御心(みこころ)のままに婚約破棄を
「リリア! 貴様とは婚約破棄だ!」
王都の夏祭りの夜。会場を埋め尽くすお祭りを楽しむ人々に注目されて壇上に現れた質素な聖女のお仕着せを着たリリアに、突然婚約者の王太子が宣言した。隣に公爵令嬢を連れて。
「本当の聖女はこのグランディスだ! この偽聖女が!」
豪華なドレスを着たグランディスが勝ち誇ったように微笑む。
「偽聖女」の言葉に観衆がざわつく。リリアに治癒や浄化をしてもらった者も多いので戸惑っているようだ。
貴賓席にいる国王も王妃も何も言わないので、これは予定してあったイベントなのだろう。
簡単な話だ。小さな男爵家で生まれたリリアより、公爵家の娘を聖女の座に据えたいのだ。
リリアは静かに頭を下げた。
「御心のままに」
それから三年後、リリアは珍しく夫が帰って来たので玄関で出迎えた。
「お帰りなさいませ。旦那様」
馬車から降りた夫は、出迎えがリリアだけなのを訝しんだ。
「他の者はどうした」
リリアより二十歳年上の夫は、城で宰相をしている。十年以上前に妻を亡くし、三年前にリリアが婚約破棄された時、
「それなら、私の妻に」
と申し出たのだ。
その後結婚したのだが、宰相はほとんど家に帰って来なかった。顔を合わせたのは三年間で両手で数えられる回数だろう。
「使用人は皆、帝国軍がやって来ると聞いて逃げました。残っているのは私だけです」
「名誉ある宰相家の使用人が情けない」
「でも、旦那様も逃げるので帰って来たのでしょう?」
「……っ」
否定しない。
「やっぱりねー。まあ、三年も凶作が続けば国力なんて落ちまくってますもんね。帝国が見逃すわけ無いってもんです」
田舎の男爵家育ちのリリアの話し方に宰相が苛立つ。
「お前には、私がこの国のためにどれだけ苦労したか分からんのだろう!」
三年前の凶作から、なんとか国を建て直そうとほとんど家にも帰らず国務に励んだ。
しかし、次の年も、その次の年も凶作に襲われた。あらゆる物の値が上がり、生活が出来ないと民が他国に流れ、税収が更に減る負のスパイラル。民どころか王宮の維持すら難しいのを必死に舵取りしたのだ。
帝国はこの好機を見逃さなかった。
ろくに軍事予算も取れない騎士団は、帝国軍の侵攻に撤退する一方だ。
「いくら国のために苦労したか知りませんが、結果が国の滅亡じゃあね」
「リリア!」
さすがに怒鳴りつけた。
「はいはい、すみません。さっさと荷造りしたら? 金目の物はもう残っていませんけど」
「何だと?」
「旦那様が帰るたびに私は言いましたよね。私の物が使用人に盗まれるって。そう言ってるのに放っておくから、次は旦那様の物が盗まれたんですよ」
当たり前でしょう、という顔のリリア。
一度甘い汁を知った者が、他にも金目の物があるのに我慢できる訳がない。
「この三年であらかた盗まれましたよ。残っているのは、絵とか彫像とか、もらっても邪魔になる物ばかりです」
「お、お前は妻として何をしていたのだ!」
きょとんとした顔のリリア。
「私って、妻だったんですか?」
「私と結婚しただろう!」
「はい。それからこの家にほっぽり出されて顧みられないので、てっきり聖女を騙った罪人を結婚という形で拘束しているのかと。屋敷の皆さんも同じ解釈のようで、私を奥様扱いする人なんていませんでしたよ?」
王太子に婚約破棄された直後に求婚されて「ああ、これは政治的な結婚だな」と予想は出来たものの、まさか顔もろくに見る事が無いくらいに放置されるとは思わなかった。
「いやー、愛が無い結婚なのは分かってましたが、だからってこの家の人たちの私の扱いはもはや虐待でしたよ。食事もろくに出ないし、掃除も洗濯もしないし。まあ、貧乏男爵家生まれ神殿育ちなもので何でも自分でできますが」
ちらっと宰相を見て続ける。
「旦那様も、全然私を社交にもパーティーにも連れて行かないし。まあ、私は偽聖女らしいので仕方ありませんが」
偽聖女をパートナーにしたくない宰相は、リリアを一切表に出さなかった。
そんな人を「奥様扱いしろ」と言われても、誰も従う訳が無い事にやっと気づいた宰相だった。
「そう言えば、本物の聖女様は今何をしてるんです?」
「国王陛下と一緒に王都を離れた」
「国を捨てて逃げたんですか! 国王と聖女、いえ王妃様が!」
聖女となったグランディスはまもなく王太子と結婚し、王太子は国王となった。
「でもまあ、逃げきれないでしょうね」
ため息をつくリリアに、励ますように宰相が言う。
「安心しろ、ちゃんと帝国軍の進軍経路を計算して」
「ばーか」
言葉を失う宰相。
「ほんとーにバカ。何で三年前から凶作なのか、まだ気が付かないの?」
「なんでって……」
「神様が怒ったのよ。聖女の私を蔑ろにして他の女を聖女の座につけたから。聖女は、人が決めるものじゃないわ」
あの夏祭りの後、強い風が吹き、長雨が降り、一気に冷え込んで順調に育っていた作物がほとんど駄目になった。
それを聖女交代と結びつけて考えた者はいなかった。
「確かにグランディス様にも治癒力や浄化力はあるわ。でも、聖女じゃないから祈りは神に届かない」
「……まさか」
「おかしいと思わなかったの? 新しい聖女が祈りを捧げても何一つ神の恵みが無い事に」
「…………」
「国王と王妃が逃げても、聖女の座を奪った奴らを神は許さないでしょうね」
多分、聖女を害したこの家の使用人たちも逃げきれてないだろう。
「……それは、本当なのか……?」
「最初におっかしいなー、と思ったのは、わたし付きの侍女、という名の嫌がらせ係が、次々と家に不幸があって辞めて行くんですよね。これは神様が怒ってるな、と分かりました」
「なぜ言わなかった」
「侍女長はおかしいと気づいたんですけど、家宰が偶然と判断して旦那様に知らせなかったんです。若い侍女が辞めるのはよくある事ですからね。家宰が認めて無いのに私が言っても旦那様は信用しないでしょう? だから言いませんでした」
宰相は、声を優しくして話しかける。
「……リ、リリアが聖女なら、今からでも神に祈れば国は助かるのではないか? リリアも守りたい者がいるだろう? 家族とか」
「はあ? 私の家族は、とっくに爵位を返上して他国に逃げてますよ。それも知らなかったんですか」
この家は偽聖女を生んだ家だと風当たりが強くて、小さな男爵家には耐えられなかったそうだ。
「あなたは、国どころか私も私の家族も守っていません。ほんっと無能な宰相」
家族は神の加護で他国で幸せにやっているのだけど、それは教えない。
呆然としている宰相に、リリアは語る。
「本当はね、旦那様が結婚を申し込んでくれた時、すごっく嬉しかったんですよ。皆の前で偽聖女と言われて、本当は泣きたかったあの時、胸がバクバクして足がガクガクしてその場に座り込みたくなっていた時、手を差し伸べてくれて。この人は、この断罪がグランディス様を聖女にするための茶番劇だと分かっているんだと、私の名誉を守ろうとしてくれてるんだと思ったの。……勘違いだったけど」
単に、偽聖女を目の届く所に置きたいためだった。
目を逸らす宰相。
リリアは力強く言う。
「だから、この三年私は祈りました。『神の御心のままに』って。思う存分、好きにやっちまいなって!」
聖女の心からの祈りは、さぞかし神に力を与えただろう。
何も言えなくなった宰相にリリアが言う。
「ところで、急いで荷物を纏めなくていいの? さっき御者が逃げて行ったから、逃げるなら徒歩ですよ、旦那様」
「何?!」
慌てて自分の部屋へ行こうとした宰相だが立ち止まり、リリアに
「お前はどうするのだ」
と、問いかけた。
「私は神の加護があるので帝国軍と言えど傷一つ付けられないですから。ここで国の行く末を見物してますのでお構いなく」
と、手をひらひらと振って答える。
頷いて去って行く宰相の後ろ姿にリリアは声をかけた。
「旦那様が何年もろくに城から帰れずに悩んだ懸案」
振り返った宰相に、にこやかに告げる。
「家に帰って私とお話しすれば、一瞬で解決しましたのにね」
2026年10月12日
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