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エロと狂気の伝道師(下)

 前話で終わればとても綺麗な話なのだが、そうもいかない。

 なぜなら那須は変な子で、見事にワンクリック詐欺にかかったからだ。

 夏の思い出とは、一概に美しいものばかりではない。


 誰かの手垢が付く前に。

 そう思って触りに来たはずの『Winding 那須 7』には、現在アダルトポップアップという、ピンクの頑固な汚れがついていた。


 なぜこうなったのか、その発端は昨日のLANケーブルの巻取りだった。

 結局昨日うまく出来なかったLANケーブル巻取りのコツを、那須は愛機の『Winding 那須 7』で調べてていた。


 すると、ケーブルには3つの巻き方があることが判明した。

 一つは昨日那須がやっていた、単純にクルクル輪を作る方法、通称順巻き。そのまんまである。

 これに対して、エンジニアのFさんが使っていたのは逆相巻きなるものだった。これは順巻きの輪っかを作ったあとに、手を内側に入れて逆巻きの輪っかを作りだす、これをくり返すものだった。一見するとやりにくそうな手法だったが、慣れると速度が出てくるし、何より順巻きより綺麗に巻けた。


 と、最初は興味からくるケーブル巻きの検索だったのだが。


「ふむふむ……八の字巻きなるものもあるのですね」


 カチャカチャ、クリック。


「もやい結び……結びの王様とは、なんて心踊るネーミング」


 カチャカチャカチャカチャ、クリック、クリック。


「バケットヒッチ、いかり結び」


 カチャ、クリック。カチャカチャ、クリック。


「鉄砲縛り、菱縄縛り」


 この辺りで、那須は致命的に方向性を誤っていた。

 亀甲縛りといえばわかり易いであろう、緊縛のジャンルを純粋な瞳でみつめていた。かつては拷問の一種として扱われたそれも、現代人から見ればSMプレイ以外に用途を見出だせないものばかりだった。


 興味深いと、健全なサイトばかりを巡っていた那須ではあったが、彼女は二重の悲劇を引き寄せることになった。


 一つは、ふとクリックしたサイトが、アダルトポップアップに繋がる悪質なアダルトサイトであったこと。

 そしてもう一つは、『Winding 那須 7』は有害サイトをブロックするセキュリティフィルターが外れていたこと。


 後者に関しては、担任とエンジニアFさんが良かれと思って、那須用に未セットアップのPCを渡したのが仇になった。他のパソコンに設定されているフィルターは、那須が貰った手順書から設定方法がすっぽり抜け落ちていた。


 その結果が、あはーんなポップアップである。

 好奇心は猫を殺すだけでなく、那須を恥ずか死させそうだった。


 しかし、恥ずかしかってもいられない。

 夏休みとはいえ、情報室は開放されている。誰かが物を調べに来る可能性は、皆無ではない。

 ここは乙女の威信にかけて、早急に問題を片付けねばならなかった。


 善は急げと、那須は制服のポケットから携帯電話を取り出す。

 先のこともあり情報室のパソコンが怖かったので、手慣れた携帯のボタンをポチポチする。


(でも……なんて調べれば)


 那須はポップアップという単語を知らなかったので、手始めに『ヤッホウ知恵袋』という場所を訪ねた。そこは質問すれば答えが返ってくる、アカシックレコードみたいな場所だと聞いた覚えがあった。


 これだと思い立つやいなや、那須は質問を投稿した。


 

 質問者:NASUKOさん

 あの……わたしは中学生の女の子なのですが、学校のパソコンを弄っていたら、あはーんな女の人の画像(?)が出てきて消えません。どうしたら良いでしょうか。助けて下さい。



「使ったことないけど……これで良いのかな」


 全然良くなかった。

 びっくりするぐらい香ばしい文章が完成した。

 あまりに良い匂いがするので、目まぐるしい勢いで回答が増えていく。思わず「うわあ」と声を上げて、那須はディスプレイの前で固まる。


 一度深呼吸をしてから、那須はゆっくりと下から回答を追う。『釣り』とか『釣り針』という単語が頻出しているが、いまいち意味は掴めない。


(これは、電子の海と何か関わりのある単語なのでは?)


 首をひねりながら先を読み進めると、『まずはパンツを脱いだ方が良い』なる意見が、那須の目に入った。


(確かに汗びっしょりなので、多少は蒸れるのですが)


 果たしてパンツとパソコンの問題に何の因果関係が?

 セクハラ紛いの投稿を、本人はそうとも知らず真面目に考え、ひとつの結論に辿り着いた。


(なるほど……そういう意味でしたか)


 合点がいったと、那須は変なところに着地した。


 彼女の認識はこうだ。

 『まずはパンツを脱いだ方が良い』は、冷や汗かいているだろう那須を気遣っての発言なのだ。一度落ち着きなさいという意味を多分に含むのだろうと、1mm足りとも含まれない要素を読み取った。


(たぶん、ネット特有の言い回しなんだろうな)


 那須はパンツ投稿に感謝して、ペコリと画面に頭を下げる。

 なんだかそれだけでは申し訳ないので、レスも付けておいた。


 質問した人からのコメント:NASUKOさん

 ありがとうございます。場所が場所なのでパンツは脱げませんが、なんだか心のパンツが脱げた気がします。


 今度自分も焦っている人を見かけたら、『まずはパンツを脱いだ方が良い』と、那須も言ってあげることにした。親切の連鎖を断ち切ってはいけない。


「いけない……急がなくちゃ」


 穏やかな気持ちになるだけでは、問題は解決しない。

 パンツの投稿主に感謝しつつマウスのホイールを回すと、また一つ気になる投稿を発見。どうやらハイパーリンクが貼ってあるようだ。『解決方法はここに書いてあります』とご丁寧に書いてあるので、那須の顔はパアッと明るくなる。


 httpから始まりswfで終わるリンクを、那須はクリック。


 血まみれのピエロみたいな画像が、絶叫とともに飛び出した。

 俗にいうブラウザクラッシャー、そのなかでも精神的ブラクラと呼ばれるものだった。


「にゃあああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!」


 ブラクラに負けぬ勢いで絶叫を上げて、那須は飛び跳ねた。

 その拍子に椅子が移動してしまったので、腰を落とした瞬間すってんころりん。怖いものまで見させられた上に、踏んだり蹴ったりであった。


 慌てて那須は、ブラクラウィンドウをバツ印から閉じた。

 これも消えなければ、もう泣きそうな勢いだったが、幸いにもきちんと消えたのでほっとした。


「なに! 叫び声が聞こえたけど大丈夫!」


 引き戸が開けられたとき、那須の心臓は止まりかけた。

 彼女の絶叫を聞きつけて、女生徒がこちらの様子を見に来たのだ。

 不味いと、那須は一先ずパソコンをロックしてから取り合う。知ってて良かったショートカットキー。


「あの……大丈夫です」

「大丈夫ですって、貴方汗まみれじゃないの。それに今の叫び声、とても大丈夫そうな人間が上げる叫び声じゃなかったわよ」

「えっと……その、あれは私じゃなくて」

「じゃあ、誰なのよ」


 誰か。そう聞かれて硬直した那須は。

 数秒考えた末に、目についたものの所為にした。


「蝉です」

「蝉――ッ! むしろ猫みたいな声上げてたわよ!」

「……にゃんにゃんゼミです」

「にゃんにゃんゼミ――ッ! そんなミンミンゼミみたいに言われても。ねえ嘘なんでしょ、何かあったの!」


 不味い、不味い、不味い。

 どんどんドツボに嵌っていくのが手に取るようにわかっていても、もう那須の頭はオーバーヒートしていた。


「じゃあ……私の趣味です」

「貴方『にゃあああ』って叫びを上げる趣味をお持ちなの――ッ! というか『じゃあ』って言いましたよね!」


 詰め寄られると、那須はもう限界を感じていた。

 ああ、これが糸口になって、あはーんなポップアップがバレる。

 あきらめが那須の頭が過ったとき、もう一人の女生徒が入ってきた。


「騒がしいと思ったら、何してんすか先輩」


 遅れてきたやってきたのは、美術部の部員だった。

 情報室の隣に位置する美術室から出てきたようであり、先に来たのは彼女の部活の先輩に当たる人物だった。


「あっ、那須さんもいる。ナマ那須さんだ、超レア」

「貴方……この子をご存知なの?」

「そりゃあ、もう。むしろ先輩は知らないんですか」


 美術部の後輩は、いかに那須が変人なのかを先輩に説明した。この前風船おじさんの真似事をして、先生に捕まった件も知っていたようだ。

 その説明を聞き終えると、美術部の先輩は呆れたようにため息をついた。


「変なことをするのも良いけど、ほどほどにね」

「んー、なんの話すか。ねえねえ、先輩何の話すか」

「暑苦しいわね。にゃんにゃんゼミの話よ」

「にゃんにゃんゼミ――ッ! なんすかそれ!」

「バカね。そんなものいるわけないでしょ、うざいわね。蝉のように死になさい」

「あと一週間で死ねと――ッ!」

「冗談よ。蝉のように生きなさい」

「土のなかで七年間暮らさせた挙句、やはり一週間で死ねと――ッ!」


 まとわりつく後輩を邪険にしながら、脅威は去っていく。

 那須は下ろした腰がもう上がらないかと思うほど、脱力した。

 もうこのまま横になりたい気分だが、そうもいかない。

 波打ち際に打ち上げられた海藻のようになりながらも、那須は作業を再開した。


 ヤッホウ知恵袋からアダルトポップアップという単語を拾い上げて、検索をかけてみると、出るわ出るわ解決策が金銀財宝のごとくザックザクだった。

 なんで回答者はこれを教えてくれなかったのか。

 そう疑問に思う那須は、遊ばれていたなど夢にも思っていなかった。


 経過はともあれ、なんとか詳細な解決策が書かれたページに到着。

 那須がウイルスだと思っていたポップアップも、どうやらレジストリという設定情報の容れ物に入ったアプリケーションだということが判明した。


「検索窓からmsconfigと叩いてから、チェックを外す。それからレジストリというのを開いてから……この文章を消せば良いのかな」


 幾つか書いてある解決策から、那須は一番上に書かれたものを試した。

 半分ぐらい内容はわからなかったが、昨日からパソコンに触れていたこともあり、書いてある通りの操作をするぐらいはスイスイと進んだ。


 再起動をしますかと聞かれたので、イエス。後は待つだけである。


「これで……大丈夫かな」


 解決策が何個か記載されていたのは、やはり対応パターンが異なるものもあるからだ。

 これがダメなら別の解決策を試そう。

 そう悠長に構えていた那須だったが、


「うぃーす」


 ガラガラと、再び引き戸が開いた。

 そこにいたのは、熊みたいな那須の担任だった。


「まだいるって聞いてな。どうだ、昼飯食いに行かないか。先生奢るぞ」

「えっと……あの」


 『えっと』『あの』そして三点リーダー。

 今日は那須の三種の神器が大活躍の、本人にとってもあまり嬉しくないお祭り状態だった。

 もちろん担任の誘いが嫌なわけではない。問題なのは那須の前の『Winding 那須 7』。ガリガリ音を立てて再起動するそれは、当然側に立つ担任からは丸見えなわけで。


「どうした、あんまり腹が減ってないのか? それとも遠慮しているのか?」

「そ、そういうわけではないのですが」


 もし先ほどの解決策がうまく行っていなかった場合。

 再起動の終わりと同時に、あはーんなポップアップが出てくる。

 人の気も知らないパソコンは、それはもう機械的に動いていく。


 訝しがる担任が那須の顔を覗くなか、『Winding 那須 7』は再起動を終えた。数十秒その後の画面を眺めると、そこにあはーんなポップアップは。


 

 ――なかった。



 まだ抜けるかというぐらいに、那須の肩からはドッと力が抜けた。

 しばらくの間ふにゃふにゃになってから、彼女は担任の誘いに答えた。


「先生、私……すっごくお腹が空きました」

「そうか。カツ丼でも食いに行くか」


 小動物は、熊に連れられるがまま定食屋に行った。




     ◆




 二学期の初めを告げるイベント、始業式。

 日焼けをした生徒や、夏休み気分が抜け切らない生徒は、気怠そうに先生のありがたいお言葉を右から左に流してから、教室に戻ってきた。


「それじゃあ、宿題集めるからな」


 教員の声に合わせて、「えー」と不満気な声が各所で上がった。


「先生、宿題の提出って各授業の初めじゃないの?」

「バーカ。そういう輩がいるから、初日に回収するんだろ。きちんと、夏休み前のプリントにも書いておいたから、ないとは言わせないからな」


 机の最後列にいた生徒が、各教科の宿題を回収して教壇まで運ぶ。何回かそれをくり返すうちに、回収物は自由研究の宿題に移っていった。

 自由研究は大きいものから小さいものまで、それこそ自由だったので、各人が出席簿の順番に運ぶことになった。


 半笑いで誤魔化す者、素知らぬ顔で出してしまう者など、反応は様々だったが、彼女は自信満々で提出する部類の生徒だった。

 控えているつもりでも、節々から自信がかいま見える。


「おっ、那須。お前さては良い物を作ってきたな」

「はい……自信作です」


 那須が差し出したレポートを受け取ると、担任の顔は少し曇った。

 出来が悪いとか、やっつけ仕事だとか、そういう次元の問題ではない。タイトルを一文読んだ段階で、彼は躊躇したのだ。果たしてこれを受け取ってしまって良いものなのかと。


「えっと……お前の自由研究は、これで良いんだよな」


 那須みたいな口調で担任が問いかけると、本家本元は相手の心配なんて露知らず、可愛らしく小首をかしげていた。


 

 ――アダルトポップアップ攻略法のススメ。


 

 後に、あまりに出来が良すぎたこのマニュアルは、南アルプス中学校の男子生徒に頒布されただけでなく、数部ほど図書館に置かれることになった。

 大体えっちぃものを見ないとアダルトポップアップが出ないと那須が知ったのは、見知らぬ男子生徒に感謝を告げられてからだった。


 全校生徒公認のえっちぃ子になった那須は、茫然自失の状態で理科の実験なんかしたものだから、最後には理科室爆発事件までオマケにつく有り様だった。


 南アルプス中学校の男子生徒の神になっただけでは留まらず、理科室爆発事件まで起こした那須の名は、延々と語り継がれることになった。


 ――エロと狂気の伝道師。


 最後に不名誉すぎる称号をいただいた那須は、地元から逃げるようにセントフィリア女学院に入学していった。

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