第8話:異物
ヴァルディア帝国。
その中央に位置する軍議室。
重厚な扉の内側で、数名の将が円卓を囲んでいた。
「……撤退だと?」
低い声が響く。
発したのは、壮年の男。
帝国軍を率いる将の一人――ガルド将軍。
「はっ。補給線の混乱により、進軍不能と判断」
報告を受けた男が、淡々と続ける。
「損害は軽微。だが、統制が維持できず、やむなく後退」
沈黙。
「……あり得ん」
ガルドは吐き捨てた。
「我が軍が、戦わずに退くなど」
「事実です」
返答は冷静だった。
「原因は?」
「不明」
その一言に、空気が冷える。
「不明だと?」
「はっ」
「補給部隊と護衛部隊の間で、物資横流しの疑いが浮上」
「内部衝突に発展」
「同様の混乱が後方でも発生」
「結果、全体の統制が崩壊」
異常だった。
戦闘すらしていない。
それなのに、軍が機能不全に陥る。
「……偶然ではないな」
ガルドが目を細める。
「誰かが、仕組んだ」
確信だった。
「調査は?」
「進めています」
「だが――」
一瞬、言葉が止まる。
「特定には至っていません」
「無能が」
短く吐き捨てる。
だが。
その表情は、苛立ちだけではなかった。
――理解できないものへの警戒。
「……相手はどこだ」
「レグナス王国」
小国の名が出る。
「……あの緩衝地帯か」
「はい」
「兵力差は三倍以上」
「通常であれば、問題にならない規模です」
「だが」
一拍。
「今回の件に関しては――」
「“通常ではない”」
静寂。
「……報告にあったな」
ガルドが思い出すように言う。
「新たな宰相が就任したと」
「はっ」
「名は、カイン」
その名前が、落ちる。
「……経歴は」
「不明」
「過去の記録も、ほぼ存在しません」
「だが」
書類を差し出す。
「一部で、噂があります」
「……読め」
「かつて、国境戦を単独で覆した男がいると」
「名は不明」
「だが、その戦術は――」
「今回と酷似」
空気が、変わる。
「……同一人物か」
「可能性は高いと」
ガルドはしばらく黙り込んだ。
そして。
「……面白い」
小さく、笑う。
「戦わずに、軍を止めるか」
「異物だな」
はっきりとした言葉だった。
「放置すれば、厄介になる」
「だが、正面から潰すには――」
「面倒だ」
一拍。
「まずは、見る」
「情報を集めろ」
「どんな手を使ってでもいい」
「正体を暴け」
「はっ!」
命令が下る。
その瞬間。
戦場は、変わった。
剣ではなく。
情報の戦へ。
――そして。
その視線は、すでにレグナスへ向いている。
“戦わない宰相”
その存在が。
帝国にとって、無視できないものになった。




