつかなかった。
同じ火属性の魔法少女であるにもかかわらず、その後もアシュロンとマグリアの話はことごとく噛み合わず、まるで宇宙人と交信しているかのようだった。
話がすれ違うたびにアシュロンは曖昧な笑みを浮かべて、恥とともにエールを喉へと流し込んだ。19歳になって飲酒が解禁されたばかりということもあり、苦い感触は気になるが構わない。じんわりと身体が温まれば、少し鈍感になることができた。
「そうですよねえ、あはは。私何言ってるんですかね」
そうやって嘘くさい笑顔で自分の意見を引っ込め、ただただマグリアを賞賛した。自分が間違っていて彼女が正しいのだと、そう言い聞かせた。
一回首をかしげられるたびに心は削れ、言葉を交わすことすら苦痛。手のひらににじむ汗も、染まる頬も酒のせいではなかった。
「すみません。私、明日は早朝から用事がありますので」
アシュロンはありもしない予定をでっち上げ、最後は逃げるようにその場を後にした。二次会だなんて気分ではない。一刻も早く自分だけの空間に篭りたい。その衝動だけに突き動かされて、9区にある自宅に帰ってきた。
見慣れた天井は、アシュロンの落ち着きを取り戻してくれる。
火照った身体は冷ますように、彼女は自室のベッドで仰向けになった。
数十分ほどそうしてから、そっとセミロングの臙脂色の髪を触った。鈍い赤色をひと呼吸の間見つめ、火の魔力で髪の表面をコーディングしていく。ゆっくりと慎重に、低温を心がけて丁寧に。
「おはようございます」
翌日出社したアシュロンの姿を見て、教育担当のヴォルフは怪訝な表情を浮かべた。それというのも、先日切ったばかりの後輩の髪がさらに数センチ短くなっていたからだ。もはやセミロングというより、ショート気味だった。
「お前、それどうしたよ?」
「……毛先を焦がしました」
その返答に、ヴォルフは腹を抱えて一日中笑っていた。
前日の催しが『新人を励ます会』だったなんて嘘である。
アシュロンは、そう自己暗示をかけるほかなかった。
「どうせ私は、能なしの地味メガネですよ」
あの日のつぶやきが、何度もこだまする。
尖らせた唇と、背けた行き場のない視線。
それもやはり、ヴォルフではなく自分へ向けたものだった。
暗い部屋で、アシュロンは既視感のある映像を第三者のように眺めていた。誰もいない劇場の真ん中に座り、ただ一人で。
――ここは、どこだろうか。
その疑問を発するよりも早く、その世界は壊れた。
ジリジリ耳元で鳴り響くけたましい音。顔を突っ伏した手探り状態で、アシュロンは目覚まし時計を叩いた。
「……目覚め悪いなあ」
嫌な夢は寝起き特有の不機嫌さに拍車をかけたが、このまま二度寝というわけにもいかなかった。世間さまはお休みとはいえ、アシュロンには大事な日である。
「はあ、今日から春祭りか」
学生時代に浮かれたお祭りも、今では憂鬱なイベントになってしまった。
"王宮騎士団"という華やかな職場にいながらも、地味な生活を続ける魔法少女――アシュロン=ヴェルは、セミロングの髪の寝癖を確認しながら、出掛けの支度を始めた。
◆
誰かの手を離れた赤い風船が、空を上っていく。子供が泣き叫ぶのは大事なものを無くしたからだろうか。それとも空に手が届かない無力感から来るのだろうか。
「よっ、とな」
気がつけばアシュロンは杖に跨がり、空を飛んでいた。
風船のひもを掴むと、地上で待つ子供の顔がぱあっと明るくなった。その屈託ない笑顔に、彼女の心を少し救われた気がした。
「魔法少女のお姉ちゃん、ありがとう!」
「いえ、どういたしまして。ちゃんと持ってないとダメだよ」
魔法少女なのにお姉ちゃんとは、これいかに。
長年セントフィリア王国で続く"魔法少女論争"なんて取り留めもないことを考えながら、アシュロンは子供の頭を撫でていた。
「すいません、うちの子が迷惑をかけて。あの……えっと」
息せき切って駆けつけて来た子供の母親は、そこで言葉を詰まらせた。
悲しいかな、その理由についてアシュロンは察しがついてしまう。"王宮騎士団"の正装に見を包んでいるにもかかわらず、向かいの母親はアシュロンの名前がわからないのだ。こういうことはしょっちゅうだった。
「ねえねえ、お姉ちゃん! 名前はなんて言うの?」
無邪気な子供の問いかけに母親は一瞬バツの悪そうな顔をしたが、アシュロンにとっては良いクッションになった。これで心置きなく名乗ることができる。
「アシュロン=ヴェル。一応"王宮騎士団"の一員なんだけど、知らないよね」
「うん、全然知らない!」
あまりに子供が力強く答えるものだから、アシュロンはみえないハンマーでガツンと頭を殴られた気分だった。
「えっとね、クトロワとかローズとかヴォルフとか、あとワルウも知ってるよ」
「あはは。あの人たちは目立つからね」
子供は無邪気で残酷だ。大人なら言えそうにないことを平気でポンポン言う。事実、同じことを考えていたに違いない母親は、子供の襟首を掴んでやんわりと怒った。
「こらっ、何てこと言うのあんたは。すいません。家の子ったら」
「だって知らないもん」
キッと子供を睨みつけてから、母親は苦笑混じりにアシュロンに向き直った。
「アシュロンさんといえば、円卓会議のバートンさんの娘として有名でしょう。親子ともども立派だなんて、羨ましいわあ」
――嘘つき。さっきアシュロンって聞いて、思い出したくせに。
真っ先に浮かぶ言葉を飲み込み、アシュロンも笑顔をみせた。
"王宮騎士団"に入ってから一年。妙なところだけ大人に似てしまった。
「そう言っていただけると光栄です。母もお喜びになるでしょう」
目には目を、定型句には定型句を。
すらすらと口をつく言葉で、アシュロンはその場を収めた。
「春祭りということもあり、子供がはしゃぐ気持ちもわかりますが、監督の方はしっかりとお願いしますね」
「え、ええ。本当にありがとうございます」
何度か頭を下げると、母親は子供を抱えて春祭りの雑踏に紛れた。
後ろを向きながら手を振り続ける子供が見えなくなるまで、アシュロンはずっとその場に立ち尽くしていた。
「こら、テメエは何してるんだっての」
「痛っ」
アシュロンの後ろには、チョップを見舞う先輩がいた。
縦横無尽に跳ねる藍鼠の髪は野性味にあふれ、その毛色もあってどこか狼を彷彿とさせる魔法少女――ライラ=ヴォルフだった。
「飛行魔法禁止、この言葉の意味がわかってるよな」
ヴォルフの三白眼に睨みつけられ、今度はアシュロンが言葉に詰まった。
セントフィリアの4月初週の恒例行事、春祭り。
それは初め、外部入学生をターゲットにした非公式な催しだったが、好評を博して徐々に規模を拡大していった。今ではその賑わいは王都中に広がり、公式といっても差し支えのない一大イベントにまで成長していた。
こうなると非公式だからといって、国も放任するわけにはいかなかった。だからこそ"王宮騎士団"であるアシュロンも警備に回っているのだが。
「テメエが不用意に空を飛ぶと、真似するバカが出てきていらねえ怪我が増えるわけだ。その辺りのこと、とーぜんわかってるよな。おい」
「……ふぁい」
頬を掴まれて、アシュロンはひょっとこ顔になった。
空気が漏れる返答もなんだか情けない。
「これであたしの仕事が増えたら、お前マジで殺すからな」
「肝に銘じておきまひゅ」
荒い鼻息とともにヴォルフはクローを外した。
「罰としてお前、あたしのエリアも警備しておけよ」
「え……でも」
「でもも、しかしも、カカシもねえ。あたしがやれっつったら、やれ。テメエは半人前なんだから、人の倍働いてちょうど良いんだよ」
――むしろ半人前なら、警備のエリアは半分にして欲しいのですか。
なんて口を聞いたら、八つ裂き確定である。
ヴォルフが教育担当になってから一年。アシュロンはヴォルフがどういう人間か、よく知っているつもりだ。
「じゃあな。しっかり働けよ」
ひらひら手を振って、理不尽大王は帰っていった。
アシュロンが率いる憲兵団も、お気の毒そうに彼女を眺めている。こうなった以上、なんとかするのが中隊長たる彼女の勤めだ。
数秒ほど固まってから、アシュロンは声を絞り出した。
「えっと……皆さーん、警備体制を変えます」
サー、と応える憲兵団の敬礼にもどこか哀愁が漂う。
どうにもお人好しが上に立つ憲兵団は、どこか締りがなかった。
◆
本来は南側の7区と8区を受け持っていたアシュロンだが、現在は北側エリアの憲兵とも魔法石で定期連絡をとっていた。あっちを見て、こっちを心配してと忙しない状況が続く。
というのも、ヴォルフが預かっていた1区と4区がズドンと降ってきたことで、抜本的に警備体制を変えることを余儀なくされたからだ。
憲兵を交えた井戸端会議の結果、1区と4区の守りを重点的に固めることで大方意見は固まった。もとより古株が持っていた区域だけに、新人の担当区域よりも重要度が高い。
「お偉方がいるので、北側寄りの警備――特に1区は固めておきましょう。なにもヴォルフ先輩も、憲兵までは引き払わないでしょうし。上手く連携をとって下さい」
「そうすると、本来の担当区域が手薄になるのでは?」
「こう言ってはなんですが、7区の守りは多少薄くても構いません」
7区は職人街なので、例年あまり春祭りに興味も示さない傾向がある。商魂たくましい職人もいるが、そういう人種は5区まで出払って路上販売するのが常だった。
「しかし、8区を手薄にするのは、よろしくないのでは」
「そうなんですよね。うーん、そこをどうするか」
南寄りとはいえ、メインゲートである8区は一番問題が起こりやすい。大体は小競り合い程度で大事に至らないが、放置というのはさすがに問題がある。
しかし、4区というのもなかなかに軽視しにくい区域である。飲食店が集中しているこの地区は、1区の1ブロック南側にあたる。お偉方が南下してきて問題でも起きれば、それこそ目も当てられない。
「よしっ、そこは私がカバーしましょう」
悩んだ末アシュロンが導き出した答えは、自身を残す代わりに8区の警備を手薄にするというものだった。
果たしてこれで本当に良かったのか。
疑問は残るが、今まさに動いている春祭りを前にして、あまり悩んでもいられなかった。最悪問題があれば応援を頼むものとした。
5区で黒髪の乙女が盗みを働いたとは聞いたが、幸いにもアシュロンの警戒区域では目立った問題は起きていない。
事案といえば、気分を悪くしたおかっぱ頭の女生徒を保護して、中華系の二人組に引き渡したぐらいであった。
「そろそろ4区の警備を厚くしますか」
肌寒かった空気が暖められてきたころ、人波の流れは変わりつつあった。
飲食街へと足を向ける流れに乗って、アシュロン自らも4区への移動を開始した。いざというとき"王宮騎士団"がいませんでしたでは、話にならないのだ。
「というわけでして、メルフィさん。大変申し訳ないのですが、8区も少し気にかけていただけないでしょうか」
『あらあら良いのよ。ヴォルフちゃんに無茶言われて、ヴェルちゃんも大変でしょう。わたし8区も頑張って見ちゃうわよ』
メルフィに申し訳なさを覚えながらも、アシュロンは先輩の優しさに感動していた。将来はこういう先輩になりたいと心から思う。ヴォルフではなく。
一安心して魔法石の通話を切ると、彼女の腹の虫が抗議を立てた。
肉の焼ける濃厚な匂いから、トマトベースのスープの匂いまで。そこかしこから食欲をそそる匂いが混ざり合い、鼻孔をくすぐってくる。
ゆっくりと店に入る暇はなくても、露天で何か摘もうか。
ふらり、とアシュロンが香ばしい匂いに吸い寄せられたときだった。
魔法石が震える。"王宮騎士団"からではなく、コールセンター経由の連絡だった。嫌な予感とともに、彼女は恐る恐る着信に応じた。
「アシュロンさま、お忙しいところ失礼いたします。4区で無銭飲食が発生していますので、そのご連絡になります」
「はあ、無銭飲食ですか」
憲兵だけでも十分解決可能な問題に思えたが、テレフォンアポインターの話によると、どうにもその無銭飲食者が厄介な人物のようだった。
『なんでも、フィロソフィアの家名を名乗っているようで』
「フィロソフィア?」
ハイルフォン家、ヴァイオリッヒ家、フィロソフィア家。
魔法少女排出の名門を合わせて御三家といえば、この国では子供でも知っている。それだけ知名度を誇る三家ではあるが、最後の家だけは他二家とは立場が異なる。
『わかりました。ちょうど4区にいるので直接現場に向かってみます。あまりに相手を刺激しないように、伝えておいて下さい』
――どうして御三家から選んだのが、フィロソフィア家なのか。
疑問を覚えつつも、アシュロンは伝えられた飲食店に向かった。
フィロソフィアが無銭飲食に至る経緯は、本編39話の後書き【第39.5話 春の季節にあの味想う】(http://ncode.syosetu.com/n1118by/39/)に記載




