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うつしよ

うつしよ 冷蔵庫のキリスト

作者: 鈴木カラス

そいつは冷蔵庫の中にいた。


積み上げられたガラクタの小山の頂上の、色褪せ壊れた冷蔵庫の中に……。



 『物事に意味を求めるのは無駄だ。そこに意味を問えば意味はあるが、問わなければ何も無い。なるようにしかならないから、人生は深く悩まない奴が得をする。ただ、己の才能を錆つかせない為には努力も必要だ』


 俺の尊敬する先輩はかつてそう教えてくれた。

 俺はそれ以前もその瞬間も、そして今でも先輩の言葉はその通りだと思っている。

 俺は国語と悩む奴が嫌いだ。時間の無駄にしか思えない。他人の気持ちなんてのは、予想したり共感は出来ても理解は出来ない。

 だって俺は他人じゃないから。

 だからあの「坊や」に対して俺が思ったのは、弱い奴だっていう嫌悪感だった。


 給料が良いバイトをやらないかと先輩から誘われたのは、大学のテストが終わって長い夏休みが始まる少し前だった。

 いつの時代も大学生はよく金を使う。やっぱり遊びたい盛りだから。まして一人暮らしで女がいたら尚更だ。俺はその誘いに喜んで飛びついた。

 ただ、連れて行かれた場所が興信所だった時は、さすがに俺もびっくりしていたと思う。私立探偵なんてテレビか漫画の中の話。俺の『現実』辞典の中にはそんな言葉は載ってなかったからだ。しかも事務所は普通の中小企業のオフィスみたいだし、働いている連中もテレビのようにカッコ良い訳では全然ない、ほんとそこいら辺にいるただのおっさんとおばちゃんたちだった。

 さらにバイトの仕事がコピー取りや掃除だって言われた時には、紹介してくれた先輩に少しむかついた。

だから所員の仕事を手伝ってくれと所長から頼まれた時は本気で嬉しかったし、組む相手を見た時は全身がしびれた。

 その相手--小津は、俺の想像には少し外れていたけれど、所員の中では一番『探偵』って感じの格好をした男だった。

 よれよれの白いYシャツに黒のスーツと革靴。無精髭が目立つ老け顔と暗い目。必要以上の事を喋らない寡黙さ。

 背が低くて凄みがあまり無いのが玉に瑕だったが、こいつと組んで何を調べるのだろうと思ったら、俺は今までにないわくわくした気持ちになった。中学の時に好きな女を初めて自分の部屋に呼んだ時以上に興奮した。

 でも、仕事が家出したガキの捜索だって聞いた瞬間、俺はすっかり萎えた。


 興信所の仕事は家出人探しと浮気調査がほとんどらしい。特にガキの家出は長い休みの時には多くなる傾向があって、夏休みの時期は興信所にとって稼ぎ時でもあるらしい。ただ、今回はガキであるものの、もうすぐ二十歳になる立派な大人の坊やだった。

 いい年して何をやってんだか……。

 その坊やは現在二浪中の浪人生で、ずっと実家で暮らしていたらしい。家族はサラリーマンの父親と専業主婦の母親、まだ高校生の弟がいた。

 まあ、俺の家族もそうだけど、日本で最も多い構成パターンの家族だ。

 ただ少しだけ他と違うのは、坊やの家族は先々代からのクリスチャンだという事だった。

 親の話によると、坊やは今まで非行歴はなく、無断外泊もした事が無い。聞き分けの良い優しい子で、教会の日曜礼拝にもよく出ていたらしい。

 盆になっても帰省しない罰当たりな俺とは違うみたいだ。

 立派な奴だと思った。飽くまで皮肉で。

 両親、特に母親は坊やの事を小津に詳しく話していた。母親は理由が全く分からないと何度も言っていた。

 小津は小津で暗い表情をほとんど変えずじっと話に聞き入っているようだった。

 そして俺は、この仕事で俺が何の役に立つのか考えたが、すぐに止め、この前喧嘩した彼女になんて謝ったら最善か、もらった指輪をいじりながらぼんやり考えていた。


 「だめっすね。誰も知らないって言ってますよ。同じ教室にいても話すらした事なかったみたいですよ」

 俺にようやく与えられた仕事は、坊やの通っていた予備校での聞き込みだった。しかも、俺はこの為だけに小津に必要とされたらしい。

 予備校のすぐ近くで待っていた小津は、俺の話を聞くと無言で小さく頷き、

 「ご苦労さん。事務所、帰っていいよ」

と素っ気無く言った。

 「えっ!?」

 思わずやや大きめの声が出た。

 「これだけですか、俺の仕事は?」

 「ああ……」

 立ち去ろうとした小津は、肩ごしに振り返って片方の眉をやや上げた。

 「これだけだよ」

 「もっと手伝わせて下さいよ」

 俺は食い下がった。

 坊やが心配だった訳じゃない。まして小津と一緒にいたかった訳でもない。

 ただ、このままだとあまりに物足りなかった。

 「もうちょっと一緒に仕事させて下さいよ、小津さん。何でもしますから」

 小津はその暗い目でじっと俺を見つめていたが、しばらくしてゆっくりと一回瞬きすると、頷いた。

 俺は結構本気で喜んで小津に駆け寄ったが、カウンターパンチのように小津はすかさずこう言った。

 「付いてくるのは構わない。ただ、何もしなくていいからな」


 その日、俺が小津と最後に訪ねたのは、坊やが通っていた教会だった。

 閑静な住宅地の中にあるその教会の白い建物は、結構綺麗で趣きもあって、ほんのちょっとだけ厳かな気分になった。

 教会を預かっている中年の人の良さそうな神父は、坊やの親から事前に連絡がしてあった事もあり、俺と小津をすんなりと応接間に通してくれた。

 ただ、その神父の話に、正直俺は気分が悪くなり、むかつきもした。

 神父に対してじゃない。

 ようやくはっきりしてきた坊やの性格に、俺は強い嫌悪感を感じたのだった。


『信じて祈っても、僕にはどうしても神様が見えません。

神様の救いが与えられません。

信じても、僕は救われません。

祈っても、僕は救われません。

僕は、どうしていいか分かりません』


 家出する前日、深刻な顔をして教会に現われた坊やは、神父にそう言ったらしい。

 「そんなに感情表現の豊かな子ではありませんが、決して暗い子でもありませんでしたよ。

 ただまあ、思い詰めるところはあったかもしれません。

 とても純粋で優しい子ですから……。

 頭の方もとても優秀ですよ。

 確かに受験に関しては希望する結果を得る事は出来ていませんが、それも目標の高さ故に仕方がないと言えば仕方のない結果です。

 しかしそれでも努力を続けているのですから、立派だと感心しています。

 いつも愛想ではなく、私には本当の笑顔で接してくれていました。

 だから余計に心配でした。彼の口からあの言葉を聞いた時は……」

 神父は温厚な顔に深い悲しみと戸惑いを浮かべていた。

 小津は坊やの親から話を聞いた時のように、ただじっと神父の話に時折頷いていた。その手に、坊やが神父に渡した手記があった。

 手記の内容と神父の話を要約すると、こうだった。

 坊やの家出の原因は単純な失恋だった。

 相手は教会の日曜礼拝によく来る高校三年生の女の子。

 神父曰く、清楚で礼儀正しい、とても良い子らしい。今どき教会の日曜礼拝に通うくらいなんだから、絵に描いたようなお嬢様って感じなんだろう。

 まあとにかく、その娘に坊やは惚れて、結構仲良くなったんだが、実は彼女にはちゃんとした彼氏がいて、坊やはゴメンナサイされてしまった。

 ほんと世界中によくある話だ。俺だって思い当たる。

 ただ、坊やの場合はその後がちょっと問題だった。

 彼女を諦めきれない坊やは、プチストーカーみたいになったらしい。

 どんな行動をしたのかは手記にも載っておらず、神父も坊やのプライバシーを考えたのか詳しい事を話したくない様子だったが、彼女が困って神父に相談してきた事は教えてくれた。

 俺はとにかく坊やをぶっとばしてやりたくて堪らなかった。

 神父が「彼もいけない事だと悩んでいたのです」と付け加えたけれど、俺の心のイライラは収まらなかった。


 「むかつきますよね、その坊や。俺の大嫌いなタイプっすよ。

 結果が出たんなら受け入れろっていうの。人間は諦めが肝心って言葉を知らないのかよ、まったく。

 そんなイジイジした奴を女が好きになる訳ないって。一生童貞だよ、そういう奴は。

 モテない奴はずっとモテない。ダメな奴は一生ダメなの。

 弱い事を自慢してるんですよ、そういう奴らは。自分を卑下して自分に酔ってるだけだ。

 自分を分かろうとしないし、分かっても何もしない。挙げ句の果てに追い詰められると逃げ出す。

 そんな暇があったら強くなるように努力すればいいんだよ。

 本当、頭くる」

 教会を出てから、俺は坊やに対する不満をぶちまけた。

 言ったところでどうにもならないし、怒るだけ体力の無駄遣いだと分かっていたけれど、止められなかった。


 何故、俺はこんなにも腹が立つのだろう?


 不思議だった。

 決して義憤じゃないし私怨でもなかった。

 ただ、腹が立って、その理由が分からない自分にまたむかついていた。

 その間、小津はまるで俺の話を聞いていない様子だった。

 神父から借りた坊やの手記に目を通しながら、器用に障害物を避けて俺の横を歩いていた。

 俺が、

 「小津さん?」

 と声をかけると、

 「一人暮らしの経験は無し。

 小中高と近所の学校に通っている。

 自動車及び単車の免許は保持していない。

 失踪時の所持金は少ないと思われ、銀行の預金は下ろされていない。

 実家から持ち出された物品は、神父に渡した手記とロザリオのみ。

 友人は少なく、交友関係は狭い。

 性格は反社会的ではないものの内向的」

 呪文のように小津はぶつぶつと呟いていた。

 そして最後に、恐らく坊やの手記の中の一文を独り言のように朗読した。

 「『こんな弱い僕は、夕日が映えるあのゴルゴダの丘で、死ぬべきなんだろうか?』」


 そこは、丘っていうより山だった。

 落ちていく夏の夕日がとても綺麗だったけど、そこはゴミの山だった。

 しかも電化製品の……。


 町の少し外れにある廃品置き場。


 うず高く積まれた洗濯機やテレビやビデオデッキやパソコンやエアコンやファクシミリや電子レンジやオーブントースターや掃除機や卓上ライトやコピー機やガスコンロや自動食器洗い機やオーディオ機器……。

 ありとあらゆる文明の利器が揃っている幾つもの山。

 けれどそれらは全部、壊れて使い物にならないゴミだった。

 坊やの手記と自分の上着を俺に寄越した小津が近付いていったのは、落日と重なって紅に光っている小高く積まれた山の頂上の、すっかり錆が浮いて変色している汚い白の冷蔵庫だった。

 慎重にバランスを取りながら冷蔵庫に近付いた小津は、足場を確認すると冷蔵庫を開けた。


 その中に、胎児のように全身を丸めて目を閉じている若い男がいた。

 

 校則のうるさい学校の高校生のような髪型。

 色白の肌。

 少しだけ生えた無精髭。

 青いTシャツに色褪せたデニムのストレートジーンズ。

 そこから伸びている細い四肢。

 白いアディダスのスーパースター。


 坊やが、そこにいた。


 「小津さん!」

 俺は近付こうと駆け出していた。

 しかし、小津が手で止めた。

 小津はそっと坊やの首筋に手を当てた。

 そして、

 「救急車!」

 初めて聞く小津の怒鳴り声だった。

 「早く呼んでこい!」

 その声に反応したのか、坊やはうっすらと目を開けた。

 何か呟いているようだったが、俺には聞こえなかった。

 ただ、小津は小さく何度も頷き、坊やが胸元でずっと祈るように握り合わせていた両手に手をやり、そっとほどかせた。

 坊やの両手から、銀色のロザリオが滑るように落ちた。

 そして小津が言った。

 「つかむんじゃない。はなすんだよ」

 もうすぐ沈む夕日の最後の光が、ゴミの山の天辺を射した。


 坊やは脱水症から血圧が下がっていて、発見が遅れていたらやばかったらしい。

 事件は新聞に載る事はなかったけど、小津だけでなく俺も一応警察署での調書取りがあった。

 駆け付けた坊やの両親から泣かれるほど感謝されたけど、俺の心の中は何故だか晴れ晴れとはしなかった。

 俺はこの事件を誰にも話さないと決めた。

 坊やに関する記憶も、全て忘れる事にした。


 その後、夏休みが終わるまで興信所でのバイトは続けたけど、再び小津と組む事は無かった。

 実は小津は結構忙しい身分らしく、事務所で見かける事も少なくて、会っても話なんて挨拶程度しか出来なかった。

 最後に小津と話したのは夏も終わる頃、バイト代をもらいにいった時だった。

 廊下を歩いてくる小津に、俺がお世話になりましたと軽く頭を下げると、小津はお疲れさんと返して事務所のドアに手をかけたが、ふと、そのまま静止した。

 そして俺の顔をあの暗い目でじっと見据え、こう言った。

 「お前、ダメな奴は何をしてもダメだって、前に言ったよな」

 俺は説教されるのかと思い、少し嫌な顔をした。

 しかし小津は、

 「俺もそう思う」

 と小さく呟いた。

 「ただ、あの坊やの事を否定しないでくれ。

 あいつが女の子にした事や、その後の行動は、確かにほめられた事じゃないと思う。

 でも、あの坊やの、ああいう人間の弱さを、どうか否定しないでほしい。


 分かってやれとは言わない。


 認める必要もない。


 ただ、否定だけはやめてくれ」

 いつものぼそぼそとした口調で、いつも以上に神妙な顔をして話す小津に、俺は肯定の返事も否定の返事も出来なかった。

 そして小津は静かにドアを開け、事務所の中に消えた。


10

 それからも俺は自分の主張や信念を曲げる事はなかった。

 ただ、小津の言葉はいつまでも俺の頭の隅っこにあって、思い出す事はほとんどなかったが、忘れる事も決してなかった。


                     了

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[良い点] 構成とキャラクターの相性が完璧でした。理由は別記します。 [気になる点] なんとなくですが、まだ文章のシェイプの余地、というか伸び代が残されているような気がします。記述精度と技量はとてもす…
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